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世界史講義録 ロシア史への誘い  作者: 鸛
ロシア史基礎編
31/75

レーニン④ 対ソ干渉戦争と戦時共産主義

レーニンを語るだけで、4話超えていますがお付き合い頂けますと嬉しく思います。

前回、レーニンは議会を武力で封鎖したことをお話ししました。


その結果、国内では社会革命党やメンシェヴィキや帝政派等、反共産党勢力が台頭するようになります。


この反共産党勢力を纏めて「白軍」といいます。また、ソヴィエト=ロシアではトロツキーのもとで常備軍である「赤軍」が結成されたことをお伝えしましょう。


こうして、ロシアの国内では、「白軍」と「赤軍」による内戦が勃発します。


また、イギリス、フランス、アメリカ、日本といった列強は、この混乱に乗じてソヴィエト=ロシアに介入します。


まず、始めに、イギリスとフランスは秘密協定を結んで白軍を支援します。


それと同時に18年四月にロシアに侵入しました。更に、アメリカや日本も18年8月になるとシベリアに侵入します。


これが日本史でも登場する対ソ干渉戦争です。


このようにソヴィエト=ロシアは国内外から脅威に晒されるようになります。


そこで、レーニンはこの危機を乗り越えるために、「戦時共産主義」という政策を実施します。


どんな政策だったのでしょうか?


まず、始めに土地や工場の国有化を徹底して、私営企業を一切禁止します。


また、農民に対しては穀物の強制徴発を行いました。対象となった農村では飢餓が蔓延し、反対する農民には、容赦なく毒ガスを散布し虐殺していたことをお話ししましょう。


※毒ガスの散布は教科書に書いてませんが、今もロシアの農民が記憶している史実なので紹介します。タンボフ県での毒ガス散布は有名な出来事です。


こうして、食料を確保して食料配給制を確保し、危機を乗り越えようとします。


さらに、是非お話したいのが、非常委員会(チェカ)ですね。


非常委員会(チェカ)とは、革命の敵と判断した人物を令状もなく、秘密裏に処罰する組織です。


1917年から設置され、この内戦の時代に暗躍しました。


非常委員会(チェカ)によって、レーニンの敵となり得るものは次々と処刑されました。レーニンは自分の障害となる勢力に容赦しなかったのです。


また、首都をペトログラードからモスクワに変更します。ペトログラードは、海に面していたので攻撃されやすい地域だったからです。


最後にコミンテルン創設も重要なポイントです。コミンテルンとは、各国に共産党を組織し、世界各国で社会主義革命を目指した組織です。


コミンテルンによって、帝国主義本国や植民地を刺激して、対ソ干渉戦争に対抗しようとしたのです。


こうして、レーニンは対外的脅威と内戦をなんとか乗り越えるのでした。しかし、戦時共産主義により、農村は疲弊してしまい、レーニン自らこの政策の限界を感じるようになったのです。


そこで、次回、レーニンが何をやったのか?について語ろうと思います。






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