ロマノフ朝成立
前回は、イヴァン四世のお話をしました。
このイヴァン四世の治世は、多くの民に血を流させましたが、歴史的に一つの意義があります。
どんな意義があったのでしょうか?
ヒントは、前回の最後にちょこっとお話しした、農奴制強化や常備軍の創設等の部分です。
答えは、帝権が強化されたことで絶対主義の基礎が築かれたということです。
そこも押さえておきましょう。
そんなイヴァン四世の死後、ロシア国内は動乱の時代を迎えます。
何故なら、一時的にポーランドによってモスクワが占領されたからです。また、国内も混乱しました。
しかし、動乱のなかで、貴族であったミハイル=ロマノフが皇帝に推されます。
ミハイル=ロマノフは、国内の統一を成し遂げて1613年にロマノフ朝という王朝を開きます。
このロマノフ朝ですが、以後、1917年のロシア革命で打倒されるまで続く王朝となります。
ロマノフ朝の時代、16人の皇帝が続きますが、大学受験などで、覚えておいてほしい皇帝は7人に限られています。
ロマノフ朝を開いた初代のミハイル=ロマノフ。
ロシアの近代化を成し遂げ、絶対主義を確立したピョートル一世。
日本にラクスマンを派遣したり、ポーランド分割に携わったエカチェリーナ二世。
戦争で負け知らずであり、フランスの英雄であったナポレオンのロシア遠征を阻止したアレクサンドル一世。
クリミア戦争を行ったニコライ一世。
農奴を解放し、アジアに侵略を開始したアレクサンドル二世。
そして、第一次世界対戦に参加した最後の皇帝であるニコライ二世
この辺の皇帝をきちんと理解することが、ロシアの歴史を理解することに繋がります。
この七人の皇帝をこれから解説していきますので、よろしくお願い致します。
本日はここまで。