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世界史講義録 ロシア史への誘い  作者: 鸛
ロシア史基礎編
29/75

レーニン② コルニーロフの反乱と10月革命

ケレンスキー内閣が成立すると、再びロシアの社会は急変します。


帝政派の将軍であった「コルニーロフ」が反乱を起こすのでした。


コルニーロフは、ロマノフ朝専制体制復活を企てていました。


そして、臨時政府もソヴィエトもメンシェヴィキもボリシェビキもみんな敵と考え、立ち上がるのでした。


このコルニーロフの反乱に対して、ケレンスキー政権は何もできませんでした。


何故なら、兵士たち、すなわち「ソヴィエト」はボリシェビキを支持しています。


また、臨時政府は、前回の七月蜂起で完全に信用を失いました。


臨時政府が右往左往しているときに、レーニンは国外からボリシェビキを指導し、コルニーロフを鎮圧します。


こうして、ボリシェビキは臨時政府にかわって主導権を握るようになります。


そして、1917年ロシア歴の10月、レーニンは変装してひっそりとペトログラードに戻ってきます。


その後、トロツキーと協力してボリシェビキたちによる武装蜂起を行います。


これにより、臨時政府はあっという間に打倒されて、ボリシェビキ主導による政権が確立します。


※このときの作戦の立案を行ったのが、トロツキーであったため、トロツキーは革命の英雄になります。


こうして、ソ連の前進であるソヴィエト=ロシアが成立しました。これが10月革命です。


※ソ連という名前は、1922年、革命の五年後のロシアの名前です。どうして、五年もかかったのか?というところは、別の機会にお話しします。










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