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世界史講義録 ロシア史への誘い  作者: 鸛
ロシア史基礎編
28/75

レーニン① 四月テーゼと七月蜂起

二月革命によって帝政が終わりを迎えると、亡命していたレーニンが帰国をします。


何故、レーニンが亡命していたのかというと、レーニンらボリシェビキは「革命的祖国敗北主義」という主張を唱えていたからです。


レーニンは、「革命を成し遂げるためには、ロシアが戦争で敗北し、帝政の限界を迎える必要がある」と真剣に考えていました。


※ちなみに、レーニンは日露戦争の旅順陥落時も、革命のチャンスとして喜んでいました。


こうした主張は、当時受け入れられるものではなく、レーニンは厳しい弾圧を受けました。


そして、大戦中にレーニンは亡命先のスイスで影を潜めていたのです。


ところが、国内で革命が起こると、レーニンは再びロシアに戻ってくるのです。


レーニンは、ロシア国内の情勢を見て「資本家が主導権を持っている臨時政府に、この国の舵取りができるわけがない」と考えていました。


そして、祖国に向かう列車に乗りながら、ロシアが今後進むべき道を考えます。


それを纏めたものが、有名な「四月テーゼ」です。


帰国した四月、レーニンが革命戦略要綱として発表します。


この中で謳われたことが、下記のことです。


①臨時政府の打倒

②戦争の停止

③土地の国有化

④全ての権力をソヴィエトへ

等々


こうした主張の背景を考えてみましょう。


当時の臨時政府は、資本家が主体でしたので戦争を継続し、軍需により利益を得たいと考えていました。


しかし、戦争でドイツに苦しめられてきた「当時のロシア国民の声」と程遠いものだったのです。


こうした現状をみて、レーニンは四月テーゼによって戦争の停止を主張します。


また、よく耳にする「全ての権力をソヴィエトへ」というスローガンは、要約すると下記の通りです。


「資本家に占領された臨時政府は、無力である。君たちソヴィエトが臨時政府を打倒して2度目の革命を起こして権力を握るべきだ。そして、資本家の戦争を止めるべきなのである。」


この呼びかけによって、ソヴィエトの支持は臨時政府ではなくレーニンに集まります。


また、兵士や労働者が七月に武装デモを展開します。これが七月蜂起です。


しかし、このデモは臨時政府によって鎮圧されます。また、ボリシェビキの指導部も弾圧を受けて、レーニンはフィンランドに亡命するのでした。


一方、臨時政府の方でも動きがあり、労働者や兵士の不満を抑えるためにケレンスキーが首相となり、内閣を結成しました。





再びレーニンが亡命してしまいましたけど、レーニンはどうやって権力を獲得するのでしょうか?そこは、次回解説します。

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