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世界史講義録 ロシア史への誘い  作者: 鸛
ロシア史基礎編
27/75

ソヴィエトと臨時政府

次回、いよいよレーニンの時代を迎えます。このページでは、レーニン登場前のロシアの情勢を語ります。

2月革命の時に、多くの血を流したのは「労働者」と「兵士」です。労働者と兵士は結託し、その代表からなる評議会を結成します。


この評議会のことを「ソヴィエト」といいます。では、2月革命の時に帝政が終わったのでソヴィエトが政権を運営したかというと違いました。


ブルジョワジーを支持基盤とする立憲民主党が、臨時政府を立ち上げます。


こうして、ソヴィエトと臨時政府が併存する二重権力状態が生まれるのでした。


何故、このような事態になったのかというと、ソヴィエトは権力の維持や運営経験に乏しいことがあげられます。


従って、組織運営のために臨時政府を必要としたのです。


また、ソヴィエトを支持していたのが、メンシェヴィキと社会革命党だったことも大きなポイントです


特に、メンシェヴィキはこの状態を望んでいたのです。


前回お話ししましたように、メンシェヴィキとは「労働者と資本家は協力して資本主義革命を目指し、地主打倒を優先すべき」と考えていた勢力です。


従って、メンシェヴィキから見たら、労働者とブルジョワジーの協力関係が存在する二重権力状態こそ、望んでいた革命の姿に近い状態でした。


なお、臨時政府には、社会主義者の代表も受け入れられ、ケレンスキーが入閣していたことも覚えておきましょう。


こうして、メンシェヴィキが資本主義革命を目指して、ロシアの社会は資本主義国家になるように思えました。


ところが…


こんなときにあの男が表れます。


レーニンです。結論からいうと、この二重権力状態は八か月後崩壊し、以降のロシアの舵取りはレーニンが行うようになるのです。


そこで、次回はレーニンにフォーカスし、ロシアはどうなっていったのか?見ていきましょう。


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