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世界史講義録 ロシア史への誘い  作者: 鸛
ロシア史基礎編
21/75

血の日曜日事件と第一次ロシア革命

日露戦争が勃発すると、当時の民衆は軍需工場で多くの人が労働者として働いていたため、過酷な労働を強いられるようになります。


そんな中、ガポンという一人の神父が立ち上がります。ガポンは労働者組織を結成し、日露戦争の中止と労働者の権利改善、さらには立憲君主制の樹立を求めて、ロシア皇帝ニコライ二世に対してデモを行いました。


このデモを行ったロシアの民衆たちは、「ロシア正教」を広く信じていました。ロシア聖教の特徴は、皇帝崇拝であり、デモを行うことによって崇拝する皇帝に自分達民衆の声が皇帝に届くものと信じていたのでしょう。


ところが、皇帝に民衆の声は届かず、デモ隊に対して軍による発砲が行われました。これが、1905年一月に起こった血の日曜日事件です。


血の日曜日事件が起こると、民衆による皇帝崇拝の幻想が砕かれたのです。


そこで、全国各地で都市労働者による反政府運動や農民の土地要求闘争、更にはブルジョワジーによる立憲運動が激化するのでした。


これが、第一次ロシア革命です。情勢を見ていたニコライ二世は、最終的に10月宣言という宣言を行います。※1905年十月に行ったから十月宣言です。


これによって、国会(ドゥーマ)の建設、憲法の制定、内閣制の採用を公約するのでした。


なお、十月宣言によって、ブルジョワジーの目的である立憲君主制樹立が達成されますので、ブルジョワジーの動きが軟化します。


その隙をついて、第一次ロシア革命は、軍隊によって鎮圧されるのでした。




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