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世界史講義録 ロシア史への誘い  作者: 鸛
ロシア史基礎編
15/75

三度目の地中海南下は失敗に終わった。

前回解説しましたが、アレクサンドル二世は中途半端ではあったものの、農奴開放を行ってロシアの近代化を進めました。


こうして、何とか自信を取り戻したロシアは、再び地中海に向けた「南下」を企てます。


そこで、クリミア戦争のリベンジを行うためにロシアは再びトルコに戦争を仕掛けます。


これが、「露土戦争」です。(1877年の出来事です。)この時、フランスは普仏戦争に参加していたため、介入してきませんでした。


また、イギリスもこの時は偶然戦争に参加しませんでした。そんな状況下でしたので、ロシアにとって絶好のチャンスであり、トルコに攻撃を行います。


予想通り、この戦争はロシアの圧倒的勝利に終わります。そして、戦後、ロシアはトルコとサン=ステファノ条約を結びます。


条約の内容はいくつかありますが、ルーマニア、セルビア、モンテネグロの三国が独立したこと、そしてトルコ領内でのブルガリアの自治が認められたことを押さえてください。


そのなかでも、最重要ポイントはルーマニアの独立とブルガリアの自治を認めたことです。何故重要かというと、ルーマニア領とブルガリア領を経由して、ロシアは地中海に進出できるようになるからです。


つまり、サン=ステファノ条約によってロシアの悲願だった不凍港を獲得し、南下できるようになるのです。


勿論、イギリスはロシアに南下してほしくなかったので、この状況を許すわけがありません。また、オーストリアもロシアに敵意を抱くようになります。


こうして、ヨーロッパは戦争一歩手前の緊張状態に突入するのです。


しかし、この状況でドイツの鉄血宰相として有名なビスマルクがしゃしゃり出てきます(笑)


何故、しゃしゃり出てきたか?このままいくと、ロシアとイギリス&オーストリアで戦争になるかもしれませんでした。


そうなった場合にビスマルクは、あることを恐れました。それは、孤立したロシアがもしかしたらフランスに助けを求めるかもしれないことです。


しかし、それはドイツにとって非常に困ります。ロシアとフランスが手を繋ぐと、ドイツは地理的にロシアとフランスに挟まれる形になります。


それが何故困るのか?ドイツとフランスは、先程も書きましたが普仏戦争という戦争をしました。


この時、ドイツはフランスを徹底的に苛めていました(笑)


※この戦争の詳細については、別シリーズで詳しく語らせてください。ロシア史以外も歴史を書こうと思いますのでしばらくお待ちください。


苛めすぎたからこそ、何かのきっかけで報復したいフランスがいますので、ロシアとフランスが手を繋ぐとドイツは四面楚歌になってしまうのです。


じゃあ、どうしたらいいか?ロシアの不凍港獲得を無効にして、戦争を回避するしかないのです。


ビスマルクの行動原理は、フランスの孤立ですからね。


そんなわけで、ベルリン会議が開かれ、「サン=ステファノ条約なんか認めないよ」と各国に同意を求めて焚き付けます。


そして、ロシアが折れて「サン=ステファノ条約」は無効になり、ブルガリアの自治領が縮小されます。


こうして、ロシアの地中海への南下は三度目の挫折に終わるのでした。







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