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閃! ―侍少女学園譚―  作者: 天津石
9/14

雨過天晴



 夜の闇を、半分にも満たない月が薄暗く照らしていた。雲間から差す微かな月光の下に、「それ」は(うごめ)いていた。

 宙に浮かぶ歪んだ球体のようなどす黒い肉塊から、いくつもの目玉と口、そして手にも足にも見える触手が無造作に生えている。

 不幸にもそれと目を合わせた少年は思わず言葉を失い、尻餅をついた。にやり、とその異形が舌を出す。恐怖に染まった少年の顔を見た異形は、腐敗した果実が潰れるような気味の悪い笑い声を上げて、槍のような速度で少年に触手を伸ばした。

 すくんだ足に力が入るはずもなく、思わず目をつむり、歯を食いしばっていた少年に、触手が届くことはなかった。

 一閃。鮮やかな斬撃が、異形の触手を斬り落としたのだ。

 ぶちゅり、という肉片が転がる音。驚いた少年の前に、月影を遮ってふわりと影が舞い降りる。

「大丈夫ですか!」

 声をかけたのは、長い黒髪を結った小柄な少女。紅い瞳を静かに燃やし、魔を祓う銀刀を構えたその少女は、身の丈が殆ど変わらない少年に優しく微笑みかける。

佐々木閃(ささきさき)、ただいま到着しました!安心してください、この街は、私達が守ります」

 そう言うと少女は人間離れした瞬発力で、闇に溶けて消えていった。かと思えば異形にいくつもの銀閃が突き刺さり、不気味に浮遊していたその肉塊は潰れるような悲鳴を上げながら、ゆっくりと高度を落として行った。

 異形は黒髪の少女を睨みつけ、無数の触手を生やし、勢いよく伸ばす。それを少女は小さな刀で斬り、弾き、受け流す。しかし、

「きゃあっ!」

 先ほどよりも遥かに太く束ねられた触手を少女は受けきれず、佐々木閃は体勢を崩す。空中で姿勢を崩すこと、それはすなわち無防備であることと同義だ。束ねられた触手が分裂し、手刀のように少女めがけて放たれた。

 迫りくる触手が少女を貫く寸前、その進路は投擲(とうてき)された軍刀によって阻まれた。軍刀は触手に突き刺さると同時に爆発を起こし、衝撃波は触手を空間ごと引き千切った。爆煙の中から少女を抱えて飛び出してきたのもまた、黒髪を2つに結った別の少女だった。

「東郷さん!」

「閃ちゃん、もう大丈夫だよ!私が鎌倉に居る限り、奴らには誰も触れさせない」

 舗装道路にひびを入れながら豪快に着地したその少女は、抱えていた小柄な少女を降ろすと、不気味に浮かぶ異形に軍刀を差し向けた。

鎌倉学府(かまくらがくふ)蔓延(はびこ)怪魔(かいま)め!この街で人を傷つけることは、鎌倉守(かまくらのかみ)東郷(とうごう)芽衣(めい)が許さない!!」

 東郷(とうごう)芽衣(めい)と名乗った少女は、軍刀を勢いよく地に突き立てる。

八岐大蛇(やまたのおろち)!」

 突き立てられた軍刀から溢れる魔力が、地震の如く大地を揺り動かした。めきめきと音を立てながら盛り上がる地面は、みるみるうちに巨大な大蛇の形となり、その首を八つに分けて「怪魔」と呼ばれた異形に牙を剥いた。

「喰らえ!【魔剣技(まけんぎ)斉射(せいしゃ)】!」

大蛇が口を開くと、巨大な砲門が現れた。八つの砲門に取り囲まれ、逃げ場を失った怪魔は怯えるようにぐるぐるとその場を漂う。直後、一斉に吐き出された土塊(つちくれ)の砲弾が怪魔に命中し、夜闇を塗り替えるほどの大爆発を起こした。

 衝撃波が突き抜け、気化し切らなかった土砂がぱらぱらと舞い落ちる。轟音の後は静寂以外、残るものはなかった。

「ふう、こんなもんかな!」

 東郷芽衣と名乗った少女は小さくため息をつくと、軍刀をゆっくりと鞘に収めた。

「すごいです!東郷さん!私も頑張らなきゃ……」

「えへへ、大丈夫!鎌倉で戦っていれば、(さき)ちゃんもすぐに強くなれるよ!」

 笑い合う二人の表情が歪んだのは、その直後だった。突き抜けるような異臭。怪魔(かいま)の前兆だ。より濃い瘴気が鎌倉の街中に広がっている。

 断末魔のような叫び声とともに、虚空から無数の怪魔が出現した。片翼を失った羽虫のような形の肉塊が月明かりを覆い尽くす。

「――このっ!」

 芽衣は再び抜刀し、今度は軍刀の先端から蛇の頭を部分召喚すると、砲撃を行った。中空で爆発した砲弾の威力は抜群で、多くの怪魔を焼き払った。が、その穴はすぐに他の怪魔で塞がった。単一目標に対する全方位攻撃・および火力の集中を得意とした芽衣に対抗するかのようだ。

「どうしよう、このままじゃ鎌倉が……」

 (さき)と呼ばれた小柄な少女がぽつりとこぼす。怪魔に埋め尽くされる空を睨み、東郷芽衣も悔しそうに歯を食いしばった。

 直後、闇に覆われた空が、赤く燃え上がった。無数の小さな怪魔は金属が軋むような悲鳴を上げて灼け落ちてゆく。

「連鎖爆裂術式!?それもこんな大規模に構築するなんて――!」

「よう、鎌倉守(かまくらのかみ)さん、また貸しだな」

「君は――」

「坂上先輩!」

 すらりと伸びる長身に、金髪をなびかせた少女は余裕そうな表情で現れた。

坂上吾妻(さかがみあづま)さん、まさか君がこんな大技を隠し持っていたなんてね」

「まだ本気も出しちゃいねえよ、それより、さっさと片付けるぞ」

「うん!」

 芽衣は勢いよく頷いた。

朱雀(すざく)!」

 坂上吾妻は大太刀を構え、勢いよく振り抜いた。漆黒の刀身が赤く輝き、煌々と燃え上がった。

「薙ぎ払え!【聖剣技(せいけんぎ)火輪転生(かりんてんしょう)】!」

 坂上吾妻は燃え上がる大太刀で中空を切り裂いた。燃える刀身の軌跡から無数の炎鳥が羽ばたくと空全体へ広がり、肉塊を焼き払っていく。単一目標へ火力を集中させることに特化した芽衣とは真逆に、吾妻は広域殲滅(せんめつ)に特化した剣技の持ち主だった。

 一気に気温が上昇した真夜中の山道で、空へ広がる炎から逃れた来た怪魔を、坂上吾妻の援護のもとに二人の少女が各個撃破してゆく。やがて空は燃え尽きて、降る灰とともにあたりには再び静寂が訪れた。

「今度こそ、おしまいだよね」

「はい、きっとそうです!」

「ここ最近、怪魔の出現頻度が上がってるんじゃあねえのか?それに、手強くもなってきてる気がするぞ」

 坂上吾妻は冷静に分析した。考えなしに怪魔と戦い続ければ、いずれ取り返しがつかなくなると彼女は読んでいた。それに対し、鎌倉守・東郷芽衣も異論無く頷いた。

「そうだね、特に今日の怪魔は今までの中で最大級の強さだった。緊急を要する一件だね。私は先に戻って討魔支部会議で報告する資料を作ることにするよ。二人なら、私が守らなくても大丈夫だもんね」

「はい!先輩を守るのは任せてください!」

「ったく、どっちが守ってやってんだか」

「あはは!二人とも、本当に仲良くなったよね!じゃあ、後はよろしくね!」

 そう言うと芽衣は驚くべき脚力で大地を蹴り、学府中央の討魔拠点本部へと飛んでいった。

「ふう――ここまで長かったです。でも、坂上先輩が来てくれて良かった」

 小柄な少女が呟いた。

「たまたま通りかかっただけだ。って……ん?ここまでって、何の話だよ」

「東郷さんがここを離れるまで、ってことですよ、坂上先輩」

 黒髪を不気味に揺らしながら、少女は不敵に微笑んだ。

「お前……まさか!」

 どす、という感触とともに、坂上吾妻の下腹に何かがめり込んだ。

「恨まないでくださいね、先輩。楽しかったですよ」

 坂上吾妻は目を虚ろにしながら片膝を付き、やがて崩れ落ちた。見上げた黒髪の少女は、目尻からきらりと、一筋の雫をこぼしていた。



「うわああああああああああああ!!!」

 素っ頓狂な叫び声とともに、坂上吾妻は飛び起きた。刺された腹は?傷は?血は?慌てて自分の腹を見る。清潔なベッドシーツと芽衣に借りた寝間着、みぞおちにめり込んだ裏拳……裏拳?

 吾妻の下腹にめり込んでいた小さな拳の持ち主――佐々木閃は、すやすやと寝息を立てて眠っていた。

「寝相悪すぎだろ――っ痛え……」

「おはよう!坂上さん、よく眠れた?なんだかうなされてた気がするけど」

「あ、ああ、問題ない、コイツに裏拳食らってびっくりしただけだ」

 どうも奇妙な夢を見させられた吾妻は、ため息をつきながら起き上がり、窓の外をぼんやりと眺めた。

「んぁ……おはようございます」

 ごろんと寝返りをうち、うつ伏せになって目を覚ました閃は、あくびを噛み殺しながら呟いた。

「おはよう閃ちゃん!よく眠れた?」

「はい!ベッドも枕もふかふかで!お布団も気持ちよかったです!」

 閃は溢れるほどの笑顔で言った。

「ね、先輩!」

「――ああ」

 吾妻はつんとした表情でそっぽを向いた。「お前のせいで最悪の目覚めだった」などと言うことは、吾妻の良心が許さなかった。

「二人とも!」

 そんな雰囲気を察した芽衣が呼びかけた。どうやら朝食のパンが焼き上がるまでに少し時間がかかるらしい。

 焼きたてのパンと聞いて頬を緩ませる閃。直後、その目を丸くし、口元に疑問符を打ったのは、シャッターが開くようなガラガラという金属音だった。芽衣がにっと笑みを浮かべ、おもむろに口を開いた。

「朝ごはんまでちょっと時間あるみたいだから、軽くやってみない?立合」

「す、すげえ……!」

 吾妻が感嘆する。まるでヒーロー映画に出てくるような移動式本棚の奥に現れたのは、フローリングの運動場。跳ね上げられたバスケットゴールから察するに、広さはバスケットコート半面程度だろう。観音開きの本棚の裏には、何振りもの刀がラックにずらりと並べられていた。多くの真剣に加えて、いくつもの木刀も飾ってあった。

大小さまざまの木刀は、そのどれもが入念に手入れされ、それでいて幾度も打ち付けあった使用感があった。

「真剣で、なんて言わないよ。丁度いいのがあるからさ、好きなのを選んでよ」

 芽衣は迷う素振りもなく手近な木刀を手に取り、両手でその感覚を確かめると、「どうぞ」と、吾妻をラックの前に誘導した。「本当にいいのか?」と一瞬尻込みした吾妻だったが、その見事なラックを目の当たりにすると、体の芯に闘志が湧き上がり、些細な遠慮はたちまち吹き飛んだ。

「木刀か、久しく握ってねえな」

 吾妻もまた、長さや太さに拘る様子もなく、芽衣が手に取ったものとほぼ同じ大きさの木刀を選んだ。

「閃ちゃんは?ちょっと小さいやつにしとく?」

「い、いえ、私は――け、見学でお願いします!」

「ありゃ、そっか!見るのも大事な稽古だもんね!」

 一瞬きょとんと首を傾げた芽衣は、すぐににっこりと笑った。

「ルールはどうする。1本勝負でいいか?」

「うん!それでいいよ!安全のため、(つき)当身(あてみ)投技(なげわざ)は禁止で。先攻は譲るよ!」

「ハッ、上等――!」

 ふたりは木刀を正眼に構え、互いに正対した。

「いつでもいいよ!よろしくおねがいします」

 芽衣は爽やかに笑うと、ふうっと息を吐き、その瞳は優しいそれから真剣な眼差しへと移り変わった。対する吾妻も、普段の態度とは裏腹に美しい構えと静かな気迫が場を緊張の一色で染め上げた。

 閃は思わず息を呑む。喧嘩ではない、練習としての立合を間近で見るのは初めてだった。

「――!」

 瞬間的に吐き出した息とともに、坂上吾妻は筋肉を収縮して飛び出した。牽制として振られた袈裟斬りが芽衣の木刀に受けられ、心地よい打音が鳴り響いた。

 続いて芽衣の切り返し。普段から大太刀の扱いに慣れている吾妻は、得意の足さばきで芽衣の斬撃を躱しながらわずか側方へ回り込んだ。しかし重たい軍刀を使い慣れている芽衣が空かし技に対応できないわけがない。

「取った!」

 吾妻が叫ぶ。振り下ろされる木刀。その軌道は芽衣の側頭を正確に捉えていた。

 が、芽衣は身を翻し、吾妻の木刀は虚空に振り抜かれた。踏み込んだ右足で強く床を蹴り込み、前方に抜けるように身を捻って低く宙を舞う。ツイストと呼ばれるアクロバットテクニックだ。振り下ろされた木刀の風圧が、芽衣の鼻先をしゅっと撫でた。間一髪で攻撃を避けたその少女の目は、確実に木刀を捕捉していた。刹那の滞空を経て着地した芽衣は回転力を残したまま体を起こすと、慣性を乗せて吾妻の体側に木刀を振るう。再び鳴る打音。遠心力が上乗せされた一撃は、吾妻のそれよりも重たかった。

「んだよそれ――!」

 思わず咆哮し、防御に徹する吾妻。攻撃に転じる芽衣。黒髪の少女が木刀を振るうたびに、それを受ける金髪の少女は一歩、また一歩と後方へ追い詰められてゆく。

 完全に芽衣のペースで鳴るようになった木刀同士の打音は、突如としてそのリズムを崩した。吾妻が仕掛けたのだ。先程までの後ずさりが無くなり、その場に踏みとどまる。やがて打音は鳴り止み、両者はぎりぎりとした鍔迫り合いで膠着した。

 にやりと笑いながらも焦りを見せる芽衣、表情を崩さぬまま、涼しく見下ろす吾妻。

 二人のにらみ合いは、わずか数秒の間続いた。

「はあっ!」

 動いたのは芽衣だ。力強く吾妻を押し出し、上段から振り下ろす。凄まじい力だ。自分よりも体の大きい吾妻にものともせず、押し出しから隙を見せずにすぐさま攻撃へ転じたのだ。

 しかし吾妻も考え無しではなかった。芽衣に押されるまま重心を浮かさず後方へずらし、後ろ足を大きく引いて八相から横へ引くように薙いだ。

 二人の動きがピタリと止まる。吾妻の木刀が、芽衣の脇を捉えていた。

「――勝負あり、だね。悔しいけど、私の負けだよ」

 そう言って芽衣は振りかぶった木刀をゆっくりと下ろし、口を噤んだ。心の底から悔しさが伝わってくるような潤んだ瞳はすぐに闘志の炎で乾き、芽衣はまた笑った。

「すごい……!」

 閃は二人の動きを見て、これまでにないほど感心した。荒々しく、力強くも美しく洗練された剣術を突き通した吾妻と、剣術のみに囚われず、柔軟な動きとパワーを兼ね備えて立ち回った芽衣。二人の強さというものを、閃は改めて実感した。

「いい汗かいたね!じゃあご飯にしよっか!」

 芽衣は二人を食堂へ案内した。乾いた喉をオレンジジュースが潤すと、みずみずしいレタスと胡瓜(きゅうり)の楽しい食感に、トマトとパプリカ、そしてチーズが彩るサラダボウル。バターの豊かな香りが食欲をそそる焼きたてのクロワッサンからは麦の蒸気が沸き上がり、ブラックペッパーとハニーマスタードでいただく厚切りのベーコンからは、閉じ込められた旨味がじゅわっと溢れ出した。地元の酪農家から直接仕入れられた濃厚な牛乳は後味もまろやか。芽衣の父、東郷字研(じげん)の出張土産で作ったというアサイースムージーは爽やかな酸味と甘みが癖になる逸品だった。

「いやあ、美味かった。ここに来てからの飯は最高だぜ」

 吾妻はいかにも満足といった表情で椅子にもたれかかった。もてなす芽衣のほうも嬉しそうだ。

「あの、東郷先輩、坂上先輩」

「ん、何?閃ちゃん」

「何だよ、急に」

 閃が元気のなさそうな声で呟くので、二人は思わず首を傾げた。

「今朝の立合、お二人とも、本当にすごかったです。私もあんなふうになりたい、あんなふうに強くなって、坂上先輩の役に立ちたい」

 閃は続ける。

「でも私、得意じゃないんです、刀を振るのが。剣術は好きなんです。でも、いざ柄を握ると、頭が真っ白になってしまって。――木刀なら、比較的大丈夫なんです!ただ、真剣を持つのは、今でも……」

 たどたどしく話す閃に、二人は真剣な表情で傾聴していた。

「坂上先輩や東郷先輩が強いのは知っています。だから、その……さっきはごめんなさい!私、見学って言ったのは、怖かったからなんです!」

 閃は震えながら、勢いよく頭を下げた。芽衣と吾妻は、また顔を見合わせた。

「んだよ、そんなことか」

「へ?」

 閃は思わず顔を上げる。

「そんなの、場数だよ場数。沢山喧嘩して慣れりゃいいじゃねえか。ま、最初はやられるかもしれないけどな」

 吾妻は得意げに言い放ったが、隣に居た風紀団副団長からの圧力を感じ、きまり悪そうに咳払いをして俯いた。

「たしかに、練習も大切かもしれないね。でも、刀を持つのが怖いっていうのは、もしかしたら他にも原因があるかもしれないよね!」

 芽衣は一瞬考え込む素振りを見せたが、すぐに弾けるような笑顔で笑った。

「通常の稽古と並行して、メンタル的なトレーニングもやってみようか。これは、プロのアスリートもやっていることなんだよ!」

「うう、先輩……東郷せんぱーい!!」

 芽衣の優しさが染み渡った閃は瞳をうるうると歪ませ、芽衣に飛びついた。

「あはは、よしよし!そんなに泣くことないよ!お父さんからも言われているし、二人を優勝させるための努力は惜しまないよ!」

「――あたしも卒業かかっているし、ちょっとは本気出さねえとな。あたしとしては、メンタル?トレーニングなんかよりも強い相手と戦う機会があった方が良いんだけどな」

 吾妻は大きく伸びをすると、凝り固まった関節をポキポキと鳴らしてみせた。

「なるほど、強い練習相手ね……考えておくよ!当分の間、私で我慢してね!さっきは負けちゃったけど、もう二度と負けるつもりは無いから!」

 芽衣は爽やかに笑った。この余裕、おそらく先程の立合で吾妻との実力差自体は殆ど感じなかったのだろう。笑顔の奥に秘められた闘志の炎が、オーラとなって煌々と燃えているのを感じ取った吾妻は、こちらもまた芽衣との実力差を感じていないのか、興奮を隠しきれない表情でにやりと口元を吊り上げた。

「よし、腹ごなしだ、もう一本やるぞ!」

「もちろん!負けないよ!」

 吾妻は居ても立っても居られないような顔で立ち上がり言った。芽衣もそれに呼応し、二人は運動場へ向かうため、食堂を足早に去ってゆく。

「ま、待ってくださーい!!」

 閃は後を追うように駆け出した。燃えるような気迫に満ちた二人を遮って「やってみようかな」と言う勇気は、今はまだ、閃には無かった。だが、先程までとは違う何かを、二人の立合を見て何かを得ようとする自分自身の好奇心を、閃は感じ取っていた。

「絶対に負けねえ」

「勝つまでやる。勝ってもやめない」

 しばしの静寂の後、木刀の心地よい打音が再び響き渡った。打ち合い、時には擦れ合い、時には止む。それが繰り返されるうちに、二人の動きが洗練されてゆくのが、閃の目からも明らかだった。

 すっかり日も暮れ、衣笠駅を出発した東郷家専用列車の車内では、客人二人はソファに沈み込んで寝息を立てていた。目付きの悪い金髪の少女が眠りに落ちたあとも目を輝かせながら二人の立合について芽衣に話しかけていた黒髪の小さな少女も、今や睡魔の虜になっていた。

「本当にありがとうね、二人とも」

 芽衣はぽつりと呟いた。芽衣自身も「三校戦」に対してただならぬ思い入れがあるようだ。窓際に立て掛けた軍刀を、芽衣はそっと手のひらで撫でた。

 車窓を眺めて物思いに耽ろうとした芽衣だったが、「あ、そうだ」と何かひらめいたような顔でポケットからスマートフォンを取り出した。

 珍しく緊張したような面持ちで誰かに電話を掛ける芽衣を、閃はとろりと落ちたまぶたの隙間から、ぼんやりと眺めていた。

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