出会い
閃が街を歩いていると、自分が周囲からの視線を集めていることに気づいた。もちろんそれは私がかわいいからだなんてことは閃自身思っておらず、不思議な様子であたりを見回しながら歩いていると、前方への注意が欠けたせいか、何かとぶつかった。ぶつかったその感触から、それが物体ではないことを閃は瞬時に判断した。
「わっ――す、すいません」
閃が頭をぺこりと下げてから見上げた先にいたのは、目付きの悪い二人組の茶髪女だった。相手がどこの学校の者なのかは分からないが、穿いている浅葱色の袴と身につけている灰色の羽織からして、自分と同じ学校ではないということだけは分かった。
「前見て歩きなよ」
「気をつけなよ」
強気に言い放ってきた二人に閃は、
「本当にすみませんでした!以後気をつけます!」
思わず再度頭を下げた。
「気をつけますじゃないんだよね。ちょっと顔がいいからって、調子乗らないでよね」
高圧的な二人組はさらに続ける。
「ところでさあ、アンタが腰にさげてるソレはなんなの」
「え、刀……です、けど」
閃はどうして良いか分からずに恐る恐る答えた。
「脇差でしょ?いっちょ前にそんな高えもの持ちやがって。脇差のくせに」
彼女は閃の腰に帯びられた刀に目をやった。鮫皮が巻かれた柄。漆と金で装飾された鞘。閃にとってそれの何が彼女たちの気に障ったのかが分からずに応えた。
「待って下さい。私、なんのことだか分かりません。お二人だって立派な刀をお持ちじゃないですか」
閃がそう言い終えると同時に二人組の女は激昂した。
「まだそんなことを言える?そうやって見下すわけ?」
二人のうち髪の長いほうが刀を抜いた。日差しに照らされた鉛色の刀身が鈍い輝きを放つ。それにつられるようにもう一人の方も抜刀する。
二人が刀を抜くと、辺りは一気にざわついた。
「やめて下さい!私、そんなつもりじゃないんです。もしお二人の気分を害してしまったのであれば謝ります。私は――」
閃は精一杯、首を横に振った。が、彼女たちの怒りは収まらない。
「そういうのがムカつくんだよ!」
今度は髪の短い方が刀を閃に向ける。刃が自分に向けられていると実感した閃は、彼女たちへの目をそらさないまま、鞄から携帯電話を取り出す。
「何?ああ警察ならこの街には居ないよ。此処じゃ、自分の身は自分で守るようになってるわけ」
二人組は嘲笑した。
政府指定特別文化振興学園都市「鎌倉学府」。ここは、警察や消防などの公共機関が存在しない。帯刀を許された住民は、その身を自分で守らなければならないのだ。
「そんな……」
閃は驚いた。地方から越してきた閃にとって、この街が少し特殊であることは知っていたが、まさか警察が無いとは思っても見なかった。
わざとらしく、それでいて本気らしい大きなため息が聞こえたのは、その直後だった。
「見てらんないわ」
どさりと置いた鞄の音が後ろから聞こえてきた。
閃が思わず振り向くと、目付きの悪い女がもう一人。女にしては短く切りそろえられた金髪は、青年のようですらある。
終わった、と閃は思った。なぜ自分が彼女たちの反感を買ったのかもわからないまま斬り伏せられるのかと思うと、ただただ悲しくなった。
「お前らさあ」
コツコツと靴底を鳴らしながら三人目の女が口を開いた。あれ、今「お前ら」って言ったかな?なんて考えていると、その女は閃の真横を通り過ぎた。もともと閃が同年代の女子に比べて小柄なのもあるが、かなり背の高い人だと閃は思った。
「二人組でこんなちっさい子いじめて恥ずかしくねえの?」
彼女は二人組に対して吐き捨てるように言った。
自分が子供のような扱いをされたことには少しムッとしたものの、素行は悪そうだが味方らしき人物が来てくれたことに閃は密かに胸をなでおろした。
「誰よアンタ」
「なんでそいつの味方するわけ?」
二人組はすぐさまその金髪女に突っかかった。しかし、
「あたしはお前らが気に食わないだけだよ。朝から胸くそ悪いの見せやがって」
彼女たちに対して、背の高いその女が挑発するように言った。
「お前ら一旦刀納めろよ。あたしが先に抜いてやるからよ」
両者が武力により決着をつける決闘において、両者は刀を同時に抜かなければならないという決まりがある。片方が先に刀を抜けば、奇襲ととられる可能性があるからだ。そのため、「先に刀を抜いてやるから一旦収めろ」と言うのは相手が「奇襲を受けた」という口実を作らせてやるための方便であり、たとえどんなものが相手であろうと極めて無礼な行為なのだ。
「は?何アンタやる気なの?」
「一人であたしらを相手する気?実力トップの一高だからって調子乗ってるわけ?」
黒色の羽織に濃紺の袴。彼女も、自分と同じ鎌倉第一高校の生徒だということに閃はやっと気づかされた。
「だから気に食わないって言ってるだろ。言葉もわかんねえのかよ。まあ普段、実力最下位の三高なんて相手する気にもならないけどな」
彼女の挑発はさらに続く。正々堂々とした一騎打ちの形式が重んじられる鎌倉学府において二人を相手取るというのも相手に対する侮辱行為だと捉えられる。
「――っ!このっ!」
ついに耐えきれなくなったように、髪の長いほうが刀を構えて突進してきた。顔は真っ赤になっており、もはや冷静な判断ができない様子だ。
「結局収めなかったか。呆れる」
背の高いその女は小さくため息をつき、右手を左肩の方へ伸ばした。焦る様子もなく、ただ突進してくるその女を見据えている。
「はあああっ!」
髪の長いその女は、上段に構えた刀を勢い良く振り下ろす。相手を袈裟斬りにするつもりだ。
それに対し金髪の女はすぐさま腰を落とし、左の肩越しに覗く柄をしっかりと握りしめた。
左の膝を地につけると同時に腰を鋭くひねり、前にかがむように背を上方に突き出す。その一連の流れの中で柄を握った手を右前方に勢い良く振り抜く。
彼女は相手を見ていない。いや、まだ見る必要はないのだ。
「そんな……大太刀……?」
髪の長い女が振り下ろした刀は、黒光りする長大な刀に容易く防がれていた。頭上で攻撃を防いだ金髪の女は、信じられないという顔をした相手の女を見上げ、眼光鋭い笑みを浮かべる。
それもそのはず、刃渡り120㎝を超える大太刀を背負った状態で瞬時に抜刀するという離れ業を見せつけられた挙句、両手でしっかりと握って振り下ろした一撃を、片手でしか握られていない大太刀に完全に受けとめられてしまったのだ。本来大太刀は、その大きさから重量の制約から逃れることは出来ないため、両手で握っての運用が大前提である。そのため、一時的とはいえど片手で大太刀を扱うことは、よほどの筋力や体幹に加えて抜群のセンスがなければ不可能と言って良い。一撃を受け切られた彼女の反応は全く不思議ではないのである。
柄に左手を添え、大太刀を両手で握り直した金髪は、左足を立ち上げると同時に力を込めて相手の刀を弾き上げる。そして相手が弾かれた刀を構え直すその前に、もう一歩踏み込み反撃の振り下ろしを見舞う。先に攻撃を仕掛けた茶髪は攻撃を防ぐので精一杯だ。
「どうした、もう終わりか!」
余裕の表情で畳み掛ける金髪は、相手が攻勢に転じることはないと見ると、見事な足さばきで半身を入れ替え、相手の刀身の上をすべらせるようにとどめの一撃を加える。
狙うは、相手の刀の付け根、鍔の部分。
ガキン、という硬いものがぶつかりあう鈍い音から一瞬遅れて、刀が地面に叩きつけられる断続的な音が鳴り響いた。
「そん……な。どういうわけよ……」
刀身への強烈な打撃によって痺れるその手から刀を奪われた茶髪の女は、その場にへたり込む。
「さて、と……お前もやるか?」
金髪は黒光りする大太刀を担いだまま、もう一人の女に対してぶっきらぼうに問いかけた。
「ひっ」
髪の短い方は怯えたように刀を鞘に収めた。
「ほう、物分りが良いじゃねえか」
金髪は落ちた刀を拾い上げ、へたり込んだ女に静かに告げる。
「これに懲りたらもうウチの生徒に手ェ出すんじゃねえ。それと、見逃し料にお前の刀、貰ってくぜ」
「そ、それだけは許して……ください」
「駄目だ。お前が先に刀を抜いて、情けなく返り討ちにあったんじゃないか。生きてるだけで充分だろ」
大太刀を収めながら、金髪女はさっきとは裏腹に冷酷な口調で彼女に告げた。
「う、それは……」
腰に帯びたもう一振りの刀の下げ緒を解かせた金髪の女は、合計四振り目の刀を手にすると、満足した様子で腰に結びつけた。
刀を奪われた女は、地に座り込んだままうつむき、その目には涙を浮かべていた。この街で帯刀せずに歩くということは自分が無防備であることを周囲に知らせているようなもので、恥ずべき行為なのだ。
もちろん、ここが刀を帯びていないだけでならず者に襲われるような治安の悪い街ではない。そんなことをすれば無論、周囲の帯刀者たちの裁量で罰を与えられることになる。
彼女に同情すべきは、今日が学府内一斉入学式の日であるということだ。つまり刀を帯びていないその姿を全校生徒の前に晒してしまうということだった。
「ほら、一応、これ」
気の毒に思ったのか、髪の短いほうの女が彼女に一振りの刀を差し伸べた。二本帯刀していたうちの短い方の一本――脇差である。脇差というものは本来、主兵装である太刀に加えて差す自衛、屋内戦闘用の補助的な役割を持った刀である。
つまり、脇差しか差していないというのは、自分が相手を斬り伏せるだけの力を持っていないことを周囲に知らしめているのと同じことなのだ。閃が街中で視線を集めていたのはそのためだ。
逆に、脇差を差していない者は刀を自衛用ではなく殺しの道具として使うといった意思を表すことになり、精神的な幼さを表してしまう。そのため、帯刀する時は二振の刀を差すというのが常であり、刀を人に貸すということは本来ありえないことだ。それでも彼女が脇差を貸し出したということは、刀を帯びないことがどれだけの羞恥であるのかがうかがえる。
「お、覚えてなさい!一高の大太刀使い!」
「おう、おととい来やがれ」
捨て台詞を吐きながら立ち去る二人組に、しっしっ、と手まで加えて金髪女は子供のように言い返すと、
「ったく、泣くくらいなら吹っかけなきゃいいのに……」
ぽつりと呟いた。そんな彼女に、
「あ、あの!」
閃は思い切って声をかける。すると金髪女は一瞬遅れて閃の方に目をやり、
「大丈夫だったか」
ぶっきらぼうに聞いてきた。
「は、はい!ありがとうございました!」
閃は、仰々しくお辞儀をした。
「その制服、あたしと同じ一高だよな。この街に慣れてなさそうだったが、一年か?」
「はい、一年の佐々木閃といいます!えっと――」
「坂上だ。坂上吾妻、一高の三年だよ。さっきの奴らは三高の生徒で、あれこれ理由つけて、よく絡んで来るんだ。気をつけな」
鎌倉第三高校。学府内にある高等教育施設三校のうち、第一高校についで多くの生徒が通う高校だ。総合的な剣技の実力は三校の中で最も低いとされているが、その主な理由としては高等教育からを鎌倉学府内で希望している、つまり剣術初心者である生徒の大半がこの鎌倉第三高校へ在籍する事となるためだ。そのため「実力最下位」というレッテルにコンプレックスを抱くものも多く、特に「エリートの囲い込み」と揶揄される第一高校には嫌悪感を持つ者も少なくないのだ。
「なるほど……ありがとうございます!」
言われるままにこくこくと相槌を打つ閃。彼女のまっすぐな視線を注がれた吾妻という金髪の女は気恥ずかしそうに目をそらしながら、
「まあなんつーかアレだ。あたしみたいなのには関わらないほうが良い。いい子の友達作って学園生活楽しみな」
ぶっきらぼうに言い放つと、鞘に収めた大太刀を担ぎ直しながら踵を返し、歩き去ってゆく。
「そんな、どうして!」
閃は思い切って切り出した。
「簡単な話だ。こんな不良に絡んでないで、さっさと忘れたほうが得だって言ってるのさ」
吾妻は向こうを向いたまま、頭上で手をひらひらと揺らしてみせた。
「出来ません!」
閃の放った強い言葉に、吾妻は足をぴたりと止めた。
「私を助けてくれたのは坂上先輩です。だから、先輩に恩返しがしたいんです!」
「っ――!」
吾妻は思わずびくっと身を震わせた。
「どうかしましたか?先輩」
吾妻の前に回り込んで、不思議そうに首を傾げる閃。吾妻はそれに対しぽりぽりと頭を掻きながら、
「――まあとりあえず黙ってくれ」
回り込んだ閃の視線を躱すように、吾妻はそっぽを向きながらうつむいた。
「どうしてですか?先輩」
「言うな」
吾妻の肩はふるふると震えている。
「……坂上、先輩?」
なぜ黙れと言われたか分からずに閃は上目遣いで吾妻の顔を覗き込む。
「だから恥ずかしいから先輩って言うなああ!」
顔を真赤にしながら吾妻は叫んだ。