提案
「お休み、ですか……?」
カフェテリアのテラスで不思議そうに声を上げた閃に相槌を打つように、手元のキャラメルマキアートに沈む氷がカランと音を鳴らした。
「そう!閃ちゃん、春からほとんど毎日稽古してるでしょ?せっかくの夏休みなんだし、休息してリフレッシュしてみるのはどう?」
「休息……」
「そうそう!この間からいろいろあったし、きっと疲れが溜まってるんだよ!」
芽衣は極めて快活に推論を展開した。
「私が見るに、閃ちゃんはすごく良いペースで成長してる。自分が思っている以上の力を発揮しているせいで、体の回復が追いついていないんじゃないかな」
「そ、そうでしょうか……」
閃はあからさまに動揺し、視線を左右に動かした。
「閃ちゃんも本当は分かっているでしょ?でも今のままで良いのかな、とか、もっと頑張らなきゃ、って不安が拭えなくて、焦ってる」
芽衣は笑顔で、しかしながら核心を突くように問いかける。
「それは……」
言葉を詰まらせ、しゅんと俯く閃。
「誤解しないで閃ちゃん、休息は悪いことじゃないよ。それから」
芽衣から注がれる視線は、決して嘘言わぬ本気のそれだ。
「私は君を、三校戦で勝たせるための提案をしている」
「東郷先輩……」
泣き止む赤子のように顔を上げた閃を見つめた芽衣は、真剣な眼差しから一転、力を抜くように笑顔を弾けさせた。
「難しく考えないで!しっかり休んで、気分転換出来たほうがパフォーマンスも上がるってもんだよ!」
「――はい!」
閃は芽衣につられるように笑った。それを見た吾妻はブラックコーヒーを飲み干し、立ち上がろうと小さく息を吐いた。
「定例の稽古が無いなら、あたしは好きにさせてもらうぞ。人に稽古つけられてばかりじゃ感覚も鈍っちまう」
「ん?坂上さんも行くんだよ?」
「は?どこに」
「閃ちゃんの実家」
「なんで」
「私が決めたの!」
「はあ?」
吾妻の短い応酬に間髪入れず切り返した芽衣に、吾妻は苛立ちにも似た疑問を吐いた。
「良いでしょ?閃ちゃん」
「はい!先輩なら大歓迎です!」
「だからなんでお前も平気なんだよ!」
嬉しそうに返事をした閃に、吾妻はまた調子を狂わされる。
「というわけでよろしくね!」
「待て待て待て!いくらなんでも急すぎるだろ!大体なんであたしが――」
「勝つため」
「は……?」
「勝つため。三校戦で、新たちに勝つため」
吾妻の言葉を遮って言葉を発した芽衣はきっぱりとその信念を口にする。気圧された吾妻は思わず押し黙る。
「現状で行くとね、坂上さん、閃ちゃん。二人は確実に負ける」
「……どういうことか説明してもらうぞ」
吾妻はきっとした目つきで芽衣に視線をやる。芽衣はそれに怯むことなく淡々と言い返した。
「今までつけてきた稽古の殆どが、個人の技量向上とパートナーを斬らないための最低限のもの。実戦でパートナーに気を配りながら個人の技量で戦う戦術が通用するのは、未経験者相手の試合だけ」
芽衣はタブレット端末を取り出し「これ見て」と動画を再生した。以前第二高校の武道場で見た、新と榎乃のペアが出場する試合。その関連動画だ。
土方新と柳川榎乃のペア。対するは第三高校の大柄な男二人組だ。男子にしては比較的小柄な榎乃はともかく、身長も決して低い方ではない新が、第三高校の選手両名を見上げている。
開始の合図だ。生徒の剣術成績の平均は三校中で最下位と評される第三高校だが、この二人の選手は決して悪い筋ではないことが堂々と構えられた長刀から窺える。
しばしの牽制の後、動いたのは榎乃だ。相手二人の中間に切り込むように素早く踏み込むと、両者の振り下ろしを見事に往なして走り抜けた。
瞬く間に第二高校による挟撃の布陣が完成した。追撃を加えるように新が斬り込む。
だが第三高校の生徒はそれを見越したように、一方の生徒が新の剣を受ける。
おそらくはじめからどちらがどちらの相手をするのか決めていたのだろう。
気剣体一致の猛撃を、土方新は防御に徹していた。
隙が出来ない。分断された榎乃の方も、得意の機動居合戦法で新のほうへ飛び出そうと機を伺っているがそれは訪れない。
純粋な剣技の実力差をカバーするように、凄まじい持久力を第三高校の二人組は持ち込んできた。
第三高校の二人組は互いの動きには目もくれず、眼前の相手のみに注力している。ただそれだけで十分だった。
並の相手ならば。
突如、打音に変化が訪れる。画面越しの音でも、吾妻は瞬間的に理解した。
芯を捉えていないような違和感。第三高校の剣士もおそらくそれを感じていただろう。
その直後だ。打音を合図に、榎乃が突然後方に飛び退いた。眼前の相手との攻防を放棄して。
第三高校の生徒両名が想定外だと反応したのは、表情を見ずともその挙動で如実だった。
新が駆ける。大きく長刀を跳ね上げられた相手の男は、自身に訪れる追撃を防御しようと反射でその得物を霞に寝かす。
逆手。土方新は持ち替えた自身の長刀を相手の刃の上で滑らせながら駆け抜けた。相手を仕留める一撃ではない。来たる反撃を潰すための動きだ。
見事に相手をすり抜けた新は長刀を脇構えの順手に持ち直すと迫りくる榎乃と目を合わせた。
互いの刀は自身の馬手側、右方にある。進路は被っていない。
榎乃を追う男めがけ、新が斬り上げる。明確に、その素振りがあった。故に相手も防御、否、袈裟を合わせてきた。
『エノ!』
『おうよ!』
大きく足を引く新。新によって繰り出された斬り上げは弧を描くように軌道を変え翻され、迫りくる味方、榎乃の首筋に差し掛かる。
「ああっ!」
画面越しに、閃は思わず悲鳴を上げた。
新が足を大きく引いている。彼を追うように長刀を振り下ろした男はその足首、
下段めがけて振り下ろしている。
しかしその一撃は、柳川榎乃の短刀によって防がれていた。
対してもう一方の第三高校の生徒。同じく下段、彼の脛には新の長刀が到達していた。
一体何が起こったのか。榎乃は得意のボクシングの要領で身を沈めながらフットワークを活かし、身体と首を傾けて新の攻撃が自身に到達するのを回避していた。
寄せては返す、鮮やかなサイドステップで現状の進路に復帰する頃には新の攻撃は事前の座標を通過している。それからは新に対して有効打となりうる足首――下段のみの防御に徹すれば良い。
第三高校の選手一名が、有効打判定となる。
仕切り直しの二対一。数的優位が形成されたその結末は、語られるまでもないほど呆気なかった。
「どう?」
芽衣が問いかける。
「すごい……!すごいです!」
「だよね!二人がお互いを信じ切っていたからこそのこの連携。今の君たちに、この二人への勝算はある?」
「それは……」
吾妻はきまり悪そうに呟いた。気を紛らわせるために啜ったアイスコーヒーを含有した氷水が僅かに彼女の口元に運ばれるも、そのほとんどが一緒に吸い込まれた空気によって押し戻され、ズズズという雑音に回帰した。
「ごめんね、気を悪くするために言ったんじゃないの。つまりは……」
「つまりは……?」
芽衣に鸚鵡返しで目を見開く閃。吾妻も思わず息を呑んだ。
「もっとお互いのことを知ろうよってこと!」
仁王立ちで笑顔を弾けさせる芽衣。
「名付けて、『仲良し大作戦!』」
高らかに、少女の声が響く。
暴力的なまでの風圧がテラスを直撃したのは、その直後だった。
生徒たちは悲鳴にも似た声を上げながらそそくさと屋内に退避している。
対して芽衣はというと、目深に被った軍帽の下から想定内と言わんばかりの笑みを浮かべている。
「来て!」
芽衣は羽織をはためかせながら踵を返し、にっと笑って手招いた。
案内されるがままに閃と吾妻が赴いたのは鎌倉第一高校の第三運動場、砂利敷のグラウンドだ。
今日はこの場所を占有する部活動は無いはずだが、そこに案内する理由とは……。
瞭然だった。
忘れるはずもない。あの春の日、東郷邸で目にした漆黒の複合回転翼機だ。
「乗って!」
芽衣は大きく開かれたサイドドアから機内に片足を掛けながら、ローター音に負けないように声を張る。
「は、はあ!?」
当然のように、思わず声を上げた吾妻。だがこうなってしまった以上自身の思惑通りにはいかないということを理解してしまった吾妻は、彼女の隣で目を輝かせる閃に渋々と続き、機内へ乗り込んだ。
「もしかして、東郷先輩も来てくれるんですか?」
無邪気な声の閃に芽衣はただ口をつぐんで笑うのみで、彼女の問には答えなかった。
「お客様、シートベルトはお締めになりましたか?」
「はーい!」
「チッ……」
快活に返事をする閃と、不機嫌そうに舌を打つ吾妻。
彼女にとって、自分の行動が他人に制御されているような感覚だけが気に食わなかった。
「先輩、大丈夫です!ぜったい満足させてみせますから!」
吾妻の不機嫌を察した閃はそれも厭わずに彼女の懐に食い込んでゆく。
「それじゃ、出発~!」
芽衣の号令とともに、両翼端に取り付けられたローターブレードが巻き上げる砂塵も厭わずにその回転数を上げてゆく。
やがて機体はふわりと舞い上がり、窓から覗く校庭と八幡宮はみるみるうちにその展望を遠のかせる。
視線を空に向けるといつのまにか前傾されていた回転翼が視界に映り、機体は白を切り裂いて雲上に飛び出している。
芽衣の計略により空へ誘われた吾妻は、これまた彼女の用意した高級茶菓子で閃とともにその機嫌を買収されるのであった。




