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閃! ―侍少女学園譚―  作者: 天津石
16/16

暴走

「すみません、お騒がせしました……」

 がっくしと肩を落とした閃。板張りの武道場には、三人の少女と一人の少年が相変わらず集結していた。

「良いの良いの!閃ちゃんが無事で良かったよ!」

 明確に憔悴(しょうすい)した様子の閃に、芽衣は明るい声で返した。

「で、でも、私のせいで、東郷先輩がケガを――」

「気にしないで!あれをもらっちゃったのは私が鍛錬不足なだけ」

 唇を震わせて嘆く閃をなだめるように芽衣がにっと笑う。それから少し息を吸って、再び口を開いた。

「むしろ、風紀団として街を、皆を守る立場にあるのに結果的に閃ちゃんに守ってもらった形になっちゃった。それの方が悔しいし、申し訳ないし、何より反省してる」

 芽衣はぐっと唇を噛み締め、目元に浮かべた涙を零さぬようにぐっと俯いた。そしてすぐに顔を上げると、

「とにかく!閃ちゃんが大丈夫なら練習再開!もう夏休みなんだし、早く新から技術を盗まないと、居なくなっちゃうよ!」

 いつも通りの笑顔を見せた。

「芽衣!」

「ごめんごめん、でも約束でしょ?夏までは面倒見てくれるって」

「……ああ、夏までだからな」

 新はやや不機嫌そうに芽衣へ返事を返すと、閃に向き直り改めて問いかけた。

「本当に大丈夫そうか?」

「は、はい!お願いします!」

「……分かった」

「ったく、どいつもこいつもしんみりしすぎだっつーの」

 道場の壁にもたれかかりながら手遊びの要領で木刀を振り回していた坂上吾妻は

気だるそうに自身の背で壁を蹴り上げると、閃の隣、芽衣と新の二人組に正対するように半身で木刀を構えた。

「おっ、やる気だね坂上さん。さすがは後輩への信頼ってところかな」

「いえ、坂上先輩は昨日私が元気になるまでいっぱいいっぱい心配してくれたので恥ずかしいんだと思います!」

「お前なあ!」

 先ほどまでのしゅんとした様子から一転、いつもの調子を取り戻した閃に、吾妻はすぐさま翻弄されていた。

 そんな様子に芽衣はまた笑い、新もふっと頬を緩めた。

「お願いします!」

 閃はいつにも増して見せたやる気で木刀を構える。

「よし、やろう!」

 芽衣がにっと笑って木刀を構える。続く新に対して、吾妻も気を取り直して構え直した。

 しばし、道場内を静寂が支配した。立ち合いに際し、各々の気が練られてゆく。

 その永遠にも感じられる刹那の空白は、互いの息遣いが聞こえるほどに研ぎ澄まされる。

 東郷芽衣がその異変に気付いたのは、まさにその呼吸音によってだった。



「……閃ちゃん?」

 浅く、早く呼吸を繰り返す閃。尋常ではない状態であることは火を見るより明らかだった。

 閃の眼を見る。彼女の虹彩は、蝋燭(ろうそく)の炎が揺らぐように赤く血走っていた。

「芽衣!」

 新が動いた。否、動けたのは新、ただ一人だった。

 凄まじい速度の突き。芽衣の喉元目掛けて繰り出されたそれを、新が叩き伏せたのだ。

「何やって――!」

 吾妻が叫ぶ。しかしそれはおそらく、彼女の耳に届いていない。

 初太刀を受けられ、閃は体勢を崩している。今なら有効打が入る、そんな間合いだった。

 土方新に、刹那の躊躇(ためら)いが生じる。その一瞬は新の視界から少女を消し去るのに十分だった。

「なっ――!」

 身を翻し、深く身を沈めた閃。振り乱された髪の隙間から覗く少女の殺気立った眼差しは新を戸惑わせ、また、恐れさせた。

 瞬撃、土方新の茶髪が短く舞う。間一髪とはまさにこのことだ。わずかに傾けられた首筋に沿って、木刀が突き抜けていた。真剣であれば致命傷となっていたであろう鋭さの突き。その神速の一撃を、佐々木閃は繰り出していた。

 恐れるより早く、彼は動いた。半身を引き、強烈な打音とともに至近の木刀を弾き返す。

 小柄な少女は弾かれた木刀を流れるような動きで切り返し、下段を薙ぐ。新の木刀はそれを完全に防御していた。

 新の双眸が、僅かに絞られる。対してその瞳孔は、微かに開かれていた。

「行儀が悪いな」

 吐き捨てる新に、閃は再び仕掛ける。彼女の逆袈裟に合わせるように、新は一文字に木刀を薙いだ。

 乾いた打音が響く。打ち合わせられた木刀は音数を増やし、無数の断続的なそれを発していた。

 短く、速く打ち込まれる閃の斬撃、刺突、斬撃。

 新はその剣を受けるのみで、有効打を返せずにいるように見える。

 状況で言えば、それは否だ。土方新は閃が繰り出す全ての攻撃を防いでいる。

 彼の目は少女の一挙手一投足を見逃さず、中段、上段、下段、あらゆる箇所への打ち込みも、紙一重とも言うべき絶妙な間合を維持したまま、その攻撃が途切れるのを待っていた。

 そしてその瞬間は訪れる。絶え間ない連撃も、その中に隙は必ずある。

 これまでと比較にならない打音。

 振り抜いた新の一撃が、閃を弾き飛ばしていた。

 その間合い一間半。僅かにも見える間合いはその見た目とは裏腹に圧倒的な優位を形成していた。

 この防御力、反撃能力こそが、土方新の強さだ。

 相手を良く観察し、動きを読み、甘い打ち込みには確実に反撃する。後の先という言葉、理念をまさに彼は体現していた。

 開いた間合いを詰めるべく、閃は再び跳躍した。その虹彩は依然、赤く燃えている。

 大振りな一撃だ。自分にこの攻撃は通用しない。それは新自身が最も理解していた。しかし彼の胸中に不可解な感情が滾る。

 何故。今まであらゆる攻撃を防いできた新に対し、何故こうも大振りな攻撃を繰り出すのか。これではまるで、反撃を誘っているかのよう――。

 鳴り響く打音。一撃にも思えたその音は、複数回鳴り響いたようにも感じた。否、響いていた。土方新が右手首に感じた違和感、痛み。

 巻き落としだ。新が握っていたはずの木刀が、地に墜とされていた。

「あれは……!」

 吾妻は思わず口を開く。この技はあの時、閃が宮本覇亜に仕掛けたものだ。

 木刀という防御手段を失った新。直感、彼は閃の斬り上げに反応し、首振り一つで躱していた。

 だが直後、少女の大上段からの一撃が振り下ろされる。

 鈍い打音が響く。これまでの木刀同士の打音ではない。交差した土方新の両腕が、閃の木刀による一撃を受けていた。

「痛っ……てえ!」

 新が吠える。直後、慣性と遠心力を残した木刀が転がっていた。それはつい今まで閃が握っていた木刀だ。

 既にその手から木刀を奪われていた土方新が、無刀徒手にして閃の剣を受けていたのだ。

 打撃による鋭い痛みに悶えつつも木刀を握る少女の手首を極め、その手から木刀を振り落としたのだ。

「芽衣!」

 精一杯、新が叫ぶ。呼応するように飛び出した東郷芽衣が、佐々木閃の身体を抱きしめた。

「閃ちゃん!」

 赤く燃える少女の虹彩が見開かれた。その炎は瞬く間に、蝋燭の炎が吹き消されるように、静かにその熱を失った。

 我に返った閃は、直前までの自身の動きを記憶していた。強張らせた全身を脱力させた閃は、強く抱きしめる芽衣の腕の中で涙を滲ませた。

「先輩……東郷先輩……ごめんなさい、私――!」

「大丈夫、大丈夫だから」

 芽衣はただ、力なく言葉をこぼす少女を抱きとめる。

「何なんだよ一体!」

 吾妻は静かに苛立ちを表した。否、それは苛立ちなどではなく極めて普遍的な感情だった。

 閃による一連の動きは、間違いなく普通ではない、異質な行動だ。今までは全く無かった。まるで、木刀を握った途端に他者の人格が乗り移ったような様子だった。

 正体不明の現象に対する本能的な恐怖。自身の乱暴な言動がそういった感情に起因していることを理解してしまった吾妻は、きまり悪そうに俯いた。

「とにかく、今日は稽古中止。閃ちゃん、今日は休んで」

「ごめんなさい、ごめんなさい」

 芽衣の腕の中で、閃はぽろぽろと涙を零した。

 吾妻は握った木刀を黙って武道場の備品箱に返却すると、立て掛けてあった脇差を腰に差し、持った大太刀は背に結びもせずにその場を去っていた。

 重い空気が立ち込める中、芽衣はその額から一筋、汗を垂らす。焦りだ。

 閃が突如として仕掛けた突き。芽衣はその一連の動作に反応することが出来なかった。彼女に何らかの異変が起き、注視していたにもかかわらずだ。

 あの鋭い突き、それに伴った殺気と、一間の間合いを踏み込むまでの一呼吸。どれをとっても芽衣自身が得意とする突進戦法の瞬発力を凌駕していた。

 赤く血走った眼、殺気をまとった動き。あれは先日、宮本覇亜との決闘で醸し出された気配や動きに近い。

 今さっきこの小さな少女によって繰り出された動きが、彼女の明確な意思、あるいは意識の制御下に置かれる未来が来るのなら、おそらくその実力は底なしだ。

 これまで積み上げてきた自身の鍛錬や努力が、深い海の底へ瓦解していってしまうような恐怖が、芽衣を飲み込んでいた。

 それでも芽衣は息を吸い、小動物のように震える少女に声をかけた。

「大丈夫?歩ける?」

「は、はい、ご迷惑をおかけしました……」

 閃は肩を小さくすぼませて、とぼとぼとした足取りで武道場を後にする。

 心配そうに見送る芽衣の視線の先で少女は陽炎に揺らぎ、羞明とともにその姿を眩ましていた。


 蝉の声がにわかに響く。板張りの武道場にじっとりとした熱気を閉じ込める空間には、時折吹き込む気まぐれな夏風以外、嫌な沈黙が立ち込めていた。

 その沈黙に耐えられなくなったのか、東郷芽衣は未だ一人佇み、掌を眺める少年に声をかける。

「新」

「芽衣、どうした」

「ごめん、その、手」

「ああ、これか。芽衣のせいではないだろ。俺の鍛錬不足だ」

 きまり悪そうに言う芽衣に対し、新は腫れた手首を押さえながら淡々と返した。

「でも……」

「気にするな。らしくないぞ、最近」

「分かってる。でも私は!風紀団なんだよ!私が、一番気をつけなきゃいけなかった。それがあの時に続いて、今日まで……」

 東郷芽衣は軍帽を目深に押さえる。その声が震えているのは、彼女が隠そうとしても瞭然だった。

 土方新は吸った息を飲み込むと、

「痛ったぁ――!」

 芽衣の脳天を手刀で小突いた。無論、彼女の反応は痛みに起因するものではなく、驚きによって反射的に発せられたものだ。

 顔を上げた芽衣に、新は淡々と語りかける。

「くよくよするな、副団長。強敵に負けたり、己の力不足で立ち止まるのか、お前は」

 芽衣の瞳が潤む。しかしそれを溢すまいと、彼女は顔をぐっと上げ、まるで子どものように口元を結んでいた。

「強くなるには鍛錬を積むよりほかない。ならばどうする、東郷芽衣」

「新……」

 芽衣はぽつりと、眼の前の少年の名を呼んだ。

「それに――」

 新はほんの数瞬、言葉を詰まらせる。そして芽衣に背を向けると、

「お前に怪我がなかった。お前を守れたならそれでいい」

 芽衣は少し驚いたように目を丸くすると、ふっと笑みを浮かべて両手でぐしぐしと顔を擦った。

「新」

 芽衣は背を向けた新のほうへ回り込み、じっと顔を覗き込む。

「何だよ」

 芽衣はすっかり調子を取り戻したような声色だ。

 何かを悟ったように、土方新は厄介そうな返事をした。

「目が覚めたよ!こんな時こそ、くよくよしていられないよね!でも――」

 芽衣はいたずらっぽく笑うと、

「今日は一日だけ、甘えちゃおっかな!」

 新の腕に、自身の腕を強引に組んでみせた。

「おい、何やって――!」

「その手じゃどうせ今日は稽古できないでしょ!だったら私の気分転換に付き合いなさい!」

 戸惑う新に、すっかり元気になった様子の芽衣。

「風紀団の仕事はどうするんだよ」

「うーん、今日はお休み!有給休暇!」

「そんなもの無いだろ……」

 新はため息をつくが、こうなってしまった彼女を止める術はもう無いということを知っていた。

「で、どこに行きたいんだ」

「わかんない!」

「はあ!?」

「連れてって!私が元気になる場所に!」

 早速二度目のため息をつく新を気にも留めず、芽衣はぐいと新を武道場から連れ出した。

 夏空にそそり立つ入道雲が、青空とその勢力を二分しようとひしめき合っていた。


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