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閃! ―侍少女学園譚―  作者: 天津石
15/16

運命

 荒れ狂う波が、浜辺に打ちつけられていた。寄せては返し、荒磯に弾ける白波は、二つとして同じ形を作らない。春の浜辺で立ち合うは、侍二人、他になし。

 一方が構える。身の丈ほどの長刀だ。白髪の混じった長身の老士はその老いを感じさせぬほどに隙のない構えで目を細める。

 もう一方の若き士は、結った黒髪をなびかせながら二刀を持つ。額より汗を垂らす若き剣士は目を見開き、左手の切っ先を老士に向けながら、右手を上段に据え置いた。

 そして、時間のみが過ぎ去ってゆく。両者が動かないのには理由がある。切っ先の上下、呼吸、波、風、足先。互いの作り出した領域を打ち崩そうと、両者が盤上でやりあっているのだ。

 一歩、若き剣士が動いた。すり足で動いたその足先は砂を被り、浜に模様を描く。対する老剣士も眼前に寝かせた刀で相手を追い、中段で自身に向けられた両の切っ先を見ては立てた刀身を八相に担ぎ、攻めの色を見せた。

 波が弾ける。二度、三度、四度。両者を阻む沈黙は再び訪れる。

 老剣士の渾身の振り下ろし。交差する若き剣士の二刀に阻まれたそれは推力を失い、両者間の力を拮抗させた。

 老剣士の表情が曇る。

 この状況、彼が不利であることは明白だった。二刀に阻まれた重い長刀は返されるどちらかの一撃を捌くことは難しく、一歩身を引いて長刀を持ち上げようものならその動きを読まれて間合いを詰められる。

 しかし、それは相手も同じだ。老剣士は長刀を握る手に力を込めている。

 若き剣士はこの老兵の企みに気づき、額を濡らした。

 長刀の切っ先が、若き剣士の眉間に定められている。

 二刀を用い、振り下ろしを上段で受けたが故の隙。このまま長刀を押し込まれれば、自身の頭蓋は瞬く間に貫かれるだろう。

 刹那の葛藤の後、若き剣士は喊声(かんせい)とともに二刀を思い切り振り上げた。老剣士の長刀が跳ね上げられる。想定外の挙動に老剣士は思わず目を見開いた。

 両者に二間の間が開く。

 息を荒げ、肩を上下させ、二刀を持つ剣士は再び両の切っ先を老剣士に向ける。

 老剣士は吹き流しのように飄々(ひょうひょう)とした足取りで長刀を霞に寝かしている。

 息一つ上がらない、ふわりとした佇まいだった。

「やるのう、若造」

「そっちこそな、じいさん」

 それが、両者で執り行われた初めての会話だった。気迫、剣気、威厳。そのどれをとっても、老剣士は若者を凌駕していた。

 剣を合わせずとも両者間で行われる数千、万の駆け引き、経験、あるいは天賦。

 それらが今もなお二人の間に蓄積され続け、幾度となく行われる演算は異なる色を見せる。

 老剣士が踏み込む。既に見切った交差受け。左、右と打ち込み、受けを崩す。

 垣間見えた二刀の優位性が揺らぐ。開かれた間合いと刀身長の差によって老剣士に傾いた圧倒的な優位性は、二刀の剣士に重圧としてのしかかった。

 しかしここで足を止めるわけにはいかない。二刀の剣士は眼前の老身を切っ先に捉え、じりじりと歩を狭め、にじり寄る。

 互いの間合いは弧を描くようにゆっくりと渦巻き、加速度的にその距離は詰まってゆく。

 打音。突如交わった両者の剣は、たちまち無数のそれを奏でてゆく。

 交差する互いの剣先が、両者の顔面表皮を微かに抉り取った。血の雫が舞い、地に落ちる前に剣戟は幾度も交わされる。

 再び、力の拮抗が訪れる。消耗しつつある両者の体力。それでも、彼らの表情には笑みがあった。

「ああ、楽しいのう」

「つくづく思うぞ、じいさん。あんたは化け物だな」

 老剣士は噛みしめるように呟く、対する二刀の若き剣士も歯を剥いて笑っていた。


 死合うこと一昼夜。断続的な剣戟は潮が引けど満ちれど止むことを知らず、春の空に響いていた。

 結論から言えば、両者の間に決着は訪れなかった。

 荒い呼吸。はじめは飄々と立ち振る舞っていた長身の老剣士も、その全身に疲れの色を見せる。

 対する二刀の若き剣士もまた、荒く、深い呼吸で足をふらつかせながら、切っ先を相手に向けている。

 両者に共通していたのは、互いの胸中に高揚と歓喜がひしめき続けていたということだ。

「どうだい、じいさん、そろそろ参ったの一言でも出てくるか」

「貴殿こそ、立っているのがやっとのようだが」

 互いが繰り出す、見え透いた挑発の応酬。それが呼吸を整える時間を稼いでいることは目に見えていたが、両者はそれを甘受せざるを得ないほどに疲弊していた。

「まあ、どちらにせよ」

 老剣士が鞘を放る。無造作に捨て置かれた鞘が、ざりという浜砂との摩擦音を鳴らした。

「ここは流刑の地。儂か貴殿か、どちらかが倒れるまで抜け出すことは敵わんよ」

「くだらないな。今の俺にとって、じいさん。この世の有象無象など取るに足らぬほど、あんたの剣が愛おしい」

「ならば」

 若き剣士の言葉に、老剣士は乾いた息を吐き、嗤う。

「心ゆくまで死合おうぞ、武蔵」

「望むところ!岩流!」

 朝日が昇る。荒波が打ちつける浜辺に、剣戟が影絵となって映し出されていた。

 鮮血。波飛沫とともに弾けたそれは、老剣士の貫かれた胸から飛び散った。

 目を見開いた二刀の剣士が驚いたのは、それが彼の繰り出した剣技によるものではなかったからだ。

「岩流!」

 二刀の剣士が叫ぶ。岩流と呼ばれた老剣士は、口元より黒い血を吐きながら倒れた。

 受け身もままならず砂浜に伏したその男は、口内に侵入する砂粒を防ぐことも出来ずにかすれた呼吸を繰り返した。

「何故!」

 二刀の剣士が叫ぶ。

 辺りを見回す。立ち昇る黒煙。

 伏兵。二人だ。

 若き剣士の額に、はち切れんほど膨張した血管が浮かび上がった。

 言葉にならない、獣のような喊声。荒磯にひときわ激しい波が弾け、轟音を鳴らしていた。

 菅笠の伏兵は、顔を覆い隠したそれごと両断され、血飛沫とともに肉片に帰した。

 空虚な呼吸、息切れ。若き二刀の剣士は、それも厭わずに血を流し倒れる老剣士に駆け寄った。

「無念よのう、我も、貴殿も」

 老剣士は、己の死を悟るように諦観した空虚な眼差しで呟いた。

「岩流!俺は、未だ……!」

 涙が、若き剣士の頬を伝う。

「子を成せ。武蔵、若き士よ。儂の末裔が、ぬしの末裔を必ずや相手取ろう……」

「岩流!」

 抱擁。老剣士の亡骸を抱きしめた青年は、打ち付ける波の狭間でただ一人、空に慟哭を溶かした。

 曇り空。髪を振り乱した青年の全身を、海水と浜砂が汚していた。


 ☆


「まさかとは思ったが、実際にそうだと言われてもいまいち実感が湧かないな」

「そう、ですよね。私も、打ち明けたのは先輩が初めてですし、信じていただけないのも無理ないと思います」

 吾妻は感嘆と驚愕の入り混じった、そしてその割には空虚なため息を含んだ声を漏らす。

「岩流。またの名を佐々木(ささき)小次郎(こじろう)。私は、その剣客家系の末裔(まつえい)です」

 吾妻が目を見開いたのは、閃の口から出たその告白が原因だ。

「そしてあの男、宮本覇亜の祖先は」

「二天一流開祖、宮本(みやもと)武蔵(むさし)、か」

 吾妻はその伝説の剣士の名から想起されるもう一人の剣士の名を口にした。

 昨日の夜、閃と対峙した大男。両の手に握った木刀とその二振を駆使した隙のない剣術、加えて芽衣、そして吾妻を寄せ付けない圧倒的な強さ。

 かの男の末裔と言われれば、信じるよりほかない。

佐々木(ささき)(さき)魁星(かいせい)の妹か』

 宮本覇亜の言葉が脳裏に浮かぶ。

「あの男が口にした佐々木魁星は、私の兄です」

 閃の兄、佐々木(ささき)魁星(かいせい)。閃との付き合いの中でこれまで口にされることはなかったが、この街で彼と出会っていない以上、特段不思議なことではないだろうと吾妻は結論付けた。

「つまり、あの宮本とかいう奴がお前に斬り掛かってきたのは、兄貴に挑む足掛けが目的だったってことか」

「分かりません。でもあの口ぶり、彼は兄を知っているようでした」

 閃が俯き、口元を震わせながら推論する。

「正直、あまり考えたくはないのですが、兄、魁星は、宮本覇亜に敗れたのかもしれません」

 吾妻は閃の言葉に、僅かに目を見開いて吐息を漏らす。

「私、兄とはかなり仲も良かったんです。といっても兄とは年が六つも離れているので幼い私に構ってくれていただけ、かもしれませんが」

 閃は自嘲気味に続ける。

「ですが三年前、兄と連絡が取れなくなりました」

「なっ……!それって」

「ああいえ、行方不明とか、失踪とかでは、ない、みたいです。私の実家には毎年、兄から息災を伝える手紙が届きますから」

「手紙かよ。そりゃ随分前時代的だな」

「はい、私は兄の連絡先を知りません。私が携帯を持つ前に、兄は鎌倉へ出立(しゅったつ)してしまったので。だから手紙だけが、兄との唯一の連絡手段でした」

「それで、その時から手紙でも連絡が取れなくなった?」

 吾妻に閃が頷く。彼女が文脈から推察した現状は、概ね正鵠を捉えていた。

「私が鎌倉に来たのは、足取りが追えなくなった兄を探すためでもあるんです。もちろん、志望動機は兄と同じところに行きたいという一心ですよ!」

 閃は重くのしかかった空気をかき混ぜるように、両手をわさわさと胸の前で踊らせた。

「ですから、明日からはちゃんと稽古します!でも、今日だけは……」

 話の途中で閃はとろんとまぶたを落とし、電池が切れたようにぱたりと倒れる。

 慌てて抱きとめた吾妻の胸元をまたぎゅっと握ったまま眠りについた閃は、今度は安堵一色の寝息を立てて脱力していた。

「ちくしょ、動けねえ」

 幾度か彼女の拘束から脱却を試みた吾妻だったがついにそれに屈し、結局は惰眠に甘えることとなる。

 蝉が鳴いている。一日の終始を室内で過ごすこととなった二人は、その日に照る太陽の機嫌など知る由もなかった。

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