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閃! ―侍少女学園譚―  作者: 天津石
12/16

MUSOU

 灼熱の蒸気が、隆々の肉体より蒸散していた。

滴る汗の浸透をいくら許そうとも爽やかな香りのみを返す木質の無音空間は、彼の精神を明鏡止水の極地へと昇らせるのに十分だった。

 瞼を閉じ、闇へ意識を落とす。暗転した視界に映る、半間ごとの升目。その仮想空間に実体のない身を置き、両の手に剣を取った。

 立ち上る蒸気がもこもこと練り上げられ、実体となって眼前に現れた一人の剣士が喊声を上げながら上段より振り下ろした。弓手の小太刀で容易く受けられた剣に返すように馬手の太刀で胴を薙ぐ。

 剣士は大太刀をかわすべく足を捌いたが、襲いかかるは二刀の連撃。防御一辺倒となった剣士に反撃の隙は無く、ついには二刀の猛攻を受けきれずにその身を斬り裂かれた。

 両肩の筋肉が血管を浮かび上がらせながら脈動する。仮想空間での動きに合わせ、彼に備わる筋肉の一つ一つが静止したまま、高負荷の運動を行っていた。

 彼は肺に溜まった空気を静かに吐き出し、血管の浮き出た巨大な手で灰白色の短髪を掻き上げた。

 その双眸に光が戻る。青く鋭い眼光を静かに放ったその青年は、重戦車のような肉体より滴り落ちる汗を満足気に纏い、蒸気を従えながらひとりその空間を後にした。


「やああああっ!」

 フローリング張りの屋内運動場に、少女の喊声が十分に響いた。

「良いぞ!今のだ、もう一回!」

「はい!」

 木刀の打音が乾いた快音を響かせる。鎌倉第一高校の運動場には、制服である羽織袴から動きやすい運動着に着替えた閃たちの姿があった。

 佐々木閃の精一杯の打ち込みを受けた土方新は、心の底から少女に告げる。対した閃も威勢よく声を張って返す。

「よそ見してんじゃねえ!」

「甘い!」

 ぶっきらぼうな吾妻の打ち込み。カーボン刀よりも重量のある木製の大太刀は、負荷トレーニングに最適だ。

 力まかせではあるが、大太刀のリーチを活かした大胆な攻撃。リーチ差のぶん反撃のリスクを減らし、あわよくば甘い反撃を釣って切り返すことすら可能だ。

 土方新は、そんな見え透いた挑発には乗らなかった。

「クソッ!乗ってこないか……!」

「当たり前だ。獲りたいなら本気で打ち込んでこい」

 新が浮かべる余裕の表情に、吾妻はギリと奥歯を鳴らした。吾妻がこれまで相手してきた、簡単に挑発に乗り我を忘れるような輩ではない。わざと隙を見せるようにした吾妻が狙っていた、新の反撃を釣ることができなかった。そのリスクは、間もなく自身に跳ね返ってくることになる。

「隙ありだよ!」

「っ!」

 今度は快活な少女の声が鋭く響く。吾妻の計算を上回る速度で距離を詰め、繰り出された東郷芽衣の切り上げ。スピードとパワーを兼ね備えた重厚な一撃は大太刀の重心を的確に打撃し、食らった吾妻を大きく後退させた。

「新!」

「ああ!」

 少年に呼びかけた芽衣は歯を食いしばりながら眼前の少年を見据える吾妻を横目で捉えつつ身を沈め、振り子の要領で身体を捻って切り返す。履いたバスケシューズが運動場のフローリングと甲高い摩擦音を発し、少女を勢いよく撃ち出した。吾妻に向けて繰り出された土方新の胴薙ぎをくぐり抜けながら、視線の先の小柄な少女を捉えた。

「ちっくしょ――」

 吾妻は、自身の詰みの局面において最大のリターンを追求した。後ずさった身体に襲いかかる新の木刀。すでにその防御手段は失われていた。しかし残っている。攻撃の手であれば。

 芽衣の打撃に突き上げられた大太刀を上段へ直し、軸足を支点にもう片方の動足を大きく後退させ、膝が付きそうなほど身を沈める。同時に脇を締めながら、手首を倒しつつ柄を胸元へと引き寄せた。

 上段に振り上げた大太刀が、梃子となった吾妻の全身の関節に呼応して素早く振り下ろされた。

 吾妻の腕に新の木刀が到達した瞬間、吾妻の木刀もまた新の脳天へと到達していた。

「相打ちに持ってくるとは流石だ」

「……」

 新の額に、汗がにじみ出た。本来であれば一方的な技ありだったが、吾妻の技量にしてやられた。

「――クソッ!」

 吾妻もまた、この状況を悔いていた。隙を作ったのは自分自身だ。一対一ならともかく、ツーマンセルでは得意の戦法が腐ることを痛感させられる。

 仮にこれが街中で起きた真剣での喧嘩であれば、防刃繊維で作られた羽織の袖越しに、手痛い一撃を貰っていたところだ。

『我流の喧嘩剣術』

 以前、新に言われた、吾妻の剣術の評価だ。それがただの誤魔化しではないということを彼自身に証明したものではあったが、たったいま眼前の少年が贈った純粋な賛辞は彼の本意に反して吾妻自身の考えの浅はかさを焦燥として募らせた。

 しかし刹那、その思慮の淵から彼女を引き上げるように木刀の打音が響いた。

 芽衣の木刀が閃へ打ち込まれたのだ。

 警察が存在しない鎌倉学府の治安を維持する風紀団。その副団長を務める東郷芽衣は、その役職に見合うほどの剣技の持ち主だ。

 辛うじて芽衣の一撃を受け止めた閃。これまでの稽古とはまるで違う、芽衣の殺気にも似た気迫が、鋭い剣閃となって小柄な少女を飲み込もうと振り下ろされた。

 閃の頬を、噴き出した汗が細く伝う。だが同時に、その小さな体から繰り出される教本通りの反撃が、芽衣に届こうと抗っていた。

 当然、芽衣もその反撃をしっかりと受ける。体捌きで半身を入れ替え、返す一撃を閃の木刀が受け止めた。何度も、何度も芽衣は木刀を打ち込んだ。しかし、それらの打ち込みをすべて、小柄な少女の木刀が受け止めている。

 木刀を握る芽衣の両手に、びりびりとした痺れが蓄積されていた。先ほど、吾妻に打ち込んだ一撃は、大太刀の芯を捉えていたとはいえ、普段から大太刀を使っている彼女の鍛え上げられた体幹を崩すために力を込めた。与えた衝撃は、防御側だけでなく攻撃側にも返ってくる。攻撃が的確に受けられればその分、攻撃側に返ってくる衝撃は大きい。そのダメージとも言える手先の痺れが、僅かに芽衣の剣筋を鈍らせていた。

「はっ!」

 連撃を耐えきり、返された閃の一振りを芽衣は身を引いて躱していた。

 想定外、といった表情で芽衣が見据える先には、荒い呼吸で肩を上下させつつも正眼に構える閃の姿があった。

 互いに技有りとなり、木刀を手放して観戦していた吾妻と新は、二人とも芽衣と粗方似た心情だった。

 佐々木閃が見せた、成長の片鱗ともいえる刹那の剣戟。吾妻と新はともに自身の腕を組みながら、見つめる先の少女に静かな期待を抱いた。

 芽衣は大きく深呼吸をすると、八相に構え直した。心做しか、笑みを浮かべる芽衣の表情が歪んで見えた。

 想定外の焦りか、あるいは自身の油断に対する苛立ちのような、複数の感情が彼女の平静を蝕んでいた。

 芽衣は柄から離した片手で軍帽のつばを抑えると、ほんの一瞬、牙を剥く獣のごとく獰猛に微笑みながら、大きく息を吸い込んだ。

「だああっ!」

 芽衣が勢いよく踏み込んだ。閃との間合いを一瞬で詰める。

「くぅ……!」

 芽衣の一撃を咄嗟に受け止めた閃は、その重さに思わず苦悶の声を漏らす。

 防御ではなく、回避が最善の選択肢であったことを閃はこの瞬間に悟った。

「ここだ!」

 芽衣は半身を入れ替え、二の太刀で逆袈裟の斬り上げを鋭く繰り出した。閃の木刀を上方へ弾き出す。

「っ!」

 木刀を跳ね上げられ、隙となっていた閃の脇腹に、木刀が寸止めで添えられていた。

 道場内に瞬間的な静寂が訪れる。

 模擬試合終了。勝利したのは新と芽衣のペアだ。

 少年の方へ駆け寄る少女。にやりと笑いながら突き出された芽衣の拳に、やれやれといった表情で新も拳を突き合わせた。

「負けてしまいました……」

 しゅんと肩を落とした閃が、俯きながら呟いた。

「大丈夫」

 小さく丸まった閃の頭にぽんと手を乗せたのは、先程その一本を奪った芽衣だった。

「閃ちゃん、もっと自信持って良いよ!はじめの頃より、すごい良くなってる!」

 芽衣はにっと笑って、後方でそれを見ていた少年に「ねっ?」と振り返った。

「ああ、打ち込みにもよく気合が乗っていたし、芽衣の攻撃をあれほど受けられるのは純粋な成長だと考えて良い。それに」

 土方新は、二人の方へ歩み寄りながら微笑む。

「綺麗だった」

「え……?」

 新を見つめた閃の瞳が、大きく見開かれた。

「ああいや、太刀筋の話だ。気にするな」

 咄嗟に頬を染め、そっぽを向く新。そんな彼を、芽衣はニヤリとした表情で覗き込んだ。

「おやおや、大胆ですなぁ、新くん」

「やめろ!」

 芽衣のからかいに、新は顔を真っ赤にしながら声を荒らげた。これ以上からかうと機嫌を損ねることが分かっていた芽衣は、瞬時に話題を切り替えた。

「このまま練習していれば、予選突破は間違いなく目指せるね!あとは――」

「コンビネーションだ」

 芽衣の話を半ば遮りながら切り出したのは、平静を取り戻した新だった。

 先程の模擬試合では閃と吾妻のペアに明確な戦術はなく、並列で新・芽衣の二人を迎え撃つ陣形となっていた。対して芽衣・新ペアは、防御力・対応力に優れた新を前衛に置き、二人の打ち込みを捌きつつ作った隙を機動力・突破力に優れた芽衣が遊撃的に仕掛けるといった戦術を取っていた。

 無論、並列にて打ち込む陣形が悪いというわけではない。並列陣形は両者が分断されるリスクはあるものの、様々な状況に対応しやすいというメリットがある。だからこそ、両者の連携が無ければ即座に対応されてしまうのだ。

「コンビネーションや戦術に関しては、研究途上の部分も多い。こうした模擬試合を重ねて見出していくしかないな」

 新は模擬試合の総括を終えると、「さあもう一本」と言わんばかりに木刀を構え直した。

「コンビネーション、ねえ」

 先の立ち合いで満足行く結果を得られなかった吾妻は、静かに湧いた苛立ちを殺しながら背に木刀を担いだ。

 次こそは、と瞳に闘志を燃やす。

 四つの剣戟が、道場内に響き渡っていた。


 ざぶんと浴槽から溢れ出した冷水が、至近の排水口へと急いだ。

 先程まで加熱されていた肉体が、急激に冷却を受ける。筋肉で盛り上がった肉体は簡単にはその熱を奪われまいと収縮し、それらを包み込む冷水もまた水温の変化に拮抗していた。

 全身を包み込む冷水。そのひやりとした感触が想起させる。在りし日、溜めた切望が失望へと堕ちたあの雨を。

 再び目を閉じる。幾度も繰り返した追想を、暗黒の仮想空間に落とし込む。その時の失望が、加速する呼吸の中で沸騰した。

 金属音が弾ける。その日は、陽光の差さない暗い曇天だった。

 二刀に弾き飛ばされ、眼前から飛び退いた長身の青年は、その長い髪とともに荒い呼吸で肩を揺らし、俯いたまま震える手で下段に構えた。

 反った長い刀身が、定まらずに震えている。

 己に呼吸の乱れは一切として無い。大きく吸った息を、全身に巡らせて再び地を蹴った。

 両の手に握った二刀を、何度も打ち込む。

 眼前の剣士は、ふらふらと体勢を崩しながら、その打撃を防御するのみで、それから剣を返してくることは一度として無かった。

 抱いていた切望が、少しずつ灰色に薄れてゆく。ぽつりと、冷たい雨粒が額に落ちた。

 髪を乱し、気迫をとうに失ったその眼はこちらを見据えることなく、その視線を地面へと落としていた。

「何のつもりだ」

 二刀を差し向け、青年に問いかける。

 恐れているのか。眼前の青年は、答えることすらままならず、荒い呼吸を繰り返すのみだ。

 腹の底から湧き上がる、空虚な苛立ち。その感情を隠すことなく上段より打ちおろされた二刀は、霞より受けた太刀に重く響いた。

 長髪の青年はよろよろと後ずさり、震える両手で正眼に構えたかと思えば、限界を迎えたのかついに片膝をついた。彼の視線はやはりこちらに向いておらず、地面へと落ちていた。

「立て、魁星」

 青年の名を呼ぶ。地をまだらに染める雨粒はその量を指数関数的に増やしてゆき、ついには地面すべてを暗く塗りつぶした。

 一切の乱れを知らない己の呼吸と相反して、青年の呼吸は整わない。ただ荒く、肩を上下させ、俯き、まるで命乞いのごとく髪を情けなく乱し、言い訳とばかりに気迫のない刀身だけをこちらに向けている。

「立てええええええええええええええええええ!」

 怒号にも似た喊声をかき消すような轟音とともに、激しい電光が鳴り響いた。豪雨と呼んで差し支えのない黒雲の下で、逆袈裟から力任せに斬り上げた。

 耳障りな金属音が轟いた。地に叩きつけられた長刀の断続的な金属音が、力なく収束した。

 握るものがなくなった眼前の剣士は尻餅をつき、両の手をだらんと垂らしてまた俯いた。

 馬手の木刀を喉元に突きつける。弓手の木刀は上段に据え、すぐにでも打ち下ろせる。

「立て」

 とうに戦意を失った青年に、三度問いかける。降りしきる雨の中、彼はゆっくりと顔を上げると、力ない眼でこちらを見つめていた。

 怒り、失望、呆れ、空虚、屈辱、徒労、悲愴、嫌悪、幻滅。単純に言い表せない不愉快な感情が濁流となって押し寄せる。

「興醒めだ」

 もう何も、言葉を交わすつもりは無かった。

 木刀を収め、踵を返してその場を去る。かつて好敵手と認めた男の面影はとうに薄れ、背後には欠片の殺気すらも感じることはなかった。

 振り続ける雨に打たれながら、失意とともにその場を後にした。

 開かれる視界。繰り返される追憶は、肌に打ち付ける微小の波となって眼前に溶けた。

 強く在ること。それは研鑽を重ね、孤独を愛し、強者を望み、敗北に渇き、未知を拒むことだ。

 いま必要なのは己が直面すべき強敵、あるいは挑みかかる猛者を捻じ伏せるための鍛錬に他ならない。

 極限の環境にもう一度身を置くべく、再び熱室へ歩を進めた。


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