26話:刻印所持者、無事に討伐完了
俺が周りの大木に驚いている間に魔物はそびえ立つ木々へと潜り込んでいった。急いで、魔物の方へと目を向けるが姿を見失ってしまった。
「くっ!」
この森を創り出したのはさっきの魔物。ということはこの森は奴の管轄下だということだ。
そんな奴から目を離せば何もできずに俺とシャルルは殺されて終わりだ。少しだけ、最悪の未来が頭をよぎったが1度息を深く吐いた。
「そんなこと、させるか……!」
急いで、シャルルを腕に抱えて再び全力の身体能力上昇の魔法を使う。
いや、この速さでは足りない!
身体能力上昇の魔法というのは調節ができて注ぐ魔力の量によって変わるので今の100倍だろうが、1000倍だろうが使うことは出来るのだ。
ただ、身体が持たずに一瞬にしてただの肉塊へと化してしまうだろう。
だが、今は自分の身体を心配している暇はない。死なない一歩手前までなら問題はないだろうと俺はさらに2倍、上昇させる。
「ぐあっ……!」
魔法をかけた瞬間、全身に筋肉が張り裂けるような痛みが走る。だが、こんなことでいちいち止まってなどいられない。
と俺は痛みを気にしないようにして2倍の速さで森を駆けていく。時折、足が地面に付いた時足元にあった枝が乾いた音をたてて折れたいったり、風魔法が四方八方から放たれたりした。
そんな中、俺の手の中から微かながらに声がした。その声は本当に微かであったが身体能力上昇の魔法を使うと聴力も良くなるので難なく聞き取ることができた。
俺はその声を聞いて何を思ったのだろうか。
彼女は涙声だった。声は震えていたし、ややくぐもった声だった。
「すみ……ません。お守り、できません……でした」
シャルルが目を瞑っていることからこれは寝言の類であることは理解できた。
だが、シャルルの瞑っている目から大きい雫が2、3粒ほど零れた。
その言葉をただの寝言で終わらしてしまっても良いものだろうか。その選択に迷いはない。否だった。なぜならさっきの言葉はそれだけでは終わらなかったからだった。
「いつか。前みたいに、3人で過ごせる……日が……」
その瞬間、俺に痛みが走る。魔法の影響でも、魔物が攻撃してきたからでもない。これに似た感覚を前にも感じたことがあった。
そう、この世界に召喚されたすぐのこと。セラとの出会いの時だ。でも、今回はその時よりももっと酷かった。
泣き叫びたい。この想いを誰かに打ち明けたかった。
自然と、俺の足は止まりその場に竦んでしまった。
シャルルを抱えながら溢れ出る涙を抑えることはできなかった。だが、俺はシャルルをゆっくりと置いてある木の奥を見つめる。今は泣いている暇はない。まずはこの状況を打破しなければいけない。
「グルァ……」
ゆっくりと歩いて出てきた魔物は俺の方へと向かって来る。俺も体制を低くして攻撃に備える。
「ガアァッ!」
先に動いたのは魔物だった。さっきと同じくとてつもない速さだったが身体能力をさっきより2倍にしていたおかげでなんとか攻撃を見切って避けることに成功する。
魔物が突進してくるのを俺はバックステップを駆使して避ける。とは言っても魔物の攻撃は1回では終わるわけでもなく数回ほど連続で突進してきた。
くそっ! これじゃあ、反撃できねえ……!
このまま、魔物の攻撃を受け続けるのにも限界がある。隙をみつけて反撃しようとしたその時だった。
魔物が、向きを変えて走っていったのだ。
「なに? あっちには――シャルル!」
魔物が走っていった方向にはシャルルがいるのだ。怪我を負い、気絶している状態のシャルルにあの魔物が遭遇すればシャルルに与えられるものは間違いなく――死。
俺は強く歯を食いしばり、全速力で魔物を追う。地面を走っていては遅いと判断した俺は木の幹を蹴って空中を舞い、そしてまた木の幹を蹴って空中を舞う。
それを何度か繰り返し、スピードを徐々に上げていく。時々、木の枝が引っかかり体に切り傷が生まれていく。だが、絶対にスピードは落とさない。
「見つけたッ!」
暫くして、魔物が森を駆けていくのをみつけた。そして、その魔物の先にシャルルがいるのも。
「させるかぁ!」
木の幹を蹴る際、さらに強力な身体能力上昇をかける。
3倍。いや、5倍だ!
俺の身体能力は桁違いにまで上昇していた。俺は魔物に向かって|いつの間にか持っていた剣を勢いに任せて振り下ろす。
魔物は呆気なく、俺に首を落とされた。あんなに苦戦しても最後はこんなものかと思わずにはいられなかった。
「いっ!」
右手に痛みが走り、目を向けると右手には刀身はおろか柄までもが刃で出来ていた剣だった。右手の痛みの正体は柄の刃が原因のようだ。俺は剣を地面に置いたあと、軽く回復魔法をかけてシャルルのもとに向かう。
「シャルル……無事でよかった」
シャルルは未だに起きそうにない。シャルルを楽な体制で寝かせてあげたいと思った俺はシャルルの頭を自分の膝の上に乗せた。女子みたいに柔らかくはないが地面よりはまだマシのはずだ。
俺は、寝ているシャルルの頭をゆっくりと起こさないように撫でた。
「頼むから……もう少しだけ、このままでいてくれ……」
……いい香りがする。それは、目の前が真っ黒に染まっていると気が付いたのと同時だった。
あ、いつの間にか寝ていたのか。
目を開けようとしたその時、優しく頭を撫でられる感触がして再び重い瞼を降ろそうかとしたのだがこれでは起きるのはずっと先になりそうだ。思い切って、目を開けた。
「あ、主様。お気づきになりましたか?」
「シャルルか……?」
「はい。私に膝枕をしてくださって本当にありがとうございます。おかげで、ゆっくり休むことが出来ました」
それでどうして俺はシャルルに膝枕をされているんだろうか。その理由を聞こうかと思ったが、シャルルのことだからお返しに私も膝枕をさせてもらいました。とか言いそうだ。
それなら、別に聞かなくてもいいか。
俺はふと、空を見た。膝枕をされているので特別、上を向かなくても空を見上げることができた。
そして、俺の視線の先には俺が今まで見た中でも1番と言えるほどの数多の星々があった。前にも、この世界の星を見たことがあったがここまでの輝きは放っていなかった。
だが、それ以上にそんな星を脇役だと言わんばかりの激しい自己主張をしている紫色の月に目を奪われた。少しの間、月を眺めているとシャルルが微笑みながら問いかけた。
「月がお好きなんですか? そうでしたら今度、お月見でもしませんか?」
「ああ、それもいいかもしれないな」
俺はゆっくりと、起き上がりそして立ち上がった。どうやら相当長い間寝ていたようで今ではすっかり太陽は沈み、辺りは暗い。周りを見渡してみると街の方角に微かに光っているのがよくわかった。
街に向かう前に、魔物の討伐部位である角を回収するために魔物の方へと向かっていく。報酬を得るためだから、仕方なくてもやるしかない。
「なに……?」
俺は目の前の魔物を見て顔を顰める。
魔物の討伐部位である角だけが取られた後だったからだ。
俺だけじゃない。シャルルも怪我をしてまで、やっと討伐できたのだ。それを漁夫の利されて、腹を立てるなと言われる方が難しい。
万が一、魔物が腐って疫病の原因にでもなったら困るので魔物の死体を火魔法で燃やし尽くす。魔物の肉の味はどうなんだろうか。もし、美味しい魔物の肉でもあればシャルルに料理してもらおう。今回は仕方ないので処理させてもらった。持ち運びに便利な魔法でもあればいいんだがな。
俺はどうにかその魔法を実現できないか頭を回転させるが、いかんせん戦った後ということもありボーッとしてしまう。
これなら、さっさと育成学校に戻ってゆっくりと休む。という判断を下した。
「帰るぞ。シャルル」
「はい。主様」
今日は、自分の力不足を思い知った日になった。これから、もっと強くなって絶対に俺から奪わせやしない。
そんな、思いを胸に俺は育成学校に帰った。
身体のあちこちがボロボロになっていて身体能力上昇の魔法なんて使えたものではなかったのでシャルルと雑談でもしながら街に帰ることにした。
「そういえばシャルル。お前が気を失っていた時に言っていた、またいつか3人で過ごせる日が。って言ってたよな?」
「え? 私、そんなこと言ってました?」
「ああ。言ってた。それってやっぱり、例の攫われた奴のことか?」
「え? ……あ〜……あぁ! そうです!」
「お前、今忘れてただろ!」
「に゛ゃっ! あうじさま〜、いふぁいです〜」
大事なことを忘れていたシャルルの両頬を抓んで軽く外側に引っ張る。流石に、数秒もしたら手を離してやったがシャルルはう〜。と唸りながら自分の頬をさすっていた。
「にしても、あの魔物強すぎるだろ……この世界はこんなのばっかりなのか?」
「一応、あの魔物は最弱の魔物として知れ渡っているんですけどね」
「あれで最弱ッ!? ……なんかもう、嫌になってきた」
あれで最弱とか、この世界の奴らはチーターの集団なのか?
「いえ。私も何度かあの魔物と戦ったことがあるんですけど、あそこまで強くはなかったはずなんですよね」
「ん? じゃあ、あの魔物だけが以上に強いってことか?」
「はい。あの魔物の強さだと、恐らく腕の立つ冒険者がパーティを組んで連携してやっと無傷で倒せるレベルですね」
「お、おう? 腕の立つ冒険者がどんな強さなのかわからんが、それってあの魔物は相当な強さだよな?」
「はい」
わからない。どうしてあの魔物だけが異常な強さを持っていたのか。謎は深まるばかりだ。
シャルルとそのことについてあれこれと論議していたらあっという間に育成学校に到着した。いつも通りにシャルルには姿を消してもらった。
いつか、シャルルの姿を消している方法教えてもらおう。
「きゃあっ! 蓮斗さん!? その血はどうしたんですか!?」
帰って早々、紅に俺の服に付着した血に驚かれてた。すぐに止めたのだが勇志をはじめ、わらわらと野次馬が現れた。そして最後にメルフィアまでやってきた。
「レントさんがそこまで怪我を負うなんて、どんな魔物と戦ったんですか?」
「鹿みたいな魔物だ。一応、最弱の魔物らしいがな」
「あんな、雑魚相手に大怪我を負ったのか? はっ、雑魚にも程があるだろ」
野次馬の中から、髪は染めて金髪。だらしなく服装を着て、さらには相手に食いつこうとするその性格。完全に不良の感じがする。それでも、俺の見た感じの判断だから一概に不良だ。とは言いきれないのだが。
「……あれは雑魚ってレベルじゃあなかったんだが?」
「ああ? あんなの日本の鹿と大して変わんねえだろ。つか、鹿に負けるとかダッセェ!」
負けてはいない。と反論しようと思ったのだが、どうせ相手も反抗してくるので何も言わずに黙ることにした。
「もうっ! 蓮斗さんはダサくないよ!」
「なっ。愛月!?」
なんということだろうか、紅が俺を庇って不良に突っかかったではないか。というか、ひとつ気になる点があるので紅に聞きたいことがある。
「なあ、紅。鹿の魔物が日本の魔物とほぼ一緒って本当か?」
「え? うん。ちょっと凶暴になってたくらいかな?」
ええぇ? あれが日本の鹿とほぼ一緒? 俺の知ってる鹿はもっと遅くて弱かったはずなんだが? あんなのが日本にいたら事故が起きるどころか、通行人を殺しまわる殺人鹿になるぞ。




