1話:刻印所持者、決意する
12月24日修正しました。
- 刻印所持者の魔法 1話 -
俺は劇的な毎日を過ごしている訳では無い。
かといって毎日辛い思いをしながら過ごしているわけでもない。つまりは平凡なのだ。そう、どこにでもいる平凡な男。非凡や特別に憧れている訳では無い。普通に生きて普通に死ぬ。それが俺の望んでいる人生。
かつて、ある出来事があってから俺は非凡への憧れは失せた。
ああ、こんなことだったら非凡になんて憧れるんじゃなかった。
そんな、後悔が俺に纏わり付く。あの日の感触が今でも残っているようだった。だが、あれから時が経ちその感覚は日に日に遠のいて行った。
「さて、今日の飯は何にするかな。カレーもいいが肉じゃがも捨て難いな……ん?」
夕飯のメニューに頭を悩ませていると俺の足元に薄紫色に輝く魔法陣のようなものが現れた。大きさは丁度俺が乗れるギリギリの大きさだった。一瞬、ふわっという浮遊感に俺は襲われた。あまりにも浮遊感が強すぎて落ちると思い、息を飲んだ。
だが浮遊感が終わっても落ちる感覚はない。きちんと床に足がついている。恐る恐る目を開けてみるとそこは俺が歩いていた道ではない。ネットで見たかけたことがあるような豪華な作りのお城のようだった。
「お待ちしておりました。勇者さ……ま?」
耳に入る声は透き通った声で濁りなど一切感じさせなく実に凛々しかった。俺が今まで聞いた中でも一番綺麗と言っても過言では無い。その声の持ち主である女性は1度深く礼をして、その言葉を発したのだが、俺を――否、''俺達''を見て言葉を詰まらせた。
彼女の琥珀色の澄んだ眼がこちらを覗く、俺の体は何故か緊張して石のように動かなくなる。彼女の肌はシミ一つなく綺麗で、一気に現実離れな光景に開いた口が塞がらない。
俺はいい加減に見すぎてしまったと思い、チラッと逃げるように目尻を見ると制服を着た高校生と思われる男女が3人がいた。男1人、女2人だ。
「あれ? 勇者様は1人のはず……まさか……!」
「お嬢様。どうやら3名ほど召喚に巻き込まれたかと」
「そんな……!」
お嬢様と呼ばれた女性が心底申し訳なさそうに俺達に頭を下げる。頭を下げた時に長い白銀の髪が宙を舞う。窓から侵入してくる太陽の光が彼女の髪に突進している。しかし、彼女の生糸のような艶のある髪の毛はそれを反射させ元々から輝いていた髪の毛を更に輝かせていた。
俺はその美しい髪の毛に見とれてしまった。元々見とれるような女性に会った事がなく今、見とれているという感覚に不思議な気持ちを抱いていた。
「申し訳ございません! 勇者様にご迷惑をおかけするどころか全く関係の無い御三方にまでご迷惑をおかけして何とお詫びすればいいのか……」
「勇、者……?」
「あ、そうでした。まずは説明をしなくてはいけませんね。それに立ち話もなんですし座って落ち着いて説明いたします」
そう言われて俺達は別の部屋へと案内された。ブランド物や高級品など意識した事がないような俺が見ても高級品だと断言出来るソファーやテーブルに俺は座る。高校生達は座るのに戸惑っていたが座っていいと言われたので俺は遠慮せずに座る。ソファーはふわふわとしていて柔らかい。座った時に俺の体を包み込んでくれる様な気持ちの良い感覚に陥る。
俺がソファーの座り心地を堪能している間にメイドさんと思しき女性が飲み物にコーヒーを持ってきてくれた。「角砂糖は何個入れますか?」と尋ねられたので「そのままで」と答えたのだが、メイドさんは驚いた顔をした。聞くところによると普通、コーヒーは砂糖を入れて飲むそうだ。どうやらこの世界の人達は苦いものが苦手らしい。
俺がブラックコーヒーを飲んでいると静寂に包まれたこの空間の中でお嬢様がぽつりぽつりと話し始める。
「申し遅れましたが、私の名はルルナ・フェンルと申します。ルルナと呼んでください。もし差し支えなければ名前を教えて頂けませんか?」
「あー、俺の名前は神田蓮斗だ……です」
「お、俺は大泉一輝です」
「……私の名前は那月紗耶香です……」
「わ、私は鷲崎瑠里香です」
「カンダ様にオオイズミ様、ナツキ様にワシザキ様ですね」
ルルナさんは指を折りながら俺達の名前を呼んだ。様付けにむず痒い感覚がするが我慢するしかあるまい。様付けをやめてもらえるのならそれが一番なのだが。
ルルナさんは指を折るのをやめ、手を膝の上に置いた。そしてコーヒーを持ってきてくれたメイドがルルナに耳元で何かを伝えている様だ。
「……分かりました。……どうやら勇者として召喚されたのはオオイズミ様のようです。勇者様は特別に別室で説明をいたしますので移動をお願いできますか?」
「あ、はい」
どうやら勇者は別室で特別な説明があるそうだ。まったく、心の底から勇者じゃなくて良かったと思った。俺は勇者が嫌いだ。
俺は子供の頃から勇者が嫌いだった。勇者が魔王を倒して世界を救う。そのシナリオが嫌いなわけじゃない。''勇者''という存在が嫌いだったのだ。特に理由はない。俺でも、どうして嫌いなのかわからない。理不尽だということはわかっている。
だが、頭で理解していてももっと奥の、言うならば魂が納得しない。もしかしたら、俺の前世は魔王だったのかもしれないな。と冗談を考えたりした。
なあ、勇者様。お前のその浮かべている笑顔。一体何を意味しているんだ?
俺は、もう1度テーブルに置いてあるカップを持って口の中に流し込んだ。
コトッ、とカップを置いた音が響いた。その音が合図のようにルルナが話し始めた。
「オオイズミ様は別室に移動されましたが皆様を召喚した経緯をお話いたしましょう。……実は今、一部の人間と魔族で戦争が起こっているのです」
「……まさか、私達もその戦争に参加しなくてはいけないのですか?」
「いえ、戦争に参加しているのは本当に極一部の人間と魔族なんです。それに我々も含め、殆どの人類が戦争に反対です」
''戦争に反対''その言葉を聴いた那月さんと鷲崎さんは安堵して強ばっていた顔が少しばかり柔らかく、明るくなった。
「人類と魔族の全面戦争は避けたいと魔族も思っている筈です。今まで人類と魔族で築かれてきた仲が崩壊してしまいますから」
「それでは何故勇者を召喚する必要があったのですか?」
「ここ最近なんですが、魔物が大量発生しているのです。更に魔物を対処するのに手一杯なのです。日に日に魔物が強くなっていき最近では戦争より魔物の方が脅威になっています」
つまりは魔物退治で忙しくて戦争に手が付けられない、と? 俺の勝手な偏見だが魔物といえば殆どが雑魚みたいな弱さで腕の立つ者ならばことごとく倒していく様なイメージがある。仮説は二つある。一つ目は魔物の1匹1匹が強すぎて人が沢山いないといけない。二つ目はそもそも魔物を討伐する職業の人が少ない。まあ、後者の可能性が高いな。
「その魔物の対処は間に合っているのですか?」
「いいえ。残念ながら少しずつ人類が活動している範囲が侵食されています。専門家の見立てによると僅か2年で活動範囲が半分にまで狭まると言われています」
人類の活動範囲がどれほど広いのか俺は知らない。日本より狭いのかもしれないし、地球の表面積並に広いかもしれない。だが今活動している範囲の半分に減る。これにより色々な問題が発生するだろう。住む場所だって無くなるし、農業で生計を立てている人は大ダメージを受けるだろう。それこそ人類の危機だ。
「でも安心してください。オオイズミ様を含めて半年後に元の世界に帰れます。……半年経ってからではないと帰れないとは本当に申し訳ないです」
「半年後かぁ。学校とかどうなるんだろうね」
「あ、その点に関しては問題ありません。元の世界に帰ると丁度こちらに転生した一時間後の時間となっております」
どうやらこちら異世界とあちらの元の世界では時間軸が異なる様だ。その点に関しても気になっていた事だが俺はもう一つ気になる事があった。
「勇者が召喚されるのはこれが初めてなんですか?」
「いえ、はるか昔に1度だけ勇者を召喚したという文献が残っています」
明らかに、ルルナの言葉には可笑しい点がある。
どうして、半年後に帰った俺たちが1時間後。と特定ができるのか。まだ、これは文献に書いてあることなのかもしれないがその文献を書いたやつだってどうして特定できたのか。その上、さらに疑問が浮かび上がる。どうして、あの2人は可笑しいと思わないのか。
むしろ、確かに。と納得したように軽く頷いている。
……これは、なにかあるかもしれない。
この場は、黙っていた方がいいかもしれない。
俺は余計なことを言わないように、言動に注意を払った。
「俺も手伝うよ」
「え? ですが――」
「いいんだ。黙って見ている方が俺にとって辛いんだ。なにか俺に出来ることがあればなんでも言ってよ」
少々、ルルナに嘘をついてしまうが根本的な嘘はついていないから問題ないと思う。
これは、賭けだ。俺が少なからずこの事件に関与すれば何かしらの影響があるはずだ。きっと、今の俺のことを知ったやつはただの正義バカとしか思わないはずだ。
使い勝手のいいように魔物とやらの討伐に使われるだけだろう。
このまま、何もしなければこの屋敷で半年間を過ごすことになる。だが、本当に安全に半年間も過ごせるのか。魔物だって、日に日に侵食しているんだから生きる術をなんとか見つけないと……。
あれ? なんで、俺はこんなにも一生懸命に抗っているんだ? 別にこのまま死ぬのならばそれでも良かったのではないのか? 世界に興味も関心も失った俺はなんで今になって抗うのだろうか。