【水】 ナツタビ ※
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夏、8月のある日。
国枝浩隆は、青葉眩しい杜の都、仙台を仕事で訪れていた。
一泊二日としては少々過密なスケジュールをこなし、時は既に二日目の夕刻を迎えようとしている。今回の来訪が決まったとき、真っ先に浮かんだその面影を思い起こし、そうして胸ポケットから名刺入れを取り出すと、束の一番後ろにしまっていた一枚を取り出した。
「突然行ったら……統治くん、どんな顔するかな」
思わず顔がほころぶ。昨年の冬、この街で偶然出会って以来、思いがけず続いてきた彼――名杙統治という青年との縁。その後時々交わしていたやりとりで、変わりなく仕事に励んでいるらしいことはわかっているが、やはり直接会いたいと思うのが人情だ。
ひそかに持参していた土産を手に仙台駅前でタクシーを降り、以前貰った名刺に書かれた住所を目指して歩くこと数分。たどり着いたのは駅からほど近い高層の商業ビルだ。自分と似たようなスーツ姿や、展望台目当てらしい人々と共にエレベーターに乗り込み、階数ボタンを押そうとしたその時。
「すみません、24階をお願いできますか」
人垣の奥からかけられたそれが、自分の目指す階と同じで驚く。思わず首を巡らすと、声の主だろう青年と視線が合った。
髪をひとつに束ねた、リネンらしいシャツの彼。眼鏡の奥から向けられる視線に、ふと妙な違和感を覚えた。
「何か?」
「いえ……24階ですね」
謝罪してからあらためてボタンを押す。そうして上昇を始めたカゴに揺られながら、何故だかざわざわと心が落ち着かず、浩隆は土産の袋を持つ手にかすかな力を込めた。
ぽん、と到着音が響くたびに人が降りていく。やがて目的の階にたどり着くと、ドアが開くなり、先程言葉を交わした彼がするりと先に降りていった。
「あ、あの!」
存外軽い身のこなしに、慌てて自分も次いでから背中に声をかける。
「すみません、このフロアに『東日本良縁協会仙台支局』のオフィスがあると思うのですが」
その言葉に立ち止まり、こちらを振り向いたその目がすぅと細められる。
「良縁協会をご存知で?」
言いながら値踏みするように見つめてくる、そんな不躾な態度にかちんときて思い直した。
「……いえ、結構です。お引き止めしてすみませんでした。自力で」
「知ってますよ。案内しますからどうぞ」
端的に言いざまくるりと踵を返して歩き出す。一瞬迷ったが、結局その背について行くことにした。しばらく通路を進み、とあるオフィス扉の前にたどり着くと彼が立ち止まる。
「ここが?」
「どうぞ」
疑問を口にするも答えはない。カードキーを懐から取り出すなり、ドアを開けたその後ろに大人しく続いて中に入った。
思ったよりも広い空間。応接用だろうソファにテーブル、部屋の角には観葉植物と、まるでオフィスファニチャーのカタログにそのまま載っていそうな設え。奥にはパーテーションも見えるので、おそらくその向こうが実質的な事務所なのだろう。
「あれ、誰もいないのかな?」
明かりはついているが、人の気配がない。眼鏡の彼はずかずかと奥へ進んでいくが、さすがにそれを追う訳にもいかず、浩隆はその場に留まってどうしたものかと困り果てた。
「あ」
その時突然背後の扉が開き、入ってきたスーツ姿の青年とぶつかりそうになる。
「ああ政宗くん。居たの」
物音を聞き付けたのだろう、先程の眼鏡の彼がパーテーションの向こうから顔を覗かせた。
「伊達先生。珍しいですねこんな時間に」
「うん。ちょっと野暮用で市内まで出てきたから、たまには寄ってみようかなって」
「そうですか……で、こちらの方は?」
「いやぁ、エレベーターホールで呼び止められてね。『良縁協会』にご用みたいだから、案内したんだ」
「うちに?」
改めてこちらを向いたその面に、にわかに驚きが浮く。
「あなたは、確か」
そうして浩隆も気づいた。冬の仙台旅行の時、ショッピングモールで偶然出会い介抱した少女――彼女を心配し連れ帰った青年に間違いない。
「あの時はとんだご迷惑をおかけしました」
「いえ、そんな。大事がなくてよかったですよ」
本当にありがとうございました、と下げていた頭を上げ居住まいを正した彼と対峙する。
「申し遅れました。私は『東日本良縁協会仙台支局』で支局長を務めております、佐藤と申します」
「ご丁寧にありがとうございます。私は国枝といいます」
「国枝さん、ですか。今日はどういった御用件で?」
「あの、こちらに名杙という男性がお勤めかと思うのですが」
瞬間佐藤と名乗った彼の眉尻がひくりと動く。
「名杙は私の部下ですが、彼に何か?」
部下と言う自身も、自分とさほど歳は変わらないように見える。スタートアップ企業なのだろうかと疑念を抱きつつ、明らかに警戒している様子にかぶりを振って返した。
「約束をしていたわけではないんです。たまたま仕事で仙台に来たので、様子見に寄ろうかと思っただけで」
「そうでしたか。それはわざわざ……あいにく彼は今外に出ていまして。ご伝言を承るぐらいしかできませんが」
「いえ。こちらこそ、突然押しかけてすみませんでした」
それじゃあ、と土産の袋を差し出す。
「これを統治くんに渡していただけますか」
「ええ、それなら」
快く引き受けてくれた彼だったが、その実目は笑っていない。どこか底冷えのするそれに打たれて嫌な汗をかきつつ、失礼しますと挨拶を残しオフィスを出た。
「ふー……」
エレベーターホールまで戻ったところで、緊張感から解放され深い息をつく。
不思議な空間だった。コンサルティングを主とした企業だと聞いていたが、どうにも漂う雰囲気が腑に落ちない。
ともあれ用件は済み、予約しておいた新幹線の時間は間近に迫っている。
「仕方ない」
階数ランプを点滅させながら、降下してくるエレベーター。
到着したその扉が開くと同時に浩隆は小さく息をつき、思いを振り切ってカゴに乗り込んだ。
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ぽん。
到着を告げる電子音と共に扉が開く。フロアに降りるや、ふと動きが止まった。
ふいに感じた人の気配――いや残滓のようなもの。名杙統治は、不思議なその感覚に少し首を傾げた。
「統治、どげんしたと?」
「お兄様?」
一緒にカゴを降りた同僚の山本結果と妹の心愛が、計ったようなタイミングで同時に聞いてくる。
「何か買い忘れ?」
ペットボトル飲料やおやつの入ったコンビニ袋を軽く掲げた妹に、なんでもないと短く返してから、『東日本良縁協会仙台支局』のオフィスへと向かった。
「ただいまー」
「おー、おかえり」
「おかえり」
思いがけず、すぐそばから二人分の返事を返されて驚く。支局長である佐藤政宗の後方――パーテーションの傍で小さく手を振るもうひとり、伊達聖人の姿を見とめるやなおのこと驚いた。
「なして政宗がこっちに出てくつろいどると? それに伊達先生までなんばしよっと?」
「まぁ、ちょっと人を案内してきてね」
「まあ、ちょっと人が来ててな」
「お客さん?」
直接来訪なんて珍しい、と結果が首を傾げると、政宗は「そうじゃない」と軽く肩をすくめた。そうしておもむろに手にしていた紙袋を掲げる。
「ちょぉっと待ったぁー!」
びし、と小さな手の平を突き付け、結果がその先の言葉を制する。
「なんなんだよいきなり」
「ふっふっふー。全部言わんでも、名探偵ユカコナンにかかれば、この程度の謎くらいすぐに解決するんやけんね!!」
「はぁ?」
「真実はいつもひとーつ!」
台詞に合わせて、どこからともなく――パーテーションの向こう側に、何かごそごそやっている気配が感じられるが――やがて聞こえて来た刑事ドラマ風のBGMと突然の振りに、皆目が点になってしまう。
「ずばり、政宗に入れ込んでる女社長さんから、酒の差し入れなんやろっ!」
「ブブーッ。ぜんっぜんちがう」
「えっ? あ、あれっ? 違うと……?」
間髪入れずの否定。かくっ、と肩を落とす彼女にむかって「残念」と言わんばかりのジングルが響く中、政宗は複雑なため息をつき、それから気を取り直すと統治に紙袋を差し出した。
「ほれ、お前に土産だってよ」
「俺に? 誰が」
「さっき、国枝って人が訪ねて来たんだ。仕事で仙台に来たらし……」
「ここに来たのか?! 浩隆さんが!」
思いがけず出てしまった大声に、がっくり肩を垂れていた結果と、びっくりした様子の心愛が顔を見合わせる。
「いつ来た!」
「ついさっきだ。それこそお前たちが帰ってくるのと入れ代わりだな」
聞くなりコンビニ袋を放り投げ、すぐさまオフィスを出る。廊下を駆けてエレベーターホールまで出るが、点滅する階数ランプは既に地上近くまで降下しており、今からもう一基呼んだところで到底追いつけないだろう。
「すれ違い……」
先程ここで感じた人の気配は、おそらく彼のものだったのだ。あの時すぐに気づいていればと深いため息をつき、統治は事務所へと取り返す。落胆と共に「ただいま」と二度目のそれを口にしたところで、早速結果と心愛にずいっと迫られた。
「ねぇねぇ統治、国枝って誰?」
「一体誰なんですか、お兄様っ」
明らかに興味の浮いた顔。慣れない追求に戸惑っていると、政宗がそれを執り成すように小さなため息をついた。
「ケッカは前に会ってるぞ」
「へ?」
「ほら、冬にモールでヘタれたお前を介抱してくれた人だよ」
「んー……あっ! もしかして、あの凄い美人と一緒におったイケメン?」
直後両頬を押さえてこれ見よがしにジタバタしながら、へーほーとおかしな感嘆を漏らす。
「心愛だって、もう会ってる」
「どこで?」
「ページェントの時、コンビニで」
こちらも可愛らしく首を傾げて考え込む。
「んー……あっ! まさかあの時の凄い美人さんが連れてたイケメンお兄さん?」
どうしても美女の方が先に立つらしい。それぞれの記憶と合致し興奮している様子に、何故か自分が照れ臭くなって、統治は頭をかいた。
「統治」
しかし浮き立った空気を固い声が切り裂く。政宗から向けられる、明らかなる責めの視線。いずれこういう反応をされるだろうと予測していたはずなのに、今更ぎくりと肩を強張らせる。
「問題ない。浩隆さんはウチの本当の仕事には気づいてない。表向きの解説は済ませてあるし、それで納得している様子だった」
「そうは言っても」
「ここに来たのは、純然たる厚意からだと思う。彼にそれ以上の意図はないだろうし、下心を持って近づいてくるような人じゃない」
「しかし」
「ハイハイそれくらいにしとかんね、政宗」
結果が突然話に割って入ってくる。
「統治が自分から積極的に誰かと縁を繋ごうとしとるげな珍しかよ。一回きりのご対面やったけど、いい人みたいやし、そげん心配せんでもよかやんね」
「けど……」
「ま、今のその苛立ちは、あたしにはただの男の嫉妬に見えるっちゃけどねー」
ぎく、とあからさまな動揺が面に浮く。
「なっ、何馬鹿なこと言ってるんだ」
「名探偵ユカコナンの推理によると……ズバリ、一番の友達って座がグラグラしちゃうかもしれんって、心配なんでしょー?」
「そ……んなわけあるかッ! 子供じゃあるまいし!」
言いながら少しだけムキになる様子に、しょうがないなと統治はひとつ息をついて。
「佐藤」
「な、なんだよ」
「それは絶対に心配ない」
たった一言告げてやると、どこか安堵したような表情が現れた。
「あ、うん、そうか」
「政宗、安心したと?」
「うるさいぞケッカ!」
プイと拗ねた上司に絡み続ける同僚の図。始まったいつものじゃれあいに、統治も安堵しホッと息をついた。
「統治くん」
すると今度は聖人が声をかけてくる。
「先生も何か?」
「いや……彼、面白い存在だね」
「え」
「どうやら同じ分野の人のようだし……今度来るときには、是非僕にも声をかけてほしいな」
いろいろ聞いてみたいねと言うその目の奥に、好奇心とさまざまな何かが瞬いている。相変わらず探究熱心なことだと思いつつ、「考えておきます」と返したところで、ジャケットの裾を引かれる感覚に振り向いた。
「ねぇお兄様、お土産ってなにかな?」
「ああ、そうだな。折角だから開けてみなさい」
妹の言に、持っていた紙袋を引き渡す。応接テーブルの上で早速取り出された中身――そこには、爽やかな夏の空と同じ色の包み紙を纏った、さる名菓の名が印されていた。
「なんやろねー♪」
うきうきと呟きながら、結果も共に包み紙を剥いていく。平たい箱の蓋を開けると……
「おぉっ! なにこれ!」
手の平に乗るほどの、小さなひよこの形をした色とりどりのゼリーがそこに鎮座していた。
「可愛かー! ぎゃん可愛か!」
「ちっちゃい! 可愛い! なにこれ可愛い!」
「何が可愛いっすかー?」
上がるテンションに、突如割り込んできた第三者の声。きちんと来訪の挨拶をする柳井仁義をよそに、名倉里穂は早速輪に入ると土産に興じ始めた。
「いやぁぁぁ激かわいいっすー! こんなの罪っす! でも空腹には負けるっす! 遠慮なくいただきまーす!」
食べるんかい、と全員にツッコミを入れられ、改めて場が明るい笑いに包まれる。
「あれ? 小さい箱の方に『おすそわけにどうぞ』って書いてあるよ」
あ、と気づく。おそらく、冬に東京駅で会った時に話した事情から、色々察して気を遣ってくれたのだろう。
「お兄様、はいこれ」
そうして手渡された小さなゼリー。透き通った薄緑色のそれをしげしげと見つめ、目を細める。
「流石、あの人らしいな」
季節を読み人を思う心遣いと共にある、相変わらずのスイーツ男子――しっかりした教育の賜物だが――ぶりに、自然表情が緩みほどける。
「あれ、統治?」
すると、目ざとく気づいた結果が覗き込んできた。
「今、笑わなかった?」
「え」
「笑ったよねー。可愛い顔で」
まさかそんな評価を受けるとは思わず、にわかに頬が熱を帯びる。
「お兄様、照れてるの?」
「統治さんも、そんな顔するんですね……貴重な瞬間です」
目を丸くして見つめてくる仁義のそれに、どうにも熱くなるのを止められなくなる。
「……どうとでも言ってくれ」
半ば観念して言い切り、輪から離れて窓際に寄る。近接するビルの向こうに駅を望み、恐らくは帰路についただろう彼を思った。
そのときだ、小刻みに携帯が奮え出したため慌てて確認してみる。
「あ」
見慣れたステンドグラスを背景にした写真。添えられていたメッセージに、再び頬が緩む。
それから手にした小さなゼリーを掲げると、夕日に染まる街並を背景に一枚写真を撮った。
「次は、伊達前で」
地元で長く愛されてきた、待ち合わせの決まり文句。
『伊達前ってなに?』
そんな他愛ない疑問が返って来るのを期待しながらメッセージを送り、統治は再びのほのかな笑みを、仙台を去る彼の背中へと向けた。
劇中でヒロが買ってきたお土産はこちら↓
『ひよこプチデザート』
http://www.tokyo-hiyoko.co.jp/items/petit.html
夏限定の涼味。ぷるっとかわいいかたちで、食べるのがホントもったいない><
けど食べちゃうっス―――――――!!(里穂たん)