【水】 フユタビ(4)※
日曜日――帰郷の当日。
今回の旅のスポンサーである元同僚たちと宿泊した温泉宿で別れた後、市内に戻った二人は、昼食を済ませてから定禅寺通りへ向かった。
昼間とはいえイベントの期間中だ。案の定通りには人が集っており、夜とはまた違った、手の行き届いた並木本来の美しさ、そしてこれを抱く街の清々しさに改めて感じ入った。
そうして午後四時を回ったところで、夕暮れの色から宵闇に落ちゆく街を仙台駅に向かって歩く。帰宅途中だろう人々でごった返す中、百貨店のビルの傍から駅前高架に上ったところで、ふと香奈が立ち止まり小さな声を上げた。
「あ」
「どうしたの」
「……ううん、なんでも」
そうは言いながらも、視線は眼下に走る街道に向けられたままで。訝しげな横顔に、彼女の隣に並んで同じように風景を望み、首を傾げて促す。
「あの子がいたような気がしたの」
「誰?」
「おとといの夜、コンビニで会った女の子よ」
その言に、可愛らしいツインテールを揺らし、興味津々に自分を見つめていた瞳を思い出した。
「あのビルの辺りに。光の加減かな、髪がピンク色に見えたんだけど」
「え」
「ここからかなり距離もあるし、きっと見間違いよね。このぐらいの時間帯って、色んな世界が入り混じるって聞いたことがあるから」
珍しくオカルティックな話を持ち出されて驚く。誰そ彼――徐々に暗がりを増していく中では、確かに超自然な何かが導かれるのかもしれない。
「それってもしかして、再会願望の現われだったんじゃないのかな?」
面白がって話に便乗し、少し探るように聞いてみる。
「そうね……そうなのかも。折角旅先であんな素直なかわいい子に出会えたんだから、もう少し色んな話をしてみたかったかも」
コンビニ内で対峙した自分たちを眺めながら、楽しそうに顔を見合わせて笑っていた二人。あの出来事は彼女にとっても非常なる印象を残したらしい。
「行こうか」
名残惜しげな様子だがあえて振り切り手を差し出すと、うんと素直にぬくもりが重ねられた。
手を繋いだままで駅舎へ入る。賑わうコンコースを経由して進み、出発時間になるまではと、物産ブースで暇つぶしをすることに決めた。
「ご試食、いかがですか?」
地元の名産品が並ぶ一角でふらふらしていたところ、ふと傍らから声をかけられて驚く。見るとそこには、『いらっしゃいませ』と胸にかかれた黄色いエプロンを着けた、艶やかな長い髪の女性が立っていた。
「旅の思い出に、是非」
至極おっとりゆったりと、どこか雅びにも感じる口調。手にした盆に載せられた試食用の小皿をにこりと――どうにも断りきれない――笑顔で促されて一皿受け取る。そういえば食べていなかったなと省みて、爪楊枝の刺さった黄緑色の小さな塊を、浩隆はなんの違和感もなく口に運んだ。
予想通りの食感に甘い味、鼻から抜ける独特の香りをひととき味わった後、近くに居た彼女を呼んだ。
「カナちゃん」
土産を吟味していた目がこちらを向く。
「ずんだ餅、美味いよ」
「ずんだ餅?」
直後いぶかしげな顔が覗いたため解説を加えた。
「青豆をすり潰して作った餡を餅に絡めて出す、このあたりの郷土料理なんだ」
「そういえば『ずんだシェイク』って結構雑誌で紹介されてるわね。ところで『青豆』って?」
「ああ、枝豆のことを言うんだよ」
「そうなんだ。そんな独特な言い回しまでマスターしてるなんて、流石コンシェルジュね」
その言葉にはっとする。自分はいつそんな情報を覚えたのだろう。料理そのものを見るのも食べるのも初めてなのに――『予想通り』とは。
「どうして」
無意識のそれにざわりとする。咄嗟に頭を巡らすと、先程自分に皿を進めてくれた女性の姿が忽然と消えていた。ほんの直前までそこにいたと思ったのに。それどころか改めて見回してみると、彼女と同じ格好をした店員は一人として存在しなかった。
「ヒロ?」
不思議な感覚に捕われていたところを、近づいてきた香奈の声で引き戻される。いつもと変わらぬそれに心底安堵して、思わずありがとうと返した。
「どうしたの? 少し疲れた?」
不審な挙動に心配そうな表情で覗きこまれる。何でもないよと返し、冷静な思考を取り戻そうと、彼女が手にしたかごの中身に意識的に話を移した。
「牛タン味の……サイダー?」
あまりにも想像のつかないそれが目に付き、思わず眉をひそめる。
「ノーマルなお土産も買うけど、突飛なご当地モノもないとね。こういうのって記憶に残りやすいでしょ?」
果たして誰が犠牲になるのか。どうなることやらと苦笑しつつ、喜び勇んでレジに向かう背中を見送った。
その後首尾よくずんだシェイクにありつき、頃合いを見て新幹線ホームへと上がる。暗転と共にますます冷え込む空気にさらされ、小さく震えた香奈の肩に手を回すと少し自分の方へと引き寄せた。
「明日から、またいつもの生活に戻るのよね」
「ああ」
「ちょっと、寂しいな」
楽しい時間は過ぎるのが早い。今回のように多くの出会いがある場合はなおさらだ。
「いろいろ、あったよね」
様々なシーンを脳裏に浮かべつつ、呟いた自身の言葉がことのほか響いてちくりと胸が痛む。ホームの窓から電飾の輝き始めた街並みを眺めていると、そのはるか向こうの空に一糸残った琥珀色に思い出を――出会った『分身』の姿を――垣間見た気がした。
「……」
直後唇に乗り、声にならずに散ったそのかけら。
列車の到着と共に流れてきた緩やかな風に、徐々に遠退いてゆく夢の時間を自覚して。そうして目の前で開いた現実世界への扉をくぐりながら、ひそやかに、今度は心の中で告げた。
仙台――忘れようもないこの地との、ひとときの別れを。
そして。
また、いつか、と。