【水】 フユタビ(3)※
「ではよろしく。スポンサーさん」
にこにこと満面笑顔の香奈に、苦笑しつつ「はい」と答える。
ここは仙台市内某所。昨日の午後、着の身着のままで始まった旅は、二日目にしてある意味最大のヤマ場を迎えていた。
『一切何も持たずに来たんだし、もちろん、誂えてくれるのよね』
夕べ宿泊したホテルで朝食を取りながらの宣告。そうだったと今更のように気づいて、自分の衝動的で浅はかな行動を少し反省する。
が時既に遅し。駅前からバスに乗り、たどり着いた大型のショッピングモールはまさにクリスマス商戦一色。きらびやかなディスプレイと華々しい商品の数々に、彼女の目が一層きらきらと輝いた。
「よーし、買うわよ!」
鬨の声を上げずんずん進んでいく彼女に、執事よろしくただひたすら付き従う。
こうなったのもある意味自業自得だと、始めこそ自分をなだめ小さなため息もついたが、うきうきと楽しそうな様子に、まんざらでもないなと気持ちを改めた。
時折立ち止まっては品定めし、試着した姿を見せられ感想を問われる。基本何を着ても似合うと思っているから、改めて評する余地などないのだけれど……ファッションショーよろしく、次々と印象の違う姿を見られる機会などそうそうないわけで。おかげで待ち時間までもが楽しくなり、頬と財布の紐はすっかり緩みっぱなしになった。
「これ、どう?」
何軒目の店だったろう、もはや何度目か分からなくなるほど繰り返された台詞を、それまでには見られなかった恥じらいとともに向けられた。
「うん、似合うよ」
店員に見繕ってもらったひと揃い。ゆったりと首元にドレープを描くセーター。スカートとのバランスもいいし、持参したコートやブーツ、小物類とも合いそうだ。
「変じゃない?」
重ねて聞いてくる。
「全然」
「そう? じゃぁ、これに決めようかな」
少しだけうかがうような様子に、どうしたの、と首を傾げた。
「これに着替えてから出てもいい?」
「ああ。構わないけど」
「これなら落ち着いて見えるし、初対面でも印象悪くしないで済むかなって」
「え」
「だって、これからヒロの職場の人たちに合うんでしょ?」
そういうことか、とそこで気づく。だから今まで吟味して、何度も自分に問いながら選んでいたのだ。
「気にすることなんてなかったのに」
「そうはいかないわよ。きちんとした格好で会いたかったし」
近くに居た店員を呼び、「このまま着て帰れますか」と早速確認すると、店員は「ありがとうございます」と俄然笑顔になった。
「色々連れまわして……たくさん買わせちゃってごめんね」
すっかり着替えて店を出てから、そんなことを言う。そうは言っても、実際買ったのは旅行用品が少しと二日分の双方の衣類ぐらいで、合わせて調達したスーツケースに収まる程度だ。
「全然構わないよ。でもそう思ってくれてるなら、今度は僕の買い物にも付き合って」
「え」
「待ち合わせまでもう少しだけ時間があるし……せっかくの機会なんだ、アクセサリーぐらいプレゼントさせてよ」
ね、と促すと彼女が満面の笑みを浮かべた。
そうして改めて店内を回る。ざわざわとした人の往来の中、ジュエリーショップはどこだったかなと通路を進んでいたその時、ふと彼女が袖を引いてきた。
「ねぇ、ヒロ」
「ん?」
「あのね、あれ」
店舗と店舗の間、裏階段に繋がるちょっとした通路に、ベンチに座った少女の姿が見えた。
「なんだか様子が……ちょっと、見てくる」
言うなりすぐさま駆け出す。後を追って近づいていくと、明らかに顔色が悪いのが分かった。
「大丈夫? 気分悪いの?」
しゃがみこんで彼女が声をかけると、少女が壁にくったりと身体を預けたまま少し顔を上げた。
「平気。心配要らないから」
キャスケットを深く被った小学生ぐらいに見える彼女。浅い呼吸に、指先がかさつき、唇が青ざめている。でもと言いかけて、香奈が何かに気づいた様子を見せた。
「多分、脱水だわ」
「え」
「冬はただでさえ乾燥するのに、モールの中なんて尚更気をつけなきゃ、空調だけですぐにカラカラよ。ヒロはここに居てこの子を見てて。あたしその辺で買ってくるから」
「え、カナちゃん?」
止める間もなく走り出した後ろ姿を見送ってから、再び少女を振り返りしゃがみこんだ。
「大丈夫かい?」
「あれ……統治?」
意識はしっかりしていることを反応で覚る。けれどその口から飛び出した単語に心底驚いた。
「なんで統治がこげなところに? もしかして、気付いとったと?」
「え、あの」
「政宗に知られたら……あの親バカ宗、絶対余計な心配するから……だから黙っとったとに。結局統治には全部お見通しやったってことか。さすが、名杙の次期当主だけのことはあるわ」
ふわふわとした言いように、今の彼女に見えているのが自分でないことだけは確信する。
「さっきのお姉さん……いつの間に、あげな美人とお近づきになっとったとやか。隅におけんね。心愛ちゃんや櫻子さんに白い目で見られても知らんけんねー」
かすかな含み笑いと共に続く語り。どう反応していいのか分からず思考が完全に止まる。『統治』に『心愛』――明らかに昨日耳にしたばかりのフレーズに鼓動が高まった。
「君は何か知ってるのか? 彼は……」
「ヒロ!」
問おうとしたところで背後から声がかかる。振り返ると香奈が何か手にして駆け寄ってくるのが見えた。
「とりあえず、これをゆっくり飲ませてあげて」
差し出されたミネラルウォーター。すぐさまそれを開けて少しずつ少女に含ませる。むせることもなくこくこくと喉が上下し、一息つくとやがて少女の呼吸が安定してきたように思えた。
さすがは生化学分野の人間。いや自分だってそうだから同じことができたはずなのだが、どうやら思いのほか動揺してしまっていたらしい。
「飲みながら休んでいれば大丈夫だと思うけど……少し様子を見ていようか」
「そうね」
このまま放っては置けないと、倒れないよう少女を挟んで両側に腰掛ける。
「……あ……」
しばらくすると、ふと小さな声があがった。
「あれ、あたし、なんで……」
そうして、両隣の自分たちに気づく。
「お二人が、助けてくれたんですか?」
「助けるってほどのことはしてないけど……気分はどう?」
「あ……もう、大丈夫、です」
「よかった。あまり酷いようなら助けを呼ぼうと思ってたんだ」
安堵しつつ笑みを向けると、少女が怪訝そうな顔でこちらを見つめてきた。
「お兄さん、あなた」
「ケッカ!」
その時突然鋭い声が廊下に響き、こちらに猛ダッシュしてくる青年が見えた。
「お前、こんなとこでなにやってんだ!」
「何って……見ての通り『仕事』やろうもん。見て分からんと?」
「この時期は面倒なヤツが多いから、対応は必ず二人でやるぞって言っておいただろうが!」
「前にも言ったけど、あげな非効率的なやり方じゃ、いつまでたっても終わらんやろうが。だからあたしがこうして……」
「そういう問題じゃない! お前に何かあったら……」
あからさまな狼狽と怒りが混在したまま責め続ける青年、そしてそれを半ば冷めた目で受け止める少女。『仕事』との言だが、どういう関係なのだろうか。全く関連性が分からず場の空気に戸惑っていると、それに気づいたらしい少女が、深いため息と共に「まぁまぁ」と青年を押し止めた。
「ざっくり状況を説明すると、あたしがちょーっと頑張りすぎてヘタっとったところを、親切なこの二人に助けてもらったと」
「あ……そう、でしたか。すみません、コイツの暴走でご迷惑をおかけしました」
冷静さを取り戻した彼に、丁寧に頭を下げられ恐縮する。
「いえ、先に気づいたのは妻なんですが……でも、何事もなくてよかった。大分顔色も良くなってきたみたいだし。若さですかね、回復が早い」
返すと、頭を上げた青年が驚いたような表情を見せた。
「あの」
「はい?」
「……いえ、すみません。ちょっと、知り合いに声が似ていたものですから」
ぽりぽりと頭をかく彼に、少女が問い掛ける。
「そうだ政宗、この辺に統治おらんかった?」
「え、なんであいつが」
「なんか、さっきこの近くにおったような気がしたっちゃけど……」
三度飛び出したフレーズに、こちらも勢いこんで詰め寄る。
「あの!」
「何か?」
「『統治』というのは、僕と同じぐらいの歳の男性のことですか? 少し、癖のある髪の」
すると一瞬で二人の表情が引き締まった。
「おいケッカ、お前、この人に何か言ったのか」
「いや、何も言っとらん……と思うよ……多分」
明らかに緊張を宿した声色に、どう説明したものかと思案する。その隙を察してか、青年が少女を半ば強引に背負って立ち上がった。
「ご親切にありがとうございました。では、これで失礼します」
くるりときびすを返して足早に去っていく。取り付く島もないそれに、ただただ見送ることしかできなかった。途中少女がこちらをちらと振り向いたが、声を出すわけでもなく、やがて二人の姿はモールの雑踏に紛れて見えなくなってしまった。
「……ヒロ?」
ふと、香奈が触れてくる。ああ、なんでもないよと返しながら、その実内心ざわざわとしていた。
最後に向けられたその目。
そこに不穏に灯った光が脳裏に焼きつき、心の中にうっすらと影を落とた気がした。