【水】 フユタビ(2) ※
とにかく初めて体験するイベントだ、近くの公園でパンフレットをゲットし、丁度出ていた出店で軽い食事を取りながらプランを練ることにした。
「それにしてもすごい人出ね」
見る間に通りに人が溢れる。絶え間無く次々押し寄せてくる様子を見ながら、半ば納得した。
「このシチュエーションならそうなるわよね……」
確実にこれは女の子が好きなやつだ。クリスマス間近の寒々しいこの時季、夜の通りに突然現れる光の街道。ロマンチックという言葉が完全にマッチした、現実離れした美しい世界に、心惹かれぬはずがなく。現に、周囲にはいかにもという男女の姿が多い。会場周辺の宿はどこもかしこもきっと満室なんだろうなと何となしに考えていると、ふと背後で声が響いた。
「奥村先輩! あたしここのスケートリンクに行きたいです!」
あまりに元気なそれに驚き、思わず二人してそちらを見やる。すると声の主だろうか、制服らしいスカートに厚手のコート、毛糸の帽子に手袋マフラーと完全防備でパンフレットを持った少女が、こちらの視線を受け止めて「あ」と気まずそうな表情を見せた。
「うるさくてすみません。こいつ、無駄に声がデカくて」
彼女の隣にいた、おそらくはこちらも同じ高校生だろう少年が軽く頭を下げ詫びてくる。
「ううん、別にいいのよ」
「いえっ、すみませんでした!」
ぺこりと音がしそうなくらいの勢いで少女に頭を下げられる。直後くるりと体の向きを変えるや、先に歩き出していた少年に掴みかかっていった。
「ちょっと先輩、無駄に声がデカいってどういうことですか!」
「そのままの意味だ。それに、滑るのはお前の技だけで十分。これ以上はやめろ。命に係わる」
「先輩、酷い……」
冷たい言い草に、少女が少し泣きそうな声を出す。一見冷静を装っているように見えた少年だったが、その瞬間肩を強張らせたのが分かった。
「巻き込まれたとはいえ折角仙台にまで遠出してきて、偶然見つけた素敵なイベントだっていうのに……」
「いや、その」
「さっきのイケメンお兄さんみたいな優しげな雰囲気とか、気の利いた台詞とか、たまにはそういうの醸し出してくれたらどうなんですか」
さめざめとした様子が拍車をかける。
「それは……だって俺、そういうキャラじゃないし……」
あわあわと戸惑う少年。もはや完全に少女に歩があった。その後も何かやり取りしながら、今いる広場の奥にあるらしいリンクに向かって遠ざかっていく姿を見送る。
「若いなぁ。初々しい」
「いいわね、青春て」
「カナちゃん、それはちょっとあまりにも」
含んだ言いようにむっとして、軽いパンチをかましてやった。
「さて、そろそろ移動しようか」
わざとらしく頬をさすりながら立ち上がった彼を追う。溢れ出る人の間に紛れ込み、ゆっくりとイルミネーションを眺めながら歩いた。
「この先の交差点あたりに『光の歩道』っていうのがあるらしいよ」
時々パンフレットを見ながら差し込まれる案内。コンシェルジュ役を任せ、自分は主人然と楽しむことに決めて彼の腕に擦り寄った。
「どうしたの」
「……ちょっと、ね」
どうやら周囲の甘い雰囲気にほだされてしまったらしい。たまには流されてみようかな、というそんな欲求を察してくれたのか、彼も自ら腕を差し出してきた。
「空いてますから、ご自由にお使いください」
「うん」
素直に腕を絡ませ、寄り添って歩き出す。通りの中ほどで一斉点灯に遭遇し、改めてライトアップ演出の素晴らしさに感じ入ったり、あちこちで演奏されている即興ライブを見たり。周囲から上がるさまざまな歓声、時折聞こえてくる東北の柔らかな訛りや、ふとどこからか聞こえてきた九州のニュアンス、さまざまな人の行き交う中に身を置きながら、通りをゆっくりと周りひとときの異世界を堪能する。つい先程まで仕事をしていた自分が嘘のような夢心地にとらわれ、次に時計を見た時には、到着から数時間以上が過ぎてしまっていた。
「……さむい」
ごくかすかな彼の呟き。マフラーに半ば埋めたその頬が震えているのがわかった。
「そろそろ、帰る?」
イベント自体はかなり堪能したし、実際大満足だ。こちらから切り出すや、どこかほっとした顔になる。
「もしかして、寒いのを我慢してくれてたの?」
「いや、別に」
バレバレじゃないの、と呆れながらもほんの少し罪悪感を抱いて。
「部屋に戻ったら、何か二人で食べよっか」
長い時間付き合わせたせめてもの詫びとサプライズのお礼に、アルコールと彼の好きな物を買って帰ろう。そんな申し出に途端にその顔が華やいだ。
「じゃあ、ケーキも食べたいな」
以外に甘党な彼らしいチョイス。はいはいと付き合いながら、一路宿へ向かって歩き出した。
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「今夜はシティホテルだけど、明日は先輩たちと合流する予定なんだ。郊外の温泉地に皆で泊まって宴会だって言ってたよ」
「温泉? なんだかすごい豪華なもてなしね……」
「どうやら僕らの部屋には露天風呂までついてるらしいよ」
ひそりと耳元で囁かれる情報。頬を赤くするとくすりと笑われる。
「元々そういうセッティングが好きな人達だし、『嫁さんを全面公開してくれるのと引き換えだ』って念を押されてるから。明日の夜は覚悟してて」
そう言われてにわかに緊張するが、彼はどこか嬉しげだった。
「楽しそうね」
ああ、と口元がほころぶ。
「だって、どこまでも際限なく自慢できる機会だから」
さらっととんでもなく恥ずかしい台詞を吐いてくれる。
「ばか」
ニヤつく顔に非難を被せつつ、宿泊先までの道中、最寄りらしいコンビニに立ち寄る。自動ドアが開くなり、ふわっと暖かな空気に肌をなぜられなんとなくほっとしたが、イベント期間中なこともあり、店内はかなりごった返していた。
「とりあえず、ヒロは飲み物と何か適当に見繕ってきて」
そういう方面は彼に任せるに限る。言うなり自分は、スイーツコーナーへと向かった。
最近のコンビニスイーツが侮れないことは、職場のおやつで経験済みだ。ケーキの類も種類が豊富で目移りする。どれにしようかと立ち止まって冷蔵ケースを覗き込み、しばし思案した。
ベルギー生チョコケーキ……でも安納芋モンブランも捨て難いし……あ、チーズスフレも美味しそう。
でも、やっぱり。
「苺ショートが定番だな」
「そうよね、やっぱり苺ショートが鉄板よね」
傍らから聞こえてきた彼の声に即座に返す。
「え」
直後向けられた反応に違和感を覚え、改めて声の主を見た。
「え?」
こちらも思わず声が漏れる。隣にいたのは彼ではなく、全く別の青年だったのだ。歳のころは同じぐらいだろうか、背が高く、少し癖のある髪に切れ長の目が驚きを点してこちらを見ている。
「あ、ごめんなさい! 勘違いしちゃって」
全くの人違いを慌てて謝る。
「いえ」
ごく短いその返事に、あれ、と気づく。
なんだか、声が……。
「お兄様! 統治お兄様っ!」
その時突然高い声が響き渡り、二人して同時にそちらを見る。すると、愛らしい面差しの小柄な少女が、ツインテールを揺らしてダッシュしてくるのが見えた。
「え、ヒロ?」
その彼女に半ば引きずられるようにして彼もやってくる。苦笑しきりの様子に視線で問うと、困ったように頭をぽりぽりとかいた。
「この子が手袋を片方落としたから拾ってあげたんだけど……」
「このお兄さん、お兄様の声にすごく似てません?」
彼の説明に少女のいささか興奮気味なそれが被る。ずいっと迫ってくるさまに、青年――少女の言では『統治』という名らしい――は小さくため息をついた。
「心愛、少し落ち着きなさい。皆さんが困っているだろう」
「あ、ほんとにそっくり」
改めてよく聴くと、先程の勘違いも納得できる。声の質感というか響きというか、雰囲気が酷似していて何度でも間違えてしまいそうだ。
「ね、お姉さんもそう思いますよね!」
「心愛、よしなさい」
「本当だ。自分で言うのもなんだけど随分似てるね」
驚いた顔で浩隆が同意を示すと、青年の顔に少しの照れが浮いた。
「……そう、でしょうか。だとしたら凄い偶然ですね」
「そうだね」
「あの、県外の方ですか?」
「え、ああ。でもどうして」
「訛りがまったくないので。地元の人間だと、どうしても出てしまうものですから」
「そうか……でも、こちらのイントネーションは、なんだか柔らかくて心地好い気がするよ。聞いていて和むっていうか」
「そうですか? 東北の中でも割と特徴的な方だと思いますけど……」
なんとなしに続く会話。まるで一人芝居のように聞こえるそれに、少女と二人で顔を見合わせる。
「不思議ね」
「はい。なんだかとっても不思議です」
くすくす小さく笑っていると、彼らもこちらの視線に気づいたらしく、ほんのりと照れ笑いを浮かべた。
「お兄様」
ケーキ、と少女が待ち切れなくなったふうに促す。青年は思い出したように苺ショートの二個入りパックを手に取った。
「すみませんでした。お引き止めしてしまって」
「いや、構わないよ。かえって地元の人と話せて楽しかった」
「どうぞ、ごゆっくり」
「仙台観光、楽しんでくださいね」
最後に少女が可愛らしい笑顔を見せ、そうして二人は去って行く。並ぶ後ろ姿を見ながら、ちらと彼を窺い見た。
「びっくりした」
「ああ、驚いたよ。まさかあんなに似てるなんてね」
声がそうなら好みなんかも似てるのかしら、と想像したところで、彼がおもむろに手を伸ばす。
「ケーキ、これでいいかな?」
手に取ったのは、先程の青年と同じ苺ショートの二個セット。予想に違わぬ行動に、思わずぷっと吹き出した。
「なに?」
「ううん、なんでも」
くすくす笑いながら彼の持つカゴの中身をあらためる。ワインの小瓶にチーズ、生ハム、そしてカップ入りのカット野菜にフルーツ。これだけあれば十分だ。
「じゃあ、早く買って行こ?」
そうして彼の手を強く引く。
「フユタビは、これからが本番なんだからね!」