【水】 フユタビⅡ(4) ※
午前11時。東京駅の地下階、グランスタ内のカフェテリアで、浩隆と統治はコーヒーを手に向かい合っていた。
「やーごめんね統治くん。今朝は見事に寝ぼけちゃってたよ」
数時間前、自分の身に降り掛かった災難を思い起こし、統治は眉間に小さなシワを寄せる。
「浩隆さんがあんなに寝起きが悪いとは意外でした。まさかとは思いますが……毎朝香奈さんにあんなことを?」
「えっ?! いや、そんなことは」
「してるんですね?」
「……はい」
隠しきれないと思ったのか、あっさり白状し顔を赤らめた浩隆に、統治は呆れとも羨望とも言えようため息をついた。
「とても仲の良い、本当にお互いが唯一無二のご夫婦なんですね」
様々を経て強く結ばれた二人だというのは以前にも感じたことだったが、今朝朝食を共にしたとき、並んで座る二人と向かい合わせてその『縁』を見て、上辺ではない、とても奥深いところで繋がりあっている二人なのだと改めて認識したのだ。
「あんなに綺麗な『縁』なんて、そうそうお目にかかれませんから」
ぼそりとひとりごつ。
「ん?」
「いえ、なんでも。ただひたすらに、ありのままに、共にいられる強さを持てるというのは羨ましい限りだなと」
その言葉の中に何事かを覚ったのか。浩隆がカップを口元に運んで最後の一口を飲み干した。
「作れると思うよ」
「え」
「一癖も二癖もある僕らにだって掴めたんだ。統治くんならきっと大丈夫だと思う。それにね」
「それに?」
「彼女とならその過程を一緒に辿れる、願いを共にして歩んでいきたいって、そう思っているんじゃないの? その思い自体が二人を繋ぐ強さになると僕は思う。実際どのくらいの期間がかかるかはわからないけど……せめて僕らにも応援をさせてくれないかな」
ね、と微笑んだ彼につられて、統治も少し表情を緩めた。
「敵いませんよ、本当に」
「実際そんなふうに見えるよ。もう離れられないのは確実なんだろうから……だからなおさら、お土産は真剣に考えて渡さないとね! 女性の心を掴んでおくには、惜しみない努力が必要だよ!」
力強く言い、空のカップを手に立ち上がって移動を促す。俄然気合が入ったふうのその背を追いながら、統治は「あなたのことですよ」と内心ひとり苦笑した。
新幹線の席は既に予約してある。正午前には発つ列車なので、残り時間をかけて、良縁協会の仲間達と彼女へ渡す土産を見繕うことになった。
以前と同様に浩隆から情報を提供してもらい、職場への土産を首尾よく手に入れた後、残る一つをーー彼女の分を選ぶため、二人は銀の鈴広場の前にある和菓子店へと向かった。
「これですか」
うんと返答を得つつ、ショーケースの中に並んだ商品のサンプルをしげしげと見つめる。
「『鈴もなか』はここでしか取り扱ってないし、東京駅ナカお土産ランキングにも入る有名なお菓子なんだ。求肥入りの餡がとにかく美味しくてね。見た目も可愛いから、和菓子が好きな女性にはもってこいだと思うな」
確かにと同意しながら、ふと隣に並べられたもうひとつのパッケージに視線が吸い寄せられる。
「そっちは色んな味の餡が包まれてる最中。一口サイズで色合いが華やかだから、僕もよく手土産に使うし、香奈ちゃんも『かわいい』って大好きなお菓子なんだよ」
なるほどと返して少しの間考える。実績と愛好者の推しに勝るものはない。まして二人のそれなら間違いはなし、言うことなしだろう。
そうして決意し顔を上げると、店員が察してこちらに近づいて来たところで声をかける。
「「『花元町』をひと箱ください」」
瞬間重なって響いた声に驚き、直後そちらに目を向ける。
「え……」
どうやら向こうも気づいたらしい。すぐ近くに立っていた、黒いコートに制帽姿の長髪長身の青年は、鳶色の目に驚愕を灯してこちらを見ている。
「どちらさまも、こちらでよろしいですか?」
「「あ、はい」」
店員の商品確認に答える声が再び重なり、そうして改めて顔を見合わせ確信した。
ーー似ている。
それは仙台で浩隆と初めて出会った時に感じたのと同じもの。相手もどうやら同じ感覚を抱いたらしい。だが疑念が勝るのか、視線にそれが透けて出ていた。
「統治くん、どうかした?」
自分の背後に立っていた浩隆から声がかかるや、長髪の彼の表情が明らかな警戒に移行する。どう説明していいものかと迷っていると、店員が商品の入った紙袋を2つ手にして近づいてきた。
「あの、お先にどうぞ」
「……すまない。ありがとう」
咄嗟の判断で先を譲る。すると長髪の彼は警戒を続けながらも、存外素直にそれを受け入れた。そうして代金を払い袋を受け取ると、同じ格好で現れた黒髪短髪の青年と共に店を去っていった。
「あの、お客様?」
「えっ。ああ、すみません」
その後ろ姿をしばし呆然と見送った後、戸惑う店員の声に我に返った統治は、自分も支払いを済ませて商品を受け取り店を出た。
「不思議なことがあるもんだね」
地上階へのエスカレーターを上がり、東北新幹線の乗り換え口に向かう道すがら、浩隆が声をかけてくる。
「世界には自分に似た人間が三人は居るって言われてるけど……案外本当なのかもしれない」
都市伝説の類ではあろうが、信じたい気持ちにさせられる。今回ばかりはさすがの浩隆にも思うところがあったらしく、面には明らかな訝しさが現れていた。
「浩隆さん」
乗り換え改札の前にたどり着くと、一度立ち止まって彼を振り返る。
「昨夜もお話しましたが……身辺で気になることが起こったら、俺に連絡をください。多少なりとも力になれることがあるかもしれませんから」
何かがーー重大な何かが起こる前に。
最悪の想定を持って拳を強く握り、その緊迫感を乗せて伝えると、頷きがひとつ返ってきた。
「わかった。ありがとう、統治くん」
至極真剣に受け止め、それからすっと右手を差し出してくる。その手に自分のそれを重ねると強く握り返した。
「また絶対に会おうね。それまで元気で」
「はい、浩隆さんも。香奈さんにも、よろしくお伝えください」
「ああ」
お世話になりました、と頭を下げてから身を翻す。改札を通った後で一度振り返ると、小さく手を振り送ってくれる彼に会釈を返し、それからホームへ続くエスカレーターに乗った。
ほどなく緊張が身を包む。数多の国、数多の人が利用するこの駅はいわば世界の交点。どんな出会いや遭遇があってもおかしくはない。
けれど。
どうにも偶然が過ぎやしないか?
改めて自分に問いかけた刹那身震いが起こり、頭を振って不安を追いやる。そうしてホームに上がるなり、すぐそばで到着待ちに並ぶ列が目に入ったが、その中に先程見かけた二人を認めてギクリとした。
短髪と長髪の、とても良く似た背格好と佇まいの青年たち。精悍な顔つきと鍛えられた身体。明らかに武芸を修得している黒いコート姿は、改めて見ると海外のーー欧州周辺の、騎士文化の根付くいずれかの国の軍人のようにも見えた。
「手土産に何を買ったんだ?」
「最中だ。繭のヤツ、これが好物だって前に言ってたろ」
「ふうん。流石は情報通。なんだかんだ言いながら、ちゃんと好きなものを覚えていて、それを持参するなんて……素直に『お慕い申し上げます母上様』って言えばいいのに」
「馬鹿、そんなんじゃねぇよ。今のうちに恩を売っておかねぇと、何を無茶振りしてくるかわかったもんじゃねぇからな、あの繭玉」
どこか照れくさそうに悪態をつく長髪の彼。すれ違いざまにその声を耳にし、一度瞬きをして『切り替えて』から自分の手と相手の姿を見つめる。
見えない、か。
自分と繋がる線ーー関係縁は今のところまったく見えない。けれど浩隆という前例を得た今は、それが判断にあたって100%の確実性を持つものではないという認識もある。以前雛菊からは現状心配いらないとは言われているが、やはり不安は完全には拭えない。
自分を支点にして集う、『要素』を同じくする者。
繋がり、重なり合う異世界。
もしかしたら、他にもーー今後も?
そう考えて背筋を駆け上がってきた悪寒。ざわざわと心を揺さぶる何か。
「なにをしようと言うんだ」
『高次元の存在』とやらが編む、何らかの図式。
どこへ向かうか、何か起こるか。
ホームに滑り込んできた車体を前に口元を引き締め、統治は一路北へと還るそれにゆっくりと乗り込むと、数多の縁の渦巻く東京をあとにした。