【水】 フユタビⅡ(2) ※
「あー、美味い!」
夜九時。浩隆の自宅のダイニングキッチン。テーブルの向こう側に座った彼が、満足げな笑顔を見せた。
「どれも本当においしいよ。統治くんって料理が上手いんだね」
ありがとうございます、と向かい合う統治に向かって、傍にあったガラスの徳利から、同じ素材の盃に中身を注ぐ。
「おいしそうなセリ鍋が出てきたかと思えば、次々手早く作っちゃうし」
「東京には、東北各県のアンテナショップがたくさんありますからね。材料さえ揃えられればこのぐらいはすぐにできますよ」
言いながら改めてテーブルの上を眺める彼に倣った。
小さめの土鍋に作られたセリ鍋に、サバ缶と白菜と麩のアヒージョ、南部せんべいにばくらいを乗せたカナッペ、のし梅と煎りじゃこのせ冷奴、きりたんぽの肉巻き、角切り山芋とりんごのサラダ、そしてデザートには、玉羊羹と、統治お手製酪王カフェオレのゼリーが冷蔵庫に控えている。
「豪華だなぁ……これは俄然進んじゃうな」
言いながら自身も手酌で酒を注ぐ。
「これだけの品数を、手際よく調理できるのはすごいよ」
「きっと慣れですね。食事の世話をしなきゃならない、迷惑な友人がいるんですが……彼らのおかげで、おかずや酒に合うつまみ、それにスイーツも、大分レパートリーを覚えさせられましたから」
そうなんだ、と盃から唇を離し浩隆が小さく笑った。
「楽しそうだね」
「え」
「だって統治くん、迷惑だって言いながら嬉しそうな顔をしてるから。よっぽど作り甲斐があるんだろうなって」
思わぬ指摘を受けてぐっと言葉に詰まる。そんな反応すら楽しんでいるかのような視線に、少し耳が熱くなるのがわかった。
「と……ところで浩隆さん、それは」
照れ隠しに話題を替えると、ああ、と彼がテーブルの端に目をやる。
「さっき寄った岩手と福島のアンテナショップで見つけたんだ」
小さな繭細工のうさぎに、起き上がり小法師の民芸品。
「前に仙台を旅して以来、カナちゃんの中で俄然東北熱が高まったみたいでね。色々雑貨なんかを集めてるんだよ」
言いながらリビングのスツールに視線を流す。割合こざっぱりと整然とした室内で、そこだけが万色取り揃えられて華やかだ。
「立ち寄った温泉も大層気に入った様子でね。また行きたいなって常々言ってるよ」
「そうですか」
冬の仙台での出会い。あの時の情景が脳裏にふと蘇る。
「そうそう。この間なんか、仕事先で偶然東北の人と居合わせたらしくてね。『やっぱり何かご縁があるのかも』なんて言っていたなぁ」
何気なく放たれたその言葉に、統治はかすかに身体をこわばらせ、箸でつまんでいた鍋の具を取り落とした。
「どうしたの?」
「いえ……」
単純なる偶然ならなんの問題もない。東京には方々から人が集まるのだから、そんな遭遇があってもなんら不自然ではない。
けれど。
そうして過去、とある人物と交わした会話が思い起こされる。
『高次元の存在が』
彼女は――雛菊ははっきりとそう言っていた。フィクサーたる見えざる存在。己の力の及ばぬ何かが故意に引きよせた『縁』なのだとしたら、それは一概に良い影響ばかりもたらすとも言えなくなるだろう。
そして今この時ですら、何らかの結末に向かって誘導されているのだとしたら……。
「浩隆さん」
「ん?」
「ちょっと聞いてもいいですか」
「なんだい?」
「どうしてあの冬、旅の目的地に仙台を選んだんです?」
その問いに、浩隆が盃を置いて腕を組む。
「なにか興味を持つきっかけでもありましたか?」
「そうだなぁ。経緯は前にも話したと思うけど、直接的には『雑誌で見た』からかな。ウチの社内に休憩スペースがあるんだけど、そこに旅行雑誌が置きっぱなしになっていてね。全国各地のイルミネーションを特集した記事が載っていたから、なんとなしに読んだんだ。光のページェントの写真もあって、それがすごく綺麗で印象的だったから、いつか行けたらいいなって思ったんだけど……まさかその後すぐに叶うなんて思わなかったよ」
「そうですか」
聞く限りでは至って偶然の産物。そこに恣意的な要素は覗えない。そのような状況ならば、わざわざ疑う要素はなさそうだなと、統治はひとまずホッとして自分の手を見つめた。
出会って以降、新たに生まれでた関係縁。しっかりと二人の間に繋がったそれに、不思議な安心感を覚える。
「あの時、統治くんと初めて会った夜」
「え」
「本当に他人の気がしなかったんだ。凄く非科学的な感覚なんだけど……君が、仙台という土地で生きている僕の分身のような……ドッペルゲンガーとでも言えばいいのかな?」
似ているのは声だけではない、もっと根本的な……そう思わせる何かがあった。強く引き、惹かれる何かがあった。
「これってきっと『ご縁』なんだろうね」
そう素直に結論づけて微笑んだ浩隆に、統治は少しだけ笑みを返し、そして新たな決意を秘めつつ返した。
「浩隆さん、お願いがあります」
「ん?」
「もしも……もしも今後、身の回りで何か不可思議な、不審なことが起こったら、その時は俺に連絡をください」
「え?」
「どんな些細なことでも構いません。普通とは何かが違う、あり得ないと気づいたら、その時点で連絡をください。すべてを解決できるわけではないでしょうが、力にはなれるかもしれませんから」
「どうしたの急に。何か気になることでもあるの?」
その質問に統治は押し黙った。詳細を伝えずに一方的な要求をしている、それは卑怯だという自覚もある。しかし今は答えようもなかった。
だが、守りたいと思う気持ちに偽りはない。
「わかった」
何も言わないうちにも、浩隆は何かを察してくれたらしい。そうして少し身を乗り出すと、その手を自分の頭に載せてきた。なだめるように軽く叩いてくるその手の温かみを――ずいぶん昔から知っているような気がして、すこし心が救われた。
「とりあえず飲もう? せっかくの手作り料理が冷めちゃうし、この機会に、存分に男子会を堪能しないと」
触れていた手を引き、徳利を再び手にしてニコリと笑う。逆らえずに盃を差し出すと、なみなみとおかわりを注がれた。
「美味しいね、この『浦霞 禅』って」
ラベルを見ながらの言に、地元の酒蔵なんですよと返して一口含む。
「そうなんだ……あ、そうそう。酔って忘れないうちに言っておくね。今夜寝るときは僕のベッドを使ってよ。シーツや枕カバーは新しいのに変えておいたし、僕ので悪いけど、パジャマも出しておいたから」
思いがけない話の展開、そしてその内容に、思わず酒を吹き出しそうになって悶絶する。
「ちょ……統治くん大丈夫?」
「ゲホッ、ゲホ……だ、だいじょ……って、どうしてそうなるんですかっ?!」
酒のせいではなく、顔が熱くなるのがわかる。しかし浩隆はキョトンとした顔を見せた。
「なんでって、何が?」
「どうして俺がベッドに?!」
「だって統治くんはお客さんだからね。客間はあるけど、ほとんど僕の書斎と化してて提供できる状態じゃないし。まさか予備のマットレスと毛布で寝ろとは言えないだろう?」
「そうは言っても、浩隆さんのってことは……その、お二人の」
「ああ、寝室のベッドだけど」
まったくもって気にしていないふうの返しに、くらっとめまいを感じた直後がばりと立ち上がる。
「ごっ、ご夫婦の寝室に入るとか、そんなの絶対にありえませんからねっ?!」
「えっ? なんで? だめ?」
「ダメって……」
この人は……天然なのにもほどがある!
いや実はこれがグローバルスタンダードなのか? まさか、そんなわけがない。違う、絶対にそれは違うぞ統治! 無垢な笑顔にほだされるな!
自分に言い聞かせて正論を口にしようと意気込むが、本気で首をかしげて不思議がる様子に、すっかり毒気を抜かれてすごすごと引き下がる。
「さすがに刺激が強すぎます。俺には」
せめてもの負け惜しみをボソリとつぶやく。
「ん? 何か言った?」
「なんでもないです! とにかく、俺は適当にそのへんで寝ますから大丈夫ですッ! そ、そんなことより、飲みましょう食べましょう!」
半ば強引に押し切って話題をすげ替える。えー、とどこか納得いかないような態度に、この様子では杞憂はいかほどかと、ため息とともに香奈への同情を一層深める統治なのだった。