思い出の森林ー通った道と、通らなかった道
初めまして、丘夏生です。
これが私の初作品になっております。気軽に書いた作品なので、誤字脱字はあるかもしれませんので、ご了承ください。私は人生について色々な本やエッセイを読んできましたが、それらを踏まえて書かれているのが今回の作品だと理解してください。結構硬い、真面目な文章の羅列になってしまったかもしれません。なんで、コメディー要素を期待している方にはオススメしません。基本的に誰でも読める作品に仕上げているつもりです。
これが初めて書く作品なので、アドバイスやコメントはありがたく承ります。
お手柔らかにお願いします!
私はある時、森林に行った。特に理由は無く、ただ自然と触れ合う事で、日頃のストレスから解放される事を期待した。そこは特別綺麗でも無く、壮大なものでも無く、どこにでもありそうな森林だった。しかし私はそこの空気を吸い、自然と触れ合う中で、何だか日頃の疲れから解放された気がした。いっその事このままここに居続けたいと、本気で思ったぐらいだ。
私はその森林をさらに進んでいったが、ふと足を止めた。これは困った。私は苦笑し、あたりを見回した。どうやら私は迷子になったうえに、分かれ道に差し掛かってしまったみたいだ。しかも厄介な事に、この分かれ道には全く違いが無かったのだ。まさに瓜二つとはこういう事だと、この状況下においても感心する私だった。それに、視力が年々衰えていく私にとっては、これはこれはもう災難としか言いようが無かった。私は困ったと、携帯電話を取り出し、最近知った地図機能というものを開こうとしたが、残念、電池が切れてしまったみたいだ。とんだ不幸の連続だと、自分で自分を笑うしかなかった。
私は自分で何とかするしかないと、腹をくくってまずは足跡を探した。この季節、綺麗な黄色い葉が道を覆い、その上を歩けば何らかの跡が残っているはずだと思ったのだ。左に抜ける道は全面黄色に覆われ、わずかな足跡しか見つからなかった。ふむ、右はどうだろうか。今度は右の道を見てみると、わずかながら先ほどよりも多く黒ずんだ跡が見えた。こちらにはもっと人がいるはずだ。私はそう確信し、右の道を行く準備をした。しかしここで私の中で子供染みた探究心みたいなものが芽生えてしまった。あえてここは左の道に行く事で、少数しか拝む事のできていない絶景を見る事ができるのではないかと考えた。このわずかな差と大いなる期待を頼りに、逆に行く事を決意した。何の変哲もない森林で、私は子供のように盛り上がり、結局左の道を行く事にした。
あー愚かな事に私はこの時、左の道を進んだ後再び引き返し、右の道を行けば良いとばかり考えていた。
そうと決まればと、私はずんずん道に沿って歩いていった。しかし残念な事に、進んだ先は、大してめぼしい物も無く、行き止まりになっていた。私は今日一番のため息をつくと、その行き止まりから右に進む新たな道を見つけた。そしてその先には、人が大勢いたのだ。そして皆、先ほど歩いてきた方角を指差しながら、写真を撮っていた。私は安心しながらも、ふと、ある事に気づいたのだ。もしかするとあれは、先ほど行かなかった右の道の何かを指しているなのではないだろうか。また苦笑するしか無かった。絶景はそっちにあったのか。
ここで私はまた、選択を迫られていた。このままこの新たに発見した道を歩み、右の道と合流するべきか、あるいは...あるいは、道を引き返し、右の道を最初から歩み、人々が見ている物を直接歩きながら見るべきか。一瞬、私は引き返すべきだと思い、歩みだした。しかし、森林の木と木の間から、わずかに見えてきたものに絶句した。日没に照らされていた右の道が、真黄色、いいや、黄金に輝いていた。そうか、あれは綺麗だ。まるで葉に覆われた道が湖で、そこに日が反射しているかのように、綺麗な輝きを放っていた。私はとんでもない選択の間違いをおかしたと、心の中で悔やんだ。しかし、もう道を引き返す必要が無くなった気もした。引き返すと言っても、その判断は間違っていると、どこかで私のこころは叫んでいた。私はその声に従って、右の道と合流する道を歩いていった。
私は今、この話を自嘲するような口調で語っている。誰に話しているかは重要ではない。これからもこの話を若い連中にしていく事だろう。あの時、道の分岐点で私が下した決断ー左の道を選んだ事が、全ての違いを生んだのだから。
この物語は決して森林での思い出を語った話ではありません。
人生において、いかにこの先起こる事が分からない事や、一度その「道」を通って見なければ分からない事が分かって頂ければ光栄です。
人生にある道=選択すべき事はそう簡単に選べるものでは無い。それはどれもこれも同じに見えるからだ。それでも、一歩歩みだし、行ってみる事が重要なのではないだろうか。
少々文章に問題があるかもしれませんが、基本的に過去の思い出を語る男がその時下した判断を後悔する話であると理解して頂いて結構です。