最初の里
「ん…」
瞼に光が直接当たり、エリシアは眩しさに顔をしかめる。すると、その光に暗い影がかかった。
「お嬢さん。朝だよ、起きて」
すぐ側から低く穏やかな声が聞こえ、エリシアは心地よい気分になり、身体を丸める。
「やれやれ、お嬢さんはお寝坊さんなんだな。狼に喰われるよ?」
暖かく硬い指が、エリシアの頬に添えられ撫でる。エリシアは夢見心地でその感触に気持ちいいと感じ、キュッと掴む。
掴んでいるものがピクッと動き、引き抜こうと僅かに力を込めた。
エリシアはその引っ張られた力に、ようやく重い瞼を開ける。
「あ、やっと起きたね。朝食は僕がしてあげるから、川で顔を洗っておいで」
エリシアの側に座っていたキサが、エリシアの寝起きのぼうっとした顔を覗き込みながら言う。
だが、エリシアはキサの子守唄のような低い声に、またうつらうつらと目を閉じていく。
「あ、こら。起きなさい」
キサは再び瞼を閉じたエリシアの頬を、むにっとつねりエリシアはいひゃいと言う。
【シア!起きて!朝!】
【おい、起きろって。野郎の作った飯なんか食べたくない】
【うるさいわよ、シン。シアが起きちゃうじゃない】
【いや、起きなければダメだよ…】
今度は賑やかな男女の声が、頭に響く。エリシアは煩わしいと思いながらも、ようやく身体を起こす。しかし、まだ頭がぼうっとするのでシンがエリシアの肩に乗ってきて、頬をぺちぺちと叩く。
「シン、痛い」
【お、起きたか?男の作った料理なんか食べたくないから、さっさと起きろ。俺はシアの作った料理がいいんだ】
間近でくりっとした大きな目でエリシアを見上げるシンに、エリシアの胸はきゅうっと締め付けられた。
「かわいい!」
【ぐえっ】
エリシアはシンを腕に抱き込み、シンを窒息寸前までさせた。後で、こってり怒られたが…。
◇◇◇
エリシアは下山し、川で顔を洗い身だしなみを整えた。後、水を調達するために竹筒に水をたっぷりと入れる。
ふと、水面を覗くと赤みがかった紫の瞳がこちらを見ていた。
この瞳は父上から譲り受けた色…。
地龍の里がどのようなところかは分からないが、エリシアにとっては両親のことを知れる唯一の里かもしれない。
エリシアは水面に映る自身の姿を、しばらく見詰め徐に立ち上がり、元来た道に戻っていった。
「遅いよ、お嬢さん。どこまで行っていたの、もう少しで探しにいくとこだったよ」
キサが、戻ってきたエリシアを叱咤する。エリシアはすみませんと謝り、キサの作った粥を一口食べた。
「…!おいしい…」
「ん。昨夜のお嬢さんのまねだよ。鶏の出汁が入っている」
キサは美味しそうに食べているエリシアに、満足気に頷いて説明した。エリシアの隣では、シンがブツブツと文句を言いながらも、粥を食べていた。
「よくお料理はするの?」
「いや、お嬢さんの見よう見まねでだよ、昨夜の。僕は普段、あまり料理なんてものはしないからね」
「それで、こんなに美味しいご飯が作れるなんて。キサは天才だね」
「え?」
「ん?」
「今…初めて僕の名を呼んだよね」
「え?あ、そうだった?」
「うん……」
キサの黒目が驚きに見開かれ、ふいっと顔を背ける。長い後ろ髪を束ねて耳が晒されており、赤くなっていた。エリシアも驚き、つられて顔を赤く染めるのだった。
甘酸っぱい雰囲気の二人を、側でリンが難しい顔を浮かべているとも気付かずに…。
◇◇◇
朝食を終えると、二人は山をさらに登っていく。険しい坂道になってきたので、ライから降りて難なく登っていった。
幸い、エリシアとキサの体力は人並み以上にあるので、普通の人が辛いと感じる上り坂でも、楽に越えた。
「お嬢さん、大丈夫?」
「うん」
キサが、振り向いてエリシアの顔色を確かめる。あともう少しで頂上だ。ライの手綱を引っ張り、ゆっくりと登っていく。
「おお、すごいね」
頂上には平坦な地面に、真っ白な花が咲き誇っている花畑があった。
辺り一面に見事に咲いている白い花は、風にそよがれ甘い匂いを撒き散らしていた。
エリシアはその美しい風景に、言葉を失い同時に懐かしいとも感じる。何故、懐かしいと感じるのか分からなかったが、エリシアは数歩進み、白い花に手で触れる。
そのまま匂いを嗅ごうと、鼻先が花に触れた時だった…ー
「何者だ」
刹那、辺り一面に咲き誇っていた白い風景は、跡形もなく消えた。
何が起こったのか分からず、エリシアは背後から聞こえたしわがれた低い声と、マント越しに首筋に当てられた剣の感触に身体を硬直させた。
「主ら、ただの旅人ではなさそうだな。ここに来るまではいくつか、罠が仕掛けてあったのに一つも掛からないとは…素性を明かせ」
そうだったのか…。
エリシアやキサには何も感じなかったが、ライたちは少し異変を感じたようだった。だとしたら…。
「あの、あなたは地龍の方ですか?」
エリシアが前を向いたまま、遠慮気味に言うと、背後の纏う気配が変わる。
「主ら、何を知っている?生かしてはおけんな」
エリシアの首筋に当てられた剣が離れ、エリシアが振り向くと、男が剣を振りかぶろうとしていた。咄嗟にエリシアは、腰にある短剣を抜くが、キサの方が早かった。
「僕たちは怪しい者じゃない。あんた、地龍の里を知っているみたいだな」
キサはエリシアを背後に守るように、男の剣を剣で受け止め、キインっと鳴らす。男はキサの言葉に、ピクッと眉を動かす。
「そうです。私たちは怪しい者ではありません。地龍の里をご存じならば、教えていただけませんか」
エリシアは立ち上がり、キサの背中越しに男をじっと見詰める。途端、男の切れ長の目が大きく見開かれ、崩れるように膝を地面につける。
エリシアは慌てて、男に寄り添おうとするが、キサがバッと片腕で止める。
「リシン様…」
男はしわがれた声でボソッと呟くが、エリシアの耳には聞こえた。
「リシン様?」
エリシアが尋ねると、男ははっとしたように正座をして頭を垂れた。そして、今度は先程よりもしっかりと発言をする。
「あなたは……"龍を統べる者"…か」
「…やはりご存じなのですね。…はい、地龍を迎えに来ました」
エリシアは男の言動に答えると、男は勢いよく立ち上がり、真っ直ぐにこちらへ歩いてくる。咄嗟にキサが腕を割り込ませるが、エリシアは大丈夫と言う。
「…フードを取っていただけますかな」
男はグレーの瞳に期待のような思いを込めて、エリシアの瞳を見つめている。エリシアは男の言った通りに、フードを脱ぐ。
「おお!まさしく、あなたは…リシン様の…ああ、やっと…やっと…」
「あの…?どうかなさいましたか?」
男は目尻に涙を浮かべ、一滴頬へ溢す。エリシアはいきなり、自分の顔を見てリシン様、と言われ泣かれても訳が分からなかった。
エリシアがおずおずと男の背中を撫でると、男は涙で濡れた顔に、ふにゃっとした笑みを浮かべる。そして、ありがとうございます…と呟く。
◇◇◇
「申し訳ございません。気が動転しておりました。私は、地龍の里の先代と現代の側近でございます。また、長老でもあります。シャラと申します。先程は、みっともない姿をお見せしました。ご無礼をお許しください」
「あ、とんでもないです。私は、エリシアと申します。こちらは、雷龍のキサです。そして、彼らは私の相棒たちです」
シャラは先程の涙を浮かべていた顔と一転し、グレーの瞳にキリッと力を入れた。年代はおよそ50代半ばかと思われ、キサと同様に背が高く、ピンっと背筋も伸びている。
口ひげがあり、ダンディーな男性だった。
全身、白で統一され身体の線に沿った質の良い服装で、首から足先まで覆われている。唯一、首から上だけ肌がさらされていた。
「エリシア様…良い名ですね。…そして、彼は雷龍なのですか。確かに纏う雰囲気が、光っぽいですね」
「…!」
シャラがエリシアに微笑んだあと、キサに視線を向け印象を言うと、キサの肩がピクッと反応する。
エリシアはシャラの意見に同意するが、キサの反応が気になっていた。
「では、地龍の里へご案内をします。私の手を握っていただけますか」
「はい。……!」
エリシアがシャラの差し出された片手を握ろうとしたら、突然反対側の腕を握られる。エリシアが振り向くと、キサが掴んでいた。
「キサ?」
「僕も掴んだっていいだろう?」
「雷龍殿は、側にいるだけでも大丈夫かと思いますが…」
キサがどこか不機嫌そうに言うと、シャラが不思議そうに答えた。しかし、キサは別にいいのとムスっとしたまま言い、エリシアの腕を離さない。
「では、移動をします。エリシア様、目を瞑っていても構いません」
「は、はい」
エリシアが答えたと同時に、ぐんっと身体を後ろに引っ張られる感覚がして、エリシアは思わずシャラの手を握る。反対側の手は、いつの間にかキサが握っており、力強い大きな手がエリシアを安心させた。




