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妻恋

 それでいながら数日後、政光はまたなの葉の(へや)に訪れている。  

 懲りずに縫い物を頼みに来たのだ。それがなの葉を喜ばせることだと知っていたから。


「宮中では、やはり()(かみ)の縫い物をされていたんですよね」

 俊広への言い訳もあり、政光は話題を後宮のことに向けた。

「えぇ、こう見えても私、主上からお声をかけられたこともありましてよ」

 少し誇らしげな顔のなの葉を、政光は意外な思いで見た。宮仕えと言っても命婦(みょうぶ)の下で働く下級女房、それほど高い身分ではない。もっとも、採寸などで御服をあつらえる際、帝から話しかけられる機会はあるか。


――しかし先帝も、この人相手によく会話が成立したな。

 と、全く別のところで故人を尊敬してしまう。

「それから私、力持ちなんです。()(びつ)を運ぶときによろこばれましたわ」

 炭櫃は大の男が数人がかりで持ち上げる馬鹿重いものだ。

 ――雑仕女(ぞうしめ)代わりに使われていたのを気付かなかったのか。

 宮中には厳密な役割分担があるのに、何でもほいほいと引き受けてしまうなの葉の姿が目に浮んだ。けれど、当の本人は気にも留めてない。


「なの葉という呼び名は、父の故郷(くに)にちなんで先輩の官女が付けてくださったんです」

 それは政光の想像した通りだった。

 下野の古歌に、恋人の美しさを()(なら)の若葉に例えて詠んだものがある。常磐(ときわ)()の若葉の新緑に輝く気色は、彼女の無垢な愛らしさに適っていた。きっと、なの葉は宮中でも失敗ばかりしていただろう。だが、それ以上に帝を始め多くの人に好かれていただろう。

「にしても、小楢の若葉からなの葉とは随分と縮められてしまいましたね」

「私ぬけたところがあるから、名前までぬけてしまったのね」

 笑って言うなの葉。

 自覚はあるようだ。


 しかし、こんなにぼんやりしていて、意地の悪い女官から嫌がらせをされたりしなかったのだろうか。 それに宮中といえば素行のよくない公達もうろちょろしている。そんな男どもに引っかからなかったか気を揉んでしまう。

 ――いや、病弱だったとはいえ、先帝も若い男だ。何もなかったとはいえないかもしれない。

 政光はなの葉を案ずるあまり、彼女の過去にまで心配の範囲を拡げ、亡き帝さえも邪推の対象(まと)だ。もっとも、邪推が邪推でしかなかったことを、彼が知るのは間もなくである。


――俺はいったい、どうしてしまったんだ! 

 朝の光の中、(とこ)から半身を起こした政光は頭を抱えた。隣ではなの葉が寝ている。

 二人は昨夜夫婦になったのだ。

――己れが己れでわからない。

 心配が高じて同衾(どうきん)するとは何たる飛躍。これでは周りの者たちの思う壺ではないか。

 恨みはないのに、なの葉を恨めしく思ってしまう。

 政光の目は、眠る彼女の顔を注視する。

 本当のところ『見惚(みと)れている』のに、自分では気付いていない。

――目と口を閉じている間はけっこう見られるかな。

 頬の(きわ)を透明な繊毛が覆い、それが朝の白っぽい光に浮き上がっている。

――大人の女性なのに、産毛の処理が甘いぞ。

 そう思いながら、誘われるようにして指先が彼女の頬をなぞった。

「う、うん」

 なの葉は寝返りをうつ。でも、目覚めない。眠ったまま政光が触れた頬をこする。

 その仕草に、政光はきゅっと心臓を鷲掴みにされたような息苦しさを覚えた。

 ――私は病気かもしれない。

 その通り、病気だ。

 恋の病だ。

 政光は胸苦しさに耐えかねて、なの葉の(へや)を出た。


 しかし、自室に帰る途中、朝帰りの姿を俊広に見られた。

 一番見られたくなかった相手。

 気まずくなったが、その気持ちを隠すように、堂々と肩をそびやかして廊下を渡る。

「何か、用か」

「いえ、何も」

 俊広の肩がぷるぷると振るえている。笑いたいのを必死で堪えている姿が余計に腹立つ。

「お前の考えていることはよくわかっている。『それ見たことか』と俺をあざ笑っているのだろう」

「そんな意地悪なものの考え方、私はしませんよ。いや、大変お似合いのご夫婦だとお祝いを述べたいところです」

「それは嫌味か」  

「どうしたら嫌味に聞こえるのです?」 

 顔も性格も趣味でなかった女にハマって、それを自分で意識するより前に周囲に見透かされていたということ。歯がゆい。

「もっと素直に喜ばれたらどうですか? 以前語られた殿の夢。その夢を一緒に実現する伴侶を得た、と思えばよいのですよ」

 俊広は政光と年が変わらないくせに、年長者がものを諭すように言う。腹が立って、何とか言い返そうとするが、言葉が思い浮かばない。

 結局口ごもる。

 なの葉が来てから調子が狂いっ放しだ。

「今日は非番だ。これから寝るから昼まで起こすなよ」

 言い捨てて、自室へ戻る。俊広のもの言いたげな含み笑いが背中で見えるような気がして、いっそう肩をそびやかす。


 政光の朝帰りは、あっという間に郎等たちの知るところとなった。

「やっぱり『嫌よ嫌よも好きのうち』って奴?」

「その割に落ちるのも早かったね。一月(ひとつき)ってのは」

「そうか? 俺は遅かったと思うけど」

 男らは、勝手なことを言い合う。かたわらでは衣のやり取りをし合う輩がいた。

 どうやら政光の初夜は賭けの対象にされていたらしい。このころ、ものの売買は物々交換が(しゅ)で、その中でも衣類は貨幣の代わりをしていた。

「ちぇっ、うちの殿も根性ねぇな。もう少し我慢してくれればよぅ」

「ぐだぐだ言ってねぇで早く寄越せ」

「おい、この(したおび)、ちゃんと洗ったか?」

 まったく悪い家来どもだ。

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