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源平合戦

 子供らに囲まれ、忙しく充実した日々。

 この間、都では戦乱が絶えず、思の方の父方の一族は、宗綱の実父の縁を頼って宇都宮に居を移した。小山と宇都宮はそう遠くない距離にあり、政光は宗綱一行を歓迎し、これからは縁戚として協力することを申し出る。


 年老いた宗綱は宇都宮を朝綱に、八田を知家に継がせ、隠居し、彼らとは互いに親しく行き来した。

 政光には宗綱に訪ねたいことがあった。

 妻の母はどのような人だったのか。

 いつか聞こうと。

 しかし、舅は間もなく身罷り、その問いを発する機会は失われた。


 こうして二十年余りが過ぎた。

 政光は領地の拡大に伴い、思川沿いに祇園社の社殿を築いた。

 祇園社は悪疫を防ぐ牛頭(ごず)天王(てんのう)を祀ったもので、その后神は龍女とされている。後に宮社は小山を代表する城に発展する。


 治承年中、大掾として国衙の実質の長にあった政光は、再び大番役を命じられ、嫡子四郎朝政を連れ、下野を留守にすることとなった。

 三年も思の方と離れていなければならぬとは、心配で心配で後ろ髪を引かれる思いだ。

「一緒に、京へ連れていくことができたら……」

 政光がうっかり息子たちの前で口にすると、

「親父がいなくたって、お袋は平気だよ」

「それより母上がいないと父上は元気がなくなりますから、そちらの方が心配ですよ」

 言いたい放題の息子らの悪口はいったい誰に似たのか。


 その年(一一八○)の四月、以仁王が平家追討の令旨を発し、これを受けた頼朝が八月、伊豆で挙兵する。東西手切れとなった京では、大番役にあった東国の武士たちを平氏政権が監禁する事態となった。

「親父、大丈夫かよ。本当に心配される方の立場になったよな」


 九月、一度は伊豆で破れた頼朝も海を渡り、房総半島で立て直しを図る。安房、上総、下総、武蔵と、()り海をぐるりと巡り、父祖由来の鎌倉へと向かいながら、近隣の武士を糾合し強大な勢力に成長させていた。


 これらの報せを受けた下野の思の方は、居ても立ってもいられぬようすで、

「若君に会わなくっちゃ!」

「若君って?」

「あぁ、伊豆で旗揚げした(さきの)(すけ)殿?」

 若君こと、前佐殿こと、前右兵衛佐源頼朝。

 彼こそ、思の方の女童時代の幼主であったが、父兄に代わり留守を預かる息子たちは困惑した。


 北関東では、南関東の動向は一拍遅れ、さらに幾分弱まって伝播する。今回の頼朝旗揚げの騒動も下野に寄せられる情報はどれほど正確か。すでに小山へも頼朝の使者が訪れていたが、実際の規模や内容を見極めた上で、と考えていた矢先だった。

「みんなも一緒に行くのよ」

 思の方は慌ただしく支度を始める。

「俺は嫌だよ。留守居番の役目があるからな、ここに残る。下のちびだけ連れてってよ」

 先年元服を果たした五郎宗政であるが、反抗期から抜けきってないらしい。口を尖らせて、弟の方を指さした。

 末っ子で素直な彼の弟はまだ何の疑問も持たず、

「ぼく、母上と一緒に行きます」

 小旅行に行くつもりで喜んでいる。

「けど、ちょっと待てよ。都では親父や兄貴が人質同様に召し込められてるってのに、ここで佐殿の旗下に降ったとなれば、二人の立場が・・・・・・」

「ううん、とにかく今すぐ駆け付けた方がいいような気がするの」

「そんな、気がするってだけで決めていいのかよ」

 しかし、宗政の忠告を振り切るようにして、思の方は末息子を連れ、頼朝の滞在する武蔵隅田宿を目指した。


 数日後、思の方は、

「お土産いっぱいもらっちゃったぁ」

 にこにこと明るい笑顔で帰宅した。反して、お供の家来たちの顔は青ざめている。

「あぁ、楽しかった。二十何年かぶりになるのに、若君はちゃんと私のことを覚えてくださっていたの。一緒に遊んだこととか。ふざけすぎて障子を破ったこととか。他の乳母に怒られたことか。思い出話に花が咲いたわぁ」

 土産物を目の前に積み重ねながら、思の方のおしゃべりは止めどなく。

 この母とよく会話が成立できたなと、宗政は、全く違った意味で頼朝という男を尊敬してしまう。

 ここで、宗政が首を傾げる。

「あれ、ちびは? 姿が見えないけど」

「それがねぇ、聞いてよ。若君、じゃなかった、佐殿があの子を近習に取り立ててくれたのよ。しかも佐殿自ら烏帽子親になって元服させてもらったの」

 頼朝から一字を与えられ朝光と名乗り、鎌倉で近侍するというが、「それって、(てい)のいい人質じゃないか!」

 宗政は真っ青になってぶるぶる震え出した。

「何? そんな怖い顔して。人質なんて人聞きのわるい。そんなものじゃありません」

 ここで、すっと母の目つきが変わった。  


「若君には私の他に、何人か乳母がいたのだけれど――」

 他の乳母たちは頼朝が伊豆に流されてからも、実の息子のように援助を惜しまなかった。食べるものや着るものを送り、中には縁戚にあたる貴族が都の情勢をこまめに知らせ、今回の挙兵に役立てたという。

「それに比べて、私は何もしていない」

 思の方は、そう言って息子を見た。

 乳母といっても、乳を与える女性だけを云うのではない。養育係の全てをそう呼ぶ。女童だった思の方も乳母であり、朝政以下三兄弟は頼朝の乳兄弟の関係にあたる。

「けど、情に流されてちゃ・・・・・・」

「もう一つあるの」

 宗政の言葉をさえぎる母の、常にない真剣な眼差しに彼は耳を傾けた。

「うちの殿がいつも言ってたでしょう。自分たちが開拓した土地を自分たちのものにできないのはおかしいって。佐殿はそれを正そうとしているのよ。だから関東の南では、武士はみんな佐殿のもとへ駆けつけているのよ」

「みんなって?」

 思の方は指を折って数え上げる。

 旗揚げ当時からの御味方は三浦氏、土肥氏、工藤氏、岡崎氏……舅の北条氏、それから、源氏の同族佐々木氏。これに加え、房総に逃げ延びてから合流した下総の千葉氏、上総の・・・・・・

 宗政の顔の強張りは解ける。

 そして、また別の緊張が宿る。

「おふくろ、今話した内容を宇都宮と八田の叔父貴たちに書き送ってよ」


 宇都宮朝綱は、政光と同様大番役で在京していたため、弟の知家や従弟たちに留守を任せていた。

 思の方は息子の言葉に深くうなずくと、手早く弟たちへ手紙を書いた。間もなく知家らは一族を連れて頼朝の旗下に参じた。下野と常陸の豪族がともに頼朝の軍勢に入ったことは、情勢を見守っていた北関東の領主たちの決断の端緒となった。「他の者に遅れてはならじ」と、次々に鎌倉へ参じたのである。

「八田の叔父貴が選んだんだから、ある意味安心だよな。なんつうか嗅覚の鋭い人だからさ」


 こうして関東に大武士団を形成した頼朝の闘いは、後の人々の知るところである。

 富士川の戦いで、宮方として平氏の軍勢に参じた長男朝政と、次男政は敵味方に分かれた。

 これに先んじて思の方は、

「四郎さんにはこっちに寝返るよう文でも送りたいけど」

 母の言う『四郎さん』とは、夫の四郎と息子の四郎の両方を指す。

「使いの人間が取っ捕まって立場が悪くなったらどうすんだよ」

「そうなのよ。だから、毎晩お祈りするの」

「祈るって・・・・・・」

「毎晩、四郎さんの夢見に現れるのよ」

「そんな、それこそ夢みたいな・・・・・ けど、おふくろが言うと効果ありそうだよなぁ。でも、毎晩おふくろに現れちゃ親父はともかく兄貴は・・・・・・ いや何でもない」

 平家方は父と兄、二人をともに戦場へ立たせることはしないだろう。おそらく父を人質に、若い兄を参戦させると予想はつく。それが足枷にならねば良いが、全ては朝政の意志に委ねるしかない。兄もまた父から『夢』を語られて育っている。

 ――自分たちはどうあればいいか、兄貴ならわかっている。

 それを信じて、宗政は頼朝の軍勢に参じた。


 果たして、水鳥が飛び立つ音に大軍が襲ってきたと勘違いした平家の軍勢は、戦わず敗走し、そのどさくさに紛れ、朝政は関東方に投降する。

 思の方の事前の取りなしもあって、大した問責も受けずに解放された。

 宗政は、

「兄貴!」

 朝政との久しぶりの邂逅に抱きついてやろうと思ったが、周囲の目もあり、やめた。

「こういっちゃなんだけど、兄弟で戦うことになったら、どうしようかと思ったよ」

「何だ。お前は、私を信じていなかったのか」

 兄が日ごろ何を考えていたのか。

「信じてたって! けど、親父のこともあるから万一のことだって考えるよ」

 政光は、未だ平家に囚われたままだった。


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