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秀郷の末裔

 木を離れたる猿、

 水を離れたる(うお)

 これが在京二年目の太田政光の心境である。


 仁平四年(一一五四)、内裏大番役を仰せつかって四季は一巡りしたが、都の水は政光には全く合わなかった。 

「こちらに来て無口になりましたか?」

 乳兄弟の親しさで近侍の俊広が言う。彼は、この宿所の諸事を取り仕切っていた。

 武士の義務たる大番役に報賞などなく、下向した受領の邸の一角を借り受け、衣と食の面も全部政光の自腹である。俊広は蓄えの少ないなか、よくやってくれている。


 まったく、貴族というものは意地汚い。人が己れらのために何かをするのは無給(ただ)で当然だと思っている。また武士の方でも猟官のため中央との繋がりを持ちたがるから、むしろ(まいな)いをもって貴族に近づこうとする。それが彼らをいっそう付けあがらせるというに――

 自然児たる政光にはそれができない。心にもない世辞を言い、ごまをするなど。悪口雑言は得意だが。


 しかし、俊広はせっかくの在京を好機にしようと、政光をせっつく。

「貴族におべっかを使うのが嫌でしたら、もう一つの手があるじゃないですか」

 遠回しに京の女性を娶れと言っているのである。

「殿の夢を叶えるためにも、その方が有利ではありませんか」


 俊広にだけ語っていた政光の夢、それは故郷での土地の開発(かいほつ)である。

 十代前は関東全域に勢力を誇った鎮守府将軍藤原秀郷の末裔も、時代とともに徐々に官位は下がり、領地も狭ばり、彼の代では関東の名門といえど虫食いのような領地しか残されていなかった。

 政光の出身は武蔵(東京都・埼玉県)太田荘だが、それというのも、数代前から清和源氏の末裔が下野(栃木県)南部で勢を張り、父祖らは彼らに押し出されるようにして武蔵へ本拠を遷したためだ。

 しかも土地の名目上の主は、国や中央の権力者らとなっており、政光のような現地領主は、彼らに代わって税を搾り取る番犬のようなものだ。政光は時々、己れの職務(しごと)にうんざりすることがある。


 しかし、自分で開発した土地であれば自由な経営ができる。

 やはり中央の権力者の名義にして庇護を受けなければならないが、その相手を選ぶことはできる。経営熱心で我欲が強い者では駄目だ。生まれたときから豊かで経済的に苦労したことがなく、田舎の土地にあまり興味など持たぬ人間がいい。裕福な宮腹の皇女、このあたりが最適である。その手づるに程の良い女房を得よと、俊広が暗に言っているのである。もっとも、己れが開発した土地が己れのものにならないという矛盾は依然として横たわったままだが。


 中央の権力によって阻まれる地方の自立。

 考えてみれば、その矛盾に抵抗しようとした男を二百年前に討ち取ったのは、他ならぬ政光の先祖なのである。

 ――では、私が第二の将門になるか。

 いや、そんな器量は自分にはない。そうだな、誰か別に第二の将門公でも現れたら、その旗下につくか。

 他愛ないことを考え、政光は自嘲する。


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