第3話 「 決して離さない!! 」
「エヴァエヴァ」
エヴァの頭の中に、言葉が直接入り込んでくる。
それは一見、無機質な声のように聞こえるが何故かエヴァ自身暖かさを感じた。
「な・・・に」
エヴァは声がどこから聞こえているのか目を開けて確認しようとするが不思議にもまぶたを開けることはできない。
「今回は僕が助けたから・・・次はエヴァエヴァの番。またね」
そんな声が頭の中に入り込んできたかと思うと、エヴァの意識は静かに現実に戻されるのであった。
「エヴァ!! エヴァ!!」
(エヴァ、目が覚めたか。よかった)
誰かが自分の名前を呼ぶ声がして、エヴァの意識が少しずつ、覚醒していく。
「な・・・に・・・」
声にもならない声をエヴァは口に出すがまだ意識は完全に覚醒してはいない。視界もまだぼやけている。ぼやけた視界には空と声の主が映っている。自分は仰向けの状態になっているんだと認識する。
「エヴァ、エヴァ!! 目を覚まして、エヴァ」
また自分の名前を呼びかける声がして、その直後、激しい振動が自分を襲った。まるでその振動が次第にエヴァの魂を呼び起こしているかのように。そしてエヴァはこの声の主をようやく理解した瞬間、ぼやけた視界が晴れた。そっと心配そうな顔をしているダンの表情を見て、微笑んだ。
「なに、どうしてそんな顔してるの?? ダンは男の子でしょ。そんな顔してたら好きな子すら守れないよ。痛っ!?」
意識が覚醒したてのエヴァの口調にいつものらしさが戻ってきたがまだ完全回復には少し遠い。
「大丈夫?? 大怪我でもしてるんじゃ??」
心配そうな表情でダンはエヴァの怪我をしていそうな場所を探す。しかし出血や傷跡などめぼしい箇所は発見できなかった。
「大きな痛みはないわ。強いていうならどこかでぶつけたのか、お尻が少し痛い」
エヴァはそう言うと、ようやく身体を仰向けから起こした。もう一度確認するが怪我らしい怪我は信じられないくらいない。
「そっか、本当によかった、よかったよ。僕はバカだ、エヴァが雷が嫌いなこと知っていたのに・・・雷が来るなって感じたとき、君の手を掴んででも安全な場所に避難しておけばよかったんだ・・・それなのに」
(雷か、俺もよく昔おへそが取られるってお袋にいわれたっけ。とまぁそんなことよりエヴァが心配だ)
幼馴染で小さい頃から雷が嫌いなエヴァのことは知っていたがここまで恐怖感を感じるとはダンは思ってはいなかった。だからこそその甘い認識が今回のようなことを招いてしまったとダンは自分自身を責めた。
「ふぅ、そうね。貴方がぎっちりと掴んでいたらこうはならなかったかもしれないわ」
エヴァはそう言い、ゆっくりと立ち上がった。ダンはそんなエヴァを見上げる。
「だから今度こそぎっちり掴んで離さないでよね」
すぅとエヴァは地べたに座り、少しうなだれていたダンに向かって左手を差し伸べた。
「エヴァ・・・」
ダンはそのエヴァの差し出した手をゆっくりと優しく、包み込むように掴んだ。エヴァのほんのりと暖かい体温がダンは肌で感じた。少し、ぐっと胸にこみ上げてくる感情をダンは胸に秘めつつ
「もう離さないよ、絶対に」
(よし、ちょっと今の台詞かっこよかったぞ、俺)
ダンはそう言い放ち、立ち上がった。その返答に対してエヴァの表情も明るい。ダンの心の中でエヴァの存在が大きくなった瞬間でもあった。
ダンとエヴァは森の中を手を繋ぎながら歩いていた。森のどこかを歩いているかは分からない。祖父であるバークリーの図太い声が聞こえてくればと淡い期待をダンはしているが未だにその声は聞こえてこなかった。
「それにしても私たちは、崖から落ちてどうやって助かったんだろう??」
エヴァは未だに合点がいかない感じで言った。確かに崖の上から落ちて、無傷で済むというほうがおかしい。
「分からない。けど僕たちは落ちたのは間違いないよね??」
エヴァの左手を右手でしっかりと握り締めながらダンは聞いた。
「当たり前じゃない!! 私は自分のこの目で見たんだから!! 自分の身体がこうふわぁとなった瞬間に一気に下に落ちる感覚に見舞われたの・・・」
(そんな怒らないでよ、エヴァちゃん)
そう言うとエヴァはそのときの状況をまた思い出したのか、表情が少しふっと暗くなった。その表情からエヴァが嘘をついてるとは思えないとダンは感じた。
「でもそんなところから落ちてほぼ怪我がなくて本当によかったよ」
(そうそう。でも落ちているときに何かあったようなことが気がするんだけど思い出せないんだよなぁ)
ダンは本心からそう言った。落ちていようが落ちていまいがどうでもいい。エヴァが健在ならそれで。内面のほうでは重大な何かを思い出せずにいた。その記憶だけすっぽりと
抜け落ちてる感覚だ。
「それにしても・・・ここはどこなの??
さっきから歩いているけど・・・」
エヴァはきょろきょろと周囲を見回してみるが今まで見たことがない景色ばかりだ。
「・・・僕もよくは分からない」
(マジ迷ったわ・・・これ)
ダンは歯切れ悪く答えた。事実、ダンも自分がどこを歩いているか、分からなかった。
重い空気が2人に流れた。
「でもさっき僕らがいた場所から離れないといけなかった」
「それはどうして??」
エヴァはダンの言葉に対して質問した。
「うん、エヴァを起こしてから歩いていたら、獣の鳴き声がしたような気がしたんだ。気のせいかもしれないけど」
ダンは答える。気のせいなら気のせいでいいのだが、それが本当の事実ならダン達にとって非常にまずいことになる。
ミル・アリの国にはその自然豊かさゆえ、生物の繁栄もそれに比例して豊かで野生動物も数多く、存在している。
「まさか、肉食じゃないわよね・・・。その聞こえた鳴き声って??」
エヴァは不安そうな表情でダンに聞く。肉食動物であれば6歳の子ども2人なんて何とも美味しいご馳走の一つだからだ。
「・・・うん、僕も100%確証はないから言い切れないけど。おそらく肉食だよ、あの鳴き声は」
(ビンゴだな・・・こういうときは決まって肉食獣だ)
ダンは先ほど聞いた鳴き声を思い出しながら言った。
「間違いないの??」
「うん、僕は耳がいいからさ」
ダンが確かに耳がいいのは事実だ。遠方で発生した音に誰よりも敏感でかすかな音ですら綺麗に拾ってしまう。もちろん、精神を集中させているときだけだが。
「だから出来るだけ風下の方向に歩いているんだけど。においだけならこれで何とかやり過ごせるんだけどね」
(ジオグラフィックで俺は見たぞ)
前世の動物の生態番組で得た知識ではあるがまさか自分で試すことになるとはダンは思わなかった。
「風下?? そこに行けば助かるのね。分かった、私はダンを信じるわ。ダンは私の知らないことをたくさん知ってるから」
エヴァはあまり深く考えず、ダンに対して返答した。その言葉にこもった思いにダンは非常に申し訳なく感じた。自分が知っているこの知識は前世の守で得た知識なのであってダンが自分で習得したものではないからだ。
ダンは話題を変えることにした。いつまでもこんな重い話をしていたくなかったからだ。
「そういやエヴァのお父さんとお母さんは元気?」
ダンは話題をエヴァの家族構成の話に切り替えた。最近エヴァの家に遊びに行っていない。
「うん、元気だよ。おとうさんもお母さんもとっても」
エヴァの表情が一転して明るくなった。それを見てダンは少し安心する。
「そっか、エヴァのお父さんとお母さんは仲がいいもんな」
「うん、それを言うならダンの家のお父さんとお母さんも仲良しじゃない。さらにあのおじいちゃんもいるし」
エヴァに言われて父、ニースケンと母、ラナスの顔が浮かんでくる。仲がいいことにはいいが全て最終的にラナスに全て全権を掌握されている気がする。そこにあの一癖も二癖もあるバークリーが加われば何とも滑稽である。
またエヴァの父はリンブ・フォレストと言い、職業は猟師兼薬剤師である。性格は少し血の気が多いけど気前がいい人だ。母はアンナ・フォレストと言い、職業は医師で街医者をしている。性格は少し抜けているけどダンの母ラナスと同じでリンブのことを少し下がった位置でうまく支えている。診察はアンナがして、リンブが森の中で猟をしながら薬の原料となる薬草を拾ってきて調合して渡す流れだ。
「うちはお父さんとおじいちゃんの仲は微妙なような気がするけど」
(仲悪そうな気もするけど、仲がいいときもあるからあの二人はよう分からん)
「えー、そうかなぁ。私が見ると二人とも仲がいいように見えるわ」
ダンはエヴァの感想に対して傍目にはそう見えているのかと苦笑する。あの二人は考え方がまるで正反対で交わることはないんだけどなとダンは思う。
「エヴァがそう見えるのなら仲がいいのかもしれないね」
ダンはそう言い、エヴァの手を優しく握り返した。
歩いてどのくらい時間が経過したのであろうか。ダンとエヴァは道のあるようでない道を歩いていた。体力は流石に2人とも疲弊している。ダンでさえ、少しきついなと感じていることから女の子であるエヴァなら尚更のことそう感じているであろう。
「ふぅ、少し休もうか。エヴァ」
ダンは歩くのを止めて、エヴァに休憩することを提案した。
「・・・ぁ・・・はぁ・・・はぁ。私はだいじょうぶ」
息を乱しながらエヴァはいつもの強がりで返した。明らかに疲労が表情に出ているのがダンには見て取れた。
「僕が疲れたんだよ、エヴァ。休もう」
(かなり疲れてるな)
ダンはそう言うと率先して地べたに座り込んだ。先ほどの雨で少し濡れていたがそんなことは構わずに。その光景を見たエヴァもようやく腰を下ろした。
「・・・」
2人に重い沈黙が流れた。かなり歩いているようなのに全く見知った道に出ている気配はない。ただ体力だけを消耗していっているだけだ。
「よし、これをエヴァにあげる」
ダンはポケットから小さな紙に包まれた丸いものを出した。それは複数のセルルの実を一度潰してまた固形状にしたものだった。
「これは??」
エヴァは紙に包まれた丸いものを受け取ってから聞いた。
「セルルの実だよ。甘くてほっぺたが落ちるよ」
ダンはそう言うと自分の分もポケットから出し、包み紙を開けて、エヴァに見せつけながら口に入れた。
「あまいーー」
口の中に広がる甘美な感じはなんとも言い難いものがある。
「本当、甘い」
エヴァもセルルの身を頬張りながら感想を言った。
「たまにうちのおじいちゃんがこのセルルの実を採ってくるんだ」
「そうなの、うちはお父さんが薬草採集と一緒に採ってくるわ」
セルルの実のおかげで2人に会話と笑顔を戻り、少しは沈んでいた気持ちが上向きになり、2人がいざ、また歩き出そうとしていた時だった。
ウオオオオオオオン!!
「!?」
2人の近くで何かの鳴き声が聞こえた。2人はすぐに鳴き声の聞こえる茂みの奥のほうに視線を移すがそこには何もいない。しかし、僅かにだがその奥に何かがいる気配を感じる。
気配にかすかに聞こえてくる生物の生々しく、荒々しい息遣い。
「エヴァ・・・」
(こいつはいよいよどうする)
ダンはエヴァに声をかけた。しかし、エヴァからの返事はない。だが自分の隣にエヴァがいることは事実だ。何故ならダンの右手にはしっかりとエヴァの左手が握られているからだ。
「エヴァ!!」
(エヴァちゃん、お願い、返事して~)
ダンは少し声を大にしてエヴァの名前を呼んだ。それはエヴァに対して気をしっかり持たせようということと、何より自分に対しても気合を入れなおすという意味合いで発した。
「ダン!!」
(よっしゃ)
ダンの気合の入った声でエヴァもようやく動転していた気持ちから目が覚める。表情は不安と恐怖で引きつっているのが分かる。
「エヴァ、3・2・1で全速力で走る。いいね?? 絶対に後ろは振り向いてはいけない」
ダンは早口でエヴァに言った。うんとエヴァはこくりと頷いた。途中ダン自身も相当焦っているのか、言葉を噛みそうになる。握り合っている2人の手と手も汗腺から嫌な汗が出てきているのが分かる。
「じゃあ3・2・1!!」
(走るぞ~)
2人は一斉に駆け出した。道なき道を。途中、枝に引っかかり、擦り傷が出来たとしても2人は構わず、駆ける。後方からは常に鳴き声と荒々しい息遣いがダンの耳に入ってきたがそんなことは関係なかった。ただひたすら前へ前へ進む。エヴァと一緒に。今度は絶対に彼女の手は離さないと。だが次第に後方から聞こえてくる鳴き声より鮮明に聞こえてくるようになった。距離がどんどん縮められてきている証拠だ。
「このままじゃ・・・追いつかれる」
ダンはエヴァに気が付かれないようにつぶやく。このまま2人で一緒に逃げても追いつかれるのは目に見えていた。
「だったら・・・こうするしかないじゃないか」
ダンは離すまいと心に決めていたエヴァとの手を離した。そして自分はその場に立ち止まり、獣がいるであろう茂みを睨んだ。手を離された瞬間、エヴァは振り返ってはいけない約束を破り、自分の後方にいるダンを振り返り、その場に立ち止まった。
「ダ・・・」
エヴァがダンの名前を呼ぼうとしたときに
「エヴァ!! もう絶対に手を離さないと約束したのに手を離して本当にごめん。でも離さないと・・・少しでも僕が時間を稼がないと。 だから先に行くんだ!!」
(はぁ・・・はぁ・・・やるしかない。怖いけど・・・)
エヴァの言葉を強い口調で遮り、自分が何を言っているか分からないくらいダンは必死にエヴァに言葉を伝えた。6歳の子どもが発する内容ではないなとダンは感じるが今はそんなことはどうでもよかった。
「出来ないわ、私には・・・」
エヴァの瞳には大粒の涙がこみ上げていた。
必死に今の今まで泣くのを我慢していたんだなとダンは思う。
そんな2人のやり取りなど関係もなしに茂みの中からビュルス(狼みたいな獣)が姿を現した。鋭い牙と爪に薄灰色の毛。2人を明らかに餌として認識しているようだった。さらに数も一頭だけではない。ビュルスは群れで狩りを行う獣だ。茂みの奥から続々と2人の前に似たような獣達が続々と姿を現した。
30頭はゆうにいるであろう。
「エヴァ・・・お願いだ」
(逃げろ・・・君を死なせたくない)
ダンは懇願するようにエヴァに言った。この数だとダンだけでは時間稼ぎにもならないかもしれない。
「出来ないわ」
(出来る出来ないじゃなく、やるんだよ。エヴァ)
ダンのすぐ後方でエヴァの声がしてそっと振り向くとエヴァが立っていた。そしてダンが離してしまった自分の左手をまたダンの右手に重ねて今度はエヴァが優しく包み込んだ。ダンはエヴァの顔を見る。大粒の涙を眼に溜めながら、彼女は微笑んだ。
「う、、、、うおおおおおおお」
(泣かないでくれよ!!エヴァちゃんよーーーー。ちくしょ~)
自分自身の力のなさに激昂して歯噛みしてダンは叫んだ。目の前にいる先鋒の一匹が2人に向かって駆け出し、距離を詰めて襲い掛かってくる。その時
「ダン、よくぞ。ここまで耐えたな」
懐かしい声がダンの名前を呼んだかと思うと黒い突風がダンとエヴァの二人の前に吹いたかと思うと飛び掛ってきた一匹のビュルスの胴体を2つに分断した。分断されたビュルスはまだ自分が斬られたことに気が付いていないのか、ピクピクと自身の身体を動かそうとしていたがすぐに絶命する。
「お、おじいちゃん」
(遅いぜ、じーさん。助かったぜ)
「ダンのおじい様・・・」
2人は待ち望んでいた存在の名前を呼んだ。
バークリーは自慢の愛斧を片手ににぃと二人を見て微笑んだ。
「待たせたの、まずは話は後じゃ」
そういうとバークリーは群れのボスらしき一回り大きな体躯をしたビュルスを血走った眼で一瞥する。少しの静かな沈黙が流れ、ビュルスのボスは自分が来た道に反転して茂みに消えていった。残りのビュルスもボスの後に続いて戻っていく。生き物の性。生きものとしての本能がこのバークリーを見て、危険と判断したのであろう。一気に鬼気迫る状況から開放されてダンとエヴァは腰が抜けたようにその場にへたへたと座り込んだ。
「全く2人とも急に走り出していなくなるから心配したぞ」
バークリーはへたり込んだ2人に予備の自分の大きな水筒を渡す。2人は交互に水筒を飲むが飲みにくかったのはいうまでもない。何故なら二人の左手と右手は厚く握られていて離れることはなかったからである。