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【第五章 拳交える罪人たち】

『なろうコン応募作品』です。第五話、宜しくお願いいたします!

◆1


 リムジンの中で、貴博と巧がアンジェラから聞いた話は、完全に常軌を逸していた。

「詳しい事は分からないけど、COAをプレイしているとね、人間を辞めるユーザーが稀に出てくるんだ。ボクはね、そういう奴らを秘密裏に捕獲して、更生させる使命をβテスト鯖時代から担っているんだ」

「ちょっと待てよ?」

 貴博がここで疑問を投げ掛けた。

「何でCOAのユーザーが? 中二病も良いところだぜ?」

「良い質問だね。って、ユーリちんがその台詞言ったら、色々といけないような気もするけどねー」

「俺は厨二病じゃない。野心家なのだよ」

「はいはい、とりあえずサイダー飲んで落ち着いて、ね?」

 アンジェラは呆れながら二本目のサイダー(一・五L)に手を伸ばしながら回答する。

「COAはね、もしかしたら『神の選別機』なのかもしれないね。ボクもよく分からないけど、COAのゲームと感応しやすいユーザーは、人間よりも高性能の存在に変化していくみたいなんだ。実際、ボクや二人にある手の痣。これは潜在能力の資質を表すものなんだ。これが神に選ばれた証なんだよ」

 アンジェラの話す内容は、貴博と巧にとって、全く思考が追い付くような代物ではなかった。二人とも眉をひそめ、お互いに右掌の痣を確認した。

「それが、この痣、なのか?」

「そういうことだよ、ユーリちん」

 そう言われると、貴博はますます自分の手の中に浮かんできた痣を興味深げに眺めた。

「まさか、COA七不思議のひとつ、アップデート中のローディングバーを見てると心が安らぐっていうのは……?」

 巧の言葉に苦笑いで返すアンジェラ。

「資質を持った人間が感じる一種の酩酊状態だね。ま、ボクもそうなんだけど」

「そんなカラクリが……。って、ことは副マス自身も潜在能力の素質が?」

「うん、そういうことになるけど、まだその話は置いておく。次は特典ディスクだ」

「あの特典ディスクか? そう言えば、ピーピー変な音が鳴ってたな……?」

 貴博があの時の出来事を思い出そうと頭に浮かべた。すると浮かんできたのは、耳をつんざく高音、真っ白な空間、もう一人の自分……。

「ユーリちん? 顔色悪いよ、大丈夫?」

 アンジェラの言葉で我に返る貴博。

「……悪い。疲れてるみたいだ。頭がボーっとする」

「そっか。んじゃ手短に説明するから、終わったら横になってていいよ」

「大丈夫だ。続けてくれ」

 一瞬、貴博は意識がここ以外の別の場所へ飛んでいくような感覚を覚えた。アンジェラが声を掛けてくれなければ、自分の魂が抜け落ちる様な気がして肝が冷えた。

「えっと、特典ディスクの話だね。社長をはじめとする上層部は、『素質』を抑え込むワクチンデータを開発したんだ。そして、抽選の中から選んだ重度の資格者全員にディスクを送り付けた」

「でも、それだと話がおかしくないですか? 加藤陽海が事件を起こしたのって、ディスク配布の後ですよ」

 巧のツッコミに、アンジェラはただ苦笑するしかできない。

「うん、だってあれ、失敗作だったんだ。それどころか、能力発現に拍車を掛けちゃったみたい。てへっ★」

 ガッカリと肩を落とす貴博と巧だった。

「つまり、全くの無意味どころか、状況を悪化させてるんじゃないか……! なぁ、ミッシェル。そのディスクを持っている奴がもしかして、全員が異能者なのか?」

 貴博の問いに、アンジェラは首を横に振った。

「そうとは限らない。こればっかりは完全に運と本人の心の在り方に問われるからね。ディスクをインストールしても、二人みたいに全く変化のない人もいるし、ボクみたいに才能として表に現れる人もいる。さっきも言ったけど、ボク自身も異能力者だ。ボクの異能力は、憤怒の業を持った『フルフラット』っていう力なんだ」

 貴博と巧は今一つピンとこない様子で、顔を見合わせては首を傾げている。

「むぅ……。じゃあ、実際に見せてあげるよ。ところでユーリちん、ちょっと協力してくれないかな?」

「ああ、何でも言ってくれ」

 貴博の言葉に、急に顔を赤らめるアンジェラ。

「な、何でもするんだな? よし。じゃあ、今からボクに……」

 意を決して、アンジェラはその言葉を口にした。

「今からボクに、物凄くえっちなことをするんだ!」

「はぁ?」

「僕が不満なら、この三人の中からでもいいよ!?」

「ちょ、えっ、えええ!」

「なんてことだぁ……!」

 貴博は勿論、横で聞いてた巧も耳を疑った。そして急に話を振られた三人娘も困惑している。

「ミーちゃん? そんな話聞いてないよっ?」

「がるるるるる……、蹴る! ウチを襲ったら蹴り潰すです! そして都条例を盾にして社会的抹殺をするです!」

「……陽菜は、天ちゃんがいいな……」

 三者三様のリアクションに、男性陣はすっかり平常心を失ってしまった。

「お、おちちゅけ、いや、落ち着けぇっ! ミッシェル! お前は一体何を言っているのか、分かってるのか?」

 するとアンジェラは頬を真っ赤に染めながら説明しだした。

「ボ、ボクの能力は憤怒の力、つまり怒りのエネルギーで発動するんだよ! てっとり早く怒るんだったら、セクハラされるのが一番だと思って……」

「ちょ、ええーっ?」

 アンジェラの提案に目を白黒させる貴博。

「いやいや! 無理だ!」

 即答する貴博に、アンジェラの口があんぐり開いてしまった。

「何でっ!? 酷い! 酷いや! ボクの身体はセクハラ行為に値しないというんだね? 確かに心なしかぺったんこだけど、頑張って寄せれば谷間は出来るんだぞ?」

 ショックでがっくりと肩を落とすアンジェラ。そんな彼女に、慌てて貴博は弁解した。

「んなこと言うな! 大体だな? お前が嫌がる事を、なんで俺がやらなきゃなんないんだ? ……もっと、自分の事大切にしろ」

 このユーリの言い分に、アンジェラはハッとさせられた。

「ユーリちん……、優しいんだね。そうだよね。ごめん、忘れてほしいな」

「ったく、何言いだすかと思ったら……」

 貴博とアンジェラの間には和やかな空気が漂っていた。それを巧は、

「畜生、爆発すればいいんだ……」

 と、恨めしげに呟く。そして、何かを悟った面持ちでアンジェラへ詰め寄ると、

「副マス、不肖柴山 巧! 失礼します!」

 と言って、アンジェラの慎ましい二つの乳房を、左右の手でしっかりと掴んだのであった。途端にアンジェラの顔が凍り付く。二度、三度胸元の掌が動くと、巧は何かを確信したように頷いてみせた。

「ギルマス、据え膳喰わずして漢とは言えません。揉めと言われたら揉む。それが礼儀です。それに、副マス、『これ』なら大丈夫です! まだまだ発展途中ですから、これからちゃんとしたバランスの良い食生活を心掛ければ自然とCカップに育つ……」

「うわあああああああああああああああああああああああああっ!」

 アンジェラの悲鳴とともに繰り出される右の鉄拳が、巧の顎を正確に捉えた!

 キレイに入ったアッパーカットは、巧の上半身を必要以上に仰け反らせ、そのまま車の扉に後頭部をぶつける程の威力を発揮した。

「副マス……、抉るような、拳……! お見事、です……! ふぅ……」

 巧の恍惚とした表情が全てを物語っていた。

「柴山さん、いや、天楽、無茶しやがって!」

 そんな巧のマゾヒストぶりに最敬礼せざるを得ない貴博。

「忘れてたよ……。天ちんは変態ろりこん紳士だったんだ。完全に油断してたよ」

 胸元をガードしながらぷるぷると怒りを露わにするアンジェラ。

「天ちゃんったら……。変なところで思い切りがいいのね」

「汚らわしいロリコンがいるですよ! 早く車内から摘み出すです!」

 苦笑するこばとに慄くつばめ。そして陽菜は、泣いていた。

「浮気……、馬鹿……!」

 また何処からか羽音の大群が聞こえてくるなり、女性陣が顔を青ざめながら必死に陽菜をなだめていた。

 殴られた巧は、顔を座席に押し付けたままもがいていた。

 それを見た貴博はある事に気が付く。

「なぁ、ひょっとして、能力使ったのか?」

 その瞬間、アンジェラの顔色から血の気が引いていく。

「あ、やば。咄嗟の事だから力加減できなかった!」

「おい! マズいんじゃないのか?」

「ヤ、バい……、です……、既に……」

 巧が苦しそうに顔を座席に埋めながら喋っていた。

「なんだ……これ? 顎が、顔が……、どんどん重く、なって、モガっ? 息が……ッ!?」

 次第に巧の顔面が顎から座席に密着し、顔全体を減り込ませていくではないか。呼吸口を塞がれた巧は、息苦しそうに手足をばたつかせる。アンジェラは慌てて背中を三回軽く叩くと、さっきまで減り込んでいた顔が嘘のように軽く起き上ることが出来た。

「ボクの異能力は、殴った物を重たくすることが出来る力なんだ。時間経過とともに重さが増していって、最終的には自重で崩壊、フルフラット(ぺったんこ)ってわけ」

「なるほど、だからミッシェルの胸もぺったんこ……」

「あれ? ユーリちんも殴られたい?」

「……冗談です、許して下さい」

 さっきとは明らかに露骨な殺意を感じた貴博は、すぐさま前言撤回、本日二度目の土下座を披露し、女性陣の拍手喝采を浴びたのだった。


 ◆2


 シャバに戻ってから初めての週末。

 貴博はボストンバックに教科書や制服、着替えなどを詰め込み終わると、十七年間過ごした自室を名残惜しそうに見渡した。いつも使っていたPCには『後日運搬。廃棄厳禁』としっかりとメモ書きを張り付けておいた。部屋を出て、階段を下りる。玄関前には両親が待っていた。

「……見送りはいらないって言ったじゃないか」

 貴博は突き放すように言い放つ。両親の顔は見ない。見ると許せない気持ちで心がいっぱいになるからだ。アンジェラの働きにより、貴博と巧の疑いは晴れた。しかし、たとえ疑いが晴れても、向田家の近所の評判は地に落ちてしまった。

 更に、貴博は今回の件で完全に父親と仲違いしてしまった。冤罪だったとはいえ、父親が「もうお前を息子と思わない」と口走った事に貴博は酷く傷付いた。その後、形式だけでも父親は頭を下げたが、貴博は既に我慢の限界であった。

「もう二度と帰ってこない。そこにいるオッサンが、俺のことを息子だって思ってないんだからな」

 憎しみを込めた視線を父親に向ける。父親は無表情のまま貴博を睨み返した。

「どのみち、大学進学したら一人暮らししようと思ってたんだ。それが二学期中頃まで早まっただけだし。幸い、ニュースで一緒に映ってた社長令嬢のツテで部屋を間借り出来るようになったから。食事も徐々に自炊できるように頑張るよ」

「貴博……」

 母親が貴博に何かを手渡した。それは印鑑と通帳であった。今まで溜めていたお年玉や小遣いを全く切り崩さずに積み立てているため、貯金額はそれなりの額まで達していた。貴博はそれを受け取った。

「ありがとう。これで何とかやりくりしていくよ」

 母親は申し訳なさそうに身体を縮こませながら、貴博に語り掛ける。

「貴方を疑ったこと、本当に悪かったわ。親失格だって言われても仕方がないと思ってる」

「何を今更、もう話しかけるなよ」

「でもね貴博。お父さんだって貴方の事を心配しているのよ。推薦合格した大学、もしかしたら、この騒ぎで合格を取り消されるかもしれないって話じゃない? そのことで父さん、大学側へ直談判しようと準備しているのよ?」

「止めなさい、母さん。コイツが出ていくなら、そんな事もする必要がなくなる」

 貴博は初めて聞く話に耳を疑った。父親は沈痛な面持ちで、自分の気持ちを吐露しだした。

「……悪い癖だな。父さんはいつも頭に血が上ると、必要以上に相手を傷付けてしまう。貴博、お前が父さんのことを嫌っているのはよく分かる。父さんも自業自得だ。自分の息子に言ってはいけない事を口走ってしまった。許してもらえないのも当然だ」

 父親の言葉に、ただひたずらじっと耳を貸す貴博。

「だからこそ、お前を陰で支えようとしたんだ。許してもらおうとした。このまま家族がバラバラになるのはよくないならな。だが、そんな必要もなさそうだ。お前自らこの家を出ていくからだ」

 そう言うと、父親は背を向けて居間へと下がっていってしまう。母親はいつもどおり、どうしていいか分からずにオロオロと狼狽える。貴博は黙って父親の背を見つめ続けていた。

 ふいに、父親が廊下で歩みを止める。そして、貴博へ振り返りもせずにこう告げた。

「週一回、電話でいいから連絡を寄越せ。体調悪くなったら、無理しないでこっちに相談しろ。あと、変な輩や訪問販売に引っかかんじゃねぇぞ? この3つくらいは守れ。そしたら大学へは父さんたちが文句言ってやる」

 そして、今度こそ居間へ引っ込んでいった。唖然として何が何だか呑み込めていない貴博に、母親は小声で囁いた。

「父さん、この前ゲーム脳の事を調べて、『またアイツを怒らせてしまった』って後悔してたのよ? 素直じゃないところ、親子似ちゃってるわ」

「そうだったのか……。って、俺はあんなにヘソ曲りではない!」

 仏頂面で答える貴博に、若干涙ぐんで相対す母親。

「良い友達を持ったわね。大切にしなさい。これから世話になるんだから」

「ああ、勿論だ」

 玄関のノブに手を掛けると、貴博は胸を張って外へ出る。振り返り、母親の顔をしっかり見ると、確かな声量で、奥の居間にいる父親にも聞こえるように、貴博は言葉にした。

「いってきます!」


 ◆3


 家族とのしこりが無くなった貴博は、本当に家を出る必要があったのか?

 実は、真の目的は『打倒、陽海』の作戦の一環なのである。

 しかし、家を出るという動機は確かに両親との確執によるものだった貴博は、アンジェラの住む高層マンションのエントランスに到着すると、これから行う作戦への意欲が減退していることを実感していた。

「いやさ、あんなに円満解決するとは思ってなかった……。いや、嬉しいさ。嬉しいけどさ? なんだろう、これから敵と戦うのにこういうアットホームなイベントが起こるのって、大抵死亡フラグが立つときじゃね? いや、本当に嬉しいんだけどさ、二度と戻るつもりなかったしな、なんか複雑っていうか、ううん……。このまま本当に居候させてもらうか?」

「向田君、何をぶつぶつと言ってるんだい?」

「うおわあぁぁぁっ!?」

 背後から巧に声を掛けられ、驚いて二メートル弱程横へ飛び跳ねる貴博。巧はリュックサックに動きやすい青のトレーニングウェアにスニーカーという居出立ちだった。

「ちょ、おまっ……! いきなり声掛けるなよ!」

「失礼ですね、ちゃんと三回も呼びましたよ?」

 むっと顔をしかめる巧に、貴博は苦笑いで返す。

「そ、そりゃ悪かった。はははは……」

「しっかりして下さい、向田君。今回のは命懸けなんですからね? 俺、有給使ってまでここに来てるんですから、もっと気合い入れて下さいよ」

 命懸け、という単語に貴博の表情が引き締まる。

「そうだな。雷斗は既に人を殺してる。もう歯止めなんか効かないだろうな。俺たちも協力するからには、それなりの覚悟が必要だ」

 貴博は自分で言いながら、事の大きさを再度認識する。相手は強盗殺人犯なのだ。しかも、何か特殊な異能力を駆使している可能性が極めて高いらしい。

「ただのネトゲのオフ会だったら、本当によかったんだけどな……」

 思った以上に大変な事態に巻き込まれていることに、ようやく貴博は気付いたのであった。


 ◆4


 貴博と巧はエレベーターから現れた人物に軽く会釈をする。

「やぁ、よく来たね。これから日曜日までの三日間が本当の勝負だよ。この三日間で、二人の潜在能力が引き出せるかを試すからね。ボク、二人には期待してるから、しっかり頑張ってほしいな」

 エントランスへ迎えに来てくれたアンジェラの姿は、最初に会った時のような引き籠りファッションだった。

 今日は白のTシャツの上に薄ピンクの上着を羽織り、同色の短パンとキャラ物のサンダルを履いてやってきた。髪は左右非対称の黒いモップのようなロングヘアー。勿論、すっぴんのままだ。すっぴんとはいえ、元々の顔立ちが良いアンジェラに、貴博は自然と心拍数が跳ね上がっていくのを感じていた。

「よ、よろしくな。ミッシェル」

「副マス、お邪魔します」

 二人が頭を下げると、すぐに頭を上げる様にと言うアンジェラ。

「いいのいいの。ボク一人じゃ広すぎて持て余してたんだ。じゃあ、行こうか?」

 エレベーターに案内されて、二人はアンジェラの軽い説明を受ける。何でも、グノーシス現社長であるアンジェラの父親は、アンジェラが作家として安定した収入を得られるようになったお祝いに、この高層マンション全二十五階のうち、最上階から五階をミッシェルに買い与えたそうだ。つまり、二十階から最上階がミッシェル専用のプライベートゾーンなのだ。

「で、二人は二十三階と二十四階どっちがいい?」

「部屋を選ぶんじゃなくて、階層を選ぶ時点で次元が違うぜ……」

 貴博は軽い眩暈を起こしてしまってた。

「ちなみに、二十三階と二十四階の違いってなんですか?」

 巧の質問に、んーっ、と唇を尖らせつつ答えるアンジェラ。

「先客がいるか、いないかの違いかな?」

「先客、ですか。プライベートエリアなのに?」

「うん、今回の件はボクたちたけじゃ荷が重いと感じたんだよ。だからユーリちんと天ちんがブタ箱入っている間、小鳥遊姉妹と陽菜ちゃんに事件の背後を洗ってもらったり、上手く二人が社会復帰できるように、ボクが2人と協力して裏から手を回してたりしてたんだよ。今から会ってみるかい? 改めてお礼をしたほうが良いと思うよ?」

 という訳で、アンジェラの勧めで貴博と巧はその協力者二人組と面会することになった。

「このマンションは一つの階に七部屋用意されててね。そのうちの四部屋を小鳥遊姉妹が、一部屋を陽菜ちゃんが使ってるんだよ」

「へぇ、あの姉妹は二部屋ずつ使ってるのか。豪勢だなぁ」

 貴博のボヤキに「違うよ」とアンジェラが注釈を入れる。

「部屋は一人一つずつ。残りの部屋は冷蔵庫と衣装部屋なんだ」

「……どういう部屋割りなんでしょうか、それ?」

 巧は残りの二部屋が住居ですらないことに愕然としているようである。

「まぁ、小鳥遊姉妹の異能力に必要なんだ。二人と違って、彼女たちは早くからボクが鍛錬させて、既に異能力が目覚めている」

「凄く短期間で覚醒したんですね」

 巧の疑問に、苦笑しながらアンジェラは答えた。

「小鳥遊姉妹とは、実は長い付き合いなんだ。特にこばととはβテスト時代からの親友だよ。彼女もボクと同じように、異能力者を秘密裏に捕獲する手伝いをしてるんだ」

 それを納得した表情で巧は頷いてみせた。だが、貴博はまだ首を傾げていた。

「……本当に冷蔵庫と衣裳部屋が異能力に必要なのか?」

「小鳥遊姉妹の異能力はちょっと特殊でね。小道具がないと成り立たないんだ。まぁ、会ってみれば分かるよ。ほら、到着だ」

 百聞は一見にしかず、という事で、アンジェラは彼女らがいる部屋の前まで案内した。インターホンをアンジェラが鳴らすと、玄関から栗色に染めたショートカットが似合うボーイッシュな少女が顔を出した。少女はアンジェラの後ろに佇む男二人を、怪訝な目付きで頭のてっぺんからつま先までじろじろと眺める。警戒心丸出しの態度に、貴博と巧はどうしていいのか分からず顔を見合わせてしまう。

「男子禁制ですよ、ここの階は? 大人しく上の階で男臭くガチムチって『アッー!!』って、叫んでてくださいね」

 寝起きなのか、目を擦りながら暴言を吐くこばとに、男性二人は堪らず後退りしてしまう。

「ミーちゃん、話が違うわ……。男は上に、って言ってたじゃない」

「こばと、ユーリちんと天ちんが昨日のお礼を言いたいんだって」

「あ、ありがとう。おかげで助かったよ」

「こばとさん、いや、アゲハさん、本当にありがとうございます」

 貴博と巧が頭を下げる姿を見て、こばとはようやく警戒心を解いたようだ。その証拠に、玄関から身体を出してきたのだ。……やはりぷるぷると弾ける乳房の質量に、男性陣は一瞬目を奪われそうになるが、必死に欲望を抑え込んだ。

「……別にいいですよ、眺めたければどうぞ。ただし、この胸のせいで、あたしは男嫌いになったんですけどね」

 見詰められた側が凍えそうなほど冷たい視線をおくるこばとに、貴博と巧は小刻みに首を横に降った。

「いい加減に男嫌いを克服したら? 胸なんてあったほうが良いに決まってるじゃないか。ボクにはない武器を、目の前で要らないって言われると虚しくなるよ……。それに、昨日の報道陣でよく『化けの皮』が剥がれなかったね?」

 胸の恨みとばかりに、にやにやとからかうアンジェラに対して、こばとがむくれて反論する。

「それは、ミーちゃんやつばめや陽菜ちゃんがいてくれたから……。だから、男どもがいても平気だったの。危なかったのは陽菜ちゃんの方よ。あそこで異能力使われたら、間違いなく死者が出てたわよ?」

「あはは……、陽菜ちゃんの異能力はボクより攻撃的だからねぇ。流石、傲慢の異能力者。でも、見かけに因らないもんだよねぇ……。あんなに可愛い陽菜ちゃんに、あそこまでエグい異能力が発言するとはね」

「陽菜が……、どうしたって?」

 四人の背後に、いつの間にか陽菜が首を傾げながら佇んでいた。一同、驚きで身体をビクッと飛び上がらせてしまう。髪をひとつにまとめ、可愛らしい猫柄のパジャマを着込んだまま、キャラ物の健康サンダルといった居出立ちの陽菜は、巧の姿を見付けるなりニコッと微笑んだ。

「あ……、天ちゃん、おはよう……」

 すぐさま巧みに擦り寄ると、巧の袖口をちょこっと摘まんでみせた。その瞬間、巧の全身が一気に赤く染まっていく。

「あ、ああ、おはよう! 寝起きの姫ちゃんも可愛いぃっ~」

「えへへ……、でしょー……?」

 萌える巧に、さらりと自分を可愛いと言ってのける陽菜。

 二人だけの桃色空間に、残る面々は、

「愛ってなんだっけ?」

 と自問自答せざるを得なかった。

「アゲハさん、うぅたんはまだ寝てるの?」

 おもむろに貴博が残りのメンバー、うぅたんこと小鳥遊つばめのことを尋ねてみると、苦笑いしながらこばとは教えてくれた。

「そうみたいね。昨日はユー君と天ちゃんが来るって夜中まではしゃいでたから……」

「ああ、子供って、イベント前日の夜って楽しみで眠れないんですよね」

 巧は自分の子供の頃を思い浮かべているのか、感慨深げに数回頷いていた。

「ま、まぁ……、そうかもしれないわ」

 何故か苦笑いで巧の言葉に答えるこばとだった。

「ある意味、イベントよね。『あのロリコンどもの股間を、思う存分蹴り潰せる日がやってくるです!』って、深夜まで意気込んでたもの」

「真の敵は意外と近くに居た!」

「俺はロリコンじゃないですって!」

 愕然とする貴博と巧だった。

「アゲハさん。うぅたん、COAの時とキャラが違いすぎませんか? 陽菜ちゃんみたいに、COAでは元気娘なキャラはまだ分かりますけど、うぅたんは完全に二重人格ですよ」

 巧の言葉に、こばとは真顔で言ってのけた。

「あの子は『ケリデレ』だから。股間を蹴られた痛みを乗り越えた猛者にのみデレるのよ」

「そんな特殊な攻略条件は要りませんって!」

 思わず股間を抑える巧であった。

「でも、あの子、デレたら相当エロいわよ? 本当、小学生とは思えないくらいエロエロよ。いくら色欲の異能力があるからって、あれにはお年頃の高校生のあたしでも引くわ。だって、都条例スレスレだもの。分かりやすく例えるなら、走り高跳びのベリーロール並みにスレスレよ? しかも、まだまだ上に行ける余裕も残してる。姉のあたしが言うんだから間違いないわ!」

「その事実を姉がバラすのも考え物だがな……」

 貴博が頭を抱えながら溜息を吐いた。

「さて、そろそろ起こさないと。あたし、起こしてくる」

「あ、ボクも行くよ」

 こうして、二人は隣の部屋の扉を開ける(不用心にも鍵が掛かっていなかった)。

「キミたちは待っててね。流石に乙女の寝室へ男どもが勝手に押し入るのは、いくらなんでもマナー違反だからね」

 アンジェラがそう言うので、やむなく二人は玄関の前で待機することになった。

「しかし、変態姉妹までここに来てたとはね」

「しっ! ギルマス、本人たちに聞こえますよ?」

「他に妥当な呼び方がないんだから仕方がないだろう? 妹の性癖をバラす無自覚な変態と、男の玉を潰そうとする真正のエロ変態ロリ」

「……否定が出来ないところが凄いですね」

「っつーか、ミッシェルってラノベ作家だったんだな……」

「そういえば、そんな事を言ってましたね。時間があったら既刊の書籍を読ませてもらえないですかね?」

「いいな、それ! 後で頼んでみるとしようか?」

「きゃああああああっ!」

 突然、部屋の中から悲鳴が聞こえてきた!

「おい、中から聞こえたぞっ?」

「行ってみましょう!」

 二人はミッシェルの禁を破り、うぅたんの部屋へ土足で踏み込む。すると、そこには見覚えのある人物が、ポーチを肩から掛けてワンピースを着た、長い黒髪の童女の怯える顔の前に、スタンガンのような火花を発する左手を押し付けようとしていたのだ。

「よう、お二人とも、久々だな?」

「加藤……陽海っ!!」

 巧が思わず息を飲む。陽海は汚れたジーンズにいつもの黒パーカーという格好だった。人質を取っていることを確認すると、迂闊なことはできないと判断して前へ一歩出ることを躊躇った。貴博は陽海を睨み付けて問い詰めた。

「お前が雷斗だったんだな! その子から、うぅたんから離れろ!」

「離れろって言って、はいそうですかって離れる悪党はいねぇんだよ!」

 陽海は帯電する左手から電撃の矢を無造作に放つ。貴博やアンジェラたちの足元に矢が刺さると、一瞬に刺さった場所は黒焦げになってしまう。貴博たちは思わず後ろに飛び退くと、それを見ていた陽海は愉快そうにほくそ笑む。

「今のは威嚇射撃だ。大人しく俺を逃がすなら追撃はしない。追いかけるようなら、お前らは皆殺しだ」

「お姉ちゃん、心配しないで! ウチは大丈夫だから!」

「つばめ!」

 こばとが妹の名を呼びながら一歩前に出ようとすると、すかさず電撃の矢を向けてくる陽海。故に、こばとは妹を力づくで奪還することが出来ない。

「おっと、お喋りは終わりだ。社長令嬢さんよ~? 本当はお前を拉致ろうとしたけどよ、もっとお手軽な獲物が見つかった。命拾いしたな?」

「連れて行くなら、ボクを連れていけ! それに、お前から出向いてくれたことに感謝するよ。ここは二十三階だ。どうやって潜りこんだかは知らないけど、飛び降りでもしない限り逃げられないよ!」

 アンジェラが両拳を前に掲げて戦闘の構えを取った。

「そうだ、この場は俺たちが有利じゃないか。俺も加勢する!」

「俺も行きます!」

 男でもアンジェラの元へ駆け寄り、陽海と対峙した。しかし、陽海はがっかりした様子で苦笑するばかりだ。この態度に、アンジェラのこめかみが徐々に痙攣しだす。

「何がおかしい? いい加減にしないと、『怒る』よ?」

「いやぁ、普通、入ってこれたんだからさ、逃げ道ぐらい確保してるに決まってるべ? 本当に馬鹿ばっかだな!」

 そういうと、つばめを抱えたままテラスまで下がる陽海。そして柵の上に立ち上がると、小馬鹿にした態度で手を振った。

「コイツを返してほしかったら、一時間後に指定する口座に三億入金しろよ。バイバ~イ!」

 そのまま、陽海はつばめを抱きかかえたまま窓の外へ飛び降りた。

「馬鹿なっ! おい、止めろ!」

「つばめっ、いやああああっ!」

「駄目、間に合わない! 陽菜ちゃん、異能力を!」

「駄目……、姿が見えないと……、発動できない……」

 部屋にいた五人は一斉にテラスへ駆け寄る。そこで巧があるものに指差して驚いた。

「あれ見て下さい! アイツ、浮いてますよ!」

「なんだって!?」

 貴博は、幻覚としか思えなかった。何故なら、飛び降りた陽海の姿は人間の姿ではなく、COA内のセットラーの姿であった。セットラーには短時間宙に浮いて、毒の沼やトラップを回避するスキルを覚える。陽海はそれを利用して空を飛んで窓から侵入、そして地表に衝突することなくまた窓から逃げおおせたのだ。陽海が空を滑空するかのように逃走していく様を、五人はただ指を咥えて見ている他なかったのだった。

「まさか、雷ちんがそこまで能力を酷使していただなんてね。これはボクの想定外の事態だ」

「ねぇ、うぅは? つばめは助かるわよね、ミーちゃん?」

 狼狽えるこばとはその場にへたり込み、アンジェラの手を強く握った。その目尻から大粒の涙が零れる。

「あの子、あたしを心配させないように、わざとあんなこと言ったのよ? 泣き虫のくせに、あんなに強がって! きっと今頃怖くて泣いているわ!」

 泣き崩れるこばとに、そっと顔を近付け、力強く何かを確信した口振りでアンジェラは告げた。

「大丈夫。たぶん奴の居場所はすぐ分かる。うぅたんはどうやら眠れなかったようで、ボクたちよりもはやくおめかししていた。人間万事塞翁が馬とはこの事だよ。ご丁寧にお出かけ用の肩掛けポーチも身に付けているんだもの」

 ポーチという言葉に、何かを思い出したこばと。

「ああ! あのポーチの中身を悟られない限り、うぅの居場所が分かる!」

「あの、そろそろネタ晴らしして下さいよ。俺たち、何が何だかさっぱりで」

 置いてけぼりになっている巧が不満を漏らす。すると、ミッシェルが自分の部屋へ来るように全員に促した。


◆5


 最上階のミッシェルの部屋の一つ、ネット部屋。部屋の壁が取り払われた二部屋分の空間に、血管のように張り巡らされたケーブル類と三台のモニター。そして大量の外付けHDDとマザーボード。いつもここでアンジェラは、一台はCOA常駐用、もう一台はネットサーフィン用、最後の一台は諸々のバックアップ用に使っていると説明してくれた。

 アンジェラはネットサーフィン用と説明したPCの電源を入れる。処理速度が以上に速いのか、数秒もしないうちに立ち上がった。

「いいかな? うぅたんのポーチに入っていたのは、子供用の防犯機能付き携帯電話なんだ。これはね、防犯ブザーや通報機能などが搭載されているんだけど、中でも優れモノなのが」

 アンジェラがとあるサイトを開く。そこには、赤く点滅する丸印が、地図の上を移動していくサイトだった。

「これはGPS機能を搭載した携帯電話を追跡するサービスなんだ。この赤い丸印がうぅたんだ」

「素晴らしい! これで奴の居場所を特定できる!」

 貴博が興奮しながら地図上を動く赤丸に見入っていた。

「地図上の道を完全に無視して移動しているってことは、まだ雷ちんは都内上空を浮遊してることになるね。もしかしたら、誰かに飛んでいるところを目撃されているかもしれない。ボクとしては、あまり目立ってほしくないんだけども……」

「目立ってほしくないってことは、まさか警察にも通報しないんですか?」

 巧の質問に、苦々しく頷くアンジェラ。

「潜在能力の存在を世の中に公表するのは、まだ時期尚早だ。警察に通報するという事は、その事も含めて説明する必要が必ず出てくるという事だからね。そんなことをしたら、COAは即運営停止だ。現に、異能力を手にした輩が幼女を誘拐したうえに、ボクたちの身の危険を脅かしている。これはグノーシス社最大の危機だよ。いまままでの異能力者はこんな劇場型犯罪者じみたことをしたことがなかったんだ。ここで潜在能力のことが明らかになれば、日本中がパニックになるのが目に見えている」

「警察に言えない理由は分かった。でも、アイツの姿はおかしかったぞ? 何でCOA内のキャラに変身してるんだ?」

「それはユーリちん。雷ちんは既に能力に浸食されているからだよ」

「浸食、って、もっと分かりやすく説明してくれよ。俺と柴山さんは予備知識が殆どゼロなんだからな」

 今までの会話になかなか付いていけていない貴博は、ここぞとばかりに不満をぶつけた。アンジェラは少し考えると、極力噛み砕いて説明した。

「異能力を過度に使うとね、徐々に人間じゃなくなるんだ。その代りにCOA内のスキルが使えるようになったりするけど。でも、そうなったらもう完全に人間へ戻れなくなる。目覚めた罪の種類、ボクなら憤怒、アイツはどうやら強欲のようだったけど……。とにかく、そういった欲望や感情で直感的に動く、獣と同等の生命体に生まれ変わっちゃうんだよ。それを進化と呼んでいいのなら、ボクは神の選別を恨むよ」

 それを聞いた貴博と巧は、急に背中に悪寒が走る。

「お、おい? 俺たちもそうなるのか?」

「それに、副マスだって危険なのでは!?」

「大丈夫。ボクの管理下で突然変異なんて絶対にさせないよ。みんなも、ボク自身も」

 力強いアンジェラの眼差しが、貴博、巧、こばと、そして陽菜を見据える。その瞳の輝きは、炎のように熱い決意で満ち溢れていた。それに四人は無言で頷く。それを見て、アンジェラは再びGPSの座標を確認する。

「奴さん、どうやら着陸したようだ。海沿いの工業倉庫にいるね。早速向かおう。移動手段はボクの部下に用意させるから」

 そう言うと、どこかへ連絡を入れるアンジェラ。つばめの安否を気遣う四人は、来るべき決戦に向けて緊張の面持ちで窓の外を眺めていた。


◆6


「奴さんとの戦闘は、ボクとアゲハさんで行う。陽菜ちゃんはボクらのサポートに回って。二人はうぅたんの救出をお願いするよ」

 移動中の車内、アンジェラは貴博と巧に指示を出した。だが、貴博は納得がいかないようで、それに抗議をした。

「頭数は多いほうが良いだろ。俺も戦う!」

「駄目だよ。ユーリちんはまだ力に気付いてない。こばとだって、本当に最近、異能力に気付いたばっかだ。実はまだ、あまり制御が出来ていない。けど、生身の人間のユーリちんよりかは格段に戦力になる」

 そう言って、大きな紙袋にぎっしり詰まったハンバーガーを一心不乱にかぶりつくこばとを横目でちらりと見たのだ。

「あの、何でアゲハさん、そんなにがっついてるんですか?」

 巧の質問に、口のまわりに食べカスを付けたこばとが答えた。

「あたしは暴食の業の異能力、『マッドノッカー』を持ってるの。食べれば食べる程、戦う力が跳ね上がるのよ。難点なのは、食べ過ぎて一時的に太ることなのよね。あ~あ、またダイエットしなくちゃ」

「そういえば、心なしか体付きが筋肉質に……」

 ハンバーガーを二〇個ほど平らげたこばとの身体が、先程の女性らしい丸みを帯びた体型から、逆三角形のマッスルボディに変化していたのだ。巧は「それは太ったんじゃなくて、筋肉が増えたせいだ」と内心思ったが、とても口には出せなかった。

「だったら、俺も能力に気付くように頑張るから! なんか、気付くためのヒントをくれないか?」

「そんな簡単に気付けるとは思えないけど……。やってみる価値はあるかな?」

 アンジェラは貴博と巧に、右掌の痣を見せるように言った。二人が掌を見せると、痣の形を確認しだすアンジェラ。

「んーと、ユーリちんは強欲かな。さっきちらっと見えた雷ちんの痣の形に特徴が似てる。天ちんは嫉妬だね、これは」

「強欲か……。陽海と一緒か」

「嫉妬、ですか?」

「そう、ボクらの異能力は全て七罪になぞられている、というのが社長の持論でね。現れる痣の特徴が7つに分類できることも起因している。傲慢、憤怒、暴食、強欲、嫉妬、怠惰、色欲。人間は生きる上で、この七つを避けて生きていけないという考えを『七罪思想』と社長は呼んでるんだけど、異能者はこの七つの内、どれかが飛び抜けてるんだ。そして、それに沿った種類の異能力が開花する。ボクなら怒りのエネルギーを糧にしたり、アゲハさんなら食べることによってパワーアップ出来るようにね」

「つまり、俺ならもっと強欲に、柴山さんなら嫉妬深くなるといいのか?」

 それにアンジェラは首を傾げてしまう。

「だと思う。ただ、実際のところ、ボクたちグノーシスでも把握しきれていない部分が多い。きっかけになるのなら、ほんの少し意識するだけでいいんじゃないかな?」

「む、難しいですね……」

 自分の右手を眺めながら巧はそう言葉を漏らした。しばらく二人は痣とにらめっこしていたが、結局何も変化が現れない。外の景色に海が見え始めたころ、アンジェラが二人に告げる。

「残念ながら時間がない。二人とも、今は能力開花は諦めて、うぅたんを安全に奪還する手段を講じてほしいな」

「どうやら、そのほうが懸命のようだな……」

 右手を握り締め、タブレット型の端末に映し出される赤丸を再度確認する貴博。車は、もう少しで現場に到着するようだ。貴博は灰色の同じような倉庫群を眺め、「今は自分の出来ることをやるしかない」と決意を固める一方、力不足の現実を歯痒く感じていた。


 ◆7


 目的地の工業倉庫近くまで車を寄せると、四人はゆっくりと倉庫の入り口を目指す。倉庫の入り口は少し開いていた。中は暗くて様子を伺うことが出来ない。

「GPSはここで止まっている。油断しないように」

 アンジェラの忠告に他の四人は目配せで了解の意を送った。

「三つ数えたら突入する。ひとつ、ふたつ――」

 深呼吸をし、アンジェラは息を吐きながら、

「みっつ!」

 とコール。アルミ製の扉を乱暴に開け、四人はすぐに倉庫内部へ駆け込んだ。倉庫内部は外気とは違い、気味が悪いほどひんやりしている。金属資材の倉庫のようで、大量の鉄板やロール状になった鉄の資材、針金の束などが列をなして整頓されているため、通路が迷路のように入り組んで非常に迷いやすい。そのため、死角から攻撃されると防ぎようがない。また、戦力を分断されると、態勢を立て直しにくい点も挙げられる。

「奴とうぅたんを探そう。是対に離れちゃ駄目だよ」

 アンジェラを筆頭に、ひしめき合った金属の山の間を通っていく面々。だが、全く陽海は現れず、うぅたんの素材も掴めない。

「くそっ、ごちゃごちゃ物があり過ぎだ」

「そりゃそうだよ、ユーリちん。物が置いてない倉庫の方が珍しいと思う」

「二人とも、今はそんな事言ってる場合じゃ……、あ!」

 巧が前方に何かを発見した。

「いました、陽海の奴です!」

 鉄材の陰から顔だけだし、こちらの様子を伺っている陽海の姿があった。

「あいつめ、あんな所にいやがった!」

 こちらが気が付いたと分かると、相手はすぐに顔を引っ込めてしまう。

「追いましょう!」

 こばとが走ると、まるで弾丸のようなスピードで突っ込んでいくではないか。パワーアップは完璧のようだ。アゲハが陽海が消えた場所へ辿り付こうとしたとき、遅れて後ろを付いてきたアンジェラが指を差した。

「あれ? アゲハさん! こっちだ、こっちにいる!」

 今度は向かって右側の通路に陽海を発見。アンジェラたちの姿を確認すると、また物陰に隠れてしまう。

「おい、今度は後ろだ!」

 貴博が振り向くと、後方に陽海が姿を現す。

「え? 左にも奴がいますよ?」

 巧が驚くのも無理はない。更に、左にも陽海が登場したからだ。同時に四人の陽海が現れた。前方には、更に一人の陽海が飛び出てきた。こばとが慌てて貴博たちの元へ戻る。しかし、四方の通路を完全に封鎖され、袋の鼠となってしまった。

「なんで五人も奴がいるんだ?」

 貴博は周囲にいる陽海をそれぞれ見比べてみたが、どれが本物か偽物か区別が付かなかった。

「もしかして、これが奴さんの異能力かもしれない。分身を作る能力とか」

 アンジェラの推測を聞いた巧は、はっとした表情で何かに気が付いた。

「なるほど、それなら同時多発で起きたなりすましや事件にも説明が付きますよ。本体に崩しようのないアリバイさえ作っておけば。分身で好き勝手出来ますしね」

「その通りだ。これが俺の強欲の異能力、『ローバーズ』だ」

 その声は頭上から聞こえてきた。その姿は既に人間ではなく、完全にのそれとなっていた。もはや人間の姿を保っているのは、彼の分身だけであった。アンジェラはそんな彼に憐憫の念をぶつける。

「そっか、徒党を組んで盗賊ごっこってわけ? でもね、キミはその能力を酷使しすぎた。七罪のうちの一つ、強欲にその身体はとっくの昔に見初められちゃったんだ。それ以上その姿でいると、本当に人間に戻れないくなるんだよ? こんなことして何になるんだい?」

 だが、陽海は全く聞く耳を持たない。

「知らないね! 今更、無能な人間に戻る気はないんだ。この力がずっと使えるなら、俺は人間を辞めたって後悔するもんか! 俺はもう加藤陽海じゃねぇ。雷斗だ! 加藤陽海という人間はたった今死んだ! そして、俺は雷斗として生まれ変わった!」

 宙を浮きながら下品に笑う雷斗。そして、それにつられて分身たちも笑い出す。嘲笑の不協和音が薄暗い倉庫内中に響き渡り、囲まれている五人を苛立たせる。

「ねぇ! うぅは? つばめは今、どこにいるの?」

 こばとの問い掛けに、不気味な笑みを浮かべる雷斗。

「ああ、あのガキか。GPS携帯なんか持たせやがって。それにしてもギャーギャーうるさいガキだったな。今は静かになったぜ。それと……」

 雷斗の手元に何かの房が握られていた。黒くて光沢のある長い房は、どっか見覚えのあるものであった。

「ほら、これな~んだ?」

 そう言って、雷斗は黒い房をこばとへ落とした。それは見覚えがあって当然だった。つばめのポニーテールの部分、それに間違いがなかったからだ。

 次の瞬間、アンジェラとこばとの身体が宙を舞った。アンジェラは雷斗の足元へ走り、こばとは強化された跳躍力で雷斗の眼前まで飛び上がる。

「は? 飛んだ?」

「アンタは落ちなさい!」

 落下の速度に体重を上乗せしたこばとの拳が雷斗の顔面に直撃。雷斗は不意を突かれて落下、落下した先にはアンジェラが待ち構えていた。

「そのまま潰れちゃえーっ!」

 怒りを右拳に宿らせ、地面に背中から叩き付けられた雷斗の鳩尾に『フルフラット』を全力でねじりこんだ! 雷斗の身体がくの字に折れ曲がり、口から体液が逆流する。

「もういっちょーっ!」

 更に左拳で雷斗の顎を完全に捉えた。

「うがあああああっ、つ、潰れる! あがっ? 顎が、首が、捻じれる!?」

 仰向けのまま攻撃を喰らった雷斗の身体は、鳩尾の部分がめりめりと音を立てながら陥没していき、顎の重さに耐えられずに首が今にも捩じ切れそうになっている。

「さぁ、吐いてもらうよ。うぅたんは何処?」

 アンジェラの問いに、涙目で解答する雷斗。

「外、の、コンテナの、どれかに、閉じ込め、た……」

「そう、まだ生きてるよね?」

「多分な……! 髪、だけ切って、放置……した。泣き疲れて……、寝てるだろう、な? こんな晴れた、日は、コンテナは、サウナ状態、脱水症状、起こしてたり、してな……!」

「そう、殺していないと分かっただけで充分だよ」

 アンジェラが雷斗に触ると、重さが軽減されたのか、雷斗は身体を起こすことが出来た。

「死なない程度の重さまで軽減したよ。これからキミにはグノーシス社直轄の施設に収容してもらって、そこで更生を図る。さぁ、来るんだ」

 アンジェラが雷斗の体を起こそうとしたその時だった。身体に巻き付けられている、粘土状の物体が目に入った。プラスティック爆弾、通称C-4!

「残念だな! 俺と一緒に天国行きだ!」

「……許さない!」

 ブゥーン――と、どこからともなく羽音の大群が聞こえてくる。その音はやがて実体を伴い、陽菜の身体に黄色と黒の大群が取り巻く。それはスズメバチのような大粒の怪物で、何万何億という数で陽菜の周りを飛び交っているのだ!

「女王の、命令は……、絶対なの。……逆らうなんて、許さない! 行きなさい……、陽菜の、兵隊たち……!」

 絨毯のような群れが一斉に一点へ動き出す!


「群れるの、『キラー・B・クィーン』……!」


 無尽蔵の蜂の大群が、まさに陽海に襲い掛かろうとした、その時だった。

「ちょっと待った、周囲を見てみろ?」

 貴博たちは促されるまま四隅を見渡す。他の四人の晴彦が、同じく腹に爆弾を巻いたまま近付いてきているのだ。

「五人同時にドカン、ってやってもいいんだな? 俺はいいんだぜ? 分身は死んでもまた作れる。本体のオレを逃がしてくれるなら、爆破は取り消してやってもいいんだがな?」

 よろよろと立ち上がると、雷斗は入口に向かってゆっくりと戻っていく。蜂の大群は周囲を遷移するだけに留まり、攻撃態勢に移っていない。

「変な動きをするなよ? 動いた瞬間、この倉庫ごと吹っ飛ばしてやる!」

 笑いながら入口を目指す雷斗に、貴博たちは指をくわえて見ているほかない。

「どうすんだよ、アイツが逃げたら俺たちは吹き飛ばされるぞ! どうすればいいんだよ、ミッシェル!」

「今考えてるよ! もう、重さを解除するべきじゃなかった……!」

「流石に素早く動けても、五人同時の起爆は阻止できないわ!」

「ごめんなさい……、陽菜のせいで……」

「姫ちゃんは悪くない……。くそっ、どうすれば!」

 絶望感が漂う貴博たち。その中で、巧が奥歯を噛み締め嗚咽を漏らす。

「畜生……! 俺とギルマスが異能力が身に付いていれば、畜生、畜生!」

「はっはっはっは、泣け、悔やめ! 絶望したまま死んでしまえ!」

 雷斗の高笑いを聞き、より悲壮感が高まる巧。

「妬ましい……! なんで俺に力がないんだ! なんでアイツは便利な力持ってるんだ? 妬ましい、妬ましい!」

 巧は悠々と出口を目指す雷斗を、血走った目で睨み付けた。


「いっそ、能力なんてなくなってしまえばいいのに――!」


 すると、突然、巧の右掌に激痛が走る。あまりの激痛に巧は悲鳴を上げる。荒れ狂う野獣のような咆哮を上げ、歯を剥き出しにしてのたうちまわる。

「柴山さん! しっかりしてくれ!」

「天ちゃんっ……!? いや、天ちゃん、天ちゃんっ!! 陽菜が傍にいるよっ?」

「あああああああっ! うあぁっ! ぎゃああああああっ!」

 次第に巧の右手から太陽のような光の球が生み出された。その光の珠は地面に潜り込んだかと思った瞬間、光の円が一気に倉庫内に拡大していく!

「うわ、眩しい!」

「きゃあっ!」

 あまりの眩しさに、その場にいた全員の目が眩んでしまう。光る床に照らされた分身たちは、なんとその光に次々にかき消されていってしまった。

 一人、また一人と分身が消滅していき、アゲハも元の体型に戻っていく。陽菜の蜂たちも、一匹残らず雲散霧消してしまった。

「どういうことだ? 分身が消えていくだと?」

 そういう雷斗自身も影が薄くなっていく。

「げ、オレ自身も分身だってばれる……! うわぁっ!」

 雷斗は苦しみだすと、煙のように跡形もなく消えていってしまった。残されたのは、腹に巻いていた爆弾だけが床に残されていた。巧は呆然としたまま立ち上がると、うわ言のように呟く。

「――嫉妬の業を持つ異能力、『アンダーグラウンド』の領域内では、誰もが力を発揮することはできない……」

 巧、嫉妬の異能力を発現させた瞬間である。

 そして、うわごとのように呟いたあと、そのまま巧は精根尽き果てたのか、その場に昏倒してしまった。

 アンジェラが駆け寄って巧の脈拍などを確認すると、ようやく安堵の表情を浮かべる。

「初めての能力行使にしては上出来すぎるよ。まさか、能力を取り消す能力とはね。その発想はボクもなかったよ」

 さすがは嫉妬かな、とひとりで口にするアンジェラ。

「それよりもミッシェル、奴の本体は別の場所にいるようだぞ。さっきの奴も消えちまった」

 貴博が入口付近にある爆弾を眺めながらそう言った。入口から何者かが走り去る足音が遠ざかっていく。

「きっと奴さんの本体だよ! ボクは天ちんをここで見てるから、二人とも追って!」

「分かった、柴山さんの介抱頼んだぜ!」

「陽菜も、ここにいる……」

 こばとと一緒に貴博は陽海を追う。陽海が倉庫を出ようとしたとき、振り返ってアンジェラと陽菜の姿を確かめた。陽菜は巧の頭を膝枕していた。そして、今まさに(何処から取り出したのか)黒のマジックでアンジェラが彼の顔に落書きをしようとしていた。

 何故か、「おい、そこ変われ」と貴博は言いたくなったことに、軽い自己嫌悪を覚えた。


 ◆8


 黒いパーカーを着た男の背を、貴博とこばとは全速力で疾走しながら追いかける。

「いい加減観念しろ!」

 陽海はちらっと後ろを振り向いただけで、依然しゃにむに前へと走る。つばめをさらった時のような変身はする素振りは一切見せていない。

「大人しくしなさい! 二対一なら負けないわ! あむっ!」

 こばとは先を走る陽海に叫んだ。叫んだ後に、銀色の箱に入っている携帯スナック食料にかぶりついていた。そのこばとの姿に、思わず右手の甲でこばとの肩を軽く叩きながらツッコむ貴博。

「なんでそんなモノ持ってるんですかっ?」

「おやつのつもりでこっそり忍ばせてたの。さっきので強化が切れてちゃった。持ってきてて助かったわ!」

「いやいや! あなた、妹助けに行くのにおやつ持ってきてたんですか!? ふざけるのもいい加減にして下さいよ!」

 再び右手の甲でこばとの肩を軽く払うように叩く貴博。

「ユー君ったら、そのツッコミ、まるで漫才師みたい! 一本食べる?」

「あ、戴きます。じゃなくて! アゲハさん、前に集中! もごもご……!」

 そう言ってる貴博も、ちゃっかり一本貰って口の中へ押し込んでいた。

 こばとが食べ終わると、走る速度が突然跳ね上がった!

 横で呆然としている貴博を軽々と抜き去り、矢のような速度で陽海を猛追する。

「くそっ、くるな!」

 陽海の右手が赤い光を帯びたかと思うと、彼の背後にもう一人の陽海が現れた。そして、そのままこばとに向かってタックルを試みる。

「止まれぇっ!」

 分身は確かにこばとの細い腰回りを抱きつくような形で飛び込んだ。両手でしっかりと抱きかかえるようにして。だが、今のこばとは普通の人間と同じように考えていたら痛い目を見る。その証拠に、

「男なんて振り落してあげるわっ!」

 と、大人一人腰にしがみ付かれても全く気にせずに全力疾走、分身を引きずりながら振り切ろうとして身体を左右に揺らしながら走る余裕を見せていた。その姿を見た陽海の表情に、焦りと戦慄がまざまざと浮かび上がる。

「一人じゃ駄目なら、これでどうだ!」

 右手の赤い光の輝きが増すと、陽海の背中から更に四人分身が生み出されていく。生み出された分身は脇目も振らず、一斉にこばとへ飛び掛かった。

「ちょっと、きゃあ! 変なところ触らないで! ふとももに顔付けちゃ嫌ぁー!」

 両手両足と胴体の計五人の男に抱き付かれ、男嫌いのこばとの動きが鈍る。こばとは両脚に引っ付く分身が不快のようで、懸命に振り払おうと足掻く。

 だが、振り解かれまいと余計に強く引っ付かれて、真っ青の顔色で表情が強張るこばとだった。

「アゲハさん! 俺に任せて!」

 貴博がこばとを追い抜くと、走りながら肺へ一気に酸素を吸い込む。そして歯を食いしばって少しずつ息を吐き出し始めた。こうすることにより、無酸素運動下での瞬発力が十秒ほど飛躍的に向上する。事実、世界で活躍するトップアスリートたちもこのような方法でトレーニングを行っているのだ。貴博の身体は次第にぐいぐい加速していき、四秒後には陽海のパーカーのフードに手がかかりそうな距離まで詰め寄る。

「届けええええええええええええっ!」

 雄叫びを上げながら全身に残された体力を一気に振り絞ると(六秒経過)、貴博の手はパーカーはおろか陽海の首元まで届く位置まで急接近(七秒経過)。右腕を伸ばしてそのまま強引に陽海の首根っこをヘッドロックの要領で抱きかかえると(八秒経過)、貴博はバランスを崩して(九秒経過)陽海を巻き込みながら転倒した(十秒経過、限界点到達)。

「はぁ……っ! はぁ……っ! はぁ……っ! どうだっ! 捕まえたぜ……っ!」

 エネルギーの虚脱を全身で感じつつも、貴博はしっかりと陽海の首を捕えたまま起き上る。

「さぁ!今度こそ……、観念、しやがれ!」

 息を切らしつつ、陽海にそう告げた。陽海は首を抑えている貴博の腕を両手で掴むと、短く何かを口の中で呟く。すると次の瞬間、陽海の手の中で突然青白い閃光が漏れたかと思うと、バチィッという音が辺りに響く。そして轟く、貴博の悲鳴……!

「ああああああああああっ! ああああああっ! 腕がっ! 腕が、し、痺れる……っ!」

 首を掴む力が緩み、陽海はすかさず拘束を免れた。貴博の右腕には、火傷のような痕が痛々しく浮かび上がっていた。ぶるぶると右腕部全体が痙攣し、指先も丸めたまま硬直してしまっている。

「ちょっと強力なスタンガンだ。しばらく右腕が使い物にならないと思うが、別にいいよな? お前はここで、身元が分からなくなるほど黒焦げになるんだからな」

 貴博は絶望する。陽海の言っていることを理解してしまったからだ。

 目の前で人間の姿から、異能者のセットラーの姿に変わった頃には、理解した内容は確信となった。

「分身は本体の俺が無事なら、最大五体まで自由に呼び出せる。たとえ分身を殺しても、俺が生きていればまた呼び出せる。それが俺の強欲の異能力、『ローバーズ』の一番の強み。そして!」

 褐色の肌にサングラス、というCOA内でおなじみの雷斗の姿。その身にまとうのは、青白い電光のほとばしり。

「分身を五体出した状態の時に限り、俺は雷斗の姿になれる。分身も含めて誰か一人だけだが、COA内のスキルも一部使えるんだ。多分、もっと長い時間この状態を保てば、いずれ最大威力のスキルも撃てるかもな?」

 雷斗は紫電を放ちながら宙を舞うと、勝ち誇りながら言い放った。

「今なら最大威力スキルを使える気がするんだ。ここら辺一帯に巨大な稲妻を落として、草の根一つも残さない焼け野原にしてみようか? 少し時間かかるが、どうせ今のお前たちに俺を止められない!」

 雷斗は空中で何やら詠唱を開始すると、その身体の周囲に電気の火花が激しく散り始める。次第に全身が発行していき、髪の毛が天へ伸びるように逆立っていく。貴博は右腕の痛みに耐えながらも詠唱を妨害しようとするが、相手は自分の頭上より高く浮いているため、全く手出しが出来ない。

 こばとも五体の分身に完全に自由を奪われ、全身鳥肌を浮かべたまま身動きが取れずにいる。

「何だよ……、俺だけ何で無力なんだよ!」

 貴博は自由の利く左手でアスファルトを殴り付ける。そして、宙を舞いながら詠唱する雷斗を見上げ、唇を噛み締めた。

「力が欲しい……! 今の俺には力が必要だ!」

 何もできない現実に、胸の奥底から悔しさが込み上がてくる。目から熱いものが溢れてきた。熱を帯びた涙が頬を伝い、だらしなくぼたぼたとアスファルトを濡らす。

「雷斗を止められる力が欲しい! 何でもいい、何でもいいから力が欲しい!」

 込み上げてくるのは悔しさだけではなかった。アンジェラやこばとや巧、そして雷斗のような特別な力、貴博の中に眠る七罪の内のひとつ、強欲の力を渇望する願いもともに湧き上がってきていた。

「ありったけの力、才能、技術! 全部だ! 今の俺に必要なのは――!」

 欲望の源泉は次第にその容量を膨張させ、遂には、間欠泉のように貴博の心という枠から爆発した!


「何でもいいから、この世の中の全てにある力が欲しいんだあああッ!」


 その欲望を口に出して叫ぶ。

 次の瞬間、貴博の右腕が『弾け飛んだ』のだ。

 不思議と痛みは感じなかった。

 まるで水風船が破裂したかのように、ぱんっと血飛沫を辺りに四散させながら肩から先の右腕の皮が粉々に弾け飛んでいった。

 驚いた貴博が弾け飛んだ右腕を慌てて確認する。筋肉自体は爆散しておらず、表皮だけが剥がれ落ちた感じだった。

 一体何が起こったのか、全く把握できない貴博は、ただただ筋線維丸出しの右腕部を凝視するしかなかった。

 するとそこへ、聞き覚えのある馴れ馴れしい口調の少年の声が背後から聞こえた。

「よう、相棒。ようやく俺に気が付いてくれたか」

 貴博が振り返れば、そこには自分と同じ顔で同じ背格好の少年が笑顔で待ち構えていた。周囲は灰色に染まり、まるで時間が止まったかのように静かだった。雷斗を見上げる。マネキンのように微動だしていない。止まっていうかのようではなく、実際に止まっているのだ、と貴博はそこでようやく気が付く。

「ずっと、俺はお前の後ろにいたのに。相棒は全然気が付いてくれなかった。本っ当、つれない奴だぜ」

 声の主は嬉しそうに声を弾ませていた。貴博は再びその少年へ向き直った。途端、後頭部を何かに殴られたような衝撃が貴博を襲った。

「……アナザー、貴博。もう一人の俺、潜在能力……」

 貴博の頭に次々に浮上してくる単語の数々。思考回路の処理速度をゆうに超えるその情報量が海馬から大脳新皮質などの脳の各分野に伝達されていく。

「おいおい、しっかりしてくれ。これから相棒は俺とともに生きてくことになるんだ。シャキッとしてくれ、シャキッと」

 心配するアナザー貴博をよそに、はっと息を呑んで目を丸くする貴博。

「思い出した――! 特典インストールの時のあの夢か! ミッシェルの言うことは事実だったって訳か!」

 やれやれ、と言いたげな顔で、アナザー貴博は数歩前に出た。

「そういうことだ、相棒! そこまで思い出したなら、俺の名前も思い出したよな?」

 清々しいほどまったく外連味のない笑顔で、貴博に右手を差し伸べてくるアナザー貴博。それに迷うことなく貴博は右手で握り返した。

「ああ、もちろんだ。俺に力をくれ! 『コレクター』!」

「言われなくても、そうするさ、相棒!」

 右腕が真っ赤に輝き始める。それと同時に、周囲の景色も色を取り戻し、止まった時間も動き出していく。腕の輝きが収まると、爆散した右腕の表面はすっかり新しい皮膚で覆われているではないか。

 電気ショックによる火傷の痕もない。だが、代わりに右腕は、びっしりと何かの呪言のような図形やら紋様が、刺青となって覆い尽くされていたのだ。禍々しささえ感じるその腕に、後ろで取り押さえられているこばとは言葉を失う。

「アゲハさん、今助けます!」

 貴博は右掌から光の珠を生み出すと、足元に力一杯埋め込んだ。すると先程の巧と同様、光の珠は波紋のように円を描きながら、その輝く領域が拡散していく。光の領域に踏み入れた分身は再び消滅。雷斗も『五人の分身を出す』という条件が崩れ、変身が解けて空中からアスファルトへ落下した。

「なんで? ユー君が天ちゃんの力を使えるの?」

 分身の束縛から解放されたこばとは目を疑った。アンジェラが、貴博の異能力は『強欲』だと言っていた。しかし、今のは巧の『アンダーグラウンド』。嫉妬の異能力だった。

「ねぇ、一体何が起こってるのよ?」

 だが、貴博はこばとの質問に答えず、彼女にある要求をした。

「アゲハさん! まださっきのおやつ、持ってませんか?」

「あ、うん。最後の一本、あるけど……」

「下さい! 早く俺にそれを下さい!」

「え? ――あ、うん!」

 訳も分からず、こばとは言われるがまま携帯スナック食料を貴博に投げ付けた。それを難なくキャッチすると、ラベルを剥いて口に運ぶ貴博。

「チョコ味か。俺、これ好きなんですよ」

 ぼりぼり……、と呑気に食べ始める。

 尻餅を付いて怯む陽海は、すかさず分身を生み出して再び変身を試みようとしていた。

「させるかっ! お前は絶対に許さない!」

 貴博が一直線に分身たちへと走る。いや、『飛んでいった』!

「なっ、早過ぎる!」

 弾丸のような貴博の移動速度に目を見張る陽海。すかさず分身を盾代わりとして本体を守らせた。

「邪ぁ魔だあぁぁぁーッ!」

 分身の一人の顔を貴博は渾身の力を込めて殴り付けた。殴られた分身は、まるで風に吹かれた紙切れの如く、数メートル先まで飛ばされていった。

「これって、あたしの『マッドノッカー』じゃない!」

 こばとが吹っ飛ばされた分身を眺めて気が付いた。貴博は『暴食』のこばとの力も使用したのだ。

「まだこっちは五人いる! 一人じゃさっきの女と同じ目に遭うぞ?」

 陽海が貴博を取り囲む。じりじりと間合いを詰め、一気に畳み掛けるつもりだ。

「やってみろ! 俺はもう無力じゃない!」

 貴博も周囲を睨み付け、臨戦態勢に入る。

 すると、背後の分身が貴博に飛び掛かってきた。

「がら空きだ!」

 それに呼応するように、本体を含めた四人が一斉に貴博に襲い掛かる。しかし、貴博は逃げない。逃げるどころか、しゃがんで身体を縮こませてしまった。

(怯えて身を守ったか。馬鹿か?)

 陽海と分身は地面に転がる相手を殴ろうとした、その時だった。

 陽海の腹に、貴博の拳が突き刺さっていた。殴られた、と認識するまで数秒かかってしまい、身体が咄嗟に反応できなかったため、貴博に連撃のチャンスを与えてしまう。ボディからのジャブ、ストレート、顔面への膝蹴り、そして上段への回し蹴りでフィニッシュ。陽海は蹴られた勢いで地面に二度三度転がされてしまう。

 何が起きたのか、陽海は全く分からなかった。手足を完全に縮めて丸く座り込んでいた相手が、一瞬で強烈なボディブローを打つことは不可能。いくら身体強化がされているとはいえ、あれは立っている状態でなければクリーンヒットすることはできない。まるで、別人が打ったかのような一撃だった。

「待てよ、別人……!?」

 脳裏にある光景が浮かび、慌てて陽海は体を起こす。そしてその脳裏に浮かんだ光景が現実と寸分狂いもなく再現されていることに恐怖を覚えた。目の前では分身たちが全て本体同様ブッ飛ばされていた。爆発のような攻撃の中心には、六人の男。その顔、背格好、全て貴博そのものだった。

「お前……! 俺の『ローバーズ』まで使えるのか!」

「別にいいだろ? 減るもんじゃないんだし」

 にぃ、と貴博は笑う。


「この力、俺にくれよ」


 貴博の分身四人が陽海の分身に向かうと、それぞれが陽海の分身を取り押さえて拘束した。

「さっきぶっ飛ばした分身は起き上らないからな。奴の顔は、今頃アスファルトに減り込んでいるだろうからな」

「あの令嬢の妙な異能力まで!? ええい、これでどうだ!」

 五人分身を出している陽海は、すぐさまセットラーの姿へ代わり、連続で電撃の槍を放つ! しかし、貴博は全く物怖じせずに右手を飛んでくる槍へとかざす。

「俺を護れ、『キラー・B・クィーン』!」

 貴博の前に、分厚い蜂の盾が出現。蜂たちが身を挺して電撃を遮った!

「そのまま攻撃号令! 行けっ、我が兵隊たち!」

 すると主の命を受けた蜂たちが、一斉に陽海へ襲い掛かる!

「くそっ! 止めろっ、来るなっ、痛い! いたたたたた!」

 一匹が刺し、十匹が刺し、百匹、千匹、一万匹と次々と陽海の身体を無数のスズメバチの怪物がその尾針で突き刺し、あっという間に体が蜂の群れで覆われてしまう。勝ち目がないと悟ったのか、一目散に倉庫の敷地から逃げ出そうとする陽海。だが、貴博には分身がもう一人いることを完全に忘れていた。分身は全力で掛けだすと、そのまま逃げる貴博にタックルをぶちかます。背後から当てられ、そのまま前のめりで陽海は吹っ飛ばされた。

「ほら、立つんだ」

 蜂に刺されて体中が膨れ上がっている陽海は、分身に無理矢理起こされると、そのまま羽交い絞めにされる。目の前の貴博の目付きが鈍く光った。

「お前だけは絶対に許さない。散々大勢の人を苦しめて、大勢の人を弄んで、遂には人殺しまでしやがった! お前は、俺が裁く!」

 貴博の右腕に黒い霧のようなものが立ち込める。その周りの光景が次第に歪みだす。陽海は思わず息を呑んだ。

「まさか……、あの重くなるパンチを俺に……?」

「俺はあいつみたいに情けは掛けない。そのまま押し潰れて、死ね」

「や、やめてくれ! 悪かった、許してくれよ!」

 陽海の額から脂汗が一気に噴き出す。目尻に涙を溜め、鼻水まで垂らしながら命乞いを始めた。

「調子に乗ってたんだ。本当悪い事をした。まだ死にたくない。つーか、蜂に刺されて居たくて今にも死にそうだ! 騙した金は全部返す。もう二度と悪事は働かない。警察にも行くよ。全部自白する。だから殺さないでくれ! COAもやめる! ギルドも抜ける! 騙したユーザー全員に土下座をしてもいい! ――そうだ、お前の家来になってもいいぞ。何でも言うこと聞くからさ。なぁ、だから頼むよ! だから、お願いだから!」

 陽海は泣きじゃくりながら貴博にすがりついて懇願する。


「どうか俺を潰さないでくれええぇっ!!」


「……くどい」

 殺意をみなぎらせた視線を陽海にぶつけたまま、貴博の漆黒の拳が放たれた。

「ひぃぃっ!」

 陽海の悲鳴とともに、がつんっ、という衝撃音が虚空に轟く。

 貴博の背後にはアンジェラ。

 その拳は、しっかり貴博の頭の延髄を捕えていた。貴博の拳が陽海に届くわずか数センチ前の出来事だった。

「……ってぇな! 何、しやが、るっ?」

「お・す・わ・り!」

 振り向こうとした貴博は、首元に発生した荷重に耐えきれずにアスファルトへ仰向けに転がってしまった。陽海は完全に腰が抜け、ジーンズの股間の辺りに盛大に染みを作っていた。

「ユーリちん、そこまでだよ。奴さん、完全に戦意喪失してるじゃないか」

 呆れているアンジェラに対して、怒り心頭のまま噛み付く貴博。

「こいつは絶対に許せない! 俺がこいつを裁くんだ!」

「ユーリちん、頼むから、キミまで人殺しになろうとしないでくれよ」

 アンジェラはユーリの顔の近くにしゃがむと、優しく貴博の頭を撫でた。

「折角、ボクは気の合うリアルの友達が出来たと思ったんだ。それを台無しにするような真似はやめてよね。ユーリちんだけじゃない。アゲハさんだって、うぅたんだって、陽菜ちゃんだって、天ちゃんだって。それに、雷ちんだって。もっとも、雷ちんとは別の出会い方をしたかったなぁ。とても残念だよ」

 アンジェラの言葉、仕草、表情、どれをとっても、その言葉が彼女の本音であることに、その場にいた人間誰もが理解できた。

「悪い。頭に血が上り過ぎてたようだ」

 貴博は首筋に掛かる鈍い重みを感じつつも、アンジェラに詫びた。「分かればよろしい」と、ポンと貴博の頭をアンジェラがひっぱたくと、首の重さが途端に解消された。陽海は地面へ俯き、唇をギュッと噛み締めていた。

「あんたが副マスだったのか……。副マスが運営会社の令嬢とは、最初から俺の負けだったのかもしれないな」

「そんなことないよ。雷ちんの消息を辿るのはかなり骨を折れた。風評も未だに酷いもんだ。キミの立てた策略は、全てボクたちの急所を的確に突き刺していたよ。おかげで『フラグメント』は今や死に体だ。ただ、ほんの少し、ボクらの方がラッキーなだけだったんだ」

 アンジェラははにかみながら、陽海の肩に手を置く。すると重力の負荷が乗って肩を地面に付ける陽海。

「さっきの言葉、信じていいんだね? 君は警察に自首する、って」

 陽海は黙って一度頷いた。

「よーし、これにて、一件落着~!」

「ちょ、それ、ギルマスの俺が言いたかったのに!」

 アンジェラが天に向かって拳を突き上げながら大声で笑った。貴博もそれにつられて笑うしかなかった。

「ミーちゃん! うぅが、まだつばめがいないわ!」

 動揺するこばと。だが、アンジェラが指差す方向に、巧と陽菜とつばめがこちらに走ってくる姿が見えた。

「おでえぇぇじゃあぁあん! うわああぁぁぁぁん!」

 紙が若干短くなり、顔をぐしゃぐしゃにさせながら泣きじゃくって突撃してきたつばめは、真っ直ぐにこばとの張りのある胸の中へ飛び込んでいった。

「ううぅぅぅぅっー! ごわがっだぁっ、だびじがっだああぁっ!」

「よしよし、怖かったね、寂しかったね。でも、もう大丈夫、大丈夫よ」

 こばとはぎゅっとつばめを抱き締める。すると泣き喚いていたつばめはぴたりと止まった。そして、こばとの胸元に甘えるように擦り寄ったのだ。

「いやぁ、イイハナシダナー」

 アンジェラが目尻を指でこする。しかし、巧が横で苦笑していた。

「副マス、よく見て下さい。ほら」

 巧の指摘に、貴博、アンジェラも何かに気付き、共に苦笑するしかできなかった。つばめがこばとの胸の感触に、おっさんのような顔ででれでれとにやけていたのだ。

「うぇひひひひひひ! おっぱいおっぱいおっぱいおっぱい……!」

「もう、こんなところで、うぅったら!」

 公然羞恥プレイに赤面するこばとだった。

「まぁ、こうしてられるのも、無事事件が解決したからじゃないですか。加藤 陽海、これからちゃんと罪を償うんだ、いいな?」

 びしっと、巧は最年長らしく威厳たっぷりに言い放った。が、一同、大爆笑。何故笑われるのか理解できない巧をよそに、他の六人は腹抱えて笑っていた。巧が気付かないのも無理はない。

 巧の顔面には、先程アンジェラがマジックで、額に『ロリコン』と書いた落書きが残っていた。そんな男の凛々しい一言は、見事にこの場の緊張の糸をぶった切ってくれたのだった。巧がこの落書きに気が付くのは、あと数時間後の事であった――。

次が最終話です! 最後まで宜しくお願い致します!

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