【第四章 ネトゲ廃人は凶悪犯の夢を見るのか?】
『なろうコン応募作品』です! 第四話、宜しくお願いいたします!
◆1
フラグメントのギルド倉庫盗難事件のニュースは、COA内で激震が走った。かの巨大掲示板ではフラグメントを同情する声も上がるが、その大半は言われもない誹謗中傷と罵詈雑言で埋め尽くされていた。更に、例の『なりすまし』によるRMTの件も重なって、『フラグメント』の信用は一気に地に落ちていってしまった。
一方、ユーリたちは大手のギルドを巡り、信用回復に努めていた。
「ですから、こちらだって被害者なんです。誤解しないで下さい!」
必死に相手の女性ギルドマスターと交渉するユーリ。後ろには天楽と陽菜も同席している。
「ユーリさん、そうは言われてもね。ウチのギルドの新人君数人も被害に遭ってるんですよ。しかも、アンタのサブキャラだっていうから信用したそうですよ?」
いぶかしがりながら、相手の女性ギルドマスターは眉をひそめる。
「ですから、それは偽物です! その偽物を今追っかけてるんです。お願いです、一緒に犯人を見付け出しましょう! 足取りの情報だけでも構いません、教えて下さい!」
「だから、空気読めって言ってるんですよ。本人たちは、アンタに騙されたって思ってる。そんな相手に、アンタが出向いっていったらどうなるか、分かりますよね?」
「それは――」
思わず口をつぐんでしまうユーリ。
「多分、ユーリさんの言ってることは正しいと思う。ジャバ様がやったとかいう荒唐無稽な話より、断然信用できます。でも、それを今、心がボロボロのあの子たちに話したって、何の解決にもならない。奪われたアイテムは戻ってこないしね。その子たちに残るのは、自身への嫌悪感だけだ」
そういうと、毅然とした態度でユーリたちへ告げる。
「マスターの私があの子たちを守るためにも、アンタを会わせるわけにはいかないんです。立場上、フラグメントへの目立った協力も出来ない。一緒に槍玉上げられるのは御免だからね」
「そうですか……」
これ以上は更に話をこじらせると悟ったユーリは、潔くその場から離れた。天楽と陽菜も、戸惑いながらその後ろをついていく。
「これで三件連続で失敗……。犯人め、やはり大手のギルドから優先的に搾取していたか!」
天楽が怒り心頭の様子で、狐面の犬歯を剥き出しにしながら発言した。
「陽菜たちは悪くないのに……。どうしてみんな信じてくれないのー?」
陽菜もすっかり落胆してしまっているようだ。
「風評被害って奴だよ、姫ちゃん。今、『フラグメント』と関わると、関わったギルドまで評判が悪くなるっていう噂が流れてるんだ」
すかさず天楽のフォローが入った。
「どうしてー? 陽菜、全然分からないよ……」
「俺だってどうしてそうなるのか、全く理解できない。でも、周りであれこれ言ってる奴らは、こっちの事情なんかお構いなしだ。関わったもの全てを同じモノと認識して攻撃しだすんだよ。だから、さっきのギルマスさんの判断は、あながち間違っちゃいないんだ」
「自分のギルドを守るからって、困ってる人を見捨てるのー? それ、絶対間違ってるって陽菜思うなぁ……?」
そんなやり取りの後、また二人は顔を俯かせてしまう。ユーリは、
「まだ諦めちゃ駄目だ。所詮、掲示板に書かれている誹謗中傷は、実情を知らない奴が尾ひれ背びれを付けたして面白がっているだけだ。今こうして俺たちが回っている意味は、その情報を何の疑いもなく信じてしまった人たちの誤解を解くためだ。拒絶されて当然。嫌がられて当り前。追い返されて元々だ」
ユーリの表情は険しい。だが、決して心が折れている者の表情ではなかった。二人はそれを見て、一緒に勇気付けられていく。
「ギルマス、次行きましょう。次は肉球決死隊です」
「猫さんのギルドだねー。天ちゃん、肉球触れるかなー?」
「いや、ネトゲじゃ触感分からないよ……?」
天楽と陽菜のやり取りを眺めつつ、ユーリは肉球決死隊のマスターの元へと向かった。
◆2
ユーリたち三人が肉球決死隊のたむろしている場所へ向かうと、そこにはこちらへ剣を向ける十数人の猫型ビーストたちが出迎えたのだった。恐らく、相手のギルドメンバーたちであろう。
「お、おい! 俺たちは話し合いに来ただけだ! 集団PKとか、そっちの方がマナー違反だぜ!」
だが、ユーリの言葉は一向に届かないようだ。相手方全員は武器を手に取り、今や遅しと攻撃の合図を待っているようだ。
「ニャニャ? 極悪人はそっちじゃニャいかニャ?」
肉球決死隊のギルドマスター、IROHAが猫の群れの中からやってきた。
「今やCOAで悪名高い『フラグメント』に、自衛手段をとることくらいは当然ニャ。ユーリさん、カッとなって犯人のダミーキャラをPKしたそうじゃニャいか? いくらネトゲとはいえ、衝動的に虐殺されたら困るしニャ」
「イロハさん、俺の話を聞いてくれ! 俺たちだって騙されたんだ!」
ユーリの言葉に続き、天楽と陽菜も援護する。
「ギルマスの話は本当です! 誰かが意図的に『フラグメント』を落とし入れようとしているんです! そいつはどうやら、ギルマスのことを逆恨みしてるようで、俺たちのなりすまししている背景もそれに関係してるはずです!」
「陽菜たちは悪いことはしてないよ? 本当だよー?」
「ふんっ、白々しいニャ」
IROHAが右手を挙げると、肉球決死隊のギルドメンバー全員の身体に光が帯びる。全員が一斉にスキルを放つ準備態勢に入ったのだ。
「ちょ、マジかよ……?」
「ど、どうするんですか、ギルマス?」
「ここで逃げたら一層立場が悪くなるだろ!」
そう言うと、ユーリは何を思ったのかその場にあぐらをかいて居座った。
「二人とも、腹をくくれ!」
「ちょ、ギルマス? 何考えてるんですか!?」
天楽が目を疑う。
「いいか、絶対手を出すなよ? 俺たちは弁解しにきただけだ」
「で、でも!」
「天楽、ネトゲの中ならいくら殴られたって死んだりしない。だからお前も座れ」
ユーリは自分の隣をぽんぽんと叩いて座るように促した。天楽は軽く溜息を吐くと、観念したようにユーリの隣に同じようにあぐらをかいた。
「分かりました。キャラが死んでもチャット出来ますしね」
「そういや、陽菜ちゃんは?」
いつの間にか、陽菜の姿がどこにもないことにユーリが気付く。猫型ビースト達に囲まれて逃げ場所がないはずなのに、一体何処へ行ったのだろうか?
「あ、姫ちゃんは俺が逃がしました。帰還装置をさっきこっそり渡したんで。女の子にはこの役目は荷が重いでしょう?」
天楽は平静を装っていたが、口元が若干誇らしげに緩んでいるのをユーリは見ると、
(もうこれ愛じゃね?)
と感心せざるを得なかった。
「さ、イロハさん。話し合いをしましょうか」
ユーリはIROHAに向かい直り、胸を張って言ってのけた。IROHAはユーリの態度に対して、驚愕と畏怖を感じていた。
「ニャ、ニャンで? ニャンでそんな開き直れるんだニャッ? あ、分かったニャ! まな板の上の鯉って奴を悟ったんだニャ! 猫の前だけに!」
「マスター、割と今のどうでもいいです」
メンバーの一人にツッコミを入れられると、羞恥で顔が赤く染まっていく。IROHAは羞恥をやり場を目の前のユーリたちに向けて、八つ当たりに近い突撃命令を下した。
「ニャー! みんな、客がお帰りだニャ! お引き取り願うんだニャー!」
「「ニャアアアアアアアアアアアアアアアーッ」」
猫の大群が一斉にユーリたちに襲い掛かってきた。雨霰の如く降り注ぐ高火力のスキルにレベルの低い天楽はすぐにダウンしてしまう。ユーリはある程度レベルが高く、パッシブスキルも回避向上スキルを最大まで上げているため、座っていてもかなりの割合で攻撃が当たらない。しかし、それでも完全に回避することは出来ず、徐々にユーリの体力は削られていった。
「イロハさん、俺たちは犯人にハメられたんだ。こうやって俺たちを村八分にしておけば、どこへ行っても俺たちは除け者にされる。犯人は俺に復讐するために、俺たちに関係しているものを全てぶっ壊す気なんだ。イロハさんがやっていることだって、犯人の想定内の行動のはず。このままじゃ、犯人はRMTで暗躍し続けて被害は拡大。最悪の場合、COA内の秩序が崩壊する! 俺らをここで排除したところで何も変わらない!」
「うるさいニャ! 自分たち自身が癌だってまだ気が付いていニャいのかニャッ?」
IROHAがユーリの近くまで歩み寄る。
「これだけ言っても分からニャいなら、仕方がニャいね。――下がるんだニャ」
IROHAは仲間をユーリから離れるように命じ、そのまま青白く輝くサーベルを抜き、ユーリに向けて身構えた。
「奥義――、『武御雷』(たけみかづち)ッ!」
すると、サーベルに青白くほとばしる雷電が宿り出す。サーベルに宿る閃光は周囲の視界をから色彩を奪い去り、見る者を光と影の世界を焼き付けてしまう。それを見るなり肉球決死隊の面々は恐れ戦く。
「出たッ! 最近取得した奥義スキル、『建御雷』だ!」
「ヒューッ! あの奥義は命中率補正が半端ないぜ! つまりこれでトドメだ!」
「マスター! 早くそんな奴を黒焦げにしちゃってくださいよ!」
くーろこげ! くーろこげ! くーろこげ!
周囲のヤジがチャット欄を埋め尽くし、ログを恐ろしいくらいのスピードで押し流していく。
「覚悟するニャ。いくらユーリさんが回避特化でも、この奥義からは誰も逃げられないニャ。全て白状して許しを請うなら、今がその時だと思うニャ?」
もはや稲妻そのものというべきIROHAの刃を向けられるユーリ。だが、それでもユーリはニヤリとほくそ笑む。それにIROHAは無性に腹ただしく思えた。
「この……、舐めるニャァァーッ!」
ユーリの心臓目掛けて、轟雷の凶刃が一直線に飛んでくる。
「目を覚ませ、馬鹿野郎!」
ユーリは立ち上がると、自らIROHAの刃の切っ先へと飛び込んでいくではないか。『武御雷』は易々とユーリの心臓を刺し貫き、纏っていた雷電はその電流と熱量によって、ユーリの全身を一瞬のうちに真っ黒に炭化させてしまった。
「ニャ……、ニャにしてるんだニャ!」
いきなり飛び込んで刺されにきたユーリに、IROHAはある種恐怖すら感じてしまった。黒焦げのまま、ユーリはIROHAの胸の中で呟いた。
「もうやめよう、こんなこと。意味ないぜ。本当の敵が、まだCOA内にいるんだ。でも、俺たちだけでは時間も人員も圧倒的に足りない。犯人たちは俺たちの想像を超える機動力でCOAを浸食しているんだ。信じてくれ……! まだ殴り足りないのなら、いくらでも俺は付き合う。でも、何度黒焦げにされようとも、俺は『フラグメント』の無実を訴え続けるからな」
IROHAはサーベルを炭化したユーリの身体から引き抜いた。支えを失ったユーリは、そのまま地面へだらしなく転がってしまった。
「何でニャ……? 何でそこまでするニャ?」
IROHAは信じられないと言わんばかりに、目を開いたままユーリの言葉に対して酷く狼狽した。
「ユーリさんにはプライドとかニャいのか? 所詮ゲームだニャ。ゲームなんだニャ!? リアルとは違うニャ! それニャのに、どうしてそこまでこだわるニャ? どうしてそんなボロボロになってまで守ろうとするんだニャ!」
「決まってるだろ――?」
もう復活しないと動かせない身体のまま、ユーリはその問いに答える。
「ジャバさんから受け継いだ俺のギルドをめちゃくちゃにしたからだ。俺の周りの大切な人を困らせたからだ。俺たちが集めたアイテムコレクションを全部盗んでいったからだ。全部が全部、俺の大事にしているものだ。それを犯人は何の躊躇いもなく根こそぎ荒らしていきやがったんだ、犯人は! まるっと奪っていきやがったんだ。そりゃ必死になるってもんだぜ!! 俺は絶対に犯人見付けて、失ったもの全部を取り戻す!」
その答えは、あまりにも自分勝手で、あまりにも強欲であった。
「あ、呆れたニャ……。がっかりニャ。ユーリさんはアイテムコレクターで有名だけど、ここまで強欲だとは思わなかったニャ……」
IROHAの落胆ぶりは、手に持っていたサーベルを落とすくらいのショックであった。
「みんニャ、もうやめるニャ。やる気が激しく削がれたニャ」
IROHAはおもむろに自分の鞄から、金色の護符を二枚取り出すとユーリの焼死体と天楽の死体へ、ぺたりぺたりと貼り付ける。するとどうだろう、護符を張り付けた部分から徐々にユーリたちの肌細胞が再生していくではないか。ほどなくして、ユーリたちは完全復活を遂げる。起き上ると、ユーリはIROHAに向かって尋ねてみた。
「イロハさん、なんで急に復活の護符を?」
IROHAはユーリたちに背を向けたまま答えた。
「勘違いしニャいでほしいニャ。私は死体と話をする趣味はこれっぽちもニャいだけだニャ。さっさと復活したニャら、これからどうするべきか一緒に話し合うニャ!」
ツンケンした口調ではあったが、彼女の言葉はどっからどう捉えてもツンデレである。それを見た肉球決死隊のメンバーの一部が異様なテンションではやしたてる。
「ヒューッ! マスターのツンデレまじ模範演技!」
「イェーァ! マスターの照れ顔まじクリムゾン!」
「お、お前ら、うるさいニャ! それ以上言ったら黒コゲにするニャ!」
「「ありがとうございます!」」
一斉に土下座するメンバーたち。彼らにとっては、最高のご褒美だったようだ。
「ああ、もういいニャ……。早く奥に引っ込むんだニャ……。最近、ウチも変態化と愚民化が酷いニャ。どうしてこうなったニャ……?」
鬱陶しそうにメンバーを追っ払うと、IROHAは気を取り直してユーリ向き直る。
「ドン引きするくらいの強欲さニャけど、それだけ執着しているニャらば、わざわざ自分のギルドや関係者に厄介事を招くことはしニャいだろうニャ。執着してるってことは、それだけ守ろうとする意識も強いはずニャ。私もマスターという立場、その気持ちのほんの少しは汲み取れるニャ」
IROHAはユーリに右手を差し伸べた。と、同時に深々とお頭を下げた。
「先程の非礼、本当に申し訳ないニャ。『フラグメント』の矜持、しかと見届けたニャ。肉球決死隊の代表IROHA、犯人特定に全面協力するニャ!」
身体を起こすと、IROHAは茶目っ気たっぷりにウインクをした。
「イロハさん、ありがとうございます!」
ユーリは喜びながらIROHAの右手を両手で包み込んだ。
「良かったですね、ギルマス!」
天楽が小さくガッツポーズをして祝福する。
「ああ、分かってくれる人はいたんだよ」
IROHAはもじもじしながら上目遣いでユーリに発言した。
「ウチはランカーさんが入院してから、弱小ギルドへ逆戻りニャ。叩かれたってそこまでダメージ大きくニャいもの。……て、手伝う理由は、ただそれだけニャ!」
「ヤッハー! マスターの天邪鬼まじメビウスの輪!」
IROHAは発言したメンバーに向けてサーベルを投げ付けると、天より降ってきた稲光がサーベルに落ち、帯電したままそのメンバーの足元に刺さる。その瞬間、地面から天空に向けて一本の電撃の柱が竜のように立ち昇った。あとに残るのは、サーベルと黒焦げの焼死体だけであった。だが、当の被害者は、
「あざーす! マジあざまーっす! はぁはぁ、うっっッ……! ――ふぅ。」
と賢者と成り果てていた。
「……大変ですね」
「『フラグメント』との一戦でランカーさんが爆撃されてから、何かに目覚めたメンバーが急増したニャ。そういう意味でも、ウチは『フラグメント』と業が深いニャ」
「こっちも変態姉妹が日々暴走しないか、いつも気を揉んでいますよ」
お互い目が合うと、タイミング合せたかのように漏れる溜息。何か言葉にし辛いものを共感してしまうユーリとIROHAであった。
と、ここで突然、陽菜からの発言がチャットに現れる。
「喧嘩はだめー!」
「え、陽菜ちゃん?」
「あ、なんかデジャブだニャ」
陽菜が巨大飛行戦艦を乗付けてやってきたのだ。しっかり砲口は猫たちへ向けられている。
「姫ちゃーん、もう喧嘩はしていないよ。肉球決死隊のみんな、協力してくれるって!」
「あれ、そうなのー? じゃー、これ必要ないねー」
脳天気な陽菜の言葉に、最後の最後で脱力してしまうユーリたちであった。余談だが、肉球決死隊のメンバーたちがが陽菜に、
「陽菜ァーッ! 俺だァーッ! 爆撃してくれーッ!」
と、絨毯爆撃を懇願する愚民根性を如何なく発揮し、めでたくその望みが叶えられたという。
◆3
翌日。放課後、貴博は中等部の校舎の屋上へやってきた。そこには、いつもの通り赤毛の不良、鮫島直人が空を見上げてぼーっと突っ立っていた。貴博は直人を見かけるなり、うやうやしく頭を下げて挨拶をした。
「鮫島さん、お疲れ様です。早いですね」
すると直人はだるそうに眼だけを貴博に向けて答えた。
「俺様はいつもここにいるからな。動くのがマジだりぃ。あと、俺様に敬語を使うな。タカのほうが年上なんだからな」
そう言うと、また青空をぼーっと見上げていた。貴博は直人の答えにすかさず首を振った。
「いえ、そうはいきません。俺には鮫島さんへの恩がある。それに、鮫島さんの生き方は、俺の価値観になかったものだ。正直、憧れを感じるんです」
「馬鹿か。こんな不良の生き方、誰にも勧められねぇよ。まして、タカは総理大臣になるんだろ? ヤクザな俺様の生き方なんて、これっぽっちもアテにならねぇぞ?」
空を見上げながら、飽きれた口振りで貴博を嗜める直人。しかし、貴博はさっきよ入り大きく首を振って「そうじゃないんです」と言った。
「鮫島さんの生き方は、いずれ首相となって日本の未来を切り開く俺が学ぶべきものがある。理屈じゃないんだ。俺を助けてくれた時に確信した。俺は、鮫島さんの背中から、言葉では言い表せないモノをこれからも学ばせてもらう」
「……はんっ、勝手にしろ」
鮫島は気怠そうに、その場に寝転がってしまった。貴博は腕時計をちらりと覗く。約束の時間は若干過ぎているようだ。
「遅い。既に二分を経過している。いくら各個人、学年がバラバラとはいえ、約束の時間位きっちり守るべきじゃないのか? 人間の時間は有限だと、何故気付かない?」
「タカ、ちょっとくらい大目に見てやれ。そういうところ、お前小さい奴だよなぁ……」
「……早速勉強させていただきます、鮫島さん」
軽く一礼する貴博。その瞬間、背後をいきなり強い衝撃が襲う。奇襲を受けた貴博は慌てて前転をして受け身を取った。不意打ちへの憤りを露わに、声を荒げて振り返る。
「くっ、誰だ!? 背後からいきなり打ち込んでくるとは、一体何処の不届きものだっ?」
「不届き者はそっちです!」
聞き覚えのある声だった。声の主を確かめれば、先日、貴博の股間を強襲したポニテ童女ではないか。
「またおねえちゃんのおっぱいを狙いにきたですか!? しかも先回りだなんて、おっぱいハンターな上にストーカーだったです!」
「勝手に話を進めるな。そしてそれ以上の思い込みも無用だ、この金テキ童女が」
勝手にヒートアップする童女に、貴博も強気に対抗した。どうやら、前回は下手に出たばかりに失敗したのだと学んだようだ。貴博は童女に詰め寄ると、股間を蹴られないようにしゃがみ込んで童女の目線に合わせると、眉間にしわを寄せて反論を始めた。
「ここで鉢合わせたのは全くの偶然だ、ぐぅーぜん! 俺は今日ここで、明日の世界に関わる重要な会議を開くためにやってきた。今は約束の時刻に遅れた同志たちを、今や遅しと首を長くして待っているのだ」
「そんな大事な会議を、どうして屋上なんかでするのですか?」
怪訝な目付きで童女が首を傾げると、貴博の眉間のしわがより一層深くなる。
「はぁ、これだからお子様は……」
「なっ? 子供なのは関係ないです! そんなこと言ったら、ストーカーさんだって未成年なのです!」
「ただの屁理屈だな。それにストーカーじゃない。俺は向田貴博だ。学年トップの秀才にして、いずれこの国の総理大臣として世界を手中に収める男だ」
「ストーカーさんじゃなくて、ただの厨二病だったです……」
「くっ……、なんだその魚が死んだような目は! いいか? 学生らしさを満喫しつつ、機密保持性に優れた空間こそ、この屋上なのだよ」
「はぁ、とりあえず、お姉ちゃんには危害がなさそうなのは分かったです……。厨二病が伝染るので半径三メートル以上近寄らないでほしいです、クズのおにいさん」
小等部の女の子に思いっきり見下された。舌打ちまでされた。
「こら、つばめ! そんなこと言っちゃ駄目!」
ぐいっと童女の背後へ姉の巨乳少女が手を伸ばし、自分の元へ引き寄せた。
「すいません……。この子、先輩に失礼なこと言っちゃって……」
眉を八の字にさせ、何度も申し訳なさそうに頭を下げる少女。貴博は苦笑いしながらも、彼女に面を上げるように促した。
「いや、別に構わない。それにそんなにぺこぺこ頭を下げなくてもいい。子供はそれくらいやんちゃな方が将来が楽しみだ」
くくくっと含み笑いをする貴博に、ようやく安堵の表情を浮かべる巨乳少女であった。
「自己紹介、してませんでしたね。あたし、高等部二年A組の小鳥遊こばとです。この子は妹のつばめ」
「べえぇ~っだ!」
つばめ、と紹介された童女は、貴博に対して何とも名状しがたい変顔であっかんべぇをしたのだった。貴博が苦笑いしながら呆れていると、横で見ていたこばとが姉として注意を促す。
「こら、知らない人にそんなことしちゃいけません!」
「えー、でも、ウチ、この人きらいっ」
「もうっ、うぅったら! お姉ちゃん怒るよっ?」
その瞬間、つばめの腹の虫がぎゅうぅ~と鳴り出した。それを聞いたつばめは、見る見るうちに顔色が青くなっていく。
「ごめんなさい、ごめんなさい。だからここで『暴食モード』にならないで」
戦慄するつばめをよそに、貴博は何やら思案顔である。
「ん? 『暴食モード』? それに、今、この子の事を『うぅ』って呼んだよな?」
そして、はっと何かに気付いた。
「二人とも、『フラグメント』のメンバーか?」
貴博の言葉に、今度は小鳥遊姉妹がはっとさせられた。
「え、ええ! そうですけど、先輩、もしかして……」
「COAにまでストーキングですか? 本当に最低です!」
こばとが何か言い掛けたところを遮り、つばめが再び貴博の股間へと蹴りを放とうとした。しかし、事前に行動パターンが読めていた貴博はこれを楽々とガード。動きが止まったつばめの頭をむんずと掴み、蹴りが届かないように遠くへ押しやった。
「放すです、この卑劣漢! ネットまでお姉ちゃんを付けまわすだなんて、よほどその股間にぶら下がった汚いゴールドボールを蹴り潰されたいのですか!?」
「落ち着け、金テキ暴走童女! 俺はユーリ、『フラグメント』のマスターだ!」
「「えっ?」」
貴博の言葉に、思わず小鳥遊姉妹の二人ともユニゾンを奏でる。
「嘘ぉっ? 先輩がユー君だったんですか? 今までずっと年下だと思ってました、ごめんなさい!」
「嘘だぁー! マスターがこんな変態おっぱいハンターだったなんて! やっぱりこの世の中は何も信じられないです! 早速ここから飛び降りて人生をシャットアウトさせるです!」
「二人とも落ち着け! 特に小さい方は人生を諦めるな! 人生はこれからだ!」
姉妹の狼狽ぶりに、むしろ貴博の方が慌ててしまう。つばめなど顔面蒼白で今にも屋上から飛び降りそうな気配すら漂ってくる。
「いやだぁー! いやだぁー! マスターは身長二メートル近いセレブに決まってるです! こんな中二病変態クソガキなわけないです!」
ボロボロ泣きながら絶望するつばめの暴言に、貴博の怒りの沸点が低くなっていく。
「くっ――! 言わせておけば!」
貴博が息を吸い込み、怒鳴ろうとしたその時だった。いつの間にか、貴博の前を遮る鮫島直人の姿があった。直人は貴博の指差してこう言った。
「ったく、うるさくて寝付けねぇじゃねぇか。おい、嬢ちゃん。こいつは確かに変人だけど、根は良い奴なんだ。それに人生まだまだ捨てたもんじゃないぜ? たとえば……」
直人はズボンのポケットから何かを取り出して、つばめに差し出した。
「食うか? 購買部で買ってきたキャラメルだ。美味いぞ」
掌の上にキャラメル三粒を載せて、不敵に微笑む直人の姿に、貴博は驚きで呆然としていた。
「鮫島さん、いくら相手が子供だからって、お菓子でそんな簡単に機嫌が直るわけないじゃないですか」
「お兄ちゃんありがとう! まだまだ世界は捨てたもんじゃないです!」
「機嫌直ってるーっ!?」
キャラメル三粒を一度に口に頬張り、ニコニコ笑顔を浮かべるつばめであった。貴博はもはや溜息しか出ない。直人は貴博の肩を軽く二度叩くと、やや説教じみた口調で告げた。
「タカ、子供には優しく接してあげろよな? それに理詰めは駄目だぜ? でないと、俺みたいになるぞ?」
「鮫島さん……!」
若干齢十四歳にして仁義を知る男、鮫島直人であった。
「えっと、盛り上がってるところ、ごめんなさい……」
こばとが申し訳なさそうに、会話に割って入る。
「さっきから、屋上の入口で知らない二人がこちらを見ているんだけど……。お知り合いかしら?」
貴博は言われるまま屋上の入口に目をやる。そこには、購買部の仕事が終わった柴山巧と、学園一の美少女、山口陽菜の二人が恐る恐るこちらを見ていた。
「ああ、知り合いだな。あそこにいるのは何を隠そう、我が『フラグメント』の期待の新人コンビ、天楽と陽菜ちゃんだ」
「え? 天ちゃんって購買部の柴ちゃんだったの? って、本当に陽菜ちゃんはそのままなのね……」
こばとが二人の姿に驚いたり呆れたり。ちなみに柴ちゃんとは、この私立聖モイライ学園生徒から呼ばれるもっともポピュラーな巧の愛称である。
「いやぁ、遅れてごめんなさい。購買でちょっと手間取っちゃってね」
頭を掻きながら、申し訳なさそうに苦笑する巧。一方、陽菜は少し顔を赤らめながら、
「天ちゃん……、遅れたのは、陽菜に会って、はしゃいでたから……」
「ちょ、陽菜ちゃん? それはお願いだから言わないでほしいな?」
恥ずかしさからか紅潮した顔を俯かせる陽菜と、遅れた本当の理由を暴露されて右往左往する巧であった。貴博には、巧が陽菜にあった瞬間、有頂天になってはしゃいでいた姿が容易に想像できるのであった。アイドルとそのファンが、偶然街中でばったり出会った時のようなシチュエーションそのままだったのだろう。かくいう貴博だって、初めて目の当たりにした学園のアイドルに、テンションの高まりを必死に押し込めていたのだ。
「とにかく、柴山さんが憧れの陽菜ちゃんに会って、思わず荒ぶってしまったことについては、今回は特別に不問としよう。こばとさん、それでいいか?」
「そうですね、先輩。今は個人の趣味嗜好に言及するよりも、もっと他に論議すべきことがありますから」
「なぁ、おっさんと女子中学生のカップル弄ってたって面白くないぜ。マジだりぃわ」
「……ロリコンがいるです」
「み、みんな? その言い方はあらぬ誤解を招く気がする! 俺がまるで女子中学生をたぶらかしているような言い方なんだけど!? ってか、ロリコンって明言しないで!!」
巧は慌てて貴博に訂正を求めた。だが、誰一人この意見にフォローしようとしない。すると、巧の横から伸びる手が一本。その手は巧のワイシャツの裾をちょこんとつまむと、おずおずをその手の持ち主は身を寄せていった。
「……天ちゃんを、いじめたら、……陽菜が許さない」
言葉数は少ないが、学園一の美少女が眉間にしわを寄せてむくれているではないか。怒った表情もまた愛らしいのだが、何故かこれ以上怒らせてはいけない危機感が周囲の人間を戦慄させた。陽菜の背後に般若の面が浮かんで見えたのは目の錯覚だと信じたい。
「わ、悪かった。陽菜ちゃん」
貴博は気圧されながら引きつった笑顔を浮かべた。一方、巧は万感の思いで顔が綻んでいた。
「姫ちゃんがっ……! 姫ちゃんが俺を庇ってくれた! リアルで初対面なのに、感動だ!」
感動で打ち震えている巧の頭を、陽菜は背伸びして「よし……よし……」と頭を撫でてあげるのであった。この光景に残りのメンバー全員は愕然として、
(両方とも本物だ! ロリコンとファザコンという意味で!)
と、開いた口が塞がらなかった。すぐに貴博は場を繋ぐために、集まった人数を数えはじめた。
「……えっと、これで六人か。ん、ミッシェルは?」
「あ、ミーちゃんは来ないわ」
こばとがミッシェル不在の理由を簡略に述べる。
「ミーちゃん、ここの生徒じゃないし。それに彼女、引き籠りだから」
「一般人のヒッキーだったのか……。それじゃここに来るのは無理だな」
ぐぬぬ、と貴博は低く唸る。そして、こめかみのあたりを押さえながらゆっくりと首を横に振る。
「怪しい雷斗はともかく、副マスが引き籠りで極秘会議に出席できないだなんて、これではこの会議の本質が問われてしまうではないか」
「心配御無用! つまり、ボク、参上ッ!」
突如、甘ったるいソプラノが何処からともなくするではないか。
「この声、まさか、ミッシェルか?」
貴博は屋上を隅々まで見渡すが、声の主の姿はどこにも見当たらない。
「あっ、うっかりしてたわ!」
こばとが制服の内ポケットから、薄型のスマートフォンを取り出す。
「ミーちゃん、ごめんなさい。先に電話での参加ってことを伝えておくべきだったわね」
「アゲハさん……。いや、さん付けだけど実際はボクより年下なんだよね。ま、ともかく……、ボクは諸事情でサウンドオンリーだ。謎めいてユーリちんにはグイグイきちゃうんじゃないのかな?」
すると、貴博は不敵な笑みを浮かべて右手を顎に添えてみせた。中二病スイッチが入った瞬間である。
「確かに、秘密結社の幹部っぽくてグイグイとくるな……」
「でしょ? 副マスは謎めいて暗躍するに限るんだよ、ふふふふ」
「くくくっ、なかなか分かっているじゃないか。ところで、諸事情って、それは単にお前が引き籠りって理由なだけだろう?」
「諸事情、だよ。諸々ある事情ってことだよ。引き籠りなんていう要素は、諸事情の『しょ』の字くらいの割合だから」
「引き籠り以外で外に出られないって、他の割合がでかすぎるだろう……? それは言えないようなことなのか?」
「もうユーリちんったら、デリカシーなさすぎだね……。でも、敢えて言うなら……」
う~ん、とミッシェルが考え込む。しばらくして、はっと思い付いたようで、くくくっと厨二病全開でこう答えた。
「……ボクは今、世界を改変しようと暗躍する巨大組織に囚われているんだ」
「なにそれ超カッコイイーっ!!」
貴博の目が爛々と輝くのであった。その光景を他のメンバーは「流石ミッシェル、扱い慣れている」と感心しているのであった。
「さて! これで七人揃ったな。こうやって七人が顔を合せるのは初めてだが、改めて自己紹介しておこう」
貴博はニヒルにほくそ笑み、くくくとくぐもった含み笑いをする。直人と巧は苦笑い、女性陣は何が始まるのかと興味津々で貴博を見詰める。
「俺の名はっ! 私立聖モイライ学園高等部三年、学年一の秀才、向田貴博! またの名を、COA内で顕著な働きを見せる『フラグメント』の代表ユーリ! 覚えておけ、ゆくゆくはこの国の総理大臣となり、世界を手中に収める男だ。くははははは、かはははははははは!」
自称カッコイイポーズのまま、高笑いを決め込む貴博。それに直人と巧は「やっぱり」と肩を落とし、女性陣は白目のまま一歩後退り、受話器向こうのミッシェルだけがケタケタ笑い転げていた。
「では、始めよう! フラグメント初の円卓会議をな!」
一人テンション上がる貴博に、他のメンバーは付いていくのがやっとだった。この後、盗難事件の情報交換や、今後の対策の意見を出し合い、無難に会議は終わったのであった。
◆4
人気のない細い路地に、白のミニバンが止まっていた。止まっている場所は地方銀行の本店。丁度ミニバンに現金の入ったジュラルミンケースを積み込んでいる最中だ。そこに、猛然と突っ込む三人の黒装束の男の姿があった。三名の警備員たちはすぐさま防犯用の盾と警棒を手に取り、警笛を鳴らす。
「そこの男たち! 止まりなさい!」
「止まれ! 止まれって言ってるだろ!」
だが、男たちは全く止まる気配がない。むしろさらに勢いを増して猛然と突撃して来るではないか。
「おい、新人。警察へ連絡しろ! 俺らはあいつらを止める!」
「了解しました!」
上司らしき男性が新人と呼んだ男に命令すると、盾を前に突出して身構える。
「馬鹿か? 何も考えずに真正面から突っ込んでくるなんて、捕まえてくれと言っているようなもんじゃないか!」
走り込んでくる男たちは、三人同時に身を屈めると無謀にも警備員たちに向かってタックルを試みた。その無謀さには、上司の男性は思わず呆れ返ってしまった。
「無駄だ、おらああぁっ!」
案の定、三人の男は屈強な警備員二人にいとも容易く取り押さえられてしまった。上司らしき男は、鼻息を荒くしながら男たちを盾で押し潰そうと懸命に力を込めていた。
「はっはっは! 何を血迷ったかしらんが、この金はお前たちに渡せないんだ。もうすぐ警察が来るから、神妙にしてるんだな!」
しかし、部下は何か違和感を覚えていた。
「神妙って、……こいつら何で抵抗しないんですかね?」
確かに、今も全く抵抗もせずに、おとなしく地面と盾に挟まれたままである。部下の一人が首を傾げるが、上司は全く気に留めていないようだ。
「知るか。俺たちの圧倒的なディフェンスに戦意喪失したんだろ?」
「そ、そうですよね。うちの会社のモットーは安全確実な警備態勢ですからね!」
二人とも勝ち誇った顔で三人の男を取り押さえ続けていた。が、男の中の一人が、完全に押さえている二人を馬鹿にしきった口調で喋り出した。
「はぁ、まだこの人たちは気が付いていないのか。脳味噌が筋肉で出来てるんじゃないの?」
「本当、自分たちのセリフが全て死亡フラグに該当してるって、まだ分からないの?」
「だよな! ま、俺たちもこの後、『自爆』するんだけどもな? キャハハ!」
黒装束の男たちの言葉に、警備員二人はただならぬ不穏な空気を感じ取る。
「き、貴様ら……、馬鹿な真似は寄せ!?」
「自爆だ? はんっ、無駄だ! こうやって取り押さえられてる限り、お前らの反撃は不可能だ!」
取り押さえる警備員の顔色が一気に変わる。
これに対し、襲いかかった男は終始笑顔だ。
「――反撃、出来るんだなぁ、これが」
もぞもぞと取り押さえられている男の一人が右手を伸ばす。どうやら、腕一本は動かせるくらいの余裕はあるようだ。その手の中には、小さなスイッチが握られていた。
「これ、な~んだ?」
警備員二人は思わず顔を見合わせた。同時に、最悪の状況が二人の脳裏によぎった。
「は、はん! そんな脅し、我々は屈しないぞ?」
声が震える上司は、より一層盾を押し潰す力を強める。
「どうせ、そのスイッチはただの脅し! 玩具のスイッチで唆そうなど、いかにも素人じみた考えだな!」
「あっそ。最近のプラスチック爆弾はよく吹っ飛ぶんだけどな? それこそ、至近距離なら痛みすら感じないと思うぜ?」
平然と言ってのける黒装束の男。
その口振りは、まるで事実を淡々と述べているようにしか聞こえなかった。
「じゃ……」
黒装束の他の二人もようやく腕を伸ばすと、同様のスイッチが握られているではないか。流石に二人ともこれには戦慄した。
と、同時に、彼らのやろうとしていることが、ようやく理解できたのだった。
「一緒に逝くか? きゃははははは――!」
「馬鹿ッ!? やめろおおおおっ!」
「ばいばーい!」
黒装束の男たちが一斉にスイッチを押した。
瞬時に拡散する爆熱。衝撃音で震える大気。一気に立ち昇る黒煙。飛散する焼けただれた肉片。節操なく撒き散らされる血と脂の焦げた異臭。起爆点となった三人は勿論、盾で抑えていた警備員二人も爆圧と熱風に耐えられずに火達磨になりながら宙を舞い、そのままアスファルトへ叩き付けられた。上司の男は落下の衝撃で頭蓋骨が陥没、頭から大量の血液が溢れていることからまず助からないだろう。もう一人の部下は、爆破の衝撃で飛び散ったアスファルトの破片が全身に突き刺さっており、特に顔の形は完全にぐちゃぐちゃになってしまっていた。それでも何とか一命を取り留めているようで、ボロボロになった身体で輸送車の方へと這いつくばっていた。
「先輩、大丈夫っすか?」
そこへ、爆発音を聞き付けた新人の警備員が駆け寄ってきた。
「だ、いじょうぶ、な、わけ、あるか……。け、警察は、まだか……!?」
爆炎を吸い込んでしまったのか、喉がヒリヒリして喋りにくそうだ。ヒーヒーと甲高い呼吸音を笛のように鳴らしながら、警備員の男は新人の顔を見上げた。
「そんなの、来るわけないっしょ? きゃはははは!」
狂乱する新人警備員は、笑いながら警棒を男に振り下ろそうとしている真っ最中であった。
◆4
とある車中の会話劇。
着替えた加藤陽海と三人の分身が車に乗り込んでいた。ちなみに無免許である。
「お疲れさん。いっぺん死んでみてどうだったよ?」
「いや、一瞬だったんでよく分からねぇ」
「俺も。もっと痛いかと思ったけど、なんだか知らないうちに死んでたわ」
「俺はちょっと熱さと痛みを腹に感じたぜ。裏サイトで入手したC-4爆弾の威力、まさか身をもって体験するとは思わなかったけどな」
「しかしマジで便利だな。本体が死なない限り、分身は何回でも生き返るんだからな。ま、生き返るには本体がその場にいないと無効なんだが」
「だからわざわざ警備会社に潜り込んだのか。身元を偽造してまで、何で本人が出張るのかと思ってたが……」
「そういうことだ。またで俺がいるときはヨロシクな」
「おいおい、俺はもう死にたくないからな」
「それ同意。自爆テロ作戦を聞いたときは、俺の本体マジキチだと思ったぜ」
「でも、どうせ分身の俺たちは逆らえないんだ。覚悟しておいたほうが良いんじゃね?」
「そーゆーことー」
「うわ……」
「マジかよ……」
「ははははははっ! 心配すんな。もう無茶はしねぇよ。念のために、分身の一人をバイトに向かわせてるし、俺があの警備会社に在籍していた痕跡が残らないように、もう一人にデータのクラッキングを任せてある。あとは、『真犯人』の痕跡を残せば完成だ」
「完璧だな! これでアイツ等、日本にいられなくなるな!」
「ネットもリアルも行き場なし。早く首吊って死ねばいいのにな!」
不穏な嘲笑は車中でどこまでも続いた。
◆5
貴博は眠け眼を擦りながら、登校するため自転車を漕いでいた。昨晩は肉球決死隊と結託して犯人の足取りを聞き込み調査していたため、危うく貫徹しそうになった。一応睡眠は摂ったとはいえ、たった三時間弱では思考がぼやけてしまう。だが、これは貴博自身が招いたこと。自業自得なのである。
「でもなぁ、一刻も早く犯人の足取りを掴まないと、他の人たちにも迷惑掛かるしなぁ……」
欠伸を漏らしながら、高校の駐輪場へ到着する貴博。
と、そこへ、威圧感溢れる中年男性と就活生のような清潔感溢れる若い女性が、貴博の元へやってきた。
「ちょっといいかい、君?」
中年男性の重みのある声が貴博を呼び止めた。
「朝早く申し訳ないね。私たち、刑事なんだ」
胸元から二人とも警察手帳を取出し、貴博へ提示してみせた。貴博は本物の警察手帳を目の前に眉をひそめてしまう。
「あの、何かあったんですか?」
貴博の問いに、女刑事の方が答える。
「昨日の昼過ぎ、現金輸送車を襲う自爆テロがあってね」
「え、そんなのあったんですか?」
驚く貴博の言葉に、刑事二人は顔を見合わせると思わせぶりに数回頷く。
「結構大きく報道されていたんだけど……。昨日のニュースは見てたかしら?」
「いえ……。ゲームに夢中で見てません」
「そう。まだ高校生は遊びたい年頃なのね。やっぱりニュースなんか興味ないのかな?」
優しい笑顔で語り掛けてくる女刑事に、すこし胸の奥が熱くなる貴博であった。
「あはは……。すいません。ぶっちゃけ、あまりニュース見ないんですよ」
「もう、駄目よ? ちゃんと見てなくちゃ」
女刑事はいつの間にやら手錠を取出し、貴博の前にちらつかせていた。
――自分の起こした事件くらい、ちゃんと確認したらどうかしら?
「えっ? えっ?」
女刑事の言葉の意味が分からず、貴博は酷く狼狽える。すかさず女刑事が貴博の首に腕を回し、ヘッドロックを完全に極めてしまった。女刑事の胸の弾力が貴博の顔へと直に伝わるが、それ以上にヘッドロックによる痛覚が何十倍も上回っていたため、貴博は悲鳴を上げざるを得なかった。
「ででででででででっ! 何すんですか、放してください!」
「まだ自分の立場が分かっていないのか」
中年の刑事が一枚の紙面を貴博の目の前に突き出した。紙面には、逮捕状、と書かれていた。
「向田貴博! 十月二十八日、午前八時十六分! 現金輸送車自爆テロ事件の首謀者として緊急逮捕する!」
「は? はあああああ?」
驚きのあまりに頭が真っ白になる。だが、無情にもかけられる手錠の感触に、ようやく自分の置かれている立場を把握した。
――俺は、真犯人にハメられた!
「ち、違う。俺は無実だ。昨日は学校にも登校していたし、夕方からは自宅でずっとネトゲをしていた。家から一歩もでていないんだ! 家族に聞いてくれ、一番確かな証言だろ?」
「そういう話は、署でじっくり聞かせてもらう!」
「嘘じゃない、信じてくれ!」
「ほら、さっさと進みなさい!」
女刑事に連れて行かれ、校門前の覆面パトカーに半ば強引に押し込められる貴博。その際、クラスで仲の良い同級生と鉢合わせした。貴博は同級生の顔を見るなり、必死に無実を証言してもらおうと語り掛けた。
「貴博、お前――? ニュースで……」
「なぁ? 俺、昨日学校にいたよな? 帰りに俺が飯奢ってやっただろ? なぁ、この刑事たちに言ってくれよ。って! なぁ、何で黙ってるんだよ!」
何も言わない友人に、怒声にも近い声量で懇願する貴博。自然と涙は溢れ、鼻水も垂れてきた。汚い顔になりながらも、懸命に無実を証言してもらおうと喰らい付いた。
だがしかし、友人は貴博から顔を背けてしまった。
「すいません。俺、そいつとあまり話したことないんで。失礼します」
そう一言だけ言い残して、彼は足早に校内へ消えていった。貴博には彼の心の中の言葉がはっきりと聞こえた気がした。「犯罪者の知り合いだと思われたくない」と。
「なんでだよ……? なんで急に避けるんだよ……?」
パトカーの後部座席の背もたれに体を預け、ぼんやりと天井を見詰めた。
「俺はやってない。俺はやってない。俺はやってない。俺はやってない。俺はやってない。俺はやってない。俺はやってない。俺はやってない。俺はやってない。俺はやってない。俺はやってない。俺はやってない。俺はやってない。俺はやってない。俺はやってない。俺はやってない。俺はやってない。俺はやってない。俺はやってない。俺はやってない。俺はやってない。俺はやってない。俺はやってない。俺はやってない。俺はやってない。俺はやってない――」
ぶつぶつと念仏のように同じフレーズを繰り返す貴博に、女刑事がある事実を告げた。
「犯行現場、ここから数キロ離れた場所なの。君が学校から自宅へ帰ってきてからでも、自転車で現場まで向かっても二〇分掛からない。しかも君は帰宅部で、他の生徒より帰宅時間が早い。アリバイなんていくらでも捏造出来るんじゃないかしら?」
更に、運転席の中年の刑事が女刑事の言葉に続く。
「現場に君の学生証が落ちていた。完璧な物的証拠だ。まだ反論するか?」
「待ってくれ……。学生証は最近どこかで落としたんだ。今日、新しい学生証が学校から発行されるはずなんだ。調べてくれ。そうすれば俺の言ってることが本当だって分かるから!」
「ちっ、口うるさいガキだな。じゃあなんでテメェの学生証が現場にあるんだ? 答えてみろよ?」
「そんなの知るかよ! 俺が教えてほしいくらいだ!」
すると突然、パトカーが発進してしまう。中腰になっていた貴博は、発進した衝撃で後部座席に頭をぶつけてしまった。それを中年の刑事が確認すると、煙草を取り出して吹かし始めた。
「ごちゃごちゃとうるせーぞ! お前の言い訳、たっぷりと聞いてやる。お前の仲間と一緒にな」
「仲間?」
自分自身は一体これからどうなるのか? 貴博は全くこの先の展開が読めずに、車中で身を縮めてすすり泣くしかなかった。
◆6
警察署へ到着すると、貴博は掴まれたまま、どこかへ引きずられていった。すると、廊下の前方に見慣れた男が目に飛び込んできた。
「……柴山さん?」
短めの黒髪に眼鏡を掛けたYシャツとスラックス姿の男、天楽こと柴山巧が廊下の向こう側から巨体の刑事に羽交い絞めにされながらやってきた。勤務中だったのであろう、スーパーのロゴが入った紺色のエプロンを掛けたままである。彼も刑事らしき人物に取り押さえられており、貴博と同じ目に遭ったことが伺えた。
「向田君! ああ、ギルマスまで――!」
貴博を見つけるや否や、首を大きく横に振って嘆く巧。悲痛に顔を歪ませ、涙まで流していた。貴博もそれに応答する。
「天――、ここじゃ柴山さんのほうがいいか。柴山さん。一体何が起きてるんですか?」
「分かりません。俺も朝、店舗に出勤した途端に刑事に取り押さえられて。まったく、訳が分からないですよ!」
「そっか、柴山さんも知らないのか。でも、恐らくこれは、十中八九、アイツの仕業だと思います」
「そうですね。俺たちに復讐すると言っていたあの犯人の差し金でしょう。何故か襲われた輸送車の警備会社に勤務していることになってたんですよ?」
お互いの共通見解がまとまり、二人ともようやくほっとしたようだ。ここで二人はすれ違い、お互い後ろを向いて必死に会話を続けようとする。しかし、貴博は頭を押さえられ、巧を見ることが出来なくなってしまう。
「時間だ。取調べするぞ」
「向田君! 俺たちは潔白です! 何があっても屈しちゃ駄目です!」
巧は引きずられながらも大声で貴博を激励していき、そのままどこかの部屋へ放り込まれてしまったようだ。
「こっちに来るんだ。取調べをする」
先程の中年刑事であった。小さな机の前にあるパイプ椅子に座らされる貴博。
「残念、おじさんかぁ。あのきれいなお姉さんだったら、色々話す気になれたのにな」
貴博は半分本音を混ぜながら言葉を漏らした。その時、貴博の首元が急に締め付けられた。中年刑事が貴博の胸倉を掴んだのだ。貴博の体は僅かに宙を浮き、中年刑事の眼光はますます鋭くなっていくばかりだ。
「悪かったな、オッサンで。あと、あのお姉さん、実はすっげぇ怖いぞ? 取調べ中に顔面蹴り倒された容疑者は星の数より多いんだぜ?」
「ちょっ、取り調べ中の暴力は禁止されてるんじゃなかったのか?」
「警察内部でうやむやにするからいいんだよ。どーせ世間様には取り調べ内容なんざ、無闇矢鱈とおおっぴらにしないからな。どこの所轄でもよくあることさ。あとな、犯罪をするようなクズは、叩いたり蹴ったりしないと口割らねぇ奴ばっかりなんでな?」
中年刑事は吊し上げていた貴博の首元を緩めると、右拳に体重を乗せて、目の前の貴博の顔を全力で殴り抜いた。衝撃で頭から壁にぶつかる貴博。軽い脳震盪を起こしているようで、目の前の景色が何重にもぶれて目に飛び込んできた。これではうまく立つことすら難しい。
「ほら、しっかり立てよ。男の子だろ?」
しかし、もはや中年刑事の声すら貴博には届いていない。目は焦点が合わず、口は半開きのまま、脂汗が顔中から吹き出ていた。
「何だよ、一発で飛んじまった。おい、今日はとりあえず留置所に寝かせておけ」
若い刑事たちが貴博の身体を二人掛かりで支えて留置所へ運ばれる。貴博は既に、自分の心が折れる音が聞こえていた。
◆7
留置されてから早三日経った。日中の恫喝まがいの取り調べが終わると、夜は留置所でぐったりと休む、の繰り返しを行っていた。
貴博の家族が面会に来た。母親は終始泣き崩れ、父親は最後まで「死ね」だの「蛆虫」だの、やはり息子に掛ける言葉とは思えないような単語を連発して投げ掛けてきた。遂には「お前は金輪際、お前を息子だとは思わない」とまで言い放ち、怒り狂いながら面会室を後にしていった。母親は黙ってその後を追っていった。やはり、自分はこの両親からは愛されていないのだ。改めて貴博はそう実感せざるを得なかった。
担任の先生もやってきた。先生は「きっと何かの間違いです」と言って心配する素振りを見せていた。しかし、帰り際、扉の向こうで「あんな生徒を受け持ったことを世間に公表しないで下さい」と、警察に掛け合っていたのが聞こえ、貴博は全てが建前だったと見破った。
友人たちは誰一人として面会に来てくれなかった。クラスの中でもかなり人望が厚いと自負していた貴博は、これが一番堪えていた。結局、人間は上辺だけの付き合いしかしていなかった。そんなことを無理矢理思い知らされるのだ。貴博自身、己の認識の甘さに頭を掻き毟るほど苛立っていた。
三日目の夜、貴博は心身ともに既に摩耗していた。無機質なコンクリの壁の模様をただひたすら眺める事が、今の貴博の唯一の娯楽になっていた。外の世界は一体どうなっているんだろう。COAに残った『フラグメント』のメンバーは、今どうしているだろう? ぼんやりと考えながら、また壁の模様を鑑賞し続ける貴博だった。
◆8
留置所生活四日目。
貴博と巧に、朝一番に面会希望者が現れた。何やら、二人いっぺんに会わせてくれとの事らしい。もう誰も来ないだろうとお互い思っていた両者は、突然の来訪者に首を傾げた。
「二人に共通の知り合いっていたか?」
「いいえ、心当たりありません」
二人は狐につままれた気分で面会室へと向かった。
面会室の扉を開けると、そこには壁に佇む黒服の男たちに見守られながら、面会室のパイプ椅子にちょこんと座る少女がいた。少女の髪は、なんとも名状しがたいものであった。全体は伸びっ放し黒髪ロングなのだが、所々はレイヤーの失敗作のように刈り込んであるようで、とにかく左右非対称の髪型でとても不安定な気分にさせてくれる。服装も野暮ったく、有名ゲームキャラの着ぐるみパーカーにスカートとレギンスを着込んでいるだけだ。顔立ちは欧米人のように目鼻立ちがはっきりしており、瞳の色もダークグリーンである。にも拘らず、東洋人の柔らかい顔の輪郭ときめ細かい肌質も併せ持っている。恐らくハーフかクォーターなのだろう。しかし、化粧っ気は全くなく、せっかくの目鼻立ちの通った可愛い顔がくすんで見えてしまう。そんな彼女が、状況を理解出来ていない貴博と巧の顔を見て、ニヤニヤニヤニヤと意地悪そうに微笑んでいた。
「あ、あのー、どちらさま?」
巧は差しさわりのないように、目の前の少女に探りを入れた。すると、少女はニヤニヤからニタァ~という獲物を見定めるような笑みを浮かべた。
「つれないなぁ。ボクの声、忘れちゃった?」
その声は外見よりも幼い印象を二人に与えた。
その甘ったるいソプラノは、聞くだけで何故か罪悪感がもたげてくる気がした。
「いや、すいません。存じ上げません……」
巧の言葉に、膨れっ面で返す少女。だが、巧は気付いたようで、目を細めながら仰け反っていた。
「まさか、副マス? 副マスのミッシェルですか?」
「ええええっ!? 何でミッシェルがここに?」
二人はまさに驚天動地といった具合に、腰が引けて完全に狼狽していた。そのおろおろした二人の慌てっぷりに、腹を抱えて笑い出す少女。
「あははははははははは――、ひーっ、引き籠りだからってー、外に出てこないとは限らないのでしたー! あはははははははは――!」
目の前で絶賛抱腹絶倒中の彼女に、ただただ口を開けて呆然とするしかない二人。
「ひーひー……、ごめんなさい。大★正★解! 君たちの目の前にいる美少女こそ、フラグメントの副マスター、与那覇ミッシェルちゃんだよっ、きゃはっ♪」
ぶーいっ! とダブルピースと満面の笑みで返すミッシェルである。巧は面会室のガラスの仕切り板いっぱいまで近寄ると、ミッシェルの顔をまじまじと眺めた。
「天ちゃん……、近い近い」
「こ、この娘が副マス? 副マスがこんなに可愛い女の子のはずがない! 副マスはネカマキャラじゃなかったんですか!?」
「ごめん、天ちゃん。あれは嘘じゃ」
「でも、電話の時は完璧な少年の声だったですよっ?」
「ボクの声、ショタ声ってよく言われるだよねー。おかげで性別をよく間違えられるし」
「えーっ?」
「……俺はなんとなく気付いてたけどな」
ショックで固まる巧に対し、何故かそわそわしだす貴博であった。ミッシェルは意外そうに貴博の顔を見詰めた。
「ありゃ、ユーリちんにはバレてたか」
「そりゃそうだ。伊達にミッシェルとは長くつるんでないぜ? 俺がお前からアイテムをせがむとき、いつもミッシェルはキレるだろ?」
「あー、だってあのときのユーリちん、凄くウザい。てか、それ今は関係なくね?」
「また露骨に言うなぁ。ますますミッシェルだな。でだ、お前がキレた時のチャットが女特有のキレ方だなって思ってたからな。男だとあそこまでねちねちした怒り方しないしな」
ミッシェルはしまった、と小さく呟くと舌打ちをした。
「想定外だよ。意外とユーリちんが女子を見る目があっただなんて」
「その言い方、普段俺はどんな評価をお前から得ているんだ?」
「んん? 知りたい? 知りたい? ならば、お前の罪の数を数えろー! わはははー!」
途端にミッシェルの目が少女漫画のように輝きだす。しかし台詞は不穏極まりない。
「……いや、いい。その期待に満ちた表情には裏があるって、さっきのでよく分かったわ」
「ちぇー、もうちょっとユーリちんを弄られると思ったのに。もっとこう、ぐりぐりと! 抉るように!」
「勘弁してくれ。てか、何でミッシェルここにいるのさ?」
「その問いは、我々から答えさせていただきましょう」
突然、後ろの黒服たちが勝手に質問に答え始めた。
「目の前のお方は、四六時中COAに入り浸っている筋金入りの引き籠り!」
「その傍らで、人気シリーズラノベを二本抱える新進気鋭のラノベ作家として活躍!」
「しかし、その姿さえも仮の姿!」
「その驚くべき正体は……!」
「「どぅるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるる……」」
黒服たちが一斉に擬音を口ずさむ。この擬音、どうやらドラムロールのようである……。
「「どぅるるるるるるるるるるるるるる、ずばばばばん!」」
「「COA開発・運営を一手に携わる㈱グノーシスの社長令嬢、与那覇アンジェラ様だ!」」
「ちーっす、社長令嬢でまじサーセーン! てへぺろ★」
ミッシェルこと、アンジェラは頭を掻きながら下を出してウインクしてみせた。
貴博と巧は真顔でお互いの顔を見合わせ、ほぼ同時に頬を抓り合う。
「痛ぇ!」
「あいたた……」
夢ではない。そう確認したところで、再びアンジェラの顔を見据える。しばらくアンジェラと二人の無言のにらめっこが続く。
だが、耐えきれなくなったアンジェラは、場を和ますための秘策に打ってでた。
アンジェラは持てる限りの愛らしさを前面に押し出すために、舌をちょこんと口からはみ出させ、右拳をこめかみにコツンとぶつけたかと思うと、困ったような八の字の眉のまま、茶目っ気たっぷりに片目を閉じてみせた。
「……てへぺろ★」
「「てへぺろ★じゃねぇよ!」」
混乱しすぎて、とりあえず目の前のボケにツッコミを入れる位しか余裕がなくなった二人であった。
◆9
「つまり、ボクは二人を釈放するためにここに来たんだ。父さ――、いや、社長の命令で、親交の深いボクが使者としてここまで馳せ参じたってわけ」
敬ってへつらいやがれ下民ども、と未発達な胸を張ってドヤ顔をするアンジェラ。
「……俺たち、出られるのか?」
半信半疑の貴博に、仏頂面で返すアンジェラ。
「嫌ならいいよー? 折角助けてあげようとしたのになぁ~。臭い飯がそんなに気に入ったのかい?」
「いや、すいませんでした。ありがとうございます、アンジェラ様!」
貴博は素早く五歩小股で下がり、利き膝から足を突きつつ両手をハの字に地面へ付けると、そのまま一気に地面に額を擦り付けた。これが日本の様式美の一つ、土下座である。その完璧な角度、背中から漂う悲壮感と哀愁は、見る者の心を締め付けさせる。ちなみに、巧も自然と隣で土下座をしていた。彼の土下座はまるで潰されたヒキガエルのような深度が特徴で、限りなくフラットに近いこの姿勢は、まさに彼の誠意の顕れ以外の何物でもない煎餅型であった。巧もまた、日本の伝統を守る土下座伝承者なのだ。
「いや、もう頭上げてよ」
二人とも頭を上げない。
「本当大丈夫だから。頭上げてよ」
それでも二人は頭を上げない。すると、なにやらしゅるしゅるっと擦れる音が聞こえてきた。
「ボク、今二人に見えるような位置でM字開脚してるんだけどなぁ~。レギンスを下した音、聞こえたでしょ? ほら、今頭を上げれば、ボクの水色と白の縞ぱんが見えちゃうよぉ?」
貴博が頭を上げてしまった。目に飛び込んできたのは、「ざまぁw」と書かれたスケッチブックを掲げるアンジェラだった。
さっきの擦れる音は、マジックで文字を書く音だった。あまりの悔しさに、渾身の力で床殴りを開始する貴博。
「ほら、天ちゃんもそろそろ頭上げようよ?」
そう言われて、ようやく頭を上げる巧だった。その顔付きは、侍のごとき精悍さである。
「流石天ちゃん! 隣にいる性欲まみれのお猿と違って、大人だね!」
「副マス、ただの縞ぱんには興味がないんです。そこは姫ちゃんのでないと……!」
残念ながら、巧は侍ではなく紳士だった。慄くアンジェラは、苦笑いしながらも話を続けた。
「ま、まぁ、話を戻そうか。とにかく、すぐにでも釈放の手続きをするから、二人は今日中にシャバに戻れるよ。あと、容疑もすぐに晴れると思うよ? 色々と矛盾点が多い雑な捜査内容だったし、殴った刑事どもは近々左遷されるそうだね」
「ほ、本当か?」
「良かったですね、ギルマス!」
貴博と巧は手を取り合い、喜びを分かち合った。が、ここで一つ疑問が浮かんだ。
「……何でミッシェルが捜査内容とか知ってるんだ?」
貴博の疑問に、意地悪そうな笑みでアンジェラは返した。
「なーいーしょっ★」
「笑顔怖っ!」
アンジェラが面会室を出てから数時間後、本当に貴博と巧はシャバに出られた。四日ぶりの外の空気を思いっきり吸い込む。留置所の門をくぐった先に待ち構えていたのは、おびただしい数の報道陣だった。二人を見付けるや否や、波涛のように押し寄せてくるカメラと記者の群れが貴博たちを襲う。
「貴方たちは無罪を主張しているようですね? 物的証拠が挙がっているにも拘らず、依然と無罪を主張し続ける根拠を教えてください!」
「片割れの君は高校生だそうだけど、何で人殺しなんかしようと思ったんだい?」
「自爆テロなんていう非人道行為を指示して、心が痛まないのですかっ?」
「C-4爆弾を使って殺害したってことは、貴方たちは国際テロリストの末端なんですか?」
「やはりオタクは犯罪者予備軍なんですね! 貴方たちはネットゲームを通じて、テロによる国家転覆を狙ったんでしょう!?」
皆、言いたいことを言い放ち、好き勝手に脚色した内容を二人にぶつけてきた。そのあまりのトンデモ内容に凍り付く二人。無論、なんて答えればいいのか見当も付く訳もなく、報道陣の群れに捕まり右往左往するばかりだった。
「何故黙ってるんですか!」
「やましい事あるんじゃないの?」
「人殺しておいて平然としてられるなんて異常者の極み!」
「残された遺族のことを考えた事あるのか!」
「犠牲になった男性三人組にも謝罪しろ!」
次第に質問は罵声へと変わってゆく。いよいよ困窮した二人は、その場で立ち往生するしかなかった。
と、その時!
「どきなさい、愚民ども!」
数時間前に聞いた、甘ったるいソプラノが前方から響く。
誰もがその声の主を確かめようと振り向いた。すると、小さく「おぉ……」と感嘆が漏れた。
報道陣が自然と道を開ける。まるで神話に出てくるモーゼのように、人の海が真っ二つに裂けていく。
姿を現したのは、レースをあしらった真っ白なワンピースに、ざんばら髪を隠すように包む大きな白い帽子。そして黒のシューズを見事に履きこなしている。口紅とアイシャドウも派手すぎず、全体的にナチュラルメイクだ。まさに深窓の令嬢という表現がしっくりとくる少女、与那覇アンジェラが貴博と巧を見据えていた。
「え、ミッシェル? 嘘だろ!?」
「さっきとはまるで別人ですね……」
引き籠りスタイルから一変、社長令嬢モードのアンジェラはつかつかと二人に近寄ると、その間に割って入って両者の腕を組んだ。
更に後ろからは、何故か小鳥遊姉妹と陽菜の姿もいた。そして、貴博と巧の脇を固めるように両脇に寄り添った。瞬くフラッシュ。事情が分からない記者たちは戸惑うばかり。
「ご機嫌よう。グノーシスの社長の娘、与那覇アンジェラです。そしてこちらは私立聖モイライ学園の理事長の孫娘、山口陽菜。そしてこちらが私の親愛なる協力者、小鳥遊こばと、そして妹のつばめちゃんです。今回の件は、彼女たちの助力があってこそ成り立ちましたので、この場を借りて紹介させていただきます」
アンジェラに紹介された三人は、報道陣に向けて軽く会釈をした。
「今日は、皆様にお願いがあってここに参りました」
ざわつく報道陣。一斉にマイクとカメラがアンジェラへ向けられる。
しかし、アンジェラは一向に気後れすることなく、毅然とした態度で報道陣へ声高らかに叫んだ。
「この二人は、私にとってかけがえのない友達です! その私の友達が、今まさに警察のずさんな捜査と、悪質な取り調べにより、巷を騒がせている現金輸送車自爆テロの首謀者として勝手に陥れられようとしています!」
「どういうことなんですか、それはっ?」
「何でグノーシスの社長令嬢がや学園理事長の孫娘が犯人を庇うんですか?」
押し寄せる記者の波。小さな体のアンジェラでは、到底受け止められるはずがない。
「向田君! 来るよ!」
「分かってる! ここは通さない!」
二人はアンジェラの前に立ちはだかると、自ら壁となって報道陣からアンジェラを守る。
「そこをどけよ、凶悪犯が!」
「お前たちに用はないんだ、このテロリスト!」
再び留置所前は大パニックに。その喧騒を聞いていたアンジェラのこめかみが、次第に激しく痙攣していく。
「――貴方たち! 私の友達をそれ以上酷く言うなーッ!」
可愛らしいロリ声が一転、アンジェラの声は超攻撃的なデス声になっていた。
「証拠ならここにある! この資料に全て書かれてる! 二人の完璧なアリバイ! 犯行の動機の関連のなさ! 担当刑事による恫喝! これでも読んで出直してきなさい! このゴミどもが!」
資料の束を報道陣にばら撒くアンジェラ。
舞い散る資料に釣られて、我先にと資料を奪い合う記者たちを眺めながら、アンジェラは更に言ってのけた。
「それを読んでもこの二人を嗅ぎ回るようなら、グノーシス社長令嬢である、この与那覇アンジェラの名に懸けて! みっちりと『ご説明』させていただきます。何かご意見はっ!?」
鬼気迫るアンジェラの威圧感に、報道陣一同は黙って首を横に振る。すると、陽菜が険しい顔つきのまま、報道陣へ一歩歩み寄った。
「天ちゃんを……、これ以上苛めたら……、陽菜、許さないから」
ブゥーン――と何かの羽音が聞こえてくる。しかも、かなりの大群を思わせる音量だ。人間が生理的に嫌悪するような独特の羽音に、報道陣たちは頭上を見上げて恐れ慄きはじめる。陽菜の目が血走っていることに気付いたこばとは、必死に落ち着かせようと陽菜を抱きしめた。
「駄目……! 気持ちは分かるわ。でも、ここで使っちゃ駄目よ」
すると途端に羽音が止んだ。報道陣に安堵の空気が流れる。アンジェラは陽菜に一瞥をくれると、一言咎めた。
「そう。それでいいのよ。報道陣のみなさん、あまり彼女を刺激しないで下さいね? さもないと、怪我人が出ます」
その言葉にどよめきが起きる。
「……もういいですね? では、まいりましょう、お二人さん」
鬼の顔から、再び天使の笑顔に早変わりするアンジェラ。
呆然としながらも、貴博と巧はアンジェラに誘われるまま、黒塗りのリムジンへ乗り込んだ。
◆10
リムジンの車中は、庶民二人にとって異次元の空間であった。
冷蔵庫完備。地デジ対応液晶テレビ搭載、ベットのようにふかふかの座席。
もはや車中ではなく住居である。
「大変だったね。喉乾いたでしょ? サイダーあるけど、飲む?」
「お、サンキュー」
「有難く頂戴します」
アンジェラは二人に一・五Lのペットボトルを、各自一本ずつ手渡した。アンジェラも相対的に巨大に見えるペットボトルの栓を開けると、豪快にラッパ飲みし始めた。小鳥遊姉妹はカロリーゼロのコーラ、陽菜は烏龍茶。もちろんペットボトルでラッパ飲みである。
「プハァ~! やっぱりこれだね! あれ? 二人ともどうしたの?」
「「……いただきます」」
何とも言えない気分で二人はサイダーを喉へ流し込んだ。炭酸の刺激が脳の中まで染みわたるような錯覚を覚えて心地良い。
「本っ当、警察とマスコミっていい加減だねー! 二人が逮捕されたって知って、ボクは慌てて部下たちにキミたちのことを調べさせたんだ。そしたら、案の定、ホコリが出てくる出てくる」
呆れた表情でアンジェラはサイダーのラッパ飲みを継続していた。
「てか、あんな証拠で事件を終わらせようとした警察がボクは許せなかったんだ。巧妙に仕組んであるように見えてるけど、結局は素人の技。学生証落としてユーリちんの存在を臭わせ、真犯人が警備会社のデータベースを書き換えて、天ちゃんを無理矢理社員登録させたんだ。当然、そこには矛盾も生じるし、綻びも生じてた。でも、警察はそれを妥協して、二人を犯人だと決めつけたんだ。真犯人としては、二人が逮捕されれば社会的に抹殺されると思っての犯行だったんだろうね。だから、自分たちの痕跡を拭い去れなかった。そんな稚拙なミスを地元警察は無視しようとしたんだ。馬鹿げているにも程があるよ!」
残りのサイダーを一気に飲み干し、あっという間に一・五Lを空にしてしまった。
「始末が悪いのは、マスコミだ。好き勝手書いて、嘘まで本当のように書き立ててたよ。これには怒りを通り越して憐みさえ感じたよ。真実伝える仕事なのに、嘘書いて拝金主義に走ってるのが見え見えなんだもの」
「……ミッシェルってすげぇな。まるでスパイみたいだ」
貴博の言葉に、少しはにかむアンジェラ。
「あまり褒められたことじゃないんだけどね。ボクが動いてるってこと自体、グノーシスにとっては危うい橋を渡っていることになるのだから。結局は、グノーシス、いやCOAというべきかな? つまり自分のエゴのために動いてるんだ。COAやってるユーザーが犯罪者だなんて、会社にとってはマイナスでしかないしね。根幹は警察やマスコミとあまり変わらないよ。ま、イメージ戦略って奴かな? 全国放送で広告代が浮いたし!」
「それだとしても、本当に助かりました。副マスの資料が日の目を見れば、俺たちの疑いも晴れるはずです」
巧は既に涙ぐんでいた。
「もう、天ちんったら」
アンジェラはハンカチを巧に手渡す。巧は渡されたハンカチで涙を拭くと、そのまま鼻もかんだ。
「安心してください。ちゃんと洗って返しますんで!」
「……いや、あげるよ……。ハンカチの一枚くらい……」
苦笑いするしかできないアンジェラだった。
「そうだ! 俺たちがいない間、『フラグメント』は?」
「盗難事件もどうなりましたか?」
貴博と巧が雁首揃えてアンジェラに問い詰めた。
「まぁまぁ。ちょうどこれから話すつもりだったんだ」
アンジェラはテレビを付けると、ニュースの速報が入っていた。そこには、貴博と巧がよく知る顔が写っていた。
「こいつ……、あの時の!」
「そうですよ、あの万引き犯です!」
スーパーに張り出した万引き犯の似顔絵とそっくりの顔が、暴行や窃盗などの容疑で指名手配されるニュースがテレビから流れていた。
「最近、このニュースか、ユーリちんたちの事ばっかりだったよ。で、その万引き犯とやらなんだけども、意外にもボクたちの身近に居たんだよ」
「なんだって?」
耳を疑う貴博。
「そいつ、一体誰なんだ?」
「やっぱり、雷君だったよ」
こばとは至極残念そうにそう告げた。巧は息を呑むほど驚いた。
「雷斗さんが……、この万引き犯?」
「でも、よく分かったな?」
「大変だったんだよ、ユーリちん。被害者ひとりひとりに誤解を解きながら、怪しい人物を探っていったんだ。そしたら、一つのキャラが重点的に活動しているようでね。実際にボクがRTMしているそのキャラに接触したんだ」
「勇気あるなぁ……。お前そういうところ本当に肝座ってるよな」
ドヤ顔のアンジェラを、貴博はこの時ばかりは素直に褒め称える。
「ま、しっかり詐欺にあったけどね。ウェブマネー五千円分」
「駄目じゃないですか!」
巧はがっくりと肩を落としてしまった。
「まぁまぁ、天ちん。ここからが肝心だ。ボクはなんたって運営会社の令嬢だからね。ボクの命令で公平正大にプログラム解析が出来るわけさ。掠め取られたウェブマネーの流れを追えば、どのIDが持ち去ったかを調べられるからね」
つまり、『わざと被害に遭うことで、相手にウェブマネーを使わせることによって足を付けさせる』という運営サイドならではの特定方法である。
「……エゲツないなぁ! つーか、それが出来るなら最初からそうしろよな!」
貴博の言葉に、何故か渋い顔をし出すアンジェラ。
「まさかここまで話が大きくなるとは思わなかったんだ。大体、ユーリちんはCOAに一日どれくらいの金額のウェブマネーが動くと思っているんだい? 普通なら特定するのに月単位の時間が必要だよ。今回の件は、肉球決死隊の協力を得て情報をかき集めた上で、ボクの犠牲があったからこそ、短期間で特定出来たんだよ。それに、いくら社長令嬢だからって権利濫用するのは、ボクとしては気が引けるんだ。フェアじゃないもの。ボクだって、ユーリちんや天ちゃんと同じ目線でプレイしたいからね。だからこそ、ボクは『フラグメント』のみんなに会えたって思ってるよ」
アンジェラの言葉は、驕りとかそう言ったものは一切感じられず、本当にいちユーザーとして楽しみたいという気持ちがありありと感じられるものであった。
「ただ、雷ちんに関しては残念だな。多分、雷ちんのことに関しては内々で処理することになる」
「どういうことだ?」
貴博の問いに、非常に言い辛そうに口をつぐむアンジェラ。
「教えて下さい。此処まで来て、まさか隠し事なんてしないですよね?」
巧の押しに、アンジェラは観念するかのように白状した。
「今から言うことは、絶対に口外しないって約束してくれるかい?」
貴博も巧も、力強く頷いてみせる。アンジェラはそれを見届けると、意を決して真実を二人に告げた。
「雷ちん、いや加藤陽海は、間違いなく一般人とは異なる能力を身に付けている。ボクは今までずっと、そういった暴走する異能者を社会の影で粛清し続けてきたんだ」
◆11
加藤陽海はとある河川の高架下で、夜が明けるのを待っていた。
「畜生……! メインアカウントも停止されちまうし、アイツ等二人の容疑が晴れるしよぉ! 最悪なのは、俺が指名手配されるだと? 冗談じゃない! 他の無能な人間とは俺は違うんだ! この力は選ばれた者だけの力だ!」
携帯電話のワンセグテレビでは、早朝のニュース番組が流れていた。グノーシス令嬢による訴えは、予想以上に世論を突き動かした。地元警察署にクレームの嵐が吹き荒れ、一時グノーシスの株価が急騰する事態にまで発展した。マスコミもアンジェラがばら撒いた資料をどこの局でも放送し、貴博と巧の身の潔白を大々的に全国へ垂れ流した。
こうして、陽海の画策した罠は完璧に破れ、陽海は逆に一連の暴行事件や窃盗事件の凶悪犯、並びに現金輸送車自爆テロ事件の重要参考人として全国へ指名手配され、一気に形勢逆転してしまった。今では警察の目を逃れるために、浮浪者と変わらない生活を余儀なくしている。
携帯のワンセグテレビを握り締める様に見詰める陽海は、生まれてきた中で味わったことのない強い憎悪に包まれていた。
「こんなはずじゃなかった……。俺はもっと弱い奴を踏み台にして金を手に入れるんだ。アイツ等さえいなければ、俺は、俺はもっと自由になれたのに!」
握り締めていた携帯を、力の限り地面へ投げ捨てた。地面から突き出していた石に激突すると、携帯電話の液晶画面が放射線状にひびが入った。陽海はひび割れた携帯を拾い上げると、再び力一杯に地面へ叩き付ける。何度も。何度も。何度も何度も何度も。
「畜生ッ! こんなものっ! こんなものっ! こんなものっ!」
陽海は今や、己の憤りを何かにぶつけていないと理性を保っていられないほど、彼の精神は蝕まれていた。携帯の内部の部品が飛び散ろうとも、外側のフレームが砕けようとも、地面へ叩き付けていなければ人間であることを忘れそうなのだった。
「糞がッ! アイツ等がいなければ! アイツ等を、殺しちゃえば……?」
殺す、という言葉に陽海の思考回路が急速に反応。巡る思考。積み重なるロジック。そして見える、勝算!
「なんだ、そうだったんだ。俺の『ローバーズ』があれば、アイツ等なんか簡単に殺せるじゃないか」
陽海の目の前に開ける、黒き殺意という名の希望。その左手は青白く帯電している。
「それに、異能力はこれだけじゃない。これは雷属性特殊攻撃のチャージ状態。つまり、現実世界でもCOA内のスキルの一部が使える算段だ! だとしたら、間違いなく勝てる!」
夜明け前、一人の強欲の狂人が空に向かって高笑いをする。
彼の澱んだ衝動が、間もなく貴博たちに牙を剥くことになるのだった。
次回、【第五章 拳交える罪人たち】、お楽しみに!