FOLDERー08 禍福
「お前を引っこ抜こうとする国や組織は数えきれん‥‥だからこそ気にしてなかったんだがなぁ。今回はまた随分と、な」
含みを持たせたまま言葉を切った毅仁は、自身の中では恒例となりつつある、来客にコーヒーを淹れるという新たな習慣に戻った。
「強行派、ってのが問題だよな」
視線はさ迷い続ける。焦点の合わない瞳が何かを追うようにせわしく動き、やがてある一点で止まる。だがやはり瞳は揺れたままだ。
「‥‥掴んだか」
毅仁は振り返らない。言いたいことは背中越しに伝わってくる。
「断片的にだけどな」
「無理をさせてすまない」
「謝るぐらいなら礼か金を寄越せ」
毅仁の暗い掛け声を笑い飛ばす。
「フンッ、感謝ならいつもしてるさ」
ここにきてようやく登闇の不自然さが消え、毅仁も湯気の出ていないカップーー中身はアイスコーヒーだろうーーを携えて、振り向いた。
「で、ソイツらのことだが‥‥」
数多の主戦論国家や過激派のテロリストグループは兵器としての魔術師を欲し、登闇や天恵を始めとするハーフレイヴン傘下の有能な兵士らを、あらゆる手段を持って引き込もうとしてきた。自国の魔術師だけでは満足できなかったのだろう。
しかしながらそれらの勢力は互いに牽制し合い、目立った動きが出来なくなってきている。表面に現れない分、水面下での争いは激化する一方。それに加え、手段を選ばない一部の勢力同士が協力関係を築き始めている。これは膠着状態の現状に、悪い意味での起爆剤となった。
その変化がもたらす影響は大きく、これ以上勢力が拡大すれば無視できないものになる。現段階での最悪のシナリオとは、大国の息がかかった組織が関わってくること。つまり国際関係のもつれから全面戦争に突入する恐れと、致命的なまでの亀裂、さらには世界大戦への飛躍等も挙げられる。
「いや、今はいい。お前が何とかしてくれるんだろ?」
「まぁな。‥‥ただし、成功する保証はないぞ」
無言で差し出されたコーヒーを手で制した登闇は、見慣れた幹部室の机に腰掛けた。
「ああ、わかってる。全部をやれとは言わない。尻拭いぐらいは任せろ」
しばしカップを見つめていた毅仁は登闇を机から押し退けると、人一人がようやく収まるスペースの空いた場所にそれを置いた。その衝撃でコーヒーカップに浮かんだ氷同士がぶつかり合い、カランと音を鳴らした。
「それにしても、何であいつらはわざわざ目立つことをしたんだ?」
「さぁな、そんなもん直接聞けばいい。‥‥あくまで俺の予想だが、宣伝効果でも狙ってるんじゃないか?」
「考えられるのはそれと宣戦布告。あるいは‥‥いや、きりがないな。止めとく」
「‥‥ふむ」
「考えててもしょーがないからこれで終わり。解散でいいよな?」
登闇の一声で部屋中の重苦しさが霧散する。
「ふぅ‥‥」
重圧から解放された室内に、毅仁の間の抜けた溜め息がよく響いた。
†
日が昇る少し前。外はまだ薄暗く、人通りは少ない。裏通りに面したマンションの、飾り気がない室内の一角で、最新の技術によって作られた立体表示機能を持つ小型の携帯端末を覗き込む者が数人。
彼ら彼女らには理由があった。止まらない、止められない理由が。
「いいな、お前達が狙うべき相手は目標のみ。他のやつらはまともに相手するな。特に目標の妹には気をつけろ。絶対に勝ち目はないからな。死にたくなければ最低限これだけは守れ」
リーダー格らしい大柄な男が、他の者へと最低限守るべき事項を伝えた。今回の依頼はそれほどのものなのだ。
国名こそ明かさなかったが、大国が裏で糸を引いているであろうクライアントの男は、破格の報酬を餌に危険度の高い依頼を寄越した。その依頼は一登闇からある情報を奪うこと。難易度だけで評価するなら最高レベルのものだ。
標的、一登闇は日本が誇る最強の手札の一つであり、『死神』と揶揄されるほどの強力な魔術師でもある。テロリストまがいの自分たちがやりあうには非常に危険な相手だ。
そして奪うべき情報、それはAI『System Emeth』へのアクセスコード。全てに続くカギ。しかし、存在自体が不確定で、一定期間一つの場所に止まったという噂はない。
そんなものへの糸口が身近に転がっているわけがない。正直なところ、彼らにとって眉唾ものであったが、目の前に出された餌に釣られて飛びついた。
「遠山さん、私たちかなりまずいことに手を出してないですか?」
長めの髪を邪魔にならないよう後ろに纏めた二十歳前後の女は、メンバーを代表して遠山への質問を口にする。その額には暑さからきたものではない汗が滲んでいた。
「‥‥分かってる。俺らにそれを気にするだけの余裕があるのか?」
有無を言わせない静かな叱責が飛ぶ。
自身のポケットに手を突っ込んだ遠山は、しばらくごそごそとポケットをまさぐり、そこからくたびれた煙草を取り出した。ゆっくりとした動作で火を点けると、口にくわえて深く吸い込み、特有の匂いがする紫煙を吐き出した。
「あ!吸うなら言ってくださいよ」
煙草の匂いが苦手な者がそれを見て窓を開けた。閉め切られていた部屋の中に、春先の爽やかな風が吹き込み、遠山がくゆらせていた煙が外に出て行く。
「悪いな。お前これダメだったんだよな」
「もう、分かってるなら外で吸って下さいよぉ」
髪を茶髪に染めた私服姿の青年が口を尖らせて言った。
少年に賛同した数人から逃げるようにしてベランダに出た遠山は、遠くにはためく日の丸が描かれた旗を見つめながら呟いた。
「ほんと‥何してんだろうな‥俺らは‥‥」
†
「これ、やり過ぎじゃないか?」
『退院おめでとう!』と書かれた巨大な張りぼての看板を見て目を丸くした。
様子がおかしい真実に連れられて入った室内は色鮮やかに装飾され、既にお祭り状態である。これらに異様な雰囲気を感じたのは登闇だけではないだろう。
「登闇さん、大事な妹さんの退院祝いなんですからこれぐらい当然ですよ」
普段からは考えられない丁寧な言葉使いと声音だ。薄ら寒くもある。幽霊の類は信じないのだが、会ったとしたらこんな風に感じるのかもしれない。
「‥‥」
退院パーティーは建て前で、本命はバカ騒ぎ。長い付き合いというほどでもないが、このぐらいのことは容易に想像できる。
ストッパーとなるのが登闇の役目であったが、妹の退院パーティーを慎ましくやるという報告を受けて、少しならと許可してしまったのである。
そもそも入院自体必要なかったのだから、退院パーティーも必要ないはずなのだが‥‥
途中経過はともかく、隊長からの許可を頂いた『特別案件処理班』の人員(と、下請けの方々)たちは、水を得た魚の如き勢いで準備に取りかかった。その結果がこれだ。
「いかがなさいました?」
露出の多い給仕服に身を包み、囁くような声で言った真実は微笑んだ。見慣れない服装と言葉使い、記憶のなかでの真実のイメージと違和感がありすぎて混乱しそうだ。
「何でもない」
登闇自身羽目を外したい気持ちがあったから止めはしなかったのだが、まさかこうも盛大に行われるとは思わなかった。
完全に部下たちの無駄に高い団結力を見誤っていた。
「そうですか」
「‥‥それ止めろ。むず痒くなる」
言葉とは裏腹に、狼狽した様子の登闇は早口で文句を口にした。いつもの力強さがない。
栗色の髪をアップにした真実は、着ている服も相まって大人っぽく見えた。これで天恵と年齢はあまり変わらないのだから不思議だ。精神年齢の差が出てくるのだろうか。
「登闇君はこういうのは嫌い?」
真実の着ている給仕服は体のラインが強調されるようなデザインが施されているため、正直なところ目のやり場に困る。
「‥」
覗き込まれた。鼓動が高まる。意識を集中すれば血液の流れが意識できるほどだ。何を焦っている。気の迷いだ。振り払え、自分‥‥
「ふーん‥‥‥」
登闇の様子を見た真実はニヤニヤと満足そうな笑みを浮かべ、ティーポットを手に取った。スカートの裾をつまみながら膝を曲げて一礼し、寸前に登闇へと押し付けたカップに注いだ。流れるような動作に思わず見惚れてしまう。
「意外と本物っぽいな」
顔が離れたことに安堵しつつ、洗練された動きを見せる真実に感心していた。既に先程のような挙動不審さはない。
「私、これでもウェイトレスの経験があるんですよ」
ふわり。登闇の前に花が咲いた。勝ち気で煩わしいものではなく、例えるならばそう、桜のような優しくて力強い笑顔‥‥って、何考えてんだ!柄でもない!
「だからそれ止めろって」
「ずいぶんとかわいい反応だねー。ふふっ」
憮然とした表情のままそっぽを向いた登闇を、上品な笑顔を貼り付けた真実が、いつもの仕返しとばかりに茶化す。
「はい、イチャイチャタイムしゅーりょー。僕と飲み比べ、しましょうか」
「え?あ、いや、そんなんじゃねぇし」
突然現れた若い男に登闇が引きずられていく。直ぐにテーブルまで連れて行かれ、何やら話し込み始めた。
「まったくもぉ」
残された真実は一連のできごとを見届け、結局取り残された。