FOLDERー04 死神カウンセリング!
「何‥‥これ‥‥‥」
思わず言葉がこぼれ落ちた。
彼女の知識の中にあった幻影を見せる魔術とは、術者自身の幻を投影し、術者の姿を隠す程度しか出来ないはずだった。
だとしたら今目の前で起こっていることは何だ?
ついさっきまでいたはずの訓練室の硬質な明るさが消え、頭上には雲一つない青空と太陽が輝いていた。足の裏からは人工のものではないデコボコとした岩の感触、広がる荒野、大きく口を開けた谷。それら全てが異質だ。
有り得ない‥‥
これほどに自然が広がっているわけがない。度重なる環境破壊によって減少の一歩を辿る自然は、僅かなものしか存在しえない。
「さて、ここからが本題だ」
声が響いた。諭すような声だ。
声につられて上を向く。それに連動して彼女の瞳は目前の映像を脳へ伝達する。意志が、理性がそれを拒むが、動かせなくなった瞳は容赦なく映し続ける。
浮いているのだ。何もない空中に。
光り輝く太陽を背に見下ろす姿を、不覚にも神々しいと感じた。精神干渉系の魔術だと気付いたが既に遅い。蟻地獄に落ちたかのような感覚が襲い来る。
「これが‥‥」
勝負を挑むこと自体無謀だった。いや、勝負と呼ぶことさえおこがましい。最初から結果は決まっていた。だが、きっとこの感情さえも精神干渉によって与えられたものの一部だろう。
終着点は変えられない。変えられるのはそこに至る過程だけ。何も変わらない、変えられない。今までもそうだった。一度として変化をもたらしたことはない。
苛立ち、感情が高ぶる。彼女の持つそれは恐怖を通り越し、怒りへと変化していた。猛毒を有した蛇のように蜷局を巻いた感情は心を締め付け、内側から壊していく。
‥‥どこに向ければいいの?
何に対して怒っているのか、何を怒ればいいのか、それがわからなかった。理不尽な怒りなのだから向けるものはない。わかっていてもわかりたくない。ただモヤモヤとしたものが思考を蝕み、侵してゆく。
‥‥そう遠くない昔に、同じ感覚を味わったことがある。それはいつのことだったのか、何だったのかはわからない。
「ゆっくりと考えるのも一つの選択だけど、俺はじれったいのが嫌いなんだ。だから今すぐ決めろ」
‥‥死神は、担いだその鎌をゆっくりと構える。
登闇の声に呼応し、世界が崩れ落ちていく。
広い荒野の真ん中に開いた谷を中心に、大地が、空が、太陽が、あらゆるものが飲み込まれていく。そして、拒否しても拒否しても、脳裏に蘇る忌々しい記憶。何かが、いや全てがおかしい。
仕組まれていたことだとわかっていた。でも、それでも、
「嫌ッ!嫌ぁぁ!!」
‥‥死神は、構えた刃を首にあてがう。
抗えない。
仮面が、どうしようもない隙間を覆っていた仮面が、彼女にしか聞こえない音をたてて壊れた。
「‥‥怖い、よぉ」
自分もあの中に飲み込まれて死んでしまうのではないか、例え残ったとしても自分以外何も無くなってしまうのではないか、そんな恐怖が湧き上がっていた不定形な怒りを消しさった。
全てが塗りつぶされる。何もできない。ただ流されるだけ。
「‥‥もう、取り残されるのはイヤ‥‥一人になるのはイヤ‥‥嘘を付くのはもう、イヤだ」
自分が何をしているのか、何故こんなことになったかわからない、わからない、わからない‥‥‥
「一歩を踏み出す勇気はあるか?」
何?何を言っているの?
そんなことはどうでもいい
今はただ‥‥‥‥
「目を背けるな。お前は助けて欲しいんだろう?手を差し出して欲しいんだろう?」
違う!私は‥私は!!!
「何が違う?」
違う!!違う違う違う!!!
「自分を見ろ。見えるだろ?」
‥‥‥‥‥‥‥‥‥
「たった一言でいい。助けてくれ、力を貸して欲しいと叫んでみろ」
‥‥‥‥‥‥いいの?
「ま、チャンスは一度。後は自分で何とかしろ。お菓子ぐらいの特典はつくぞ?」
‥‥‥‥本当にいいの?
「くどい。さっさと決めろ」
‥‥じゃあ、少しだけ頼ろうかな‥‥
‥‥死神は、そうしてそれを振り下ろす。
少女の告げた決意とともに世界の崩壊が緩み始め、あるべき形を取り戻していく。太陽光の変わりに人工の明かりが差し込み、デコボコとした感触が無くなる。直ぐに冷たい床の感触に支配される。
薄れゆく意識の中で声を聞いた。
「ここまでやらないとわからないのかよ‥‥全く、このバカは‥‥‥」
イラッとした。
だからさっきとはまた別の決心をした。今までの自分では考えられないくらいくだらないものだ。でも、それが楽しくて、嬉しくて‥‥‥
死神のやつを殴ってやる‥‥
笑ってしまいそうな決意を抱き、慣れない心地よさの中に意識を手放した。
†
「おい、わざとだろ」
ノックもせず、挨拶もそこそこに飛び込んできた登闇の第一声がそれだった。
これは登闇がずっと思っていたことである。薄々感づいてはいた。それでも直接聞かなければ納得できない。
「この前のケーキのことで怒ってるのか?あれはお前が居なかったのが悪いんだぞ」
幾分か興奮した登闇に対し、毅仁の態度は冷静そのものであったが、どこか白々しくもあった。わざとらしく厳つい顔に生えたまばらな髭を撫でたり、白髪混じりの髪の毛を整えたりしていた。
怪しい。非常に怪しい。というか絶対に何か隠してる。
「押し付ける奴らのほとんどが似たような境遇だろうが」
凄んで見せる登闇に、落ち着けという意味を込めて手をひらひらふった毅仁は、やおら立ち上がると、部屋の隅に近づく。壁に設置されたコーヒーメーカーからコーヒーを注ぐと、脇にあった小さな棚から砂糖と書かれた入れ物を取り出し、左手に持ったコーヒーにたっぷりと加えて手渡した。
この前来たときにはコーヒーメーカーの存在に気付かなかった。気に止めなかっただけかもしれない。
この部屋でコーヒーが出てきたのは初めてだ。いつもは飲み物が欲しくなるほど話し込まない。大抵は報告と軽い状況確認をして部屋を去る。
「ほら、飲めよ。上司からコーヒーを淹れて貰えることなんて滅多にないんだからな」
「‥熱っ‥‥俺はカウンセラーじゃないんだぞ。まったく、これで何人目だと思ってんだ?」
甘党の登闇は、渡されたコーヒーを素直に飲みながら抗議を再開した。
「近い境遇を持つお前の方が話やすいだろうよ。それにお前だってそこまで嫌なわけじゃないんだろ?」
自分用に二杯目のコーヒーをいれながら質問に答えた。毅仁のコーヒーは何も入っていないブラック。それを見た登闇は目を細める。
性格はもとより、こうした細かいところにも『親子』の違いが出る。
「いや、この手のはもう懲り懲りだ。こないだの奴、‥‥何だっけかな、えーと」
「玲奈よ!れ・い・な!」
「あー、そうそう。そんな名前の奴。ことあるごとに襲ってくるんだ。何とかならないか?しつこくて困る」
そう言っている間にもいつの間にか部屋に侵入してきた玲奈の鋭い突きや蹴りが登闇をすり抜けていく。
玲奈が動く度に、その美しい黒髪が上下左右に揺れ、プロペラのようになっている。
「何とか、ねぇ‥‥お前、同僚に後ろ弾くらっても文句言えねえぞ。」
そう言った毅仁は、呆けている登闇と、その登闇にひたすら攻撃を繰り返す少女を、微笑ましそうに見つめることしかしなかった。