FOLDERー03 死神が示すもの
「‥‥めんどくさいなぁ」
辞書のように分厚い冊子をめくりながらぼそりと呟いた。周囲に聞いている者はいないが、何となく小声になってしまう。
「登闇さーん、手が空いてたら昨日のデータの整理お願いします」
登闇の体が一瞬ビクッとした。
誰もいないと思っていたので、危うく冊子を取り落とすところだった。
部屋の外から話しかけられているのと、中性的な声質のせいで性別の判断ができないその人物は、ガサガサと物音を立て荷物らしきものを置く。
「はいはい、後でやっとくよ」
つっかえそうになりつつも返事を返し、再び視線を落とした。
一登闇が所属する少数精鋭部隊、『特別案件処理班』は、呼び名こそ違えど軍部の中でのなんでも屋、便利屋に近い位置どころにある。
登闇を始めとする班員たちはそのほぼ全てが優秀な魔術師であり、常識を逸した力を持っている。特殊な生い立ちを辿っている者が多く、それ故に癖の強い者が揃っている。
兵器としても、兵士としても扱いが難しく、動かし易さに矛盾するように、上に立って扱う者の手腕が問われる。更に厄介なことにこの部隊には、未成年の者が在籍している。だがそれは一つの部署だけの問題ではない。
至極当然のことではあるが、成人していないものを職に就かせることは法に触れるため、軍はかなり大掛かりな仕掛けを施し、これを隠蔽した。国家の兵器たる優秀な魔術師を手放したくなかったからだ。
「あ、スイマセン。後、一昨日のやつも頼みます」
「‥‥わかった。一緒にしといてくれ」
ようやく足音は去っていったようだ。
「‥‥」
現在も年少の兵士は増え続けている。理由はそれぞれであり、いずれの兵士たちも強要されているわけではない。
来る者は拒まず、去る者は追わない。恩を着せず、売らない。それが半民主制、半国政の形を成している日本国軍の掲げる思想だ。この複合形態はこのように呼称される、ハーフレイヴン、と。
†
訓練用に作られた施設。冷たい床の硬質な感触を足の裏に感じる。
かなりの光度で放出される、天井に埋め込まれたLEDライトの光にその端正な顔を歪ませ、漆黒の長髪を揺らす少女へと視線を移した。
「早く始めませんか、死神さん?」
毅仁から送られてきた資料にはある少女の詳細な情報が記載されていた。
見慣れた情報の海に一つ、毅仁の直筆と思しきメモが添えられており、そこには達筆な文字で一言だけ書かれていた。
『こいつを頼む』
中々に深い意味を持つ言葉だ。だが生憎とお花畑な思考は持ち合わせていない。これが指す意味は恐らく‥‥‥
「そう慌てんなって」
登闇は救われたことがある。かつて登闇とその妹の天恵は力に溺れていた。
丁度十年前、両親を亡くし自らの持つ力に気づき始めた頃だった。
当時は自分の力を制御できていなかったものの、充分な危険をはらんでいた。そしてその危険性をいち早く察した毅仁の働きかけにより、己の持つ力を、己自身を認識させられた。
毅仁のような理解者に出会えなかったと思うと背筋が寒くなる。
この少女と自分では状況は異なるかもしれないが、それでもできることはあるはずだ。
「手加減出来ないぞ?」
器用かと聞かれれば、恐らく不器用だと答える。だから、選べる選択肢は少なく、選ぶべき選択肢なんてわからない。
言葉では時間がかかりすぎる。だから無駄なものを切り捨て、選択肢を先鋭化していく。最も簡単で単純で、自分にとって確率の高い手段を選ぶ。‥‥つまりは実力行使。
自分は毅仁のようにはできない。だから真正面からぶつかって隙間に押し入り、沈んだ精神を引っ張り出す。
毅仁の真意は掴みきれないが、自ずとわかってくるだろう。危険な賭けだが、それが最も答えに近いはずだ。
「お願いします」
そう言って彼女は銀色の輝きを放つ小銃型の『マーニ』を取り出し、起動した。
マーニとは魔術行使補助演算システムの総称とされる。
魔術行使時に外部からインストールされた、またはある種の人間が持つ特殊な演算領域で生成される『式』を読み込むことからそう呼ばれている。
あくまで補助装置でしかないため、行使出来る術の種類、規模は使用する人間に依存する。また、必ずしも術の行使にマーニが必要ではないため、戦略の幅は広い。
「準備はできたな?」
自分に対して他人行儀、というのが登闇の受けた印象だ。目の前の少女はまだ本心を隠し、騙している。
己を騙して過ごすのは辛い。そのことは理解しているつもりだ。
「早く始めましょう。私はあなたの基準で戦う気はありません」
言葉と共に、殺傷力を抑えるように調整された小銃型『マーニ』の引き金が引かれた。
「判断力はいい‥‥なんてね」
彼女の使うものは小銃型と言うよりは小銃連動型と言ったほうが正しい。小銃型と小銃連動型の差は、実弾を使用できるかできないかにある。
小銃型は魔術行使専用であり、小銃連動型は実弾を使用可能にすることで多面性を高め、小銃型の持つ『行使まで時間がかかり、隙が大きい』という欠点を補っている。
単発の威力を追求するのなら、更に強力な武器へとマーニを組み込めばいい。ただその場合、精度や威力など、使用した武器の性能がそのままマーニへ影響を与えるため、状況を読む使用者のセンスが問われる。訓練に用いる場合、威力よりも隙の小ささを優先すべきであるため、彼女のセンスは良いと言える。
「戦闘中に独り言とは、なめてるんですか?」
射出された弾丸に変化は見受けられない。だが、結果は遅れて現れる。
「おう、なめまくりだ」
見当違いの方向へ飛んでいった弾丸は突如として爆散し、散弾のように破片を撒き散らした。
破片の一つ一つの威力が高められていて、殺傷を目的としたものであるとわかる。少なくとも訓練で使っていい代物ではない。
「あなた‥‥何をしたの?」
「俺は何もしてないぞ」
登闇は微動だにしていなかった。彼女の指摘したそれこそが異常。
正常な感覚を持つ者なら、降り注ぐ破片を避けるなり迎撃するなり、必ず何かしらの防衛行動に移るのだ。だが、登闇は敢えてそれをしなかった。相対する少女に、単純な罠を仕掛けるために。
僅かな情報は、誤った結果に導く上での最高の材料だ。事実と嘘は適度に混ぜることが肝心。
「そんなカラクリ、絶対見破ってやるわ」
「‥‥‥」
「いつまでも逃げ切れると思ってるの?随分と自信があるのね」
まだだ。まだ早い。動く機を伺え。隙は必ずある。
「自信かぁ‥‥そんなものはとっくに感じなくなったなー」
少女との間合いを開きつつ、彼女の射程ギリギリを維持する。狙わせなければ意味がない。当たらなければ意味がない。そして、最も重要視する精神的揺さぶりを維持する。
「んーと、まずは下準備っと」
動く度に床が音を鳴らす。互いの視線は常に絡み合い、離れることはない。そんな中で緊張は加速度的に上昇し続ける。
高まった緊張がある一点に到達し、途切れる。
「これは、どうする?」
第二射が放たれる。今度は実弾による精密射撃。
結果は変わらない。
第三、第四射。先程と変わらない爆散による範囲攻撃‥‥と思わせたジグザグな弾道の追尾弾二連射。
すり抜けた弾丸同士が衝突し、登闇の後ろにある強化壁に埋まる。その音が、先と同じ結末を叩きつけた。
ふと笑みを浮かべた少女は一人で頷き、武器を下ろした。
「‥‥たった今あなたのカラクリが分かったわ」
こんな簡単なことなのに何故みんなあなたを恐れるのでしょうね、そう呟いた少女は、自らが単純な罠に掛かったことを告げた。
「あなたが使う魔術は幻を見せる類いのものね。しかもマーニを使わないところから察するに、本体は私の死角にいて、隙を窺っている‥‥どう?違う?」
こちらの手中に落ちているとも知らずに、得意気な顔で推理を述べる姿は何とも滑稽だ。
もういいだろう。機は逃さない。
「甘いねぇ、ずいぶんと」
一歩を踏み出す。
少女の精神的負担を和らげるために、ここからは一気に押し込まねばならない。少し、体に力が入る。
「な、何?」
少女の目には近づいて来る登闇が急に恐ろしく感じられた。そしてそれは現実のものとなる。
視界から登闇が消えた。ここまでは少女が想定していた幻だったとすれば説明がつく。だが次に起こったことは少女の予想を遥かに上回るものだった。
‥‥絶望が、その重そうな首を持ち上げた‥‥‥
毎度のことですが短くてすいません