FOLDERー10 突き立てられた毒牙
結果として登闇は無駄足を踏んだ。到着した頃には既に、毅仁が場を収めた後で、酔っ払い二人が部屋の外に放り出されて正座させられていた。
なかなかシュールな光景だと感想を抱いた登闇は、直ぐに気持ちを切り替え、毅仁に声をかけるために進行方向を反らした。
「悪い、手間かけさせた」
「遅いな。責任者を気取るんならすっ飛んで来い」
毅仁が挑発的な笑みを向ける。見透かされているような気分になり、頬を若干引きつらせた。あまり好きな感覚ではない。
「へいへい、気をつけますよ」
登闇もあえて挑発的に返した。だが今日の毅仁はそれに乗ってこなかった。真面目な話題、ということだ。
「‥‥で、わかってるよな?」
登闇の視線を軽く流した毅仁は、声のボリュームを幾分か下げ、意味深な問いかけをした。
「当たり前だ」
返答は短い。お互いに言いたいことを理解している分、簡潔なやり取りで事足りる。
「ならいいさ」
毅仁はそれだけ言うと、数人のグループの中に戻って行った。登闇もそれに続き、階段に歩みを向けた。
「ああ、おい。ちょっと待ってくれ」
階段に足をかけるか否かの、本当にギリギリのところで声をかけられた。振り返った登闇の目に映ったのはヨレヨレのタキシードを身にまとった初老の男性だった。首もとには中将を示す勲章が付いている。
だがおかしい。将官クラスの人間にしてはやけにがっしりとした体つきだ。一部の者を除き、指揮する側の人間のほとんどはもっと線が細いはずだ。
‥‥単なる考え過ぎか?いや、コイツは‥‥
「ん?何か用?」
返す言葉に乗せる感情は最小限に抑え、
「用、という程のことでもないんだがな。少し話を聞いてもらいたい。立ち話もなんだからそこの部屋に入らないか?」
男の発する言葉はお願いであったがその語気は強く、むしろ命令に近い。
登闇は特に抵抗する様子もなく男の後ろに続いた。遠山拓人の後ろへと。
遠山に連れてこられた喫煙室には未だくすぶっている吸い殻があり、煙草の匂いが鼻につく。
「‥‥で、話っつうのは何だ?遠山拓人殿」
一言目。核心をつく言葉。だが遠山の反応はあっさりとしている。
「驚いたな。もう俺の情報が漏れてたのか」
別段驚いた様子もない遠山は、ポケットに手を突っ込んで登闇の真後ろ、入り口となっているドアに背中を預けていた。
「まあな、お前らの事情も大体飲み込めた」
遠山をリーダーとする傭兵とテロ組織の中間的なグループが派手なアプローチを仕掛けてきてから一週間。彼らが行動に移る前におおよその情報を入手し、交渉を有利に進めるための手筈を整えていた。最も、相手が素直に交渉に応じるかどうかが問題なので、臨機応変な対応が求められてくる。
「なら話が早い。アクセスコードを渡せ」
遠山は、またもあっさりと応じた。交渉を行うと明言していないが、意図は伝わったらしい。
しかし、甘くはない。音もなく後頭部に突き付けられた銃口からひんやりとした感触が伝わってくる。もしかするとこの展開にすることが大々的な告知をした目的か?交渉をスムーズに進めるため?それだけにしてはリスクが大き過ぎる。
ま、今更関係ねーけど‥‥
「そっちを出す気はない」
遠山の手に力が入る。弾丸の装填を確認し、裾から出した折りたたみ式のナイフを登闇の首筋にあてがう。ここで一戦交えるのも悪くない。が、用意されたものはテーブル。闘技場ではない。使える武器は言葉と情報のみ。
「‥‥どういうことだ?」
勿論、相手がこのルールを守るとは思えないが。
「簡単なことだよ。お前が俺の出す条件を飲めばいい」
「状況がわかってないらしいな‥」
首筋に当てられている刃が皮膚食い込み、血を滴らせた。
「わかっていないのはお前の方だろうが。俺がするのは一方的な交渉だ。お前には選択肢も拒否権もない」
「‥‥どういうことだ?」
「帰る場所に誰もいない、何もないってのは結構辛いと思うんだけど?」
遠山が一瞬硬直する。その隙にナイフと銃を払いのけ、両手を拘束して向き直り、目を覗き込む。
「クライアントの十倍出そう」
「真に受けると思っているのか?」
ここにきても強気だ。
「大真面目だよ。それだけで世界大戦回避できんだ、安い安い」
揺らぎ、決心が崩されていく。わかっているのに、流されそうになる。
人間故だろうか。甘美な誘惑に思考が固まる。楽な方へ、傷付かない方へ、得をする方へ‥‥‥
「‥‥‥」
「それにさ--」
一旦言葉を切り、拘束していた両手を離した。武器は捨てさせる。
遠山は動かない。挑むような視線を逸らさず、その手は素早くドアノブをつかんでいた。いつの間に取り出したのか、もう片方の手には高電圧のスタンガンが握られている。
「--いい加減気付けば?自分たちがいいダシにされてるってことにさ」
「‥‥そんなことはわかっている。だからこそ、ここで壊す」
「長年のサイクルを覆すには骨が折れるぞ?」
「言われずとも」
「そうか。なら、これ見てみろよ」
携帯端末にとある情報--何十年も前から続いてきた忌むべき政策の詳細を突き出した。
「!!」
遠山は言葉を失った。自分がいくら調べても手には入らなかった重要な資料。絶対に手中に収めておきたい切り札。
「‥‥‥条件次第では今のクライアントを蹴ってもいい。既にわかっているはずだが、俺が要求するのは金ではない。その情報だ」
「別にいいんだけどな。ただお前、殺されるぞ?」
登闇がちらつかせたこの情報は、国家機密レベルのものである。遠山が必要としている理由はわかっている。家族を人質とされ、金を搾り取られ続けてきたのだ。それも遠山だけではない。遠山と行動を共にしている者たち全てだ。大昔から続けられてきたそれは、多くを巻き込み、広がっていった。だが、遠山たちの代でその勢いが弱まった。そしてそれを利用し、この機に乗じて一気に潰そうとしているのが遠山の一派だ。
「‥‥‥」
現在の立場から言えば、手を貸すことはできない。これは彼らが解決しなければならない問題であるからだ。しかし、交渉の一手段として引き合いに出したからには、相手に取ってある程度のメリットがあるべきなのかもしれない。
‥‥まだまだガキだよなぁ、俺って。
「それでも、だ」
しばしの間、返ってきた答えは変わらなかった。
「‥‥必要なのは武器だけじゃない。身を守る盾も必要だ」
一切の立場を無視すれば、個人的に協力してもいいとさえ思っている。余りにも理不尽だから救いたい、と。でもそうすれば、そんな考えで動けば、全てを救わなければならなくなる。
一つ、それだけで歯止めはきかなくなる。自分だけでは世界中の人々を救うことはできないし、その扶養をすることもかなわない。大袈裟な例えだが、責任を持って救うとはつまりそういうことなのだ。
いつも、いつもいつも思い知らされる。選択肢は限り無く多いのに、選べるものはとても少ない。
‥‥やっぱ、考え過ぎ悪い癖だな。
「それは渡す気がない、と受け取っていいのか?」
「いや、そうじゃない」
「なら、どういうことなんだ?」
「こういうことかな」
携帯端末のディスプレイに映し出した文字を滑らかな動きでなぞる。その動作に呼応し、存在しえない機能が起動する。
なぞられた文字が淡い蒼色に光り出し、ディスプレイの中で目まぐるしく動き出す。やがて落ち着きを見せたそれは、最終段階の作業として文字同士がバラバラの数字に姿を変えた後、幾つかの塊となり重なった。
一見しただけでは何とはわからないそれは、一つのファイルに圧縮され、遠山の持つ携帯端末に転送された。
「これは‥‥」
「少し特殊な方法で暗号化した。お前んとこの派手好きハッカーなら解読できるだろ。簡単だし」
「もう少し分かり易くして欲しかったのだが‥‥まあいい。取り引き成立だ。俺はクライアントを蹴り、手を引く」
「俺なりの最大限の譲歩だよ」
自分は甘いと思う。最後の最後で交渉の場に私情を持ち込んでしまった。
「‥‥ふん。食えないやつだ」
お互いに合わせた目の厳しさそのまま、口元を僅かに緩ませる。
「よく言われる‥‥あんたが聡明で助かったよ」
「俺はそこまでバカじゃない。少し考えればお前が直接渡さなかった理由もわかる」
雰囲気が変わったのを感じた遠山は警戒心を解いた。ナイフと銃、スタンガンをしまい込み、ドアノブを回した。
「ちょっと甘過ぎたかな」
「そうだな‥‥お前は温過ぎる。こんな世界で生きるには辛いぞ」
‥‥‥見知らぬテロリストに説教されるって、俺よっぽどだな‥‥つーか末期だ。
「ご忠告どーも‥‥ま、そいつをどう使おうとお前の自由だが、選択を誤るなよ」
和やかになりつつある雰囲気を引き締め、今後のことを想定した警告をする。
「ミスをすればお前らは死ぬ」
「ああ、わかってるさ‥‥‥恩に着る」
指紋を拭き取った遠山は一礼し、部屋を出た。登闇はその背中を見送り、追うようにして部屋を出た。
また遅くなりました
テストが終わったので若干ペースアップできると思います