FOLDERー01 アンインストール
腐ってる
‥‥
そう思い知らされた。
人は同じ過ちを繰り返す。繰り返してしまうのだ。この愚かな連鎖を断ち切ること出来ない。人が人であろうとする限り‥‥
「‥‥‥」
ふと思考を中断すると、異物が視界に入った。見たくもないのに視線を持っていかれる。
過度の栄養不足でほとんど皮と骨だけになってしまった幼い子供。服も着ておらず、性別も分からない。唯一はっきりとした形の残っている生気の感じられないその瞳には恐怖や不安、そういったものがない混ぜになったものが浮かんでいた。
それを直視できず、何やら酷く落ち着かない気分になり視線を切った。
†
「なあ、いいだろう?やらせろよ」
「‥‥」
卑下た笑みを浮かべた男の問いに、女は力なく首を横に振ることしか出来なかった。
やらせろとは体をよこせということだろう。理性が強烈に訴えかけてくるが、それさえも凌駕する恐怖によって首を縦に振ってしまいそうになる。別に体など惜しくも無いが、せめてここから生きて帰りたい。
一人で待ち続ける娘の為にも‥‥
何とか‥‥‥
しかし男の後ろには、男と同じような軍服を着て武装した兵士が二人いる。絶望的だ。ここから出ることも、まして生きて帰ることなど不可能。
「なあ、おまえらは神を信じるか?」
声が、静かに響いた。
戦火に飲み込まれた不遇な地の一角に、何かが来た。
人だ。殺戮兵器でもなく軍服を着こんだ兵士でもない。女が慣れ親しんだ『人間』であった。
その人物は汚れのない真っ黒なローブを纏っており、明らかに場違いな雰囲気を醸し出している。こんな場所であるにもかかわらず目立った武装すら見られない。
漆黒のローブを身にまとっているせいで体つきはよく分からないが、ローブと同じ色のフードから時々のぞかせる整った顔立ちと声質から、まだ年端も行かぬ少年だと思えた。
だけど、何故?
女は口に出さず、心の中で呟いた。おそらく助けに来たのではないだろう。何と言うか、少年の雰囲気は異質だ。
「ッハ!惨状の見すぎで気でも触れたか?ここら辺、すげぇ刺激的だろ?」
男たちが一斉に笑った。その姿を見て女はぞっとした。
あいつらの方がよっぽど狂っている。そこかしこに散らばる人の貪欲が残した蹂躙。その禍々しい現実を見て刺激的の一言で片付けるなんて、とてもまともな人間の感じ方とは呼べない。
「‥‥俺は信じてないんだ、神さま」
男たちの笑い声にかぶせるようにして少年が言った。無機質で、機械的で、乾燥した声。だけどどこか寂しげで、優しさが滲み出ている。そんな言葉だった。
「やっぱ狂ってやがるよ、こいつ」
卑下た笑みを残忍なものへとすり替えた男は、腰に下げていたホルスターから十数年前によく見られた金属製の武器ーー銃ーーを取り出し、構えた。
フォルム自体はそれと大差ないが、男が構えているのはマーニを内蔵した最新の兵器だ。
そして、その銃口は少年の額を捉える。
「‥‥神さまなんてさぁ、所詮人が作り出したすがる為の存在なんだよな。ほら、サンタさんなんかと一緒だ」
死を振りまくそれを向けられても少年の声の調子は変わらない。まるで男たちなど見えていない様子だった。
男は笑みを深め、口の端を吊り上げる。
「まあいいや」
トリガーが引かれた。
魔術的現象を纏った凶弾は、少年の額に吸い込まれるようにして命中し、フードに隠れた頭から血と脳漿を噴出させる――はずだった。
音速を超えて放たれた特殊ナノカーボン製の弾丸は少年を貫くのではなく、そのまま後ろにあった瓦礫に命中した。つまり、少年をすり抜けたのだ。
弾がすり抜けるというありえない光景は、男たちの、もはや心とも呼べないほど醜くく崩れたものを決壊させるには充分だった。
そう、ほんの少し手を少し加えるだけで簡単に壊せる。‥‥人は、とても脆い。
「な、何だよこいつ‥」
「気持ち悪いっ!」
「‥‥死神なら‥‥‥ここにいるのにな」
自らを死神と称した少年は中身のない笑顔を向け、手を軽く振った。
それだけ、たったそれだけで男たちは壊れた。いとも簡単に。砂山を崩すがごとく‥‥
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!」
ウェーブーー魔力ーーの逆流によるフィードバック。
それにより男たちの精神の根底にあった恐怖や不安、トラウマといった負の感情がいっぺんにあふれ出し己を失った。よって死んではいない。人間として再起不能になっただけだ。
もちろんそんなことが理解できるはずも無い女は、少年がその場を離れるのを見届ける前に耐え切れなくなり気絶した。
†
「敵軍データの取得、完了」
鮮血と死体によって彩れ、むせ返るような戦場の中を駆け巡る。
「火器官制システム、掌握」
指を鳴らす。手をかざす。
絶望が疾走する。生きる者を食い漁ろうと、その首を振り回す。
兵士の一団が崩れ去ってゆく。効果が薄かった者は嘔吐するだけで済み、酷い者はその場で失禁した。
「敵戦力の八十パーセント、無力化」
軍用の合法麻薬でも使っているのか、仲間が倒れる姿を見ても怯まずまとわり付いてくる兵士たち。見開かれた目は何も見ていない。
己を失っている。
本能の赴くままに群がってくるそれらは、集団で群がる肉食獣を連想させる。
「‥‥いい加減にしろよ」
一人、また一人と名も知らない目標が倒れていく。
少年を狙う銃弾はすり抜けそのまま別の兵士の胸を貫く。それの繰り返し。少年が手を下さずとも、目標は着実にその数を減らしていく。
再び弾丸が飛び交い、周囲に血の花を咲かせる。
何者も少年を傷つけることは出来ない‥‥
その事実を理解して、手に持つ銃の重さに虚無感を覚えつつも、目を血走らせた兵士たちは荒い息のまま無意味な突貫を続ける。
兵士たちを蝕む薬物が不安も、恐怖も、何もかもを塗りつぶしていく。
人はいかに訓練を重ねたとしても恐怖だけは消せない。消してはならない。
「‥‥どれだけ傷つけば気が済む」
不安は辛い訓練を重ね、自らに自信を持つことで覆い隠すことはできる。だが、恐怖という感情に同じことは通用しない。人が恐怖を消すということは死をも恐れなくなるということ。すなわち生きたいという意志を消し去り、生存確率を著しく低下させる。そのため恐怖という感情だけは排除してはならないのだ。
それを無くし、意志も持たない兵士たちなど人形も同然。登闇の前には無力であった。
命は取らない。もしかしたら己を取り戻せるかも知れないから。だから腐敗した精神の表層のみを破壊していく。
これで戦争がなくなるのなら、これで少しでも守れるものがあるのなら。
少年は戦場を疾駆する。だが、所詮はちっぽけな存在だ。いかに化物じみた力を持とうとも、ありとあらゆる感情が溢れかえった戦場では自分など小さすぎる。
そのことを噛み締め、思い知らされた少年の決意。全ては救えない、全ては守れない。だけど、手の平から溢れ落ちない程度なら何とかできる。
とても小さな決意。だが決して悲観から来た思いではない。経験からきたものなのだ。
「‥‥どれだけ奪えば気が済むんだよ」
囁きかけるような声で呟き、終わった。直ぐにではない。気付いたら、だ。
何もなく開けた荒野には、少年がつけたわけではない生々しい戦争の傷跡。元々赤茶けていた地面が血を含み、真紅に近い色へと変わっていた。この地で暮らしていた人々の死体が沈み始めた夕日に照らされ、幾分かその表情が優しく見えた。
テロ組織と国との衝突に巻き込まれただけの哀れな人々も救われたのだろうか?
沈み込みそうになった思考を振り払う。夕日と血で赤く染め上げられた、まさに地獄のような戦場を後にするために重い足を動かした。輸送機に乗り込めばこれを見なくてすむ。
まだまだ子供の、小さな背中には何を背負っているのだろうか。少年がそれを降ろす日は、来るのだろうか。
『Bad×Endアンインストーラー』開幕です。