あなたへの復讐は私の死です
ウェンディは自分が生まれ育った屋敷が大火に包まれているのを、門から唖然としながら眺めていた。
その屋敷の中には、両親も弟もいた。使用人たちも大勢いた。
その誰もが屋敷と一緒に火の中にいる。
…物言わぬ死体となって。
(どうして……こんなことに……)
ウェンディはこうなるまでの全てをその翡翠の瞳で見ていた。
見ていたが、何一つ意味が分からない。
ウェンディ以外を皆殺しにし、屋敷へと放火した犯人アークに抱きかかえられながら、ウェンディは壊れかけた心でただ燃え盛る炎を眺めていた。
(アーク様……あなたは一体、なぜ私の家族を殺したのですか?)
アークは第三王子だ。
白銀の髪に黄金の瞳。端正な顔立ちながら、その身体能力と魔術能力がけた外れに高く、わずか13歳で魔術軍団のトップと肩を並べるほどの実力を持っている。
そんな彼とウェンディは同い年であり、貴族の子息や王族の子どもたちが通う王立学園で同級生だった。
だが、二人の接点はそれだけで、ただの伯爵令嬢でしかないウェンディは、とうていアークの傍にいられるような女性ではない。
それをウェンディはよく分かっていた。
(私には、縁のないお方だわ)
彼の周りにはいつも女生徒たちが集まり、華やかだ。
見目は優れているし、第三王子という立場、さらに将来の魔術軍団団長という地位まで約束されている。これで人気がないわけがない。
とはいえ当人はそっけなく、女生徒たちのことに興味の欠片も示さない。どんなに付きまとわれようと、一切感情を感じさせない瞳のままだ。
学園に通う必要はないのだが、父王から「自分の嫁くらい自分で探してみせろ」と言われたらしく、それだけのために通っていると聞いたことがある。
だからだろう。彼の周りには彼の伴侶を熱望するものが集まっているのだ。
にもかかわらず、当人にその気は無いようで、一向に婚約者が決まったという話も無い。
自分とは住む場所も世界も違う人。
それがウェンディのアークに対する認識であり、王立学園に三年間通う中、ウェンディはアークにただの一度ですら、話しかけたことも接したことも無い。
それなのに、卒園式前日、ウェンディは突然アークに呼び出された。
(私なんかに、アーク様が何の用なのかしら?)
いつも女生徒を周囲に引き連れている彼が、珍しくたった一人で学園の裏庭にいたのだ。
その光景に驚きつつ、呼び出された理由に全く心当たりのないウェンディは、不安で胸が締め付けられる思いだ。
「来たな」
ウェンディの到着に、アークはその声に何の感情も載せていない。
「お待たせしました」
「よい。それよりお前に聞きたいことがある」
「はい、何でしょうか?」
「どうしてお前は俺を見ない?」
「えっ?」
言われたことの意味が分からず、ウェンディは目を瞬かせた。
(見ない…?えっ、見ないって、見てないってこと?今こうして見ているのに?)
アークの質問の意図が分からず、ウェンディは問いかけた。
「申し訳ありません。質問の意味がよく分からなくて、どう答えればよろしいか…」
「女生徒は、すれ違えば必ず俺を見ている。なのにお前は俺を見もせず、そのまま通り過ぎる。どうしてお前だけが俺を見ない?」
「それは……」
アークの言いたいことは分かった。
しかしウェンディとしては、それに正直に答えることは憚られ、困惑するしかない。
(どうせ関係ないのだから無視してた……なんて王族のアーク様に言えるわけないわ。ここは……)
「申し訳ありません。私ごときがアーク様に注目するのは失礼かと思い、目線を外しておりました。不愉快に感じさせてしまい、すみませんでした」
ウェンディは頭を下げた。
しかし、頭の上から届いたアークの声はそれを否定する。
「嘘だな」
「えっ」
「お前は俺を初めから見ていない。目線を外すのなら、最初は見るはずだ。なのにお前は外していない。それはどういうことだと聞いている?」
(そ、そこまで見られていたの!?)
まさかアークがそこまで自分に注目しているとは思わなかった。
ウェンディはアークがいても、一切気にせずにただ通り過ぎている。アークも、その取り巻きのご令嬢たちも、背景の一部として認識している。
(ど、どうしましょう……正直に言えば絶対に不敬だと思われてしまうわ。それでは家にも迷惑がかかるもの。なんて言えば……)
必死に頭を回転させ、どうしたら不敬に思われないような答えが出せないか考えていると、それを見ていたアークは興味を無くしたように身をひるがえした。
「もういい」
そうとだけ言って、彼は裏庭から消えた。
後には放置され、ぽかんとしたままのウェンディのみ。
(た、助かった……でいいのかしら?いえ、もしかしたら後になって…なんてこともありうるかも。うぅ、明日は卒園式なのに、どうしてこんな心配事ができちゃうのよ)
ウェンディは肩を落としながらとぼとぼと裏庭から教室へと戻った。
それから数日後。
卒園式を終え、王都のタウンハウスにいたウェンディの下へ一人の来客が知らされた。
「お嬢様!!あ、あ、あ、アーク殿下がお見えになってます!!」
「えっ!?はっ!?う、うそぉ!?」
一切先触れのない来訪に屋敷中が大慌てだ。
室内着からなんとか失礼のない程度に服を整え、応接間へ向かうと、そこには父とアークがいた。
(突然、一体どうしたのかしら?)
父はアークの来訪に、冷汗をかきながら応対している。
「アーク殿下、お待たせしました」
「いや、待ってない」
するとアークは、父に家族と使用人全員を集めるように言い出した。
意味が分からないが、父は言われるがまま、屋敷にいる全員を集めた。
「伯爵、これで全員か?」
「は、はい、全員でございますが…」
応接間に屋敷の人間全員が集まると、さすがに少し手狭だ。
集められた全員、どうして集められたのか、どうしてアーク殿下がここにいるのかと挙動不審である。
アークはウェンディだけを自分の隣に立たせると、サッと手をかざした。
その瞬間、ウェンディとアーク以外の全員が、赤い血袋となって破裂した。
「…………えっ?」
はじけ飛んだ血の一部が、ウェンディの顔や服を濡らす。
目の前で、父が、母が、弟が、使用人の皆が赤い血だまりとなった光景に、ウェンディの心は崩壊しかけた。
目の前で起きたことの意味が分からず、受け入れられない。
「………あ……あ……」
その衝撃の強さに、ウェンディは静かに崩れ落ちた。
叫ぶ気すら起きない。
ピクリともしないウェンディの身体をアークはやすやすと抱き上げると、その耳元にねっとりと絡みつくようにつぶやいた。
「これで、君は俺だけを見る」
しかし、ウェンディはそれにすら反応しない。
ウェンディの目は虚ろで、どこを見ているかすら分からない。
アークは屋敷に火を放ち、あっという間に燃え広がっていく。
生家が燃え盛る様を、ウェンディは光を失った瞳で見上げた。
それからウェンディは、アークによって王宮へと連れられた。
どうやらウェンディは、『不幸にも起きた屋敷の火事で、かろうじてアークによって助け出された唯一の生き残り』という扱いになっていた。
アークによって家族が殺されたことも、屋敷に放火したことも、何一つ真実は表ざたにされていない。
そして、そんな可哀そうなウェンディを哀れに思ったアークが、彼女を王宮へと連れてきたという美談となっている。
それを、時が少し経って心が回復しかけたウェンディに届いた情報だ。
(なんでそんなことに?どうしてアーク様は私の家族を殺したの?)
何一つ意味が分からなかった。
ただ一つ分かることは、アークがウェンディの家族の仇であるということ。
(許さない……絶対に許さない!必ず殺してやる!)
相手が王族であることなど関係ない。
もう、守るべき家族は一人もいないのだから。
ウェンディは王宮の客室に、家族を失ったショックで精神的に不安定という理由で住まわされた。
そこに、アークは見舞いという名目で頻繁に訪れる。
「ウェンディ、調子はどうだ?」
このとき、アークは学園内で見ることのなかった微笑みを浮かべていた。
自分の家族を殺したというのに、笑っているアークのことが許せなかった。
「はい、調子はいいです」
部屋の中には侍女も衛兵もいる。
この状況で、当人も優れた魔術使いであるアークを殺せるわけがない。
さらに食器類も、ナイフやフォークは極力出されない。
アークが、『精神的に不安定だから、いきなり自殺に走る可能性がある』ということで、殺傷力のあるものは部屋に一切置かれていない。
(くっ…何か、必ずこの男を殺せるものを見つけ出さないと…)
表情は笑みのまま、その翡翠の瞳に憎悪の炎を宿しながらにらみつけると、アークの笑みはなお濃くなった。
しかし、機をうかがおうにも、ウェンディの行動は制限され、客室と王宮の一部、図書室くらいしか行けない。当然常に侍女が付き従い、何かを勝手に手に取ることすら許されない。
(彼は分かっているんだわ。私が殺そうとしていることを。何が自殺を防ぐためよ、自分が殺されないためじゃないの)
早く殺したい。しかし、アークを道具無しで殺せるわけもなく、ウェンディは何とか道具を確保しようとした。
しかし、晩餐のフォークもナイフも侍女の厳しい監視のせいで、なかなか隠し取れない。
焦りだけが募っていった。
そうこうしているうちに3か月が経つと、アークは夜にウェンディの下を訪れた。寝間着を纏い、寝る直前だったウェンディはこれに驚く。
「あ、アーク様?」
「ウェンディ、お前を抱く」
「えっ」
唐突な宣言に思考が停止した直後、ウェンディの手足は動かなくなってしまった。
(こ、これは魔術!?)
「どういうことですか!?一体何を…」
「言葉の通りだ。逃げられないだろう?」
逃げられるわけがない。ウェンディは魔術の才が無いから、魔術に対する抵抗力は一切持ち合わせていないのだ。
「い、いや!」
「いくら叫んでも構わない。防音の魔術も掛けてあるからな」
助けも呼べない。抵抗することもできない。
そうなると、ウェンディにできるのはアークを睨みつけることだけだった。
しかし、それにアークは恍惚の笑みを浮かべた。
「…ああ、やはりいい。お前に見られるのは、最高に心地いい」
「えっ?」
アークが言ったことはどういうことなのか。
不思議に思ったのもつかの間、アークはウェンディの寝間着を強引に脱がせていく。
「いや!やめて!」
どんなに懇願しようと、アークは止まらない。
寝間着も、下履きも脱がされ、何も身にまとわない姿にされると、アークは情事に及んだ。
それから、ウェンディはアークに何度も抱かれた。
その中で、ウェンディは一つの答えを得ていた。
それは、ウェンディがアークを見ると、彼はひどく悦ぶこと。
(そういえば…卒園式の前でも、彼は自分を見ないことについて私に問い質してきていたわ。行為のときも、一切彼を見ないようにすると、無理やりに顔を掴んで見させようとする。そういうことなの?)
アークは、ウェンディに自分を見るように要求している。
そう考えると、彼が自分の家族を殺した時に、言った言葉が腑に落ちた。
『これで、君は俺だけを見る』
(アーク様は、自分を見ない私のことが、ずいぶんとお気に召さなかったようね)
そこで、ウェンディは彼にふさわしい復讐を思いついた。
同時に、ウェンディの身体に異常が起きる。
それは、ウェンディが身ごもったということ。当然その父親はアークしかいない。
これには王宮の一部が騒然とするが、アークは何食わぬ顔でウェンディの元を訪れ続ける。
ウェンディが自分を見ることで悦びを得るために。
ウェンディは徐々に大きく鳴るお腹を見ながら、ほくそ笑んでいた。
(ふふっ、この子が生まれるとき。アーク様、あなたへの復讐が果たせます)
そしてついに破水し、子どもが生まれた。
その場にはアークも訪れ、生まれたばかりの我が子を前に彼も喜んでいた。
この瞬間をウェンディは待っていた。
その場に助産師や侍女たちが、あらたな王族の誕生とその父親に祝福を送り、ウェンディに注目していない。
その中で、ウェンディは自分と赤ん坊をつないでいた臍帯を切るためのハサミをこっそりと手にしていた。
出産直後で手に力が入りづらい。
でも、この千載一遇のチャンスを逃すわけにはいかなかった。
ウェンディはハサミを開き、自分の喉元に当てた。
そして、力の限りそのハサミを閉じた。
「ウェ、ウェンディ!」
いち早く気付いたのはアークだった。
しかし、すでに時遅く、ウェンディの首元の動脈は切断され、夥しい血がベッドを濡らしていく。
(これで…もう……アーク様は……私に…みてもらえ…ない……)
復讐は成った。
消えかける意識の中、声を出すことはできないので、アークに見えるよう口だけを動かした。
ざ ん ね ん で し た
それを最後にウェンディの瞼は閉じられ、その翡翠の瞳が見えることは無かった。
アークは死体となったウェンディを、ただ力なく見下ろすことしかできなかった。
ウェンディの死体は、彼女の生家の墓地に埋葬されることになった。
アークと結婚していない以上、王族とは認められず、同じ墓に入れることは許されない。
その墓の前で、アークはただ一人たたずんでいた。
(彼女は気付いていたか。俺の目的を)
アークは人に見られるのが当たり前だった。
第三王子という立場、優秀な魔術使いとしての力量、将来の魔術軍団団長。
誰もかれもがアークに注目し、彼を見ないものなど誰もいなかった。
ウェンディを除いて。
彼女はアークを見ない。
視線を外すのではなく、視界に認識しない。
それはアークにとって初めての体験であり、だからこそ許しがたい。
あの卒園式前日、彼女を呼び出し、一対一で対面した。
そこでようやくウェンディが自分を見たとき、アークは言い知れぬ快感を覚えた。
(ああ、彼女に見られるだけで、どうして俺はこんなに悦ぶんだ…)
ありとあらゆるものを手にし、飽いていた彼が唯一感じた悦び。
それは、アークに麻薬の様な強い依存性を生み出した。
気付けば、アークはウェンディの家族を皆殺しにした。
自分だけを彼女が見るように。
案の定、強い憎しみをアークに持ったウェンディは、アークを見るようになった。
それが堪らなく嬉しい。
(きっと彼女は俺を殺したくてたまらないだろう。俺が殺されない限り、彼女はずっと俺を見続ける)
だが、ただ見られるだけでは次第に満足できなくなった。
だから、アークはウェンディを襲った。
より近い距離で、彼女に睨みつけられる。
どうしようもないほどの高揚感がアークを襲い、それを感じながら彼女の身体をむさぼるのは最高に気持ちよかった。
当然することをしていれば、子どももできる。
ウェンディとの子どもだ。
嬉しくないわけがない。
だが、その気の緩みがあってはならないミスを犯した。
母体と赤子をつなぐ臍帯。
それを切るためのハサミでウェンディは自らの喉を切った。
動脈を切り裂き、誰の目から見ても助からない彼女は、最後に何か言い残すようにその口を動かした。
アークはすぐには分からなかった。
しかし、目に焼き付いたその口の動きと、光の消えかけた彼女の目が忘れられず、振り返ることでようやく何を言っているのかが分かった。
『残念でした』
(もう俺を見ないこと。これが、お前が遺した俺への復讐か)
「はっ、ハハッ」
墓の前でアークはまるでウェンディをあざ笑うように笑った。
そして、自分の胸に手を当てた。
「残念だったな。その復讐は、俺に通用しない」
次の瞬間、その場に血の池が広がった。そこには人の姿をしたものは無く、人だったものが転がるだけ。
アークは、ウェンディに見られないことを悲しむ時間を、自ら潰したのだ。
残された遺留品から、それが第三王子アークのものだということが判明。
王宮では、愛した恋人の後を追ったという美談として語り継がれたという。
その真実、ウェンディとアークの自殺の理由を、当人以外誰も知らないまま。




