父の手術
「ふん……」
とある刑務所の面会室。囚人の男は、ガラス越しに部屋へ入ってきた父親を見やり、軽く鼻を鳴らした。
父親は膝を震わせながら、ぎこちなく椅子に腰を下ろすと、か細い声で言った。
「や、やあ……息子よ……」
「ずいぶんジジイになっちまったなあ、親父」
「え……? 今なんて?」
「チッ、だから、老けたなって言ったんだよ!」
男は通声穴に顔を近づけ、怒鳴りつけた。
「ああ、お前の事件のせいで、世間から酷く責められてしまってなあ……」
「けっ、皮肉かよ」
それが言いたくて、耳が遠いふりをしたのか。そう思い、男は苛立ち、舌打ちをした。
父親は「いやいや、そんなつもりはないんだ……」と、気まずそうに頬を掻いた。
「で、なんの用だよ」
「ああ、実はな……近々手術することになったんだ……」
父親はもうすぐ定年を迎える年齢だ。背中は丸まり、手は小刻みに震えている。健康そうには見えない。
だが、男は「へえ、そうかよ」とそっけなく返し、それ以上は何も言わず、面会を打ち切った。幼い頃、父親は仕事ばかりで、ろくに構ってもらった記憶がない。そのくせ叱責ばかりで、優しくされた覚えもなかった。だから、素直に心配する気にはなれなかったのだ。
しかし、数か月後。再び面会に現れた父親を見て、男は少しだけ安堵し、そんな自分に戸惑った。
父親の背筋は以前よりわずかに伸び、表情にはどこか凛々しさが宿っているように見えた。
「いやあ、手術は無事に成功したよ……」
「そうかい、どうでもいいけどよ」
「でも、来週また別の手術をするんだ」
「へえ、金が飛んでくな」
「いやあ、治験みたいなものだよ。新しい技術を試したいらしい」
「へっ、あんたなんかおっちんじまっても誰も悲しまねえもんな」
「確かにな。ははは……」
父親は震える手で、薄くなった頭を掻いた。この日も男は悪態をつき、面会を終えた。
それから数か月後、父親は再び面会に訪れた。
どうやら手術は成功したらしい。父親の手の震えが止まっている。
「無事、手術は成功したよ」
「だから、どうでもいいって」
「まあ、また来週、手術するんだけどな」
「けっ、お袋は病気で死んじまったのに、あんたは手術で長生きするつもりかよ。いい御身分――」
「母さんのことは、この件とは関係ないだろう」
「あ? うるせえな、いちいち報告に来るんじゃねえよ!」
男は吐き捨てるように言った。これでもう来ないだろう。そう思うと、せいせいした。
だが、また数か月後。父親は現れた。
今度は歩き方がしゃんとしている。椅子に座る動作もスムーズだった。
「手術は成功したよ」
「うるせえな」
男は下を向き、そう吐き捨てた。だが――
「父親に向かって、うるさいとはなんだ」
低く静かな一言が返ってきた。男は少し驚き、顔を上げた。
父親は堂々とした姿勢で座っているだけでなく、肌の艶が良くなり、表情にも若さが戻っているように見えた。何より、目に宿る光が以前とは違った。確かな力がこもり、こちらを見据えていた。
「……おい、手術がうまくいってはしゃいでんのか知らねえけどよ。調子乗ってるとぶっ殺すぞ。あともう少しで刑期も終わるんだからよ」
男は睨みつけながらそう言った。だが、父親は動じず、静かに微笑んだ。
その後も、父親は何度か面会に訪れた。手術の成功を告げるたび、男は変わらず悪態をつき続けた。二人の溝が埋まることはなかった。
しかし、男の出所が迫ったある日の面会で、ついに堪えきれず、父親に訊ねた。
「いや……あんた、本当に若返ってねえか?」
父親の薄かった頭髪は今や黒々とし、貧相だった口元には白くて丈夫そうな歯が並んでいた。肌は明らかにハリを取り戻している。
「だから、言っただろう。手術が成功したって」
「美容整形のことだったのかよ。ああ、くだらねえ……」
父親はふっと笑った。
「少し違うな。やったのは体の機械化手術だよ」
「は、はあ?」
「いわゆる、サイボーグだな。強盗殺人で長く刑務所に入っているお前は知らないだろうが、技術は日々進歩しているんだ。背骨と手足を機械に置き換え、この髪や肌も人工のものだ」
男は、だから父親の動きがしっかりとしていたのかと納得した。だが、言葉が出ず、ただ深く息を吐くしかなかった。
「それで、また今度、手術することになってな」
「へえ、まだやるのかよ」
「ああ、内臓をな。健康なものと交換するんだ」
「ふーん、いつやるんだ? まあ、おれはもうすぐ出所だし、結果を知ることもねえだろうけどな」
「ああ……お前の出所日に手術することになってる」
父親はそう言うと、コツコツとガラスを指で軽く叩いた。
「待ってるぞ」