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シリウスの花嫁  作者: 橙猫
第三章
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12.闖入

 夜会の翌日、シリウスはいつも通り温室の作業をしていた。

 この魔法界の夏に生る『薔薇桃(ばらもも)』がそろそろ収穫できるからだ。

『薔薇桃』は表面に薔薇の模様があり、果肉がほんのり薔薇色に染まっている桃のことだ。この薔薇の模様が濃ければ濃いほど糖度が高くなり、さらに魔力含有量も上がる。


『薔薇桃』はそのまま食べても美味だが、ジュースにしたりスイーツにするとより美味しい。

 中でもエリーがオススメした料理はピーチパイだ。カスタードとコンポートの甘さが見事に調和したそのパイは、初めて作ったわりには美味しく仕上がった。

 普通の桃にはない鮮やかな色合いが綺麗で、カットした桃は薔薇が花開いたように角度に気を付けておいた。パイとカスタードクリームの淡黄色が映えていた。


「よし、これを庭に持っていこうっと」


 今日は執務室で事務作業があるらしく、食事とトイレ以外ではそこに篭りきっている。

 しかし人間、日の光を浴びると元気が出るように。この魔法界でも日光を浴びることは大事だ。

 日光は魔法界にとっては魔力を回復させる大事な要素の一つだ。もちろん食事・睡眠も同じだが、日光は浴びるだけで魔力が回復する、ゲームで言うならば半日限定の回復アイテム。


 食事も睡眠も基本は二、三回と限られているが、日光は半日とはいえその回復量は他と比べても意外と多い。

 故に日光を浴びることは魔法界でも健康と魔力のために推奨しており、魔法省でも三〇分でもいいので日光浴をすることが義務付けられている。

 今日はティータイムついでに日光浴をさせるため、今エリーが庭でガーデンテーブルとチェア、それとお茶の用意をしてくれている。


 落とさないよう運びながら庭に出て、そっとテーブルに置く。テーブルには薔薇の白いレースがあしらわれたテーブルクロスが敷かれていて、エリーがわざわざ屋敷の物置で眠っていたものを引っ張り出してくれたのだ。

 茶器もつる草模様の金の縁取りが施されたシンプルながらも落ち着いたデザインで、紅茶の香りもわずかながら漂っている。


「うん、最高のティータイムだね」


 わたしの言葉にエリーが同意の意味を込めて満足そうに頷く。

 後はシリウスを呼ぶだけだ。そう思い、わたしが屋敷に戻ろうとした時。

 空から馬の嘶きが聞こえ、頭上に大きな影ができる。


 思わず空を見上げると、四頭の天馬が牽く馬車が門の前に停車する。

 そのまま御者が降り立ち、頭を低くしながら馬車の扉を開ける。

 遠めでも分かるほど豪奢な内装をした馬車から降りてきたのは、白いフリルをふんだんにあしらったサファイアブルーのドレスを纏った令嬢。


 緩やかな曲線を描く金髪とサファイアのような青い瞳は、よく絵本で見るお姫様そのもの。

 彼女はわたしの方を見ると、そのままつかつかと近づいてくる。


「貴女がシリウス様の花嫁?」

「は、はい……小鳥遊愛結(たかなしまゆみ)です」


 ひとまずタルトをエリーに預け、千鳥(ちどり)さんから習ったカーテシーを披露する。

 ご令嬢はわたしのカーテシーをじっと見ると、同じくカーテシーをする。わたしよりも上品に。


「ご挨拶が遅れました。わたくし、セシリア・サーディスと申します」

「サーディス……」


 それって、前に話したシリウスの元婚約者?


「あの、シリウスに何か御用で――」


 わたしがそう言った瞬間、パァンッ! と頬を叩かれた。

 ……え? なんで? なんでわたし、いきなり叩かれたの?


「気安くシリウス様の名を言わないでくださいまし」

「え……あの……」

「まったく、いくら花嫁といえど節度というものがありますわ。これだから庶民は……」


 まるで汚いものに触れたと言わんばかりの態度で、サーディス嬢は傍に控えていた執事からハンカチを受け取る。

 明らかに高価なシルクのハンカチ。それをわたしの頬を叩いた手を神経質に拭うと、そのまま芝生の上に捨てた。

 あからさまな態度に、エリーの整った柳眉が歪む。


「まあ、これくらいは大目に見ますわ。わたくしは愛人がいても許せるほど心が広いのですから」

「愛、人……?」

「ええ、そうですわ。あなたはこれからシリウス様の愛人、わたくしが正妻になるのです。これくらい当然のことですわ」


 愛人なんて、そんなの昼ドラにしか存在しないものだと思っていた。

 けど今日、目の前でそう呼ばれたことは、いきなり頬を叩かれたこと以上にショックだった。


「――――何をしている!?」


 放心するわたしの耳に、シリウスの声が届く。

 明らかに怒気を孕んだ彼は、わたしを見るとすぐさま優しく抱きしめ、叩かれた頬をそっと優しく撫でる。


「マユミ、大丈夫か? 頬が赤い……あとで跡が残らないよう冷やそう」

「う、うん……」


 放心からまだ抜けさせず、わたしは生返事をする。

 シリウスは抱きしめる腕を強くし、服に顔を埋めるほど寄せる。今日は執務室に篭っていから、彼のローブからは古書とインクの香りがした。


「どういうつもりだ、サーディス嬢。約束もなしに我が屋敷に訪問など非常識だ」

「申し訳ありません、シリウス様。早急にお伝えすべきことがあり参りました」

「伝えるべきこと?」

「ええ。わたくし、セシリア・サーディスはアレン様との婚約を解消し、あなた様の正妻として嫁ぐことを」


 サーディス嬢の言葉に、シリウスはひゅっと息を呑む。

 驚きに目を見開くも、ようやく状況が飲み込んできたのかシリウスの顔が険しくなる。


「……あの件は断ったはずだ」

「それはたかが口約束です。正式な書状がない限り、わたくしはこの一件から手を引きません」

「お前……それで義母上(ははうえ)が納得するとでも―――」


 シリウスが頭痛を堪えるような顔で言った直後、見覚えのある空馬車が屋敷の門前で停まる。

 現れたのはやはり、アレンさんとコルデリアさんだ。

 カツカツと石畳を踏む彼女は、怒りを滲ませた顔でセシリアさんに問い詰める。


「セシリアさん! アレンと婚約破棄とは一体どういうこと!? しかも理由がシリウスの正妻になるためだなんて!」

「あら、情報が早いですね。ですがこれは決定事項です。まだ赤の他人である貴女様が口に出していいものではありません」

「なんですって!? そもそも、そいつと婚約破棄したのに、また婚約するとは一体どういう神経をしているの!?」

「それを貴方が言いますか? シリウス様を幸せにしたくないがために、わたくしを嵌めた貴女が」


 コルデリアさんの言葉に、セシリアさんが温度のない目で言う。

 いやそれよりも、コルデリアさんがセシリアさんを嵌めた?

 シリウスを幸せにしたくないから?


 理由としては下らないことこの上ないが、この人ならあり得る。

 そもそもシリウス本人に恨みを強く抱いていた彼女だ、彼を幸せになることがこの世で最も許しがたい行為と思うのなら、あの手この手で阻止する。

 恐らく二人の婚約も、コルデリアさんの企みもあって解消されたのだろう。


(ああ、なんて自分勝手な人達)


 己のために婚約しようと押しかけて来たセシリアさんも。

 過ぎた過去を引きずって今もシリウスを恨むコルデリアさんも。

 どいつもこいつも、本当に―――――


「…………ウザい」


 ぽつり、と本音がこぼれ出る。

 それが耳障りで姦しい女達の声の中でも聞こえたのか、一瞬で静かになる。


「マユミ……?」


 驚いたように目を丸くするシリウスを横目に、荒々しい足取りで二人の間に入る。

 困惑する美女達は、完全に目が据わっているわたしを映し出す。

 それを無視したまま、今ある思いを全部ぶちまける。


「いい加減にして、本当にウザい。わざわざちょっかいかけにくるのも、勝手に押しかけて好きに言うのも。貴女達がどれほど偉くて、どれほど権力があるか知らないけど、シリウスの妻は、花嫁であるわたしだけだッ! それをぎゃーぎゃーうるさく言いやがって。部外者はさっさとこの屋敷から出て、今後の身振りについて勝手に話し合え! わたし達には関係ない!」


 息も口調も荒いままさらけ出すと、二人はわたしの育ちの悪さを見て一瞬だけ顔をしかめる。

 しかしその前にシリウスが引き寄せると同時に、ローブを翻してわたしの姿を隠した。


「そういうことだ。揉め事はどちらかの屋敷でやってくれ。―――『帰れ』」


 シリウスが三人に向けて杖を振るうと、強制的に屋敷を追い出され、そのまま馬車に乗らされる。

 そのままドアも閉まり、従者は【一等星】の睨みを受けて慌てて手綱を握って天馬を飛ばす。

 馬車内では何か話し声が微かに聞こえたが、彼がかけた魔法のせいかドアが開かない。羽ばたき音と共に馬車が遠ざかるのを見届けてから、シリウスはわたしの頭を撫でる。


「……すまなかった、マユミ。怖かっただろう?」

「ううん……シリウス、あの……」


 わたしが何か言う前に、シリウスは用意したチェアに座らせる。

 ガーデンテーブルの上にはエリーが既にカットしたピーチパイと紅茶が用意されていて、傍に立つ彼女は『食べろ』と視線で訴えてくる。

 それを見て苦笑したシリウスは、隣のチェアに座りながらカップを手に取った。


「その話については、食堂で話そう。もちろん、このパイを食べてからだ」

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