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シリウスの花嫁  作者: 橙猫
第三章
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09.マーキング

 コーデリアさんの突撃訪問以降、セイリオスは平和だった。

 シリウスもあの訪問はわざわざ自慢しに来ただけだと言っていたし、わたし自身もあまり会いたくない人達だから気が楽になる。

 それでもやはり気になってしまい、朝市でいつもいくお店の人達にコーデリアさんについて訊いてみた。


『コーデリア様? ……ああ、よく覚えてるよ。王女様だからあたしら平民を見下す態度を隠していなくてね。先代様に注意を受けてからは、傘や帽子で隠すようになったよ』

『オイラは昔、子供が近くで転んで泣いていても、そのままスルーしたコーデリア様を見たことあるぜ。あのお綺麗な顔の裏じゃ、平民に触れるのは汚らわしいって思ってんだろうな』

『そうそう。いくら王命とはいえ、先代様もよくコーデリア様とご結婚なさったわよね』

『当時は先代様に釣り合う伴侶がコーデリア様しかいなかったからな。しょうがねぇよ……』


 ……と、まぁこんな感じで、コーデリア様の人気はあまりよろしくない。

 あんな性格なら、それも仕方ないだろう。たとえ生まれが王族でも、人柄がよろしくなければこうした陰口があるのは当然だ。

 それでも、コーデリアさんがいた頃は表立って悪口を言えなかった。


 いくら降嫁したとはいえ、相手は王族。

 どんな些細な悪口すら不敬罪に値することもある。きっと彼女の行いで鬱憤が溜まっていたのだろう、コーデリアさんの話を訪ねるだけで何十分も話し通すので、帰る時間が予定より遅くなった。


 家に帰ると食堂には昼食が用意されていて、まさに出来立ての料理をエリーがテーブルの上に置くのを見て、わたしは急いで席につく。

 今日の昼食はカルボナーラだ。チーズと卵のソースは火を通しすぎていないからトロトロで、厚めに切ったグアンチャーレ(豚トロの塩漬けのことだ)は噛むたびにじゅわっと甘い脂が出てくる。


 太めのパスタは生パスタを使っているから、もちもちとした食感になっている。半分食べ終わったところで、粗挽き胡椒をかけて味変。

 ピリッとした辛さがマイルドなソースに絡んで、さらに食が進む。

 よく見るお店だと温泉卵や生の卵黄を乗せているけれど、本場では邪道の食べ方。あと、ソースを作る時に生クリームも入れない。チーズと卵でソースを作るのが正しい作り方で、生クリームも入れる作り方は日本だけらしい。


「そうだ。マユミ、申し訳ないがまたしばらく留守にする」

「留守って……どこに行くの?」

「ああ、再来週に貴族連中が夜会を開く。最近魔物が市街地に現れることを懸念して、【一等星】も警備当たるよう主催側に申し出された」

「それって、シリウスじゃないとダメな仕事なの?」

「ダメじゃないが……その夜会を主催しているのが、サーディス公爵家なんだ」


 サーディス公爵家。シリウスの元婚約者であるセシリアさんの実家。

 その実家が主催の夜会ということは……。


「お察しの通り、娘の婚約発表を兼ねたパーティーだ。わざわざ私を指名しているところ見るに、義母上(ははうえ)の差し金だろう。サーディス公爵は王宮の財務大臣。縁があっても不思議ではない」

「な、なんて地味でしょうもない嫌がらせ……」

「それくらいしかあの女には生き甲斐がないんだ。ま、適当にあしらいながらでも仕事はできる」


 副菜のサラダをむしゃむしゃ食べながら言ったシリウスは、「ごちそうさま」と言ってから椅子から立ち上がり、そのまま食堂を後にしようとする。

 だけどその前に、シリウスのシャツの裾を掴んだ。いきなり掴まれて驚いた彼は、灰色の瞳を丸くしながらわたしの方を振り返る。


「……どうした?」

「あ、えっと……そ、その……」


 思わず裾を掴んでしまったけど、シリウスに何か言いたいことはない。

 そもそも、こんな時になんて言えばいいの?

『頑張って』……は、なんか違う。『気をつけて』……も、死地に向かうんじゃないから除外。じゃあ『ご武運を』……って、いつの時代だ!?

 何を言えばいいのか頭の中でぐるぐる回って……その結果、わたしはとんでもないことを口走った。


「まっ、マーキングさせて!」

「…………はっ?」


 その時、空気どころか時間すら凍った。

 …………わたし、今なんて言った? マーキングって言った!?


「ちちちち、ちがっ、違う! 今のは、その……気の迷いっていうか!」


 椅子を倒しそうな勢いで後退ろうとするも、シリウスが両手で肩を押さえつけたせいで思うように動けない。

 しかもなんだかすっごく、いい笑顔になってる。さっきのきょとん顔どこ行った!!


「普段あまり我儘を言わない花嫁が、こんなにも可愛らしい提案をするとはな」

「あ、あのあのシリウス……ちょっと落ち着こ?」

「私は落ち着いているとも。……それに、マーキングはした方がいいかもしれない。獣のように愛人を求めてくる令嬢への牽制としてな」

「う、ううっ……!」

「ということで、マユミ。頼んだぞ」


 た、頼んだぞって何!?

 困惑するわたしを前に、シリウスはシャツのボタンをぷちぷち外す。白い肌と男らしく浮き出た鎖骨が露わになる。

 そのまま首を横に動かし、わたしの頭の後ろに手を回して、そのまま唇を首筋に当てさせた。


「ほら、早く。私の首にお前のモノである証を刻んでくれ」


 耳元で囁かれるバリトンボイス。あまりの美声に目の前がくらくらする。

 唇がドクドクと脈打つ首筋に当たっているせいで、彼の息遣いも鼓動も今以上に感じる。

 きっとシリウスは、わたしがマーキングをつけなければ離す気はないのだろう。なら……覚悟を決めて、やるしかない。


 ごくりと唾を飲み込み、ゆっくりとシリウスの首筋に唇を押し付ける。

 頭上で「ん……」と色っぽい吐息が聞こえて、顔中の熱が一気に上がった気がした。それでもわたしは必死に唇を押し付けて、なるべく強く吸う。

 マーキング……いわゆるキスマークというのは、かなり吸わないとできないらしい。通っていた高校で、彼氏がいる同級生がそう自慢していたのを聞いたことがある。


 あの時は自分の将来なんて分からなかったし、実家の件でわたしに恋人ができる可能性すら低かった。

 でも今は、わたしには愛する夫がいるし、心置きなく恋愛できる。

 だからこそ、彼を取られたくない。離れたくない。そんな独占欲が、彼の首筋で赤い花として咲いた。


 わたしがゆっくり離れると、シリウスはテーブルの上に置いてあった取り皿用の銀食器を手に取る。

 鏡みたいに磨かれたそれは、はっきりと彼の首筋に咲いた赤い花を写す。

 細くも無骨な指先が、わたしがつけたキスマークに触れる。そして、小さく嬉しそうに微笑んだ。


「……いいものだな。こうして跡をつけられるのは。まるで私がマユミのモノだと証明している」

「っ……」


 シリウスはそう言うと、自然な流れてわたしの額に唇を落とす。

 あまりの不意打ちにまた顔を真っ赤にすると、悪戯が成功した子供のように笑ってわたしの頭を撫でた。


「では、行ってくる」

「い、いってらっしゃい……」


 夢見心地でいるわたしを見て、シリウスはまた頭を撫でるとそのまま食堂を後にする。

 残されたわたしはふらふらした足取りでなんとか自室に戻り、ベッドに座る。でも自然と体が横に倒れて、近くにあった枕を手にして顔を埋めた。


「~~~~~~っ!!」


 声にならない悲鳴を上げて、両足をバタバタと上下に動かす。

 ベッドのスプリングがぎしぎしと音が鳴ったけど、そんなこと気にせず体を変えて仰向けになる。

 天蓋を見つめながら、そっと指先に唇をやる。唇越しに感じたシリウスの脈動がまだ残っている気がして、顔がトマトじゃないかってくらいに赤くなる。


「…………もう、当分マーキングなんかしないっ」


 結局、その日は何もやる気が起きず、わたしはベッドで無意味にごろごろすることになった。

 そのせいでベッドから転げ落ちて、駆けつけたエリーに心配される羽目になった。

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