06.逆恨み
シリウスから聞いた先代の印象は、己の宿命を粛々と受け入れる、潔い性格の持ち主だ。
【一等星】という特別な地位を得た者達の中には、次代に譲ることを拒み、時には暗殺などを企てるケースがある。
事実、先の事件の主犯である【二等星】ジェルマ・クォーツネルの父である三代前の【一等星】カノープスがいい例だ。
三代前の【一等星】カノープスは、その権力を保持し続けるために、多くの女性を娶り、子を作った。
しかしどの子供も【一等星】には選ばれず、少なくない犠牲を出すほどの暴力を振りかざし、やがてその危険性を問題視した王宮によって処刑。
『カノープスの暴虐』として後世に伝わったこの事件は、カノープスに選ばれた者達と王族は過去の贖罪として、毎年夏に死んだ女達と子供達の慰霊碑に花を手向けているという。
そうした思惑を抱く者もいる中で、先代シリウスは周りが愚かだと思うほど真っ直な人物だと思った。
だけど、その彼にはすでに妻と子がいた。
そしてその妻は、自分の子を次代シリウスにするために、正当な後継者である彼を葬ろうと暗殺を企てていたことを、わたしは本人の口から聞いた。
そして……その件の人物達が、目の前にいる。
何故今になって現れたのか分からない。でも、東屋でのんびりお茶をしに来た……という雰囲気ではないことは分かる。
それを証拠に、コーデリアさんがわたしに向ける視線は、かつて早苗さんから向けられたものと同じだ。
怒り、憎しみ、嫉妬……負の感情がごちゃ混ぜになっていて、元の瞳の色が分からないほどどす黒く塗り潰されている。
もちろん、彼女の瞳の色が透き通ったアンバーローズ色なのは見えている。それでもわたしの目から見える瞳の色は、黒一色なのだ。
長年向けられ続けて、慣れ親しんでしまったあの色に。
警戒するわたしを前に、コーデリアさんはきょろきょろと辺りを見渡していた。
懐かしそうに屋敷の庭を見る彼女は、目さえ気にしなければ美しい夫人にしか見えない。
隣にいるアレンさんも、まるで監視のように母親の一挙手一投足に注目していた。
「それにしても、ここは変わらないのね。わたくしが嫁いだ頃のまま」
「嫁いだ頃……ですか?」
「ええ。わたくしは、父である前国王陛下の命令で先代シリウス様の元へ嫁ぎました。王族やその親族の女が【一等星】を含む殿方の元に嫁ぐことは生まれた時から決まっていましたから」
コーデリアさんが……王族の人……!?
先代シリウスに嫁いだことは知っていたから、その奥さんは【一等星】に相応しいどこかの貴族のご令嬢だとは思っていた。
でも、まさか王族だったとは思わなかった。驚くわたしを横目に、コーデリアさんは足元に生えている野花を見つめる。黄色い花びらをしたメカルドニアを。
「最初は不安でいっぱいでしたわ。いくら決まっていたこととはいえ、知らない殿方の元に行くことは。……ですが、先代はとても無愛想で口数少ない方でしたが、わたくしの意思を尊重してくださいました。自分が好きなことをしてくれるというのに、あの方は何もお求めになりませんでした。『王命で私の元に嫁ぐだけで疲れるのに、周りの余計な期待に応えるために今以上に頑張らなくていい』と、わたくしを気遣うお言葉をくださった」
まるで言い聞かせるように語るコーデリアさんは、ヒールが高いエナメルの赤い靴の爪先で、メカルドニアの花びらをちょんちょんと突く。
「ですが、わたくしには次代の【一等星】の子を産むという使命がありました。これは周りが言ったからではない、わたくしの意思で決めたこと。その使命を全うするため、わたくしは様々な努力をして、ようやく息子を授かりました。お腹にいるこの子が、【一等星】であるように願いながら」
言いながらコーデリアさんは下腹部をそっと服越しから撫でる。
思い出しているのだろう。お腹の中に子を宿したことを。
……だけど、その喜びが一瞬にして憎しみに変わる。
ぎゅるりと眼球を動かして、足下のメカルドニアを睨んだかと思うと、そのまま容赦なく踏み潰した。
ぐしゃりと無慈悲に潰れたメカルドニアは、茎が下り曲がり、葉っぱはくしゃくしゃに歪み、そして花弁はほぼ散った。
「――――だけど、神はそんなわたくしの努力を嘲笑うかのように、次代シリウスを選んだ。あの、汚らわしい娼婦の息子を」
「……!」
「平民よりも底辺にいるはずのあの男が、シリウスの名を賜るなど許せない。わたくしの息子が、アレンに相応しい。神の間違いを正すべく、わたくしはなんでもやりましたわ。食事に毒を盛り、高い金を払って暗殺者を雇い、わたくし自身が仕掛けたこともあった。……だけど、どれも全て跳ね除けられ、慣習通りにあの男がシリウスになった。わたくしが手に入れ、息子に与えるはずの名誉を!」
コーデリアさんは激情のままに、わたしの元へ駆け寄ると、そのままぐいっと乱暴に髪をわし掴んで自分の方へ引き寄せた。
い、痛い! 絶対髪の毛何本か抜けた! 何してくれんのよこの女!?
「分かる? お前のように何も知らない花嫁に。チドリ様が旦那様を産んだせいで、わたくしにもその期待が圧し掛かり、叶えようと必死に努力しても全てが水の泡になった時の 絶望が。手のひらを返して『無能』だと蔑む高官達、『気にしないで』と言いながらも内心では嗤っていた令嬢達、一度も慰めの言葉をくれない家族と旦那様、そしてあの男への憎悪が。何年経ってもわたくしの心の中で燻り、燃えようとするこの炎は、あの男がいる限り鎮まることはない」
一方的に好き勝手に喚きながらも、コーデリアさんは昏い笑みを浮かべる。
引っ張られてギシギシと軋む髪の音を耳に入れながら、わたしは目の前にいる狂った女を見つめる。
彼女はわたしの視線をものともせず、そっと口元を左耳に寄せながら囁いた。
「――――ねぇ、今すぐ人間界にお帰りになって? お前のような小娘は、花嫁なんて重責に耐えられるはずがないもの」
瞬間、わたしの堪忍袋の緒が切れた。
早苗さんに好き勝手言われた時以上に、それはもうブチッと。
容赦なく右脚を持ち上げ、そのままお高いドレスのスカート――正確には脛がある位置を狙って蹴りを入れた。
わたしの目測通り、脛に足が当たるとコーデリアさんは「いっ!?」と悲鳴を上げると、そのまま髪から手を離し、数歩後ろへ下がる。
アレンは痛みで顔を歪ませた母親に駆け寄ると、すぐさまキッとわたしを睨みつけた。
普通の女なら怯えるだろうが、残念でした。わたしはそんな目など痛くも痒くもない。
「黙っていれば、好き勝手言うんじゃないわよ。いきなりアポなしで訪問してきたと思ったら、長々と身の上話を語って、果てには人間界に帰れ? 王族だがなんだか知らないけど、初対面で好感度がゼロじゃなくてマイナスにいった人の言葉なんか素直に従うわけないでしょ。バカなの?」
「バ、バカ……!?」
「大体、それシリウス関係ないじゃない。完全に逆恨み。自分が勝手に決めたことが上手くいかなかったからって、それをぶつける相手を間違えてるじゃん。ああ、バカだから逆恨みも分からないか」
わたしの口調に屈辱を感じているコーデリアさんは怒りのあまり言葉は出なかったけれど、赤くなってくる。
あーあ、せっかくの美人が台無し。眉間にシワができて、年齢より老けちゃってる。あれ? コーデリアさんのいくつなの? まぁいっか。
「そんなに周りにバカにされたのが悔しかったら、王族らしく毅然と言い返して、連中を見返すくらいの偉業を一つでもやってのけたら? 少なくとも、こんなくだらないことしてるよりかは何百倍もマシよ」
「お、お前……っ、よくもわたくしにそんな態度をとったな……!?」
向こうも我慢の限界が来たのか、またわたしに駆け寄るとそのまま右手を上にかざす。
明らかに平手打ちするだろう動作に、わたしはスカートのポケットに入れていた杖を取り出そうとする。
前にシリウスから防御魔法を教わったのを思い出し、己の身を守るために使うためだ。
しかし、取る暇はなかった。
コーデリアさんの手がわたしに振るわれそうになる前に、目の前が真っ黒に染まる。
下ろされかけた彼女の白い手首を掴み、彼――シリウスは怒りを滲ました低い声で言った。
「私の花嫁に何をする気だ、義母上」




