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シリウスの花嫁  作者: 橙猫
第三章
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05.嵐の前の静けさ

「あれ? エネル(ぐさ)に虫食いが……」


 セイリオスにあるシリウスの屋敷には、屋根も壁も扉もガラスでできた温室がある。

 四方を魔法植物で囲まれた温室の隣は、採取した魔法植物の保管庫になっており、世話が終わったら保管庫で備品チェックするのが日課になっている。

 保管庫は中世ヨーロッパらしい古風かつアンティーク調の薬棚が両壁に置かれていて、その真正面には大小様々な瓶が所狭しに置かれた棚がある。


 この瓶だらけの棚は、利用頻度の高いもしくは貴重性の高い魔法植物を入れている薬棚と違い、頻度があまりないけれどあれば安心する……簡単に言えば代用品扱いの魔法植物を入れている。

 マメなシリウスは瓶のラベルに魔法植物の名前と採取した日付を記しており、今わたしが持っているエネル草は解熱鎮痛作用のある満月草(まんげつそう)の代用品になる魔法植物だ。


 そのエネル草に、虫食いの跡。

 つまりこれは……とここ数ヶ月で詰め込んだ知識を総動員し、正解なのかを確認するべく蓋代わりのコルク栓を取って鼻先を近づける。

 ……やっぱり。刺激臭が特徴的なエネル草が、甘い匂いになっている。


「モドキを採取したみたいね。これは処分だわ」


 正体に気づいて、わたしは瓶の蓋をし直しながらため息を吐いた。

 エネル草には、エネル草モドキと呼ばれる似た魔法植物がある。

 こっちは大した薬効はないがモドキを冠するだけあって、エネル草と同じ見た目と匂いをしている。


 しかし、モドキは虫に食われると匂いが甘くなる特徴がある。厄介なことにモドキは虫に食われると、その匂いで更に別の虫を呼び寄せる作用があり、他の魔法植物に被害を出すのだ。

 ここには替えのない魔法植物がそれなりにあるし、それを食べる虫もいくつかいる。そうなる前に処分しなければならない。


 わたしは瓶を片手に保管庫を出て、絶賛労働中のトム達を横目に温室を出る。温室を出て、そのまま屋敷の裏庭――菜園や鶏小屋を超えた先に焼却炉がある。

 レバーを押すと扉が開く仕組みになっており、中はエリーが今日ゴミを燃やしたのかまだ火が残っていた。


 すぐさま中身を焼却炉の中に入れて、エネル草モドキに火がついたところで扉を閉めた。

 そしてコルク栓で蓋をした瓶を持って、保管庫に戻ろうとした時だ。

 屋敷の敷地内に、誰かがいた。


(あれ、誰だろう……?)


 まるで我が物顔のように屋敷に入ってきたのは、わたしより少し年が上の青年とおしとやかそうな女性。

 青年は艶やかな黒髪をしていて、瞳はセイヨウスグリのような淡い緑色。シリウスと似たローブを着ているから、魔法使いなのは確実だろう。

 その隣にいる女性は、青年と同じ黒髪をしていて、前髪と髪先は綺麗に切り揃えられている。初夏なのに首元まで隠した赤いドレスを着ていて、その上には純白のレースのショール。胸元には精緻な細工が施された純金の枠にはめられたエメラルドのブローチが日差しを浴びて輝いている。


 明らかに貴族という見た目に、わたしは彼らがシリウスの顧客だと思った。

 シリウスが育てている魔法植物は、魔法薬の材料としては高価な部類に入る。そのため直に取引する顧客もおり、そのほとんどが王宮や魔法省お抱えの魔法薬剤師や製薬関連の研究所だ。

 だけど時々、魔法植物の仕事に関係のない貴族がやってくる時がある。


 基本、シリウスは歴代から契約を交わした相手以外――いわゆる一見さんはお断りしている。それは希少性の高い魔法植物を栽培しているため、窃盗などの危険性を考慮してのことだ。

 そういう類の貴族は、シリウスの馴染みの客と接触した後、正規の手続きで紹介状を貰う。そして屋敷まで赴いてから見せることでようやく取引ができる。


 今回もその手のお客人だと思い、わたしは杖を取り出して身なりを整える。

 簡単な身支度魔法だけど、こういう突然の来客に対応する時には便利だ。そのおかげで、さっきまで白いブラウスシャツと黒いスラックスという女子力がほぼゼロの恰好をしていたわたしの姿が、白の総レースのトップスに切り返しでリボンベルトがついた藍色のワンピースになる。


 靴も作業用の無骨なブーツではなく、焦げ茶色の革製の編み込みブーツに変わっていて、手櫛で軽く髪を梳く。

 そうして人前に出るには少しラフめの恰好になったわたしは、人間界で鍛えた接客術を駆使しながら来客達の前に出た。


「こんにちは。本日はどのようなご用件でしょうか?」


 なるべく物腰柔らかに、しかし笑みを絶やさないよう心がけながら声をかけると、二人はちょっと驚いた顔をする。

 だけどそれも一瞬で、女性の方はジロジロとわたしの全身を不躾な視線で見つめ、青年の方はシリウスがよくする人当たりの良い顔を浮かべる。


「こんにちは、レディ。突然押しかけて申し訳ありません。【一等星】シリウス様とお話があり伺ったのですが……」

「申し訳ありません。王都で定例会の出席のため、数日前から屋敷を空けています。予定ですと、本日お戻りになるかと」

「ああ、そうでしたか。なら、彼がご帰宅するまで屋敷の中で待っていても?」

「え? ですけど、何時帰ってくるか分からないので……」


 王都に向かう前、シリウスは今日帰ってくることは言っていたが、何時なのかは聞いていない。

 もしかしたら、深夜までかかるかもしれない。流石に来客とはいえ見知らぬ相手を屋敷に泊めるのは気が引ける。

 そんなわたしの考えを読んだのか、青年は苦笑しながら言った。


「大丈夫です。ほんの数年とはいえ、ここは僕の実家だったんです。部屋の間取もまだ覚えていますよ」

「じ、実家……?」


 まさかの単語が飛び出て、わたしは目を丸くする。

 彼らの実家が、この屋敷? でも、ここは歴代シリウスとその家族しか暮らせない。ずだ。

 つまり、彼らは……。


「ああ、ご挨拶が遅れて申し訳ありません」


 困惑し固まるわたしを嗤うように、青年は丁寧に頭を下げながら名を告げた。


「僕の名前はアレン・エル・クリストファー・ニュクス。王族の末端に連なる者であり、先代シリウスの息子。そして、こちらは母のコーデリア・エル・ヴィクトリア・ニュクス。前国王の末の娘であり、先代シリウスの妻です」


 青年――アレンさんがそう告げた後ろで、コーデリアさんは淑女然とした笑みを浮かべた。

 社交界ならば、きっと誰もが美しいと称賛される笑み。

 しかし、彼女の黒い瞳を見た瞬間、ひゅっと息を呑む。


 コーデリアさんの瞳には、光が宿っていなかった。

 あるのは憎しみ、怒り、嫉妬、そして絶望――あらゆる負の感情をぐちゃぐちゃに混ぜたようなモノだけ。

 その目が、まるで鏡に映ったかのようにわたしを見つめていた。

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