66.現実的な傷との向き合い方について
ショウリュウの都、農場へと続く道。そこを駆ける者が二人いる。一人はまだ若き冒険者である瑞葉、そしてもう一人は彼女の母親である樹々だ。二人は家まで競争をしているというような和やかな日常であれば何の問題も無いのだが、現実はもう少し難しい状況だ。
話は少しだけ遡る。
ショウリュウの都の中心街、農場へ続く道との境であるその端でロロ、瑞葉、ハクハクハクの三人が今日の別れを告げた時だ。樹々が建物の影に隠れてそれを見ている事には誰も気が付かなかった。気が付かないままに仲の良い所を存分に見せていた。
これは三人が後から知る事だが樹々は最近の瑞葉の言行の端々から彼女が丙族と付き合いがあることを察していたのだ。そして普段であれば決して農場の敷地から出たりしないのに、瑞葉の様子を見る為にこの農場へ続く道の境に身を隠し彼女が来るのを待っていたのだ。
そして樹々は瑞葉と丙族の女の子が一緒にいるのを確認し、それと同時にその場を走り去った。
「……お母さん?」
瑞葉はそれを見て顔を青褪めさせる。彼女は見られてはならないものを見られてしまったのだ。これまで、冒険者になりハクハクハクと知り合ったその日からこれまで、ずっとひた隠しにしていた秘密を知られてしまったのだ。
血の気を失った顔、浅い呼吸、冷や汗が流れ、落ち着きを失った視界は焦点も合わない。ぎゅっと握り締めた襟元はきつく、きつく締められて自らの首をも締める。しかし今の彼女には息苦しさが何を理由で起こっているのか理解することも出来ない。
ただ遠く離れて行く母の背中をどうしようもなく、幼い子が竜尾の川に流されて行く帽子を見送る時のようにただ見つめる事しか出来なかった。
ドンッ。
そんな彼女の背が叩かれる。
「走ればまだ間に合うぜ」
ロロが笑っている。何が間に合うのだろうか、そんな言葉が出て来る前に彼はもう一度背を押した。
「走れよ」
瑞葉は押されるがままに一歩を踏み出し。
「うん」
そのまま駆け出した。頭の中は何もまとまってなくて、追いかけて何をすべきなのかもわからなくて、そもそも間に合うという言葉の意味も理解できなくて、もうどうしようも無いという思いが頭の中にあったはずなのに。
駆け出したその時に不思議と悩みは消えていた。走りながら呼吸は整って、冷や汗は風に飛ばされて、視界はただ前を見つめている。襟元を握っていた手を振って彼女は前へ行く、母の背を追う。
ロロとハクハクハクはその姿を見届けた。
「……ロロ、は、追わないの?」
「俺が追っても仕方ないだろ。……さっき向こうに走って行った人、樹々さんはな、瑞葉のお母さんなんだよ」
「……あ、丙族、嫌いの」
「ああ、まあ、そうだな」
「わ、私が一緒にいたから……?」
すぐにそう言ってしまうのはそういう扱いを受けて来た者の悲しき性だろう。丙族とはそれだけでいつも扱いが悪い。
「そうかもな」
そしてロロは返事を飾らずに頷いた。
「でも良い機会なのかもしれないぜ」
「良い機会?」
「考えが違う時はぶつかって見ないとさ、誰も前になんか進めないだろ?」
ロロの言葉はある意味ではその通りだ。その場に留まっていれば誰ともぶつからないかもしれないが、それは停滞を意味する。現状維持は素晴らしいことかもしれないがそれでは一生前になど進めない。
「……瑞葉ちゃん、また、会えるよね?」
ただぶつかり合う事が常に良い結果を生むとは限らない。硬い石同士が凄まじい威力でぶつかれば互いに砕け散ることになるように。
現状維持とはそれを恐れる当然の反応なのだろう。
ロロとハクハクハクは二人が行った道を見つめる。その先で二人がどんな結末を迎えるのか、それが平和な終わりを迎えるよう祈ることしか二人には出来なかった。
現役の冒険者と農場で働いている一般人の間には身体能力に大きな差があると言っていいだろう。瑞葉が然程身体強化を得意としていないと言ってもそれは彼女が母に追い付けない理由にはならない。
家に辿り着くよりも早く瑞葉は母の手を掴む。それを合図にしたかのように二人の足が止まって行く。完全にそれが止まった時、周囲にあるのは二人の荒れた息遣いだけだ。
「……お母さん、その」
瑞葉は乱れた髪を直すこともせず何を言うべきかを考える。今までもずっとそうして来たのだ、母に余計な心配をかけぬよう時に言葉を飾り、時に余計な部分を省き、伝える事を取捨選択して伝えて来た。それを間違いだったとは思わない。
ただ、それには限界があったというのを今日思い知らされただけの事だ。
何て言えばいい? 何て言えばお母さんを安心させられる?
例えばあれは今日たまたま一緒に依頼をした相手とでも言うのはどうだろうか、冒険者として付き合いで仕方なく関わっていたとでも。それともあの子は丙族では無いと言ってみるのはどうだろう、ハクハクハクは服で決定的な部分を一応とはいえ隠しているわけで遠目で何か見間違えたのではないかと誤魔化してみるのも悪くない。
そんな風に幾つかの誤魔化す方法を頭に浮かべつつ、ゆっくりと瑞葉は口を開く。
「……あの子はね、ハクハクハクって言って……、ずっと一緒に冒険者やってるの」
そうして口を開いて出て来たのはそんな言葉だった。
「お母さんの思ってる通り、その、丙族だよ」
瑞葉はただ事実を連ねていた。
彼女の頭の中ではなぜこんなことを言っているのか、と疑問符が渦を巻く。まだ誤魔化しが効く段階でそんな風に諦めるには早いと。なのにどうして本当の事を言ってしまっているのだろう、と。自分で自分の事が分からない、と。
困惑と恐れが彼女の口を重くする、次の言葉が出て来なくなり顔を上げることも出来ない。今、母はどんな顔をしているのか想像するのも恐ろしい。
そんな彼女の姿を見て、震える我が子の姿を見て、樹々はその頭を抱き寄せる。
「……お母さん?」
「瑞葉、あの子とは仲がいいの?」
その声は優しく、怒っているようにも悲しんでいるようにもとても思えない。瑞葉は自然と自分の本心を打ち明ける。
「……うん。ロロ以外だと一番仲が良い友達だよ」
「良かったらどんな子なのか教えてくれる?」
「……長くなっちゃうよ」
「それでもいいわ」
瑞葉はゆっくりと顔を上げた。目の前には優しく微笑む母の姿があった。彼女には今の母の気持ちは分からない。丙族と深い付き合いがあるなどと知れたら怒られるか悲しむものだとばかり思っていたのに、目の前の母はそれとはまるで真逆の表情を見せている。これは夢なのだろうかと疑ってしまう程だが皮膚をつねれば痛みを感じる。
彼女は大きく息を吐いた。それと共に余計な思考も全て吐き出して行く。
「じゃあ、話すよ。ハクとの出会いからずっと」
そして彼女は友人について話し始めた。その内の幾らかは丙族であることを隠して話したこともあったが、いつもは余計なことを話してしまわぬよう不自由なまでに事前に内容を決めており細かな部分は意図的にはぐらかしたりしていたのだ。しかし今日はただただ興の赴くままに話したいことを好きなだけ話して行く。
ハクハクハクと出会い、共に依頼を受け、時に訓練をし、互いに悩みを打ち明け、危機を乗り越え、語り尽くせぬ程多くの時を共にした事を彼女は語る。樹々はそれをじっと聞き続けた。
話し終えた時には辺りは暗く、虫がそれぞれに音を奏で、夜空を星が彩っていた。しかし二人はそれらの美しい音色や景色に注意を払うことは無く、ただ互いを見つめている。
「……お母さん、ハクは、ハクハクハクはね、人見知りで、気弱で、臆病な所もあるけれど、それでもより良い自分を目指して前に進もうと努力してる、そんな私の友達なんだ。丙族と友達になっているって、その、黙っててごめん」
俯き謝る瑞葉は、しかしその瞳に強い意志を宿し前を見る。
「……でも、私は、ハクハクハクと一緒にいたいの」
瑞葉の言葉が夜闇を伝い樹々の元へ届く。彼女の中へ溶けて行ったその言葉はその瞳より涙となって流れ出した。
「お母さん?」
「瑞葉」
怒られる、そう思った瑞葉は反射的に目を閉じて身体を丸めた。しかしどうだろう、実際には樹々の両の手が優しく彼女を抱き締めただけだ。
「……お母さん?」
「瑞葉、私は、嬉しいわ」
「……嬉しいの?」
「娘が信頼できる友人と共にいると聞いて喜ばない親はいないわ」
「……でも、丙族だよ?」
「そうね。でも、私があなたを信頼しているようにあなたもあの子を信頼してるのでしょう?」
「うん」
「ならそれでいいのよ」
「お母さん……」
樹々は一際強く瑞葉を抱き締めるとゆっくりと離れる。その瞳には喜びに混じって後悔の色があるように見えた。
「……いらぬ心配を、いらぬ面倒を、子供にかけさせる……。思えば私は親としてはよくない行動をし続けていたのかもしれないわ」
「そんなこと無いよ」
「いいえ。現にあなたは私のせいで丙族の子と付き合っている事を黙っていたでしょう? 私がこれまでに余計な事を言い続けて来たせいだわ」
「それは……、でも、お母さんのせいじゃないよ」
「どうかしらね」
樹々が初めて愛し共に過ごした人、瑞葉の血の繋がった父親は魔王の残党たる丙族に殺された。それも樹々の目の前で。当時まだ幼かった瑞葉はそのことを全く覚えていないが、樹々の目にはその姿がはっきりと捉えられており、今でもその光景を鮮明に覚えている。それ以来時にその夢にうなされ、命日が近付けば時に幻覚すら浮かび、丙族は見るだけでも恐ろしく近付く事すらしない。
樹々の人生はその時以来大きく変わってしまったのだ。それを彼女のせいであると言う事は決して出来ない方法で。
しかし。
「瑞葉、私はあなたの幸せを願っているわ。……傷付いて欲しくなくて、恐怖に怯えるような日々を送ってほしくなくて、私のようになって欲しくは無くて。でもそれは私が勝手に怯えていただけだったのね。私があなたの人生を、その日々の楽しみを奪うようなことはしてはいけなかったのよ」
瑞葉の人生はどうだろうか。幸か不幸か父の死を覚えていない瑞葉にとっては丙族は決して恐怖の象徴になっていない。しかし母の話を聞けば、その反応を見ていれば、少なくとも母にとっては何か良くない思い出があることなど子供にでも察しがつく。大きくなった頃には父の話を聞いて母がそんな反応をする理由も知るだろう。
そしてそれを知った瑞葉はいらぬ心配を掛けまいと自分で自分の行動に制限をかけ始めた。丙族とは積極的に関わらず、関わったとしても家族にその話をするのを避けたのだ。
樹々は思う、瑞葉のそれらの行動は自身の日々の言行が原因だったのだと。
「私の人生がこうなったのは私のせいではないかもしれない。でもね、あなたがこんなにも私に気を遣って生きるようになってしまったのは、あなたの人生を変に歪めてしまったのは私のせいだわ。……ごめんなさい」
それを完全に否定するのは瑞葉にも難しい。その面が全くなかったと本気で思っているならば、とうの昔にハクハクハクの事を話していただろうから。
「……謝らないでよ」
それでも瑞葉ははっきりとそう言った。思う所が無いわけじゃない。それでも、今の彼女が最も強く思うことは。
「確かに私にとってハクは自慢の友達だよ。もっといっぱい話したかったこともあったよ。でもね、お母さんだって私の自慢のお母さんなんだ! いつだって私の事を一番に考えてくれたじゃん! 冒険者になりたいって言った時も、ものすごく心配して、反対してたけど、たくさん話をして結局は私が思うようにしていいって言ってくれた! お母さんのせいで私の人生が歪められてなんかない、いつだって私の事を応援してくれてたよ……」
瑞葉が樹々の事を面倒に思ったことが無いと言えば、それは明確に嘘になる。丙族の事を特別嫌っていない瑞葉にとっては敢えて避けるのも、話をする際に丙族に関わることを削ることもはっきり言えば面倒な事だ。
では瑞葉がそれを続けられたのはなぜだろうか?
答えは簡単で、母にいらぬ心配をかけたくなかったから。そう思えるぐらいに母に感謝していたからだ。時々面倒な事もあるけれど、それでも嫌な思いなどさせたくないし、喜んで欲しい、笑って欲しいと願っていたのだ。
瑞葉の頬を涙が伝う。その姿を樹々は呆けた様に見つめていた。娘がそんな風に思っていたことなど彼女は知らなかったのだから。
やがて、樹々は手拭いを取り出すとゆっくりと優しくその涙を拭う。
「瑞葉、帰りましょう。今日はあなたの話が聞きたいわ」
「うん。……私も、たくさん、たくさん話したいことがあるよ」
歩き出そうとした瑞葉に樹々が手を差し出す。瑞葉は思わず周囲に誰もいないことを確かめると、気恥ずかしそうにしながらその手を取った。
夜の農道を星々が照らし虫の音が響く。その中心を一組の親子が仲睦まじく手を繋ぎ歩いて行った。




