7.新たなる冒険者
ショウリュウの都、ロロの家。
朝、ロロは目が覚めると顔を洗い軽く目覚まし代わりに体を動かすのが習慣だ。大体それらに二十分ほどかけてそれから父の作った朝食を食べる。
「父さん、そろそろ試験の結果が出るらしいんだよ」
「そうか。そろそろか」
それだけ言うと彼はきゅうり丸ごとにかぶりつき、ばきっ、と聞き心地のいい音が鳴る。ロロも目の前の薄く輪切りにされたきゅうりを数枚まとめて口の中に放り込む。きゅうりの瑞々しい触感と薄い塩味が口の中に広がっていく。徐々にきゅうりの青臭さが口の中で幅を利かせ始める頃、冒険者のことには触れない方が良かったかとロロが反省していた。しかしそんなことを気にする風もなく、父から言葉がかけられる。
「受かっていると良いな。」
「……ああ! 俺が受からないと思うかよ」
一方その頃、瑞葉の家では家族三人で食卓を囲んでいる。
「そういえば試験の結果はいつ頃出るんだい?」
そう尋ねたのは瑞葉の義父。それを受けて瑞葉は、その話題は触れないようにしてたのに、と内心思う。それから母の表情をちらりと盗み見た。普段と変わらない様子でご飯の口に運んでいるように見えたが実際何を思っているのかと瑞葉は少々不安だった。
「あー、まあ、そう。一応そろそろ結果が出るって、崎藤さんが」
「そうかい。受かっていると良いねえ」
「ははは」
瑞葉は愛想笑いを浮かべてその場をやり過ごす。それから彼女は出掛ける支度をするのだが、その途中で母が様子を見に来た。じっと見つめて、しかし何も言おうとはしない。
「……何?」
しびれを切らして瑞葉の方から要件を尋ねる。それに対して少しの間逡巡していたが、やがて決心したように口を開いた。
「あなたは賢い子だし強い子で、私の自慢の子だもの。試験には受かってるわ」
「……お母さん」
「危ない仕事だし心配はするけどもう反対はしないから。やるならしっかりやるのよ」
「……それは、そう、だけど、さ」
瑞葉の父は魔王の残党に殺された。そんなことがあったから瑞葉は母が自分のことを危険な物事から可能な限り遠ざけたいと思っていることを知っている。しかしそんな母が冒険者という自分の夢を後押ししてくれたのだ。嬉しくないということがあるだろうか。
「そういうことは試験の結果が出てから言ってよ。落ちてたら恥ずかしいからさ」
母から顔を逸らして小さな声で絞り出す。彼女の頬は少し照れたように赤かった。
志吹の宿、冒険者見習いが二人その戸を叩く。
「崎藤さん、来たぜ」
「おはようございます」
カウンターで書類に目を通していた崎藤が顔を上げる。
「やあやあ二人共、今日も来たね」
「これお土産な」
ロロが風呂敷包みをカウンターの上に置く。
「毎日毎日悪いね」
中身は農場で採れた野菜で、ロロと瑞葉の父母が毎日入り浸る二人に持たせた物だ。崎藤は中身を広げて出てきたとうもろこしの艶に惚れ惚れする。
「やっぱりいいね。このとうもろこしがミザロにも好評でね。昨日は五個も入っていたんだけどね、表で焼いていたらミザロに四個半も取られたよ」
次はばれないように焼かないと、と冗談交じりに話しているが後ろの方でミザロが立ち聞いているのに崎藤は気付いていない。おそらく次も取られてしまうのだろう。
「まあこのお土産は後で楽しむとして……。お待ちかねの時間が来たよ」
その言葉にロロも瑞葉もごくりと喉を鳴らす。片や高揚と期待に拳を握り、片や緊張と不安で服の襟元を摘んで深呼吸。崎藤は二通の封筒を取り出し掲げる。
「依頼が終わって一週間と少し待たせたけどね。君たちがこの前の試験に合格したかどうか、その答えがこの封筒の中にある」
「つまりそれを開ければ俺は晴れて冒険者ってわけだ」
ロロはそう言ってにやりと笑みを浮かべる。瑞葉は自身の心臓の音を落ち着かせるのに必死だ。しかしどんな思いを持っていたとしてもその結果は既に二人の目の前にある封筒の中にある。
「さあどうぞ」
崎藤がそれぞれに手渡した封筒、ロロは受け取るとそのまま封筒の口を破り始める。瑞葉はそれを見て、こいつ緊張とかないのか、とちょっと腹立たしく思いながらゆっくりと封を切り始める
「ま、当然だな」
さっさと封筒の中身を取り出したロロはそう言って一枚の紙を崎藤に突き出す。そこには五等星の冒険者に認定するの文字が。
「おー、おめでとう。これでロロも冒険者か」
拍手にロロが鼻を高くして誇る。そしてそんな祝辞が落ち着いてくると二人の視線が自然と瑞葉に集まる。
「早く開けろよ」
ロロが急かすのも無理はない。それなりに時間はあったはずだがまだ封は半分も切られていない。瑞葉は冷や汗が出るのを感じる。ロロがあっさりと試験を突破していたのも彼女には重圧に感じられていた。自分は試験の間どうだったかをずっと頭の中で思い返している。ロロと比べてどうだった、試験では何が見られていた、そもそも試験官は誰だった。
「瑞葉、そんなやってると俺が開けるぞ」
「やめて」
瑞葉は色々と嫌な想像ばかりしてしまって中身を見る勇気が出ないのは事実だったが、しかしこの結果を受け止めることを他人に委ねるつもりはなかった。大きく息を吸って一気に封を切る。びりびりびり、と音を立てて破られた封筒から一枚の紙を取り出した。ロロが後ろからそれを覗き見る。
「やっぱりお前も受かってるじゃん」
ロロが瑞葉の背を小突いて笑う。
「うるさい」
「まあ俺にはわかってたぜ。依頼の前に色々と調べてくれたし、トウボクサイが出た時も魔法で足を切ってさ、他にも色々と俺の足りないところを助けてくれたんだぜ。当然ってもんだろ」
「……うるさい」
少し照れたように顔を背ける瑞葉。それを微笑ましく見つめる崎藤。
「信頼できる仲間や友人がいるのはいいことだね。まあそれはさておき、この後時間はあるかな」
「俺は大丈夫だな」
「私もこの後は特に予定はないです」
「なら冒険者講習を受けてもらおうかな」
その言葉に首を傾げる二人。崎藤はそんな彼らをに連れて宿の奥の研修室へと向かう。そこではミザロが資料をひもで括ろうとしている。
「ミザロ、二人が来たよ。もう大丈夫かな?」
「そう見えますか? 私は先ほどまだ少しかかると言ったはずですけど」
まだ束になっていない紙を見せつけるようにミザロは持ち上げる。崎藤は視線を逸らして頭を掻いた。
「あはは、ああ、いや、その、向こうで待ってるから準備ができたら呼んでくれたら助かるなー、って」
「わかりました」
崎藤がドアを閉める。
「よし、戻ろうか。何か飲み物いるかい?」
「俺、甘白水」
「私はミックスジュースでお願いします」
三人はラウンジへ。崎藤は飲み物を注いで、それから自分も椅子に腰かけると冒険者講習について話し始めた。
「この後受けてもらう冒険者講習っていうのはね、確か二十……、何年か前に始まったんだけど」
三大国が冒険者を保護し始めたのがおよそ三十年前。その五年後に始まったのが冒険者講習の制度だ。内容としては新たに五等星の冒険者になった者へその規則と心構えを説明するものとなっている。
「また研修みたいなのをやるのか……」
ロロがうんざりしたように机に突っ伏す。この数日、瑞葉と冒険者研修の覚えきれなかった部分の復習をやっていたのだ。勉強はしばらくしたくないらしい。
「と言っても大事な規則もあるからね。破ると冒険者としての身分をはく奪、どころか場合によっては牢屋行きだよ」
「捕まるのか?」
「規則を破ればね」
これはちゃんと聞いておかないとまずい、と特に瑞葉が強く思う。何せ隣にいる男は確実に全部は覚えられないだろうという確信があるのだから。
「内容についてはミザロが説明してくれるし、それをまとめた資料を渡すから問題ないと思うよ。少し時間はかかるけどこれを受けないと冒険者として活動できないからきちんと受けてね」
「あー、まあそういうことならしょうがないな」
「わかりました、頑張ります」
それから十分程してミザロが二人を呼びに来る。研修室へ行き配られた資料に目を通す二人。
「ではこれから講習を始めます。あなたたちは二人共冒険者になったので守るべき義務や保証される権利などがありますのでしっかり聞いておいてくださいね」
「ミザロ姉、これってどのぐらいかかるんだ」
資料をぱらぱらめくりながらロロが尋ねた。
「昼までには終わりますよ」
正午まではあと三時間程度ある。二十枚程度の紙の束からロロは少し目を背けたくなったが、ミザロが話し始めたので否が応にも最初の頁をめくるのだった。
講習が終わったのはミザロの宣言通り昼になる前、二時間ほどかかったようだ。ロロは知識を詰め込もうと必死で頭が破裂しそうな気分である。その横で瑞葉は資料をめくりながら特に大事な部分を再度確認している。
「さっきも言いましたがとりあえず依頼を受けたいならまず一緒に依頼を受けてくれる五等星の冒険者を探した方がいいですよ」
ミザロは資料を片付けながら二人にそう声をかけた。これは法律で定まっている事項が理由で、五等星の冒険者は五等星が三人以上かつ三等星以上が一名以上いなければ依頼を受けてはならない。新人の育成と円滑な人間関係を養う為に定められた法律となっている。五等星が所属する拠点にいない場合は例外的な措置がとられるが、ここ志吹の宿には活動的な者に絞っても片手では数えられない人数在籍しているのでそれを考える必要はないだろう。
何はともあれロロ、瑞葉、そしてもう一名他の五等星がいなければ依頼を受けることはできない。
「ミザロさんから見て誰かおすすめの人はいますか?」
「そうですね……」
ミザロが考え込むように口元に手を当てて考え出す。これは長くなると悟った瑞葉は三等星以上の冒険者は誰が良いだろうかと考え始める。試験で一緒になったミザロ、牛鬼、カクラギを筆頭に宿で顔見知りになった何人かの冒険者の顔が浮かぶ。
「瑞葉」
およそ一分ほど経った頃にようやくミザロが口を開いた。
「あなたのように人を頼ることを悪いとは思いません。ただ自分たちで色々な人と話してみるのもいいと思います」
「……つまり他を当たれ、と?」
「端的に言えばそうですね」
それはミザロなりに二人の成長を願っての試練のようなものだろう。まあラウンジでたむろしている冒険者に話を聞けばすぐ見つかるか、と瑞葉にしては楽観的に考え資料を手に立ち上がる。
「ロロ、行きましょ」
返事はない。瑞葉が視線を向けると、ロロは資料とにらめっこしてたらりと冷や汗を流している。そういえば講習の途中から何も言わなくなっていたなと瑞葉は思い返す。彼女は大きく息を吐いて、ロロの目の前で手を振る。ロロはゆっくりと顔を上げて、それからばちり、と助けを乞う様に下手糞なウインクをした。
「あとで重要そうなところだけでも教えてあげるから」
「助かるぜ、やっぱ頼りになるな!」
ロロはさっきまでの様子が嘘のように勢いよく立ち上がった。
「それで、これからどうする?」
「話聞いてなかった? ミザロさんも言ってたけど依頼を受けるのにもう一人五等星の人がいないといけないからそれを探しに行こう」
「そんなこと書いてあったな。よしそれじゃあ行こう」
講習の時とは別人のような勢いでロロが先んじて研修室から出て行く。瑞葉もミザロに一礼すると小走りでその後を追って行く。
宿のラウンジには三人の客がいた。一人は二人からして全く見覚えのない顔でおそらくはたまたま来ている観光客だろう。一人は牛鬼、彼は依頼が無ければ志吹の宿にほぼ常駐して熱々の白湯と茶菓子を嗜んでいる。もう一人はゴウゴウという三等星の冒険者なのだが、瑞葉がそれを見てすぐに牛鬼の方へ向かった。ゴウゴウの姿を見てそうなるだろうと思っていたロロもそれに続く。
「牛鬼さん」
「瑞葉にロロか」
「この前はお世話になりました。おかげで五等星に……、あっ」
瑞葉はバッジを見せようとしたのだがまだ五等星のバッジをもらっていない。
「そういやもらってないな」
「おそらく崎藤かミザロが持っているだろう」
「ちょっともらってくる」
瑞葉がその場を後にする。
「俺のもよろしくー」
ロロは敢えてそれを見送った。
瑞葉が戻ってきた時、手には二つのバッジを持っていた。
「ミザロさんが持ってた。講習が終わったら渡すのが恒例なんだけど忘れてたって」
「ミザロ姉って結構抜けてるよな」
ロロはそう言いながらバッジを受け取り胸元に着けていた六等星のそれと付け替える。瑞葉も当然に同じように自分のものを付け替えた。今、ここに新たに、二人の冒険者が誕生した。
「主等は少々危なっかしいところもあるが……、いや今は良いか。目出度い場に余計なことは言うまい。茶菓子でも振舞おうか」
牛鬼は崎藤に頼んで二人分の茶菓子を用意する。
「近頃気に入っているもので、晩柑を使用した大福だ。これが中々に旨い」
「柑橘のいい香りですね」
「いただきまーす」
ロロが大きな大福を半分ほど口に入れる。折角の頂き物をもうちょっと味わって食べれないかなあ、と瑞葉は思いながら一口。餅の食感とほのかな苦み、中の餡子からは甘味と柑橘の風味が口の中に広がる。それらを味わう横でロロが大福を飲み込み一言。
「思ったより甘くないな。でもこれはこれでありかな」
もうちょっと素直に褒めろ、人前でなかったらそう言って頭をはたいてやったのにと瑞葉は嘆く。
「むう、ロロには繊細な味はわからぬか。次の祝いの時は考えておこう。瑞葉はどうだ?」
「おいしいです。中の餡子は甘さ控えめですけど、おかげで晩柑の風味が出てますね。外の餅に皮が練り込んであるんですね」
「うむ、そうなのだ。それに加え中の餡子には晩柑を煮詰めてジャムにしたものを入れてあるらしい。瑞葉はよくわかっておるな」
「これはどこで売ってるんですか?」
「崎藤に聞いたところによると」
「いや先に本題を話そうぜ」
いいところでロロが本題の話を促す。帰りに菓子屋に寄ろうと思っていた瑞葉はいやいやながらそれまでの話を打ち切って本題に入る。
「牛鬼さんなら知ってるとは思うんですけど、五等星は依頼を受けるのに規定があって」
「やはりそのことか。先ほど講習を受けたのだろう?」
「はい。五等星が三人と三等星以上が一人っていうのが最低の条件だと」
「三等星以上の冒険者、ということなら力になっても良いがな」
牛鬼は冒険者としての歴が長い。これまでにも引率のような立場で五等星や六等星の冒険者を何人も導いてきた偉大な先人と言えるだろう。
「流石牛鬼さん、頼りになるな」
「ただ、五等星の方は力になれんな」
「む……。誰か心当たりとかは」
「ない」
彼は基本的に一人でいることを好む。依頼の上で力を合わせる、ということについて彼の能力を疑う者はいない。自分の役割を理解し確実にそれを遂行することができる。ただ普段の生活の上ではあまり他者とは関わろうとしていない。たまに世間話をする程度だ。
「何人か知っている五等星の者もいることはいるが……、こちらで紹介するも主等が自分で話をするのと変わらんだろう。いや、寧ろ自ら話をする方がいいかもしれんな」
「ならどこにいるか知ってそうな人のことを教えてくれるだけでも」
「それならゴウゴウに聞くと良い」
「え」
瑞葉が露骨に顔を顰める。ちらりとゴウゴウの方を見て、その額に浮かぶ丙の字に似た痣、肩回りの文様、それから手首に生えた石に視線を動かす。せめて隠してくれていればな、と瑞葉は心中で思う。そんな彼女の胸中を知ってか知らずか牛鬼は話を続ける。
「ゴウゴウの治める丙自治会にも最近冒険者になったばかりの者がおる。他にも自治会には入っていなかったはずだが丙族の子が一人いたはずだ。ゴウゴウならどちらにも詳しいだろう」
丙族。それは瑞葉がゴウゴウを避けた理由だ。
「まあそういうことなら確かにゴウゴウさんに聞いた方が良さそうだな」
牛鬼の言葉を後押しするようにロロがそう言った。瑞葉も頭ではそのことがわかっている。そもそも彼女自身は別に丙族に何かされたわけではない。ただ彼女が育ってきた中で、どうしても、どうしても、丙族と関わることに二の足を踏んでしまう。
「……まあお前が躊躇うのはわかるけどさ。俺たち冒険者になったんだしこれから色々と関わる機会は増えるんじゃないか?」
「……わかってるって」
彼女の視線はゴウゴウの方を向いている。これから彼に話しかけるのだ。それを思うと呼吸が荒くなり、鼓動が早鐘を打つのを感じる。瑞葉は背中を丸めて縮こまり、襟元を摘んで目を閉じる。ゆっくりと深呼吸をして精神を落ち着けなければならない。
「行こう……、行こう」
「そうだな。牛鬼さんありがとう」
「うむ、武運を祈る」
二人は席を立つとゴウゴウの元へ向かう。そのほんの数歩が瑞葉にとっては恐ろしいものに感じられた足が止まりそうだったが、ロロがその背を押す。
「……話しかけるのは任せていい?」
「任せとけって」
二人がゴウゴウの前に立った。
「ゴウゴウさん。今って暇?」
「……ロロ、に瑞葉か。問題は無い」
彼の生まれつきの鋭い目に瑞葉は少し怯む。ロロは気にせず話を続けた。
「実はさ、俺たち五等星の冒険者になったんだ」
ロロが自分のバッジを指さす。ゴウゴウは顔を僅かに上げてロロと瑞葉のバッジに視線を動かす。
「あのちょろちょろしていた子供がな。時が経つのは早い」
「俺たちももう十五だからな。ゴウゴウさん俺たちが小さい頃から冒険者やってるよな」
「ああ。十三年になるな」
「十三年か。俺たちが二歳の頃に冒険者になってたことになるのか」
「それで、何の用だ? まあ大体はわかっているが」
さっきまで牛鬼と話していたのが多少漏れ聞こえていたのだろう、ゴウゴウが話を促すように瑞葉の方を見る。ロロもそれに倣って瑞葉の方を見た。
「……えっと」
瑞葉は一度深呼吸をする。その手は襟を摘んで俯く顔を隠すようにしている。やるべきことは頭で理解している。もう一度深呼吸。それからようやく口を開いた。
「依頼を受けるのに、五等星の人が三人必要で、誰か紹介してもらえないかと、その、お願いします」
頭を下げたのは礼儀正しさからではない、彼女は視線を合わせることができなかった。ゴウゴウは彼女の様子をじっと見つめ、口元に柔和な笑みを浮かべた。
「瑞葉、お前が我々に複雑な感情を持っているのはわかっている。そうかしこまるな」
それでも瑞葉は顔を上げない、のをロロが無理やりに引っ張り上げようとする。奇妙な争いが巻き起こる中でゴウゴウは無視して続きを話し出す。
「五等星の冒険者なら二人心当たりがある。一人は数か月前に冒険者になったサキサキサ。しかしあの子はつい先日丙自治会とイザクラ考古学団の合同勉強会でイザクラの都に行ってしまった。最低でもひと月は戻ってこないだろう」
「あー、じゃあサッキーはまた今度で」
「その方がいいだろう。……ただ、もう一人は気難しい子だ。自治会に所属した方がいいと声をかけはしたが断られている。まあ集会所は皆に開放しているしよく顔は出しているのを見かけるな」
「集会所か、じゃあ行ってみるぜ」
ロロが瑞葉を引っ張って走り出した、のだが宿の入り口で立ち止まる。
「ゴウゴウさんありがとな! 助かるぜ」
「あ、ありがとうござい、ちょっと、待ってよ」
二人の声が遠ざかっていく。容姿どころか性別すら聞いていないがそんなことは問題ではないのだろう。ゴウゴウは二人の姿が見えなくなってから牛鬼の前に移動する。
「あの二人の試験はあなたが担当だったな」
「む、そうだ」
「どうだった?」
「……なかなか良い連れ合いと言える。どちらも青くまだまだ足りないところが多いが、互いに補い合って居る。それに善人と言えるだろうな」
「そうか、善人か。それならいい」
彼にとってはロロも瑞葉も騒がしい子供だ。そして牛鬼がその子供たちを善人と評した。それならば集会所の様子を見に行く必要はない。あの二人がもう一人の子供を引っ張っていってくれる、そんなことを期待しながらゴウゴウは水を飲み干した。
ロロと瑞葉は集会所へ向かう道中、見知った人を見かける毎に胸につけた五等星のバッジを自慢していた。
「この前まであんなに小さかったと思ったけどねえ」
「ははは、ずっと言ってたもんな。まあこれから頑張んなよ」
「おめでとう、これお祝いに持ってきなよ」
そんなこんなで二人はもらったパンを咥えながら集会所へと辿り着く。
集会所というのは丙自治会が借り受けている建物で、主に身寄りのない丙族を一時的に保護したり、丙族の伝統的な儀式を行ったり、丙自治会の会議を行ったりする場所だ。それ故にここには常時丙族の者が大勢いるということになる。ロロは瑞葉の顔色を伺うが、当の本人はさっさと入口の方へ歩いて行ってしまう。
ただし、二人が集会所の入り口を潜ることはなかった。
「あ」
入り口の横で二人と同年代程の少女が一人、座り込んで空を見上げている。長いくせ毛の髪は表情を隠し、更には額にバンダナを巻き、この時期に全身ほとんど肌を見せないような厚着で、特に首元や手首はすっぽりと覆われている。丙族の特徴を隠すような衣装の彼女は目の前に立ち止まり見つめてくる二人の視線から怯えるように目を背けている。
「この子でいいんだよな」
ロロの問いかけに瑞葉は視線で答える。その先には丙族の少女、の胸辺りに付いているバッジ。五つの角を持つ星型のそれはまさしく五等星の証。ゴウゴウの言葉通りならばこの少女こそがほぼ間違いなく二人が探しに来た人物だ。しかし瑞葉は未だ躊躇いを隠せなかった。ここまでの道中でどうにか自分を納得させたつもりだったが、いざ目の前にすると動けない。この子はあまり人と関わり合いになりたそうに見えない。他にも五等星はいるのだからそちらを当たった方がいいんじゃないか。そんな想いを言い訳に彼女は最初の一歩が踏み出せない。
ただしそれらは全てロロには関係のないことだった。瑞葉の視線から目的の人物と気付いたロロは僅かな間も置かずに少女の手を掴んだ。
「なあ、五等星の冒険者なんだよな。俺たちもそうでさ、俺たち見ての通り二人じゃん。それで依頼を受けるのにもう一人必要で、一緒にやろうぜ!」
「え、え?」
「とりあえず宿に行こう。細かい話はさ、何か食べながらしようぜ」
手を引いて少女を立ち上がらせる。少女は突然の出来事に混乱して為すが儘になっている。瑞葉も口をぽかんと開けて驚き固まっていた。
「行くぞ! 俺たちの輝かしい未来が待ってるぜ!」
「ま、待って、え、え?」
走り出すロロ、手を引かれているが故についていかざるを得ない少女。その光景に言葉も出ず立ち尽くす瑞葉。
「おーい、突っ立ってたら置いてくぞ」
手を振って叫ぶロロに瑞葉はどうにか一言絞り出す。
「……無茶苦茶だ」
こっちが悩んでいたのを力技で強引になかったことにされた。今更言っても聞きはしないだろう、瑞葉はそう思い小走りで駆け出す。前を行く二人に追いつくとさっき極力見ないようにしていた少女の顔を覗き込む。今見ると少し怯えているように見えた。
「ごめんね、私は瑞葉って言うの。これはロロ。あなたはなんて呼べばいい?」
「あ、そういや名前も名乗ってなかったな。悪い」
ロロが立ち止まって振り返る。足を止めた二人に対して少女は未だ警戒しているようだったが、やがて口を開く。
「私、ハクハクハク」
「ハクハクハク? なんかかっこいいな」
「そうかな」
彼女はロロの無邪気な言葉にほんの少し微笑む。その笑顔には不安と緊張に強張っていたものとは違う、年相応のあどけなさがあった。
ロロ、瑞葉、ハクハクハク。若い三人の冒険者が志吹の宿へ向かう。そこで待ち受ける冒険が一体どのようなものになるのか、それを語るのはもう少し先の話だ。