62.日常への回帰
虎狼ホンソウの国、翼獣の町。時間は夜、クビナシトラの群れとの戦いに勝利した人々は宴の準備で忙しなく駆け回っている。町の広場にはどこにあったのか巨大な鍋が幾つも用意され人々が持ち寄った食材がその中で様々に調理されていた。
怪我の軽い冒険者たちはその様子を眺めながら時に手伝ってみたり、子供に自らの武勇伝を語ったりしている。
そして怪我の重い者達は。
「おーい、包帯はまだあるか?」
「そろそろ無くなりそうなんで集めて来ます」
「頼んだ」
「痛み止めもついでに頼むぞ」
「はーい」
一ところに集められて治療中だ。中には立つのも困難な怪我を負っている者もいるが医者によれば命に別状は無いらしい。ただしばらくは冒険者としての仕事を行う事は出来ない者もいるようだが。
その中に数人の冒険者が周りを囲んでいる患者がいる。ロロだ。
「ロロ、左腕の感覚はありますか?」
「めちゃくちゃ痛い」
「なら大丈夫でしょう。しかし治療は長くかかりますよ」
彼の周りには心配そうに見つめるショウリュウの都から共に来た冒険者たちがいる。特に瑞葉は。
「本当に大丈夫ですか? あんな、腕が……。もう動かなくなっちゃうんじゃ……」
幼い頃から共にいるせいか人一倍心配しているようだ。その様子にはロロも困ったように苦笑いを浮かべるばかりだ。
「経験上動かなくなることは無いと思いますよ。一生腕が動かなくなる人はめちゃくちゃ痛いなんて言いませんから」
「……でも」
「瑞葉、あなたが不安がっていても仕方ありません。見てください、あののほほんとした顔を」
ミザロが指差した先には苦笑いを浮かべたロロの顔。そこには将来の不安など感じられず、ただただ今にも泣き出しそうな瑞葉にどうしていいかわからないといった様子だ。
「こっちはあんたの心配してるんでしょ!」
「わかってるって」
八つ当たりじみたその言葉にもロロは相変わらずの様子で対応する。
「俺は外を見て来るぞ」
「では私も」
安川とソラはその様子を見て問題ないと判断したのかそう言ってその場を後にした。実際ここは医療現場だ、ただの付き添いがあまり長居するのも邪魔になるだろう。
「外では宴なんだろ? 先行ってていいぞ」
まるで自分は治療が終われば外へ出られるかのような口ぶりだ。
彼の怪我は主に左腕であるが、それ以外の場所に全く何も無いわけでは無い。おそらく戦っている間は痛みも忘れていたのだろうが、今は全身が悲鳴を上げているはずだ。無理に出歩くのを医者が許すとは思えない。
それに、瑞葉も。
「今日はここにいるから」
それだけ言って彼女は彼の傍を離れようとはしなかった。
ミザロはそんな様子を見てちらりとハクハクハクの方へ視線を向ける。
「あなたはどうします?」
その問いにハクハクハクは外とロロを交互に見つめる。そしてその視線はロロの方で止まった。
「わ、私も、残り、ます……」
「そう……、なら適当に食事を持って来るわ。ロロに無理はさせないように」
そう言ってミザロはその場を去った。
外の喧騒は人々の生命力に満ちているようで騒がしいながらもどこか心地良さを感じさせる。特にあのような戦いがあった後では猶更だろう。
安川とソラは様々な料理が振舞われているという話を聞き町の広場へと向かっていた。その道中では。
「あんたら山河カンショウの国から来たって冒険者だろ! これ食ってくれ! 十年物の干し肉だ。ここまでのは中々無いぞ」
「ちょっと待ってくれそこの二人組。これを貰ってくれ、うちで作った酒なんだ。今日は宴だから大放出だよ」
「あ、お兄ちゃんお姉ちゃん、これあげる。私の好きなお菓子なの、美味しいんだよ!」
様々な物を振舞われそれ以上何も持てなくなってしまう程に歓待されていた。
「ちょっと手を貸しただけでここまでもてなされるとはな」
「彼らも魔法の素晴らしさに気付いたんですよ」
少し困ったようにする安川に対してソラは上機嫌にそんなことを言う。実際にはここの住民は山河カンショウの国から来た冒険者たちが力になってくれたと聞いたぐらいで魔法がどうのなど考えてなどいない。しかしその内どのような戦いだったのかを聞けば少しは魔法の素晴らしさに目覚める者も出るかもしれない。……一人、か、二人、ぐらいの話だが。
そのような話はさておき、二人は宴の本会場である広場へ辿り着く。そこでは大勢の人々が集まり、既に出来ている料理に舌鼓を打ったり未だ作りかけの料理を見てまだかまだかと心待ちにしたりしている。
そしてクビナシトラと直接対峙した冒険者はその周囲を囲まれ武勇伝を語ることを期待されているようだ。ある人だかりの真ん中からは良く通るマイスの声が響いていた。
「砦を襲って来たやつの一撃を俺様が受け止めたのさ。そこで一瞬上の奴らが気を引いて隙を作るだろ? そしたらこの斧が火を噴いて奴を真っ二つよ!」
どうも少々話を盛っているようだ。実際には確かに攻撃を受けてはいたものの、倒したのは他の冒険者である。
「こりゃ語るのが好きな奴にはたまらんだろうな」
とはいえ他の冒険者たちも似たようなものだ。少々誇張し大袈裟にしながらも自身の活躍ぶりを声高々に語り続ける。住民達は事の真偽に関してはあまり重要視していない。今は皆の語る物語を楽しめればそれでいいのだ。
安川はそんなことをする気は無く気配を消しながら料理を攫って行こうかなどと考えていたのだが。
「おい、あれって山河カンショウの国の?」
「おお! そうだ間違いない」
道の真ん中で突っ立っていたものだから普通に見つかってしまう。
「あんたらの事は聞いてるぜ、ほらこれ食ってくれ!」
「ねえねえお兄さんたちのお話も聞かせて!」
「折角だからこれにサインしてくれ!」
あっという間に囲まれてしまい安川はしどろもどろだ。彼は普通に話をするのはともかく大袈裟な武勇伝を語るなんて恥ずかしいと思っている口だ。出来る事なら目立たずひっそりとやって行きたいものであった。
どうしたものかと悩む彼の一歩前にソラが出る。
「ではお話ししましょう。私たちがこの戦いで如何なる活躍をしたのか」
おおー、と歓声が鳴り拍手が響く。
「そして魔法が如何に素晴らしいものなのかを皆様にもお伝えしましょう!」
おおー? と困惑の声と首を傾げる者が続出する。
ソラは、大いに語った。実際にこの戦いの中で魔法を使う者達の役割は決して小さくは無い為に語ることなど山ほどあるのは確かだ。しかし彼女は事細かに、少々理論的な部分にまで突っ込んで語るものだから聞く側としては難解で退屈に感じる部分もあっただろう。
結果として話が終わる頃には聴衆は半分以下になっていた。
「ご清聴、ありがとうございます」
まばらな拍手がそれに応えるように送られる。それは如何に彼女の演説が物足りなかったかを示すものなのかもしれない。ソラはそれを気にすることなく後ろを向き。
「安川さん如何でしたか、今の演説は。あなたの心にもきっと響いて……」
既にそこにいない安川に話しかけた。周囲を見渡し彼を探すと、少し離れたところで子供の相手をしているのが見える。
「嬢ちゃん」
見かねたのか聴衆の一人が彼女に声をかける。
「何でしょう? あ、もしかしてあなたも魔法の素晴らしさに気付きその学びを得ようと」
「あんたの情熱は伝わって来たがちょっと俺達にゃ難し過ぎるぜ」
ソラは何度も聞かされたようなその言葉に思わず肩を落とす。
「俺達はこの鍛えた身体で色々やって来たからなあ。そんな難しい魔法の話をされても正直わからねぇんだよ。どうせやるならもっとどんな派手な魔法で敵を倒したかとか聞きてぇもんだ」
ソラは鍛えた身体を見せつけるその人に覚えた嫌悪感をどうにか表情に出さないよう苦心する。実際、その苦笑いは苦言に対するものであると解釈されたようだ。
去って行く住民を見つめソラは一人呟く。
「どうして誰も魔法の素晴らしさを認めてくれないのでしょう」
「そりゃお前のやり方が悪い」
いつの間にか子供の相手を終えた安川が後ろから声を掛けた。
「やり方とは?」
「あの大演説は確かに熱は籠ってたがあの内容を誰が理解できる」
「私は事細かに今回の戦いで魔法がどれだけ活躍していたかを説明しましたよ」
ソラの説明は確かに彼女の言った通りのものだった。例えばクビナシトラの砂嵐一つとってもそれが如何なる魔法によって引き起こされていたのかを子細に説明し、それが果たした役割や彼女自身説明しきれない疑問点までとにかく細かく細かく説明した。
それは例えるなら専門書の一頁を切り取って読ませるようなものである。
「興味を持ってるかもわからないやつに難解な説明をして誰が分かるんだよ。本当に魔法を使う人口を増やしたいなら入り口なんて大した事じゃなくていいんだよ」
安川は指先に小さな明りを灯す。
「それは?」
「さっきこれで子供と遊んでた」
その明りはちかちかと明滅したかと思うと飛び跳ねるように指先を離れ小さく弾けた。
「……ヨトゥクの魔法書に記されている練習法ですね。光を明滅させたり弾けさせたりすることで魔法制御をより高める、花火式でしたね」
「そうそう、たーまやー、ってな」
「は?」
「……まあ。ごほん、これが結構子供に人気でな。見た目に綺麗だろ」
安川は今度は複数の明りを灯し、それは次々に指先から飛び出して弾ける。たまたま近くを通った者は何気なくそれを見つめその光の美しさに魅了される。
「お兄さん、今のは?」
「ちょっとした魔法さ。本にも載ってるやつでね、綺麗だろう?」
「ええ、うちの子も気に入ったみたい」
声を掛けて来た女性は赤子を抱いており、その赤子は光を興味深そうに見つめている。
「それは良いな。ならもう少し派手にやろう」
安川はちらりとソラに視線を送る。彼女は少し溜息を吐いて、それから同じように明りを灯した。
しばらくの間、二人の周りには花火のような光を見つめる観客が集まりそれはそれは好評だったらしい。その中の数人はこれを切っ掛けに魔法に興味を持つようになるのだが、それを二人が知るのはずっと先の事だろう。
ミザロが広場に辿り着いた時、そこでは光の催し物が為されていたが彼女はそれを素通りして料理の方へ向かう。
「よう、クビナシトラの肉はいるか?」
そこに話しかけたのはマイスだ。先程まで武勇伝を語っていた彼は少し疲れたのかクビナシトラの肉を焼きながら身体を休めている。
「あなたは相当に酷い怪我だったと思いますが」
ミザロは彼が最終的には他の者に背負われて帰っていたのを覚えている。てっきり他の重傷者と共に横になっていると思っていたのだが。
「まあな。だが軽く動くぐらいは平気だぜ」
「……治癒系の魔法ですか?」
腕をぐるぐる回す彼の姿に怪我が既にある程度治っていると判断したようだ。そしてその問いにマイスは頷く。
「察しが良いな。自分の身体だけだが結構早く治るのさ」
人を治療する魔法の研究と言うのは世界中で当然に行われている。しかし実際にそれを為したという事例は少ない。快適な環境を保ち人が元から持つ治癒力を最大限に発揮させる、その程度のものが広く普及しているなかでは限界だ。
しかし一部にはその限界を突破した者もいる。元より体系化していない特異な魔法を扱う者は多いのだ、マイスはその内の一人であり自身の身体の治癒力を高めることで怪我などを素早く治せるらしい。
「まあこれだけ早く動けるのもあんたが親玉を倒してくれたおかげだ。ぜひ食ってくれ」
「ありがとうございます……。もう少し小さめに切って頂けると助かりますね」
彼が渡そうとした肉は巨大な塊であり、人の顔程もあるものだ。ミザロは別に大食漢という訳でもないのでそんな量はとても食べられないし、仮に無理に腹に詰め込んだとしても他の料理を頂けないのは少々寂しいものである。
「そうか? これにかぶりつくのが旨いんだがなぁ……」
彼は残念そうに肉を半分に切って渡そうとしたが、ミザロはあと三度ほど半分にするように言ったのだった。
広場には幾つもの鍋があり、幾つもの香りが混ざり合ってある種混沌とした印象を与える状態だ。少なくとも離れた場所からどの鍋で何の料理を作っているのか判断するのは困難だろう。目的の料理がある者は鍋の近くまで行って中を見るとその番をしている者と軽く話をして去って行く事も多い。
その中でミザロは無作為に鍋に近付いてはその料理を必ず貰い受けて行く。それを続けていれば必然その数は両の手で持てる量を超えてしまうわけだが。
「お皿が飛んでるよ!」
彼女の頭の上に幾つも浮いている皿を見て子供が声を上げる。大人たちもその様子を見て思わず口をあんぐりと開けていた。
「あー、ミザロさんは、目立ちたがりだったのか?」
その中の一人であった者、黒滝が彼女に声を掛ける。
「目立ちたがりというわけではありませんよ。ただ料理をロロ達に届けないといけませんから、運ぶにはこうするしかないだけです」
「あいつらこんなに食うのか?」
実際たかが三人では普通食べ切れないと思うぐらいの皿の数が既に彼女の上にはある。が、三人の中にはハクハクハクがいる。彼女は丙族でありその胃袋は普通では無い。
「余れば他の人にお裾分けをすればいいだけです。あちらの方々にも多少はこのお祭り気分を味わう権利はあるでしょう」
「……それは違いないな」
とはいえ彼女が丙族であることは隠しており、気付かれているのか気付かれていないのかわからないことだ。一々それを話す必要はない事だ。
「あー、話は変わるが……」
そう言うと黒滝は少し呼吸を落ち着けて、それからミザロの前に出る。
「ごほん。あなたのおかげで助かりました。ありがとうございます」
そして深々と頭を下げた。
「……律儀ですね」
「そうは言っても、もしミザロさんがいなかったら俺達はどうなってたか。それに他の方たちも、前で後ろで多くの助けになってくれた」
「偶然ここにいたからですよ。それに我々がいなければいないでどうにかなっていたかもしれません」
「その時はもっと被害が出てただろうさ。誰一人死なずに終えられたのは間違いなくあなたたちのおかげだろ?」
ミザロはこれ以上の謙遜は嫌味になることを知っている。彼女はこれまでも様々な場所で多くの危機から人を町を救って来た冒険者だ。こんな時にどうすべきかは知っている。
「明日、少しやることが出来ました。それほど感謝していると言うなら少し手伝ってくださいね」
「……ああ、勿論だ」
そのまま彼女は黒滝と別れる。その際に彼は三人にもよろしく伝えてくれと言い、ミザロはそれを快く了承する。
それからも彼女は何度か声を掛けられた。それは共に戦った冒険者であったり、彼女の事を本などで知った住民だったりしたのだが、そのようなことに慣れているようで相手を不快にさせない程度の会話をして歩き続ける。
ロロ達の所までもう少しだ。
天井を見つめながらロロは思う。
「寝てるだけって暇だな」
それを聞いた瑞葉とハクハクハクは今にも立ち上がって何かし出すんじゃないかと気が気ではない。
「絶対駄目だからね!」
「いや、別に跳びはねたりしようとか思ってないって」
「……本当に?」
ロロは若干視線を泳がせる。実際の所、酷い怪我をしているのは左腕であって多少出歩いても平気だろうと思っていたのだ。二人の監視の前でそうするつもりまでは無いようだが。
「……まあ、ロロがこんな怪我するのとか初めてかもね」
「そうなの?」
「あー、そうかも。こけて怪我したとかはあったけどこんな風な大怪我は初めてだ」
ロロは幼い頃から活発に外を走り回るような子供であったが大怪我をするような事は無かった。打撲や擦り傷程度は頻繁にしていたがそれ以上となると今回が初めての事である。
「腕、痛い?」
「ちょっとな。今は痛み止め飲んだからそこまで痛くない」
嘘である。痛み止めが効いて来たのは事実だが量が少なかったのか今でもずきずきとその痛みが襲ってきていた。
「そっか、痛いんだ」
そして瑞葉は当然のようにその嘘を見破った。
「そうなの?」
「……あはは」
苦笑いを浮かべるのは肯定に他ならないだろう。
ロロと瑞葉のやり取りを見ていると二人の関係はとても長くそして深いという事をハクハクハクは時々思い知らされることがある。
彼女は二人と出会ってからというものその多くの日を二人と過ごし様々な経験をして来た。志吹の宿に置いては既に彼らは三人組であると認識されているし、ロロと瑞葉も同じように思っているだろう。しかし幼馴染である二人と比べれば彼女が二人と過ごした年月と言うのは随分と短い。出会ってからまだ一年程しか経っていないのだから。
その事に何か問題があるわけでは無い。付き合いが短いと言っても二人の付き合いの長さと比較してであるし、二人との仲は誰もが認める程には良いのも間違いなかった。
要するにこれはハクハクハク個人の問題である。偶に幼馴染であるから知っている話が出て来ると羨ましさともやもやが同居したような感情が出て来る。彼女はまだその感情の名を知らない。
やがてミザロが宙に浮いた皿の数々と共に戻ってくると他の人たちも交えて小さな宴が始まる。人々は小さな身体に次々と料理を詰め込むハクハクハクの姿を呆然を見つめていた。しかしやがて彼女の健啖家ぶりに歓声を上げ始める。
「何これ」
「大食い勝負でもしてるのか?」
お土産を手に戻って来たソラと安川がその様子にぽかん、としている。実際、何人かが彼女に勝負を挑んでいたようだがすぐに白旗を上げたらしい。結局、ハクハクハクは彼らの持って帰ったお土産も平らげて観衆も大盛り上がりだ。
彼女の悩みは気が付けば忘れ去られてしまう。と言ってもすぐにまた同じ事を考える時は来るのだろうけれど。
夜が明けても宴は続いた。何でもクビナシトラの肉が山ほどあるので数日は続ける予定らしい。そして宴の騒ぎの中でも彼らは一つの大切な事を忘れてはいない。
クビナシトラの肉の中でも傷が少なく上等な部分が切り分けられる。彼らはそれに保存用の処置を軽く行うと荷車に載せて歩き出す。向かう先は翼獣の谷だ。
「こんな大勢で行っても良いんですか?」
「まあ大丈夫だろ。町総出で感謝を伝えたいって気持ちはわからんでもない」
今回、クビナシトラの群れに気が付くことが出来たのは一頭の翼獣が切っ掛けだ。誰も本気では信じていなかったこの町の歴史、しかしそれと同じように町の前に来て声を上げたその一頭の翼獣への感謝を彼らは忘れていない。故にこの宴の中で皆が集まって肉を届けに行こうとなったのである。
瑞葉と安川も折角だからとそれに付いて行っていた。
「しかしお前が来るとは思わなかったな」
その中で安川は素直な感想を伝える。
「……まあ、ロロの代わりです。行きたいって騒ぐのは分かってましたから、ちゃんと後でどんなだったか伝えないと」
ロロは話を聞いた時に即座に自身も行こうと立ち上がりかけたが当然こんな短期間で大怪我が治ることなど無い。本人は腕は痛いけど他は大丈夫などと言っていたが瑞葉の目を誤魔化す事は出来ない。
「多分腕だけじゃなくて色んな所がまだ痛いんだと思いますよ。マイスさんに聞いた話じゃ派手に飛ばされてたって事ですし色んな所を打ってるんでしょうね。腕以外は骨とか折れて無さそうなのは良かったですけど」
「先頭に立ってたのはらしいっちゃらしいがな」
「馬鹿なんですよ、単に」
「違いない」
二人の間に笑みが零れる。
翼獣の谷へ向かう人々の表情は明るい。感謝を伝える儀式は何事も無く無事に終わることだろう。
ロロはどんよりとした表情で目の前の必要以上に小さく切られた料理を食べている。
「……あー、俺も行きたかったなぁ」
彼はその怪我ゆえに当然居残りを命じられた。多少無理をしてでも折角だから行きたいという気持ちが強かったが全員が全力で引き留めた上に、あまり興味が無いというソラとハクハクハクの見張りが付いている。
結局、仕方なく暇を持て余すことしか出来ないのだ。
「二人がいない今ならこっそり抜け出したり……」
見張りの二人は先程料理を届けた後にちょっと外を見て来ると出て行った。と言っても遠くに行っているわけでも無いだろうし抜け出すなら正面入り口以外を使うことになるだろう。
「……ま、やらないけどな」
そこまで考えたところでロロは諦めて目の前の料理を食べる。弱っている時はお粥が良いと瑞葉が主張していたが、折角だからここの料理が食べたいというロロの主張を聞き入れた結果、消化しやすいよう料理は細かく切り刻まれている。
「うーん、何か食べてる気がしないんだよなぁ」
自分を思いやっての事なのはわかっているので誰かにそれを伝える事はしないが一人でいるとついついぼやいてしまうのもこの状況では無理はないのかもしれない。
彼にとってはろくに動けもせず誰かと話も出来ないのは想像以上に辛い時間だった。
「……一人だ」
天井を見つめる彼の目には取り付けられた魔力灯の明りが映る。彼の耳には彼と同じように重傷を負ってここで眠っている人の寝苦しそうな寝息や重苦しさを持った話し声が聞こえる。
ふと、彼は考える。
この場には自分と同じように傷を負い起き上がるのも難しい者達がいる。彼らはこの先どうなるのだろうか?
彼は幸か不幸かこれまでにそんなことを考えたことは無かった。一人、考える。空になった皿を脇の台に置いて寝転ぶと魔力灯の明りが眩しくて目を閉じた。
考えはまとまらず、何もわからない。そうしている内に微睡みが彼を襲う。疲労、痛み、それに痛み止めの作用もあるのかもしれない。自然に意識を手放して眠りに落ちて行く。
次に目を覚ました時、彼は何かを悩んでいた気はしたのだがそれを覚えてはいなかった。
臨時の救護所となっている建物の前でハクハクハクとソラは街並みを見つめている。そこには人の気配は無く、誰も彼もが後ろの建物の中か翼獣の谷へと向かったのだろう。他で残っているのは彼女らのような傷病人の世話をする者と警備の任を負っている者ぐらいだ。
しばらくの間二人は黙り込んでいたのだが、やがてソラが痺れを切らしたようで口を開く。
「わざわざ連れ出して何か話でもあるの?」
外で少し話そうと誘ったのはハクハクハクの方だった。故に彼女の方から話があるのだろうと見ていたのだが中々口を開こうとしない。無論、この旅の中でハクハクハクが内気で話をするのが苦手だと言うのは理解しており多少は待つ覚悟を決めていたのだが、流石に十分以上も黙りっぱなしと言うのは我慢がならなかったらしい。
「……えと、あの……」
それでもハクハクハクはしどろもどろに二、三意味にならない音を発するだけで何も言おうとしなかった。
察しの良い者であれば彼女はきっと何か言わねばならないと思ったものの上手く言葉に出来ないのだろうと思ってくれた事だろう。残念なことにソラは人の考えを察することの出来ない人間だ、さっさと中へ戻ろうかとも考えたようだが……。
あそこへ戻ってもねぇ。
ソラがここへ残ると決めたのは翼獣への感謝を示す例の風習に対してあまり興味が無いこともあるし、筋骨隆々の人々に混じって行軍するのも嫌だったからだ。では救護所はどうかと言えば、そこにいるのは大怪我を負った冒険者たち。彼らは当然鍛えられた肉体を持っているし、そうでなくとも怪我人の呻き声が聞こえるような場所にいては気が滅入るばかりだ。
「魔法をさ、教えてって言ってたじゃない」
だからこの話を始めたのは彼女がハクハクハクの事を考えたからではない。ただ単に中へ戻らない口実を欲しただけなのだ。
「あなたには向いてないと言ったけれど」
「……はい」
「教えてあげてもいいのよ」
ソラはこの言葉をきっと喜ぶだろうと思って言った。そしてそのまま流れで簡単に自身の魔法を教える事になるだろう、と。しかし時間をかけてもそれは実らず時間ばかりを浪費していくような感覚には襲われるかもしれない、ただそうなれば中へ戻らない口実にもなるのでそれでいい。
それが彼女が考えたこの先の事だ。
「……ソラ、さんは、その……、えいゆ……。凄い冒険者って、どんな人だと、思います、か?」
故にその問いに対しての反応はかなり鈍かった。聞いた瞬間には全く理解できず、聞こえた音を時間をかけて分析してその質問をようやく理解したのだ。
「凄い冒険者? ……そんなの『遊剣』みたいな人でいいんじゃないの?」
そして理解したとて質問の意図までは分からない。結果として万人がそう思うような答えを出すまでだ。
「ミザロ、さん……、凄いですよね」
「まあねぇ」
結局クビナシトラとの戦いの中で最も重要な役目を果たしたのは彼女だったっと言っても過言ではないだろう。広大な範囲に砂嵐を巻き起こすことのできる変種をたった一人で傷一つ無く討伐してしまったのだ。かつてはすぐに一等星になるだろうなどと言われていただけの事はあり、ソラは彼女を相手にするならあの場にいた冒険者全員でかかったとてどうにもならないだろうとさえ思っていた。
故に彼女は間違いなくハクハクハクが尋ねた凄い冒険者に当てはまるだろう。
「どう、やったら、ああなれる、と、思いますか?」
次に来たその問いに対してソラは思わず口を噤む。
ソラは間違いなく努力家の類と言っていい。肉体を鍛える事こそ嫌っているものの魔法に関しての情熱と努力に関しては人一倍だ。魔法師を自称することを誰もが認める程に彼女は日々魔法の研鑽を行っている。
そんな彼女から見てミザロはどのように見えているのか? 実のところ二人の歳はそう離れていない。近い時期に冒険者となった二人だが一方は一段一段ゆっくりと上っている最中であり、一方はその横を一瞬で駆け抜けてもはや目に見えるかどうかも分からないほど遠くへ行ってしまった。
歳は同じぐらい、性別も同じ、冒険者になったのも同じ頃、それなのに遥か遠くにいる。その事実はソラに才能という二文字を意識させた。
努力はして来た、周囲からは異常だと言われるほどに魔法に打ち込んで来た。しかし彼女にとってミザロの姿は遥か彼方にありどうすればその背を追えるのかわからないどころか追おうと思えないほどに遠い。寧ろミザロはまだ良い。彼女は特別魔法を得意としている者ではない、魔法の技量で上回るのは夢では無いはずだ。しかし魔法に置いて才能溢れる者が下にいる。
瑞葉とハクハクハクは冒険者として本格的に活動を始めてたったの一年程しか経っていない。にも関わらず既にある点においては間違いなく彼女を凌駕する才能を見せている。瑞葉の魔力制御や魔法を身に付ける速度は異常と言ってもよく、もう一年経った時には既にソラの手の届かぬ場所にいるかもしれない。ハクハクハクはその生まれついての魔力量とそこから生まれる魔法の威力が既に彼女の力を大きく超えている。
どれ程魔法に身を捧げても彼女は才能が無い。今はソラにしか出来ないと言われるダウジングの魔法もいずれその仕組みを理解しより効率的な方法で運用していく者が現れるだろう。魔法の発展は喜ばしいことだ、しかしそこに自身の名が残るのかは……。
黙り込んでしまったソラは唇を固く結びどこか怒りを覚えているかのように拳を固く握っている。しかしその目の奥には怒りよりも哀しみが色濃く出ているように思えた。
まずい事を聞いてしまったのだろうか、ハクハクハクはそう思った。しかしどうにか話題を変えねばならないと思っても今更どうにもならない。だからこそ。
「あの、ソラ、さんは……、なんで、魔法が好き……、身体を、鍛えるのが嫌いで……、どうしてですか?」
敢えて踏み込んだ。それは無意識に瑞葉の行動をなぞったのもあったが、彼女自身聞いてみたかったのかもしれない。理解が及ばないからこそ、知りたくなった。
「……あなたたちは私を怒らせるのが本当に好きね」
そして当然その問いにソラは怒りを覚える。瑞葉の時のように襲って来るかもしれない、そう思ってハクハクハクは自身の魔力を練り上げていたが。
「……別に何もしないわ。この状況、この場所で問題を起こすほど馬鹿じゃ無いわ」
そう呟いてからしばらく黙り込んでいたが、やがて彼女はほんの少しだけ本音を漏らした。
「知ってる? どれだけ身体を鍛えても向かう場所が最前線になるなら一番初めに死ぬのはその人なの」
それがソラの父がそうなったが故のものとまではハクハクハクにはわからない。しかしそれが本音の一部であると言うことぐらいは察することが出来た。
或いは、彼女にとって身体を鍛える事は父の死と深く結び付いて離れないのかもしれない。それ故に忌避し取り乱し目に触れぬよう逃げ惑う。
少しだけ憑き物が落ちたようにソラは遠くを見つめる。僅かばかりでも本音を漏らしたことでどこか心の奥にある荷を下ろすことが出来たのだろうか。剣の取れた表情を見てハクハクハクは安堵の息を吐き、それから。
「……あの、さっきの、魔法、教えてくれる……、みたいな……」
図々しい願いを申し出る。実際彼女は自身の聞きたいことが先にあったからソラの言葉を流していただけで、それ自体には非常に興味があったようだ。
「……そうね」
そして彼女の申し出に対しソラは笑顔を見せる。それは魔法への向上心溢れる者への優しい笑み、ではない。
「実は少し思い出したことがあってね」
その言葉と共に彼女は指先に光を灯す。それは丁度昨日に安川と共に光の催しを開催した時のように彼女の掌を跳ねて弾ける。
「……綺麗」
「これは魔力制御の訓練の一つなんだけどね。単なる光は出せる?」
「た、たぶん……」
「まあそう難しい物じゃないしすぐに出来るようになるわ。それに光は便利よ。暗い所で明かりがあるのと無いのでは話が全く違うでしょう?」
「は、はい」
ソラはハクハクハクに光を灯す魔法のやり方やその要所を説明する。その懇切丁寧な様子にハクハクハクは自分なんかの為にここまで親身になってくれるそのことがありがたく、時折暴走することはあるもののソラは人の為に何かを出来る優しさを持つ人物なのだと尊敬もした。
「……あ、で、出来ました!」
「やっぱりね。魔力の使い方が大雑把過ぎるけど色々なことが出来る下地はあると思ってたのよ」
「これを、その、さっきみたいに、動かしたら?」
「そうそう。それを繰り返して行けば魔力制御も少しは身に付いて行くと思うわ」
ハクハクハクは早速試すのだが、想像以上に自身の思い通りに動かすのは難しいとすぐに気が付く。ソラがやったそれは指にぴたりとついたままぐるぐると回っていたかと思うと次の瞬間には飛び出して空中で星形を描き、かと思えば逆の手に飛んで行き指の間を擦り抜けて往復するなど息つく暇も無いほどに動き回っていた。ハクハクハクは指の周りで思い通りに動かすのも随分と神経を使うようでどっと疲れが溜まるのを感じていた。
「疲れた?」
「は、はい……」
「でもそれを繰り返すのが大事よ」
「はい」
「特に子供が通りかかった時がおすすめね」
「はい……、え?」
ハクハクハクは思わずソラの方を見る。彼女は全くふざけた様子のない真面目な表情を見せている。ただそこからは不思議とただならぬ圧力を感じた。
「でも親世代を狙うのも悪くない戦略ね。子供をあやすのに使えるし」
「……えっと?」
「こういう見栄えがするものを使って魔法を布教するってのは中々良い案だと思わない? 昨日も子供たちが興味津々に見ていてね、どうやってやるのかって聞いてくる子もいたわ。だから昨晩そうやって聞かれた時の為にどう教えるか考えてまとめたのよ。さっきも分かりやすかったでしょ?」
ハクハクハクはもう何も言えなかった。先程ソラの本音に僅かとはいえ触れたせいか彼女の事を知った気になっていたが、そんなのは戯言に過ぎないと思い知らされた気分だった。
「とりあえず中で寝ている人たちに見せましょうか。こういったもので気分を安らがせるのも一つの案だと思うのよね。さあ行きましょう!」
その後開かれた催しは意外にも好評だったらしい。ただそれは小さな子供のように見えるハクハクハクが健気に頑張っているのが受けただけという事は黙っておくべきだろう。
疲れ切った様子でハクハクハクがロロが横になっている辺りへ向かう。
「凄かったな! さっきの、魔法なのか?」
「うん、あの、ソラさんに教えてもらったの」
彼女が指先の辺りに光を灯しぎこちなくも動かし始めるとロロは拍手と共に歓声を上げる。照れて赤くなりながらも彼女は嬉しそうに頬を緩めた。
「いつの間にこんなの覚えたんだ」
「あ、さ、さっきね。教えてもらったの」
「そんなすぐ出来るのか? これじゃ俺がしばらく休んでる間に置いてかれそうだな」
何気なく言ったロロの言葉に対しハクハクハクは。
「ま、魔法なら一緒に勉強できる、よ!」
妙に気合を入れてそう言った。その勢いにロロは一瞬面食らったが。
「それもそうだな! せっかくだし俺にもそれ教えてくれよ」
「うん!」
こうして二人はああでもないこうでもないと言いながら指先に光を灯す。ハクハクハクは二人でこうしている時間をどこか瑞葉に後ろめたいと感じていたが、その一方でどこか優越感のようなものを感じていた。
瑞葉ちゃんのいない、二人だけの時間……。
そう思うとなぜだか顔が赤くなるのを集中しているからと誤魔化しながら時間は過ぎて行く。
クビナシトラとの町の存亡をかけた戦いは終わり人々は日常に戻って行く。一日、一日と日が過ぎて行きショウリュウの都の冒険者たちもそろそろ家へ帰る時だろう。




