57.魔法の講義
虎狼ホンソウの国、翼獣の町。その町中を走り回り四人の冒険者がいる。彼らはショウリュウの都から来た冒険者であり、何を思ったか異国の地に来たにも関わらず共に来た者からの依頼を受けるという傍から見てどうにも疑問の残る行動をしているのだった。
「……虎狼ホンソウの国に来てやることがこれでいいんだろうか?」
その内の一人、瑞葉は実際にそう口にして走るのに疲れ段々と速度を緩めついには歩き出す。
「まあ確かに安川さんがソラさんの付き纏いに迷惑してるのは分かるんだけど……。ショウリュウの都に帰ってからでも良かったんじゃ?」
そんなことを呟いて彼女はとうとう足を止める。
ロロ、瑞葉、ハクハクハクの三人は共にここへ来た安川の依頼を受けた。その内容は共に来た魔法師を自称する冒険者、ソラがなぜ魔法へ執着するのかを突き止めるというものだ。そしてついでに安川の魔法の秘密を探ろうと付き纏ってくるのを止められれば猶良し。
ソラは今、翼獣の町の冒険者である黒滝を半ば強引に連れてどこかへ行ってしまった。安川はそれを好機と考え、他国の冒険者に迷惑を掛けてはいけないという当然の道理を説くと共に魔法に執着する理由を聞き出せると考えたらしい。
瑞葉はその考えに筋が通っている部分もあると感じその場は納得したのだが、実際に異国の街並みを走っているともっと他の事に時間を使いたいような気もしてくるのだった。
「……あそこで売ってるのはお餅かな? 美味しそうな匂いがする」
まして立ち止まった場所の近くで何やら香ばしく食欲のそそる匂いを発する店があれば猶更だ。
「ちょっと買って行こうかな」
瑞葉は食べ物でソラさんを懐柔する手もいいかもしれない、そんな言い訳を携えて店の方へ歩き出す。
「すいません、これって何ですか?」
「ん? おいおい、翼饅頭を知らねえのか? お嬢ちゃんどっから来たんだ?」
「山河カンショウの国のショウリュウの都って所です。知り合いがここに用事があって一緒に付いて来たんです」
「ショウリュウの都ぉ? はー、遠いとこから来たんだなあ。あれだろ、冒険者発祥の地ってやつだ」
「そうですね」
「まあんなら翼饅頭も知らねえわなあ。これは肉餡を餅で包んで醤油を塗って焼いてんだよ。昔からのこの町の名物だ」
食欲をそそる匂いは醤油が焦げた時の匂いのようだ。瑞葉は甘味では無かったがこれは中々美味しそうだと購入を決める。となると幾つ買うかが問題だ。
「今手持ちがこれだけなんですけど何個買えます?」
「んー? そうだな、ほんとなら二個だが、遠くから来たってんだ。それで三個でもいいぞ」
思ったより高いな、と瑞葉は思う。国が違うと物価も違うのだろうかと思い悩み、そしてふと思い出す。
『だから頼むぜ、ここでの食費の一切は俺が持ってやるからよ』
これは少し前に安川が発した台詞である。彼は依頼の報酬に食費を持つことを約束したのだ。当然それは目の前の美味しそうな翼饅頭にも適用されるだろう。
「じゃあ三個お願いします! 美味しかったらまた買いに来ますね!」
「おっ、じゃあ一番いい焼き加減のやつを取ってやるよ」
瑞葉はほくほく顔で翼饅頭を受け取る。歩き出した彼女は早速まだ熱々のそれを口に入れた。
「……熱っ! い、けど……。美味しい」
甘めの醤油と餅の相性は語るまでも無く、中に入った肉餡から染み出る肉汁も旨味が抜群だ。
「……これは楽しみが増えたね」
瑞葉は翼饅頭を一つ食べ終えると残りを懐に仕舞い走り出す。
彼女の悩みは解決したのだ。ソラを探し、安川の依頼をこなす。そうすれば道中に見かけた美味しそうな食べ物をたっぷり買うことが出来るだろう。とりあえずは家に持って帰るお土産選びが一番の楽しみかもしれない。
ソラを初めに見つけ出す者は誰なのか。その答えは実のところわかり切っていた。彼女の居場所に関する手掛かりは黒滝を引っ張って行く直前の会話で広い場所に行こうとしていると言っていただけ。土地勘も何も無い彼らにはそれがどこなのかはわからない。となれば最初に見つけることが出来るのは何らかの手段によって人を探す術がある者、だ。
例えば音を操る魔法。
「……たぶんあっちだな」
安川は物見櫓の上で周囲の音を聞いている。彼の魔法であれば周囲の物音を増幅してより鮮明に聞くことが出来る。そこに彼の経験や勘が加わればその中から必要な音だけを抜き出すことも可能だ。
彼は櫓に登らせてくれた管理者に礼を言うとソラらしき人の声が聞こえた方へ歩き出す。
「……あー」
そんな彼の後ろに一つの影があった。
「別に隠れて付いて来る必要は無いだろ」
「え、あ……、あぃ」
思わず彼は声を掛ける、そこにいるハクハクハクに。
ハクハクハクと安川が並んで歩いている。お互いになんとなく気まずそうにしていて傍から見ているとどういう関係なのかと何やら心配になりそうなほどだ。一部の正義漢は思わず彼らに声を掛けようとしたぐらいだが、安川が数歩先に行くと遅れまいと駆け寄るハクハクハクを見て何も言わず黙って見守っていたらしい。
「……思うに、俺に付いて行くのが一番早く見つけられる、そう踏んで俺の後を追ったんだとおもうが……。この予想は合ってるか?」
「は、はい」
皆で手分けして探すとなった時、ロロは真っ先に駆け出し瑞葉はその後を追うように走り出した。残された安川とハクハクハクはしばらく見合っていたが、やがて安川が一人でどこかへ向かって行ったのだ。その後ハクハクハクがどうしたのかを知る者はいなかったが、彼女は闇雲に探しても見つからないだろうと安川の後を追って行ったらしい。
「なるほどねえ……」
安川は目の前の小さな丙族の少女を見つめる。彼が知っている彼女は内気で弱弱しい印象と裏腹に並の四等星では太刀打ちできないほどの魔法を操る才能の原石、そんな印象だ。人と積極的に関わる印象は無く、自分がした今回の依頼にも当然乗り気では無いだろうと思っていた。では今彼女が行っている行動はどう評価すべきだろうか?
最も早くそして楽に見つけられるであろう手段を彼女は講じている。元々何か発言することこそ無いが鋭い一面は持っていると感じていたのでその点に不思議はない。が、それをわざわざ一人で行っている点はどうだろうか? 事前に言えば探すのは安川に任せてソラの説得を三人で行う方向へ持って行けたのではないだろうか。
「……まあいいか」
しかし彼は考えるのをすぐにやめた。仮に彼女の中で何らかの心境の変化があったとしてこれが悪い変化だとは思えない。たまにはロロ達に頼らず人と触れ合うことも必要だろう。
結局ハクハクハクはその心を内に秘めたまま安川と二人、順調にソラの元へと近付いて行く。
ソラが黒滝を連れて向かったのは町の外だ。土地勘の無い彼女にはどちらに向かえば様々な魔法を使っても周りの迷惑にならないような場所があるのかなどわからない。しかし町の外であれば、広大な平原が広がるそこならば多少暴れたところで何の問題も無いだろう。
「さあ! ここまで来ればいいでしょう! ぜひ、ぜひ、あなたの魔法を見せてください」
興奮した様子で声を張り上げるソラに対して町の外まで引っ張って来られた黒滝は呆れたように彼女を見ていた。
「魔法を見せろと言われてもなあ……」
中々に長々と連れ歩かれたものだから彼はその間に随分と冷静になっていたらしい。今はどのようにして穏便に目の前にいる奇人変人の類である冒険者から逃げ出すかを考えている。
「……まあ、少し座ろう」
そう言って彼は地面に胡坐をかいて座る。ソラは魔法の準備だろうかと思い期待と共に地面に正座して座った。
黒滝は優秀な冒険者だ。彼は主に魔法で周囲を支援する役目を担っており、共に依頼に行った相手からの評判も良い。周囲のことをよく見ていて神経質なぐらいに細かい所まで気にしていると。それは彼が人付き合いを苦手だからこそであり、冒険者という彼の選んだ道に必要な人付き合いを問題なくこなす為に細心の注意を払っているのだ。
逆にそこから一度離れたならば、彼は正にぽんこつだ。これまでに話したことも無いような美人に期待の籠った視線を向けられれば顔を赤くしてはにかんだ。
「……魔法を見せればいいんだよな?」
「ぜひ!」
先程逃げ出そうと考えていたのはどこへやら流されるままに生きるのみ、どこか悲哀すら感じる悲しい生き方だ。
黒滝が太陽に向けて手を掲げる。自然とソラの視線も上を向いた。彼の手は指先をはたはたと揺らして今にも何か起こるような期待を煽る、が、何も起こらない。
「あの……」
文句を言おうとしたソラは思わず目を見開いて口ごもる。いつの間にか黒滝の胸から下は無く、風が気持ちの良い風が通り抜ける野原が見えている。
直後、風が一際強く吹いた。野の草花が揺れて音を立てる。土と草花の香りが鼻腔をつく。そしてその風に溶けるように黒滝の姿が音も無く消えて行った。
「……これは」
黒滝の透明化の魔法、これをソラは既に知っている。食堂において彼女はそれを魔力視の技術によって見破ったのだから当然だ。
しかし今、彼女には黒滝の居場所は掴めていない。
「……魔力視は万能ではない、という事ですね」
魔力視は魔力を視る技術。高位の冒険者には必須とも言える技術で例えばそれを扱うことで相手が地面に魔力を通せば地面から何かが襲ってくるであろうことを想定するなど、他人の魔法の特性を解するのに重要になる技術だ。
裏を返せば魔法を扱う者にとっては目の上のたんこぶのような存在である。魔力が目に見えないからこそ奇襲をしたり気付かれずに行動をすることが出来るはずがそれが敵わないのだから。
ならば当然彼らは考えるだろう、魔力視を封じる方法を。
「これは……。目の周りを魔力で覆うことで魔力視を使うと視界が塞がれるという訳ですか」
今回の場合、単純な方法だ。本来見えない魔力を視る技術を使うなら視界を全てそれで覆ってしまえばいい。
「透明化の魔法は隠密行動に適しているようで適していないという不思議な性質を持っている、と俺は思う」
ソラは後ろから聞こえた声に振り向く。しかし彼女の目が捉えたのはどこまでも広がる平原のみ。
「目に映らないというのは立派な利点だが、一方で全身を魔力で覆うのだから魔力を感知する技術の前では明らかに不自然に映る。つまりこれをより強力に使うには魔力感知に引っ掛からない方法を考えなければならない」
今度は町の方角からだ、当然そこにも彼の姿は無い。
「魔力視は最も多くの者が扱う魔力感知技術だ。最低限これを誤魔化せないなら透明化を使ってもあまり意味は無い。今みたいに一対一で相手するなら、これが最善だろう」
なぜだか頭上から声が響く。ソラは思わず驚きと共に空を見上げた。
「さあ、今俺がどこにいるかわかるかな?」
その問いにソラは思わず生唾を飲んだ。相手は間違いなく透明化の魔法について自身よりも博識で実践的な経験を持っている。その事実が何よりも喜ばしく、そして魔法の深奥にまた一歩近付く実感を彼女に与えるのだ。
気が付くと彼女はえもいわれぬ程の極上の料理を口にした時のような表情を浮かべている。それは彼女自身の美貌も相まって周囲の者を虜にするような笑みだ。
「……あ。……えっと」
「……何してるんですか?」
その状況を瑞葉とハクハクハクがじっと見つめていた。蠱惑の笑みを浮かべるソラと、透明化している為に姿こそ見えないがソラの目の前で彼女の顔をじっと見つめているように見える魔力の塊を。
瑞葉とハクハクハクが合流したのは全くの偶然だ。
真っ先にソラのおおよその居場所を掴んだ安川とハクハクハクは一直線にその方向へと歩き続けた。徐々に距離が近付くにつれて聞こえる音も大きくなり安川はソラ達の位置に確信を得たところでハクハクハクにそれを伝えて遠巻きの監視に切り替えたらしい。残されたハクハクハクは当然二人の元へ一人で向かうわけだが、その足取りは重かったという。彼女はとある理由で二人の元へ向かうことを決意していたのだが、それはそれとして人と話をしに行くというのは彼女にとって大きな不安を煽るものだったからだ。
対して瑞葉は初めこそ闇雲に走り回っていたがすぐにこれでは見つけるのは難しいと感じていた。故にお菓子を食べながらソラがどこへ向かったかについて考え出したのだ。よくよく考えてみればこの町の知識に関してはソラと瑞葉で大きな差など無い。それを踏まえて魔法を使っても迷惑にならない広い場所がどこにあるのかを考えたのだ。そして一番初めに思い付いたのは町の外だ。故に彼女は一旦外を目指し、そしてそこで偶然にも二人は合流したのである。
それは二人にとって喜ばしいことだ。ただハクハクハクは一瞬喜んだ後にどこか沈んだ表情を見せたようだが。
そして今、二人の目の前には少々落ち着きを取り戻したソラと姿を現した黒滝がいる。
「えっと、さっきは何を?」
しばらく押し黙っている二人に瑞葉が問い掛ける。黒滝は視線を逸らすばかりで何も言おうとしなかったがソラは何ら後ろめたいことなどないかのように声高に答える。
「先程は黒滝様に魔法を見せて頂いていたいました。おそらくお二人からは分からなかったと思いますが透明化の魔法をより実践的に使う方法です」
「そうなんですか?」
瑞葉は訝しむような視線を黒滝に向ける。彼女ははっきりと黒滝の事を疑っていた。なにせ先程の行為が透明化の魔法を実践的に使う方法に見えたかと言うとそのはずが無い。瑞葉から見た黒滝は自身が見えないのを良いことにソラに何かしようとしていたのでは、そういう風に見えた。
「彼女の言葉通りだ」
「でも」
「そもそも透明化の魔法には大きな欠点がある。実際に魔力視で見てそのことは分かっただろう? だから俺はそれに対しての対応策を実践していたのだ。ソラさんの目の前にいたのはすぐそこにいても分からないという事実を見せる為であって他意は無い」
黒滝は若干、いや、かなりの早口にそして一息にそう言い切った。それは逆に他意があったことの証明のようですらあったが瑞葉は敢えてそれ以上突っ込みを入れるのを止める。そもそも無理矢理引っ張って行ったのはソラの方であり多少の役得はあるべきだと思ったらしい。
「あ、あの」
話が途切れたところでハクハクハクが手を挙げた。
「その、透明化の、その、対応策? って、どんな、の、ですか」
ソラと黒滝が顔を見合わせる。直後、黒滝が落ちていた石を拾い上空へ投げた。その後は語るまでも無いことだが、一つだけ言っておくと瑞葉とハクハクハクが彼を見つけるまで十分以上はかかったらしい。
黒滝によって大いに振り回された瑞葉は陽射しの眩しさに目を細めながら自分は何をやっているのだろうと思っていた。本来の目的を忘れてしまっているじゃないか、と。
ソラを見ると彼女は黒滝の魔法について彼に質問攻めをしているところだ。瑞葉は二人の質疑応答をぼんやりと聞きながらどうやって軌道を修正しようかと考えている。
ふと、ちらりと隣を見ると隣ではハクハクハクがその質疑応答の内容を紙に書きとっているようだった。彼女はそれを見て思わず首を傾げる。今更ながらだが瑞葉はハクハクハクの行動に疑問を覚えていた。
今にして思うとここ最近のハクハクハクは妙にやる気に満ちている。今こうしてソラを見つけたのもそうだ。この場所に当たりを付けた方法に関しては道中で聞いているのだが、もしも瑞葉と合流できなかったとしたら彼女は一人でここまで来ていたのだろうか? よくよく考えれば虎狼ホンソウの国へ来ると決めた時も前向きで自分から行くことを望んでいたようだった。他にも考えて行くと色々と違和感を覚えるようなことがぽろぽろと出て来る。
そこまで考えて瑞葉は自分は何を考えているのかと正気に戻る。確かにそれは出会ったばかりのハクハクハクからは考えられないような行動であるが、決して悪いことではない。寧ろ友人が良い方向へと変わったのであればそれは歓迎すべきことではないか。
それよりも今は安川の依頼をどうこなすかについて考えるべき、そこまで考えて気が付く。
ハクハクハクがその依頼をこなす気が無いのではないかという疑念に。
ハクハクハクはソラの問いとそれに答える黒滝の言葉を可能な限り一言一句漏らさず紙に書き写して行く。ただ、そこで行われている問答は彼女にとってはあまりに高度な物ではあった。
そもそもハクハクハクの魔法はその膨大な魔力により威力に関しては目を見張るものがある。その一方でそれを制御することに関してははっきり言って下手糞だ。彼女は的を破壊することは出来ても的の中心にのみ穴を開けることは出来ない、なぜなら彼女が魔法を放つ時その威力を小さな的の中心にのみ絞ることは出来ないからだ。
そういう意味では彼女の十歩は先を行くこの場の問答を記録する意味はあまり無い。にも関わらず彼女は真剣にその行為を行っている。
ふと、ソラ彼女が自分たちの問答を記録しているのに気が付いた。
「……あなたも魔法に興味があるのね」
彼女は慈愛に満ちた微笑みと共にそう言った。ソラは魔法師を自称している、しかしそれを自身だけの名とするつもりは無い。魔法に興味を持ち探求の道を行く者は皆、魔法師を名乗る資格があるのだ。
「透明化の魔法が使えるのか?」
黒滝も自身の言葉を書き写すハクハクハクに興味を持ったのかそんなことを尋ねる。当然、ハクハクハクは首を横に振ったわけだが。
ハクハクハクの使える魔法は大抵の物が攻撃的なものに偏っている。一応、感知系のものもあるがかなり力業なところがあってある意味では非常に彼女らしいものだ。透明化の魔法など彼女は使う想像すらしたことが無かった。
「ならあなたは新しい魔法を身に付けようとしているのね」
ソラの言葉にハクハクハクが頷く。
瑞葉は頷くハクハクハクの姿を見つめている。彼女は思う、ハクは最近少し前向きになっている、と。それは良いことだ、後ろ向きな考えが多く人見知りがちでいつまでも誰かに頼りきりのままで良いはずなど無いのだから。きっと彼女は安川の依頼をこなす為では無く、ここに彼らの魔法の講義を聞きに来たのだろう。これから先、より力のある冒険者を目指す為に。
では自分の中にあるこの気持ちは何だろう?
瑞葉は今のハクハクハクの姿を見ていると心の内に何かもやもやとした感情が生まれるのを感じていた。その感情はなぜか今の彼女に口を出して止めようとしている。彼女の成長を妨げようとしている。
本来その理由と向き合うのは難しい事なのだが、瑞葉は自身の自己評価の低さ故にその理由にすぐに気付く。
これは嫉妬だ。或いは、もっと卑怯な考え。彼女はハクハクハクに弱いままでいて欲しかった、自分に頼り切りでいて欲しかった。下を見て安心する、そんな下劣な考えを自分は持っていたのだと瑞葉は気が付く。
前向きになって歩みを進めて行けばいつかハクハクハクは自分を置いて行ってしまうだろう、そんな考えが彼女の頭を過る。それは本来喜ばしい、友の成長という喜ばしい事のはずが今の彼女はそれを素直に喜べないのだ。
しかし今これに気が付けたのは僥倖だ。このまま黙って見ていれば彼女は友が学ぼうとすることを妨げずに済む。彼女自身も黒滝の話に興味があるのだ、耳を澄ませて黙っていればいい。
ただ、瑞葉はそういう訳にもいかない事情があった。
彼女の耳にソラの言葉が響く。
「魔法は素晴らしいわ。私が魔法師を名乗るのも魔法の素晴らしさに気付いたから、人々に可能性をもたらすそれはきっとあなたにも大きな可能性を分けてくれるわ」
それは本来の目的へと軌道修正するのに都合が良いと感じる言葉だ。
彼女は安川の依頼を果たさねばならない。ソラが魔法へ異常とも言える執着を見せる理由を見つけ、可能であれば安川への付き纏いを止めるのだ。
なぜならば彼女の財布の中身はここに来る道中ハクハクハクと食べたお菓子によって消え去ってしまったのだから。
瑞葉は先のソラの言葉を聞いて事前に事前に考えていた言葉を被せる。
「確かに魔法も良いですけどやっぱり体も鍛えた方が良いんじゃないですか?」
人から話を引き出す方法は幾つかある。例えば相手に同調し気分良く喋らせて行く方法、これは相手の機嫌を損ねることなく色々な話を聞くことが出来る為に様々な場面で使いやすいだろう。それはつまり安川もそれを使っている可能性が高いという事だ。
瑞葉は敢えて意見を一致させないことを選んだ。
「獣や魔物と戦っているとやっぱり最後は体力が物を言うって感じがするんですよね。追うにしても逃げるにしても体力が無いとやっぱり駄目と言うか――」
長々と語りながら瑞葉はソラの様子を、その一挙手一投足を観察している。彼女にとってソラは未知の部分が多い人だ。一緒に依頼を行ったこともあるがその時は他にも大勢いた上に直接会話するようなことはほとんど無かった。翼獣の町へ来るまでの時間にも少し話をしたぐらいで、精々知っているのは彼女が魔法をとても好きだということぐらい。
ただ一つだけ大事なことを知っている。
『……肉体を鍛えれば獣に勝てるだなんて、馬鹿げてますよ』
これは虎狼ホンソウの国に着いたばかりの頃にソラが呟いていた言葉。彼女は魔法を偏愛しており、それ故にか肉体を鍛えることに関してなぜか嫌悪感のようなものを抱いているのだ。
だからこそ、こうして体を鍛えることを推してみれば何らかの反応が得られるはず。
瑞葉の考えは実際当たっていた。
「ここでは通りすがりの人もみんな鍛えててやっぱり獣と戦うにはあれぐらい鍛えないと――」
彼女の語る言葉を聞きながらソラは不快感と嫌悪感を表情に見せていた。それはもう、あからさまに。今にも青筋を立てて怒り出しそうなソラを前に、それでも瑞葉は止まらない。たとえ内心で臆病な自分が今すぐに謝ってしまおうと叫んでいても、だ。
今更止まったところで得る物は何も無い。それならば、いっそ、何もかもぶち壊すつもりでその一歩を踏み出そう。
幸いソラさんとそこまで親しいわけでも無いし、そんな打算があったのは間違いない。
「ですから、魔法も良いけど体も鍛えるべきだと思うんです! どうですか!?」
段々と興奮して来たのか、或いは喋る言葉だけでも勢いを持たせなければすぐに止まってしまいそうなのか、最後は大演説となっていた瑞葉の主張がようやく終わる。長々と喋っていた彼女の姿にハクハクハクと黒滝はぽかんと口を開けて驚き固まっているのだが、ソラはどうだろうか。
ソラは拳を握り締め、強く強く握り締め、その力の余りに拳が震えている。瑞葉は殴られるのではないかと思い避ける準備をしていたぐらいだ。
しかし彼女は拳を奮わない。それは魔法師を自称する彼女のやるべきことではないから。
「……しまっ!」
あまりに動きの無いソラの姿に不自然さを覚えた瑞葉はようやく彼女が魔法師を自称することを思い出した。彼女が怒りを覚えた時に取る行動は決してその拳で殴ることなどではない。
魔法だ。
瑞葉がそのことに気が付き魔力視を使った時には既に足元がソラの魔力に覆われていた。
「どうかしましたか?」
その言葉だけは普段通りの優しさすら感じるようなものだ。しかし彼女の額には青筋が浮かび明らかな怒りを隠そうともしない。
戦いの火蓋が切って落とされる。




