55.虎狼ホンソウへ
山河カンショウの国と虎狼ホンソウの国の国境。そこは広大な岩山を下り切った先に広がる平原。それまでの起伏に富んだ土地が嘘のような真っ平な土地が視界に広がる。彼らはそれを見て思うだろう。
この先は異国なのだと。
「もう虎狼ホンソウの国に入ったのか?」
ロロが平原へと足を踏み入れると同時にそう尋ねる。相手は無論、山河カンショウの国が誇る高名な二等星、ミザロだ。
「実際、明確な境界はないの。一般的にはこの岩山と平原を国境とする風潮があるけれど」
そう言いながら彼女も平原へと足を踏み入れる。そして二人に続くように続々と後から後から冒険者たちがやって来る。
彼らは唐突に決まった虎狼ホンソウの国見学ツアーの参加者だ。
時間は数日前に遡り、場所は楼山の冒険者の拠点カナメイシ。
そこにはミザロを中心とした人の輪が出来上がっている。彼らは皆、虎狼ホンソウの国への切符を手にしようとしている者達だ。
「虎狼ホンソウの国へ行きたいかー!」
「おおおおー!」
ミザロの隣ではロロが皆を煽るように掛け声を上げ、それに乗って何人かは拳を突き上げて叫んでいる。その盛況ぶりは外を通りかかった者が思わず中を覗き見る程だ。
ミザロはうるさかったのか耳を塞いで皆をしばらく放置していたのだがやがてロロを手で制する。
「ロロ、そのぐらいにしてください。全員を連れて行けるわけでもありませんし」
「あ、そうなの?」
「おいおい全員は無理なのか?」
「多過ぎます。普通に邪魔ですね」
ばっさりと切り捨てているが、そうするのも無理はない。流石に人数が多過ぎる。現状監督者はミザロ一名なのに対して彼女を囲んでいるのは二十人程だ。
「国を跨いで問題を起こしたくはありません」
「成程……。だってさ!」
集まっていた者は納得したり文句を言ったり好き勝手だ。無論、それは軽口に過ぎず本気で文句を言う者など居はしない。
「何人ぐらいなら連れて行けるんだ?」
「五人です」
ミザロは即答した。というのも先ほどロロが皆を煽っている間に考え終わっていたからだろう。
そして皆がその五人をどうやって決めるか意見を出し始めるともう一言付け加える。
「その内三人は決まっています」
「決まってる?」
「おいおいそいつは誰だ」
方々からそんな声が聞こえると、次の瞬間ミザロの姿が一瞬消え、次の瞬間にはその手に三人の冒険者が引っ掴みぶら下げられている。
「……え? あれ?」
瑞葉は人混みの後ろで待機していたはずがいつの間にかその人混みの中央に連れて来られ驚きの余りに頭の中が真っ白だ。
「すげえ! ミザロ姉、今のどうやったんだ!?」
ロロは人混みの先頭に立っていたはずがミザロの動きが全く見えずいつの間にか連れ去られていたのは瑞葉と同じ。ただ彼は驚きというよりは感嘆の声を上げる。
そしてもう一人、ハクハクハクはさっきまで人混みの中でもみくちゃにされていたのに、気が付けば衆目に晒されている。驚けばいいのか感謝を述べればいいのか恥ずかしがればいいのか、とにかく今は口を開くこともできず固まっていた。
「この三人は決定済みですので残りの二人を適当に決めてください」
「何でそいつらは決まってんだ?」
当然の疑問だ。
ミザロが虎狼ホンソウの国へ向かうことはつい先程まで誰も知らず、皆は知らないが彼女自身も行かねばならなくなったのはつい昨日の事。事前にそんなことを決める暇は無かったのだ。
彼女がどう答えるのか皆の注目が集まる。
「私がそう決めました」
が、ミザロはただそう一言述べただけ。そしてそれに対し文句を言える者など。
「納得いかね……」
ミザロが声を上げかけた者に視線を向ける。別に睨んだわけでも無くただそちらを向いただけだ。しかし。
「……納得いかねえなんて言うやつはいねえよなあ!」
彼は一瞬で折れた。その恐るべき威圧感に彼は自らの意見などあっさりと捻じ曲げる。げに恐ろしき二等星の圧力だ。
というのは勝手に意見を変えた彼の意見。実際にはミザロは反対意見をどう説得していくかに関して色々と考えており、議論の中で相手を説き伏せる予定だった。しかし彼女の噂や二等星という肩書、そしてその生まれ持った鋭い眼光は人を良く勘違いさせてしまう。
彼女は敵と決めた者に対しては厳しいが、それ以外の者に対しては中々に甘い。それを知る者は少ないが。
「ミザロ姉、いいのか?」
「構わないわ。言い出したのはあなたでしょう?」
「まあな」
彼女がロロたち三人を連れて行くと決めたのはごく単純な身内贔屓だ。幼い頃から志吹の宿を訪れずっと面倒を見て来た弟分妹分やその友人だからと言うだけの事なのだ。
「ミザロさん……。私はその……」
彼女の手にぶら下げられ揺れている瑞葉が何か言いたそうに口をもごもごとさせている。
「瑞葉、あなたの言いたいことはわかるわ」
「本当ですか?」
「安心して、樹々さんと上代さんには手紙を出しておくわ。私が監督者として付いていると送っておけば多少は心配も減るでしょう」
「……まあそれも心配事の一つですけど。私は別に虎狼ホンソウの国へ行きたくは……」
「二人は行くのに?」
ロロとハクハクハクが行くのは既に決定している。なにせ二人共既に目を輝かせて虎狼ホンソウの国がどんなところか思い浮かべているのだから。今更周りが何か言ったところで止まりはしないだろう。
「……別に私は二人が行くところに行かないといけないわけでもない、です、けど」
瑞葉の心を占めているのは不安だ。それは大きく分けて二つ、虎狼ホンソウの国という未だ知らぬ地への不安と両親に心配をかけてしまうかもしれないという不安だ。
しかし彼女も虎狼ホンソウの国への興味はある。今更ロロ達を止められないのだからいつものように付いて行けばいいじゃないか、そう思う自分もいる。
瑞葉はふと気付く。ならばそれでいいのだろうか、と。
彼女はロロとハクハクハクを見た。未来を思い目を輝かせる二人を。いい加減、自分も慣れなければいけないのかもしれない。彼らのように冒険者の生活に。だってそれを選んだのは自分自身なのだから。
「……わかりました。行きます」
「そう。……嫌そうにするから嫌われたのかと思ったわ」
「絶対そんな事思ってないですよね」
ミザロは黙って彼女を地面に降ろし。
「わっ」
頭をもみくちゃにする。そしてそのまま虎狼ホンソウの国へ向かう残りの二人を決める為に争う皆の元へ向かって行った。瑞葉はその背をじっと見つめる。
「ミザロさん。本当に気にしてたの?」
「瑞葉、お前は虎狼ホンソウの国ってどんなだと思う?」
駆け寄って来たロロにそんな疑問はどこかへ吹き飛んで行くのだった。
時は現在、虎狼ホンソウの国へ向かう選ばれし者はミザロを除き五名。その内の三名はロロ、瑞葉、ハクハクハク。彼らはミザロが自身の権力を使い決めた。そして残る二名、数多の希望者の中から勝ち抜いた二人とは。
「ようやく岩山とおさらばと思うと悪くない気分だな」
平原へと足へ踏み入れてそう言ったのは安川だ。彼はロロ達とは何度か共に依頼を行ったことがある仲である。以前は冒険者を辞めることも考えていたが今は自らの魔法を磨き三等星への昇格を目指している。今回、虎狼ホンソウへ行くことを希望したのもその為に自らの見聞を広める為らしい。
「何か獣の足音など聞こえますか?」
「虎狼ホンソウの国は獣が多いとは聞くが……、いる、が、かなり遠いな。つうかこんだけ真っ平な土地だぞ、見た方が早いだろ」
彼はミザロの問いに答えた後に、思わずそんな悪態をつく。実際どこまでも広がる平原には僅かに生えた木やどうしてそこにあるのかもわからない岩程度しか視界を遮る物は無い。安川は音に関する魔法を扱いかなり遠くの物音まで聞くことが出来るが、この場所では獣の足音を聞くことと姿を認識することでそう時間的な差異は生まれないだろう。
「そうですね。ですが三等星を目指すならこのような状況でもあなたの魔法を活かす方法を考えて行かねばなりませんよ」
「む……」
安川はぐうの音も出ないようでただただミザロを睨み付けることしか出来ない。
「遠くってどのぐらいにいるんですか?」
瑞葉はそんな安川に気を遣ってとりあえず話しかける。安川はそのことに気が付いたのか一瞬、自省するように視線を逸らしそれから口を開く。
「ああ、向こうの方角だな。距離は……。なんだ、視界の外なのは間違いないが、そもそもこの俺達が見えてるのがどのぐらいの距離なのかもわからん……。目印も何も無いんじゃどう伝えればいい?」
瑞葉もその言葉を聞き思わず頷く。
山河カンショウの国はどこもかしこも起伏に富んだ土地だ。少し歩けば山や丘があり町や村の多くもそんな土地を切り開いて平坦な土地を造り上げているに過ぎない。ショウリュウの都でさえ大昇竜、小昇竜の山を少しづつ切り開き土地を広げて行った過去があるほどだ。
どこまでも広がる平原は彼らにとって全く見慣れぬもので、何とも形容し難い違和感すら覚えさせるものである。距離を測ろうにもいまいち目測では判然としないものがあった。
「でしたら私の魔法を使いましょう」
そんな彼らに声を掛けたのが最後の同行者、ソラだ。
彼女は魔法師を自称する冒険者であり、四等星ながらその不思議な魔法は物探しなどの依頼に関して一目置かれる有名人だ。彼女は一枚の紙と細い鎖が付いた三角錐の石を取り出す。
「少し待っていてくださいね」
平坦な場所に紙を置くと彼女は指先に鎖を巻いてそこから石を垂らす。それから紙の中心辺りを起点としてゆっくりと時計回りにその石を動かして行くのだが、途中で何度か明らかに不自然な動きを石が見せた。彼女はその度に位置を紙に書き入れ、それをずっと繰り返す。
「これは?」
「……わかった! お宝の位置だな!」
「いえ、違います」
ロロがちぇー、と唇を曲げてそこらの石を蹴る。皆はそれを無視して紙に書き込まれたそれの正体を探る。
「ここが現在地ですね」
ミザロが紙の端のある一点を指差しそう言った。
「……あー、成程」
「あそこに見える岩がすぐ右の?」
「だろうな」
ミザロの言葉で合点がいったのか安川と瑞葉が二人でそんなことを言って頷き合う。ハクハクハクも会話には参加していないが既に内容は理解しているらしい。
紙の端まで何かを書き終えるとソラは大きく息を吐いて額の汗を拭う。まだ季節は春であったが日差しを遮る物の無いこの場所は少し暑さを感じる。或いは標高が高く気温が低い山中より降りてきたせいかもしれないが。
「とりあえず、私が見えたのはこのぐらいですね」
「ここから見えているのがこの範囲だろ?」
「そうです」
先ほどミザロが現在地として指した一点より半円が描かれる。それは紙の広大な大地のおよそ五分の一を占めるだろう。
「多分この円の外すぐにいる奴は俺が足音を聞いたのと同じだろうな」
「足音なんてとても聞こえる距離じゃないですよ。安川さんの魔法って相変わらず不思議です」
瑞葉は何気なくそう言ったのだが、その言葉に大きな反応を見せる者がいた。
「私も! 」
突然大きな声を上げたソラに皆が一様に驚いた表情を見せる。それを見て彼女はバツが悪そうに咳ばらいをした。
「……ごほん、私もそう思います」
彼女は周囲の視線に少し落ち着きを取り戻したように見えたのだが、しかしその目はきらきらと輝き安川をじっと見つめている。彼はそれに対して少し渋い表情を見せた。それを知ってか知らずかソラは、先ほど向けられた周囲からの視線はもう忘れた様で、やや興奮気味な語り口でつらつらと言葉を並べ立て始める。
「そもそも音を扱う魔法と言うのは使用者が少ないのです。文献を当たっても私が見つけられたのは片手で数えられる程度、それもほとんどが独自の概念を用いて表現されているのか理解不能な解説しかなされていませんでした。つまり実質ほぼ独学でこのような魔法を扱っているんです。この素晴らしさはなかなか理解してもらえないかもしれませんが魔法師を自称する私としては尊敬の念を抱くにあまりあることで――」
「うわっ、始まった……」
安川が頭を抱えて大きく溜息をついた。
安川とソラは以前からの知り合いだ。ソラは彼を見かけると駆け寄って行くものだから一部の者には男女の仲なのでは無いかと噂されているほどに親密である。
と言うのは若干誤解を招く表現であり、実際には安川は彼女を避けている節があった。
「いいよなぁ、お前は。あんなかわいい子が慕ってくれてるんだろ?」
「慕われるぅ?」
依頼を共にこなした相手に冗談交じりにそう言われて露骨に渋い表情を見せた安川に皆は贅沢者めと恨み節を吐いたが、実態はどうだろうか。
二人が初めて出会ったのはやる気を取り戻した安川が様々な依頼をこなし名を上げ始めた頃の事。
「安川さんですよね?」
唐突に後ろから話しかけられた彼は何も考えずその問いに頷き、後にそれを後悔することとなる。
「私は魔法師ソラと申します。魔法師として様々な魔法を扱うことを自らの使命と課しているのです。あなたは音の魔法を扱えると聞きました。それについて話をお聞きしたくて」
安川も最初は熱心な冒険者だと思った程度で特に邪険に扱うことも無く、自身の魔法について軽く話をすれば帰るだろうと思っていた。
しかし。
「音は振動でそれを感知していると? それは文献にも載っていませんでしたよ、凄いです……。具体的にそれはどうやって感知していらっしゃるのですか?」
彼女の熱意と。
「音の大小の調整ですか……。それは難しい技法では? 難なくこなせるなんて才能の原石……。安川さんも魔法師になれますよ」
褒め称える言葉を聞いていると。
「反響を利用して空間を!? 私が想像もしなかった使い方です……。安川さん、天才ですか? もっとお話聞かせてください!」
調子に乗って全部話してしまったのだ。
結果として彼はいつの間にか音の魔法だけでなく他の様々な魔法についてソラに意見を求められるようになっていた。そして今や見つかったが最後長時間付き纏われるのに辟易しているのだった。
今回、彼女が虎狼ホンソウの国への旅に参加したのも安川が参加すると決まったのを見ての事である。
様々な話し合いの末に旅へ参加する者を決める方法が決まった。
「全員名前を書きましたね」
方法は公平になるようあみだくじで決めることとなった。とりあえず全員が名前を書き入れ当たりを引いた者を一人ずつ決めることとなる。まず一人目、ミザロが皆の前でその線を辿って行った結果。
「一人目は安川さんですね」
皆の注目が彼に集まり、その本人は注目が集まることに慣れていないようで頬を掻いていた。共に行く仲間が知り合いでロロは喜び彼の元へ駆け寄り、瑞葉やハクハクハクはどこか安堵した表情を浮かべる。
そんな輪の外で一人食事を続けていたソラが突然立ち上がった。
「安川さん、行くんですか?」
その声に安川は反応せずただ冷や汗を垂らして黙り込む。
「そうだぜ!」
ロロが返事をすると彼は恨みがましい目をした。ソラはそのまま歩き出し輪の中へ入り、その中心へ。
「二回戦、私も参加していいですか?」
彼女の言葉に事情を勝手に想像した者が数人辞退、少なくなった参加者の中でソラは見事に当選。温かな拍手の中で安川は一人頭を抱える。外れた悔しさに涙を堪える者、口笛を吹き囃し立てる者、何だかわからないがとにかく騒ぐ者と場の空気は過熱していく。
そこへ入って来た一人の男。
「遅れて来てみれば盛り上がってるね。何の拍手?」
彼はツバサ。ショウリュウから来た二等星の冒険者だ。この日は用があって少し遅れて来たらしい。
「ミザロが虎狼ホンソウの国へ行くんだけどそれに付いてくやつが決まったんだ」
「へえ、それはそれ……は……」
周囲からの祝福を受けるソラと安川の姿を見てツバサは顔色を変える。そして彼はミザロの元へ行き。
「僕も行こう」
そう言った。
「二等星の僕なら邪魔にはならないだろう? 久しぶりに虎狼ホンソウの国へ行くのも悪くな」
「あなたに頼みがあります」
ミザロが彼に封筒を差し出す。
「急ぎでして。この場にあなた以上に適任はいませんので、お願いしますね」
ツバサは無言で封筒を受け取るとその場に膝から崩れ落ちたのだった。
正気に戻ったソラは地図をミザロに渡し皆の後に続く。ロロはそんな彼女の方をちらちらと見ながら隣にいる瑞葉に話しかける。
「ソラさんってよっぽど安川さんの魔法が気になるんだな。ほら、虎狼ホンソウの国に来るって言い出したのも安川さんが来るって決まってからだったし」
「そうみたいね」
「そういやあの時さ、ツバサさん泣いてたじゃん。よっぽど来たかったんだろうな」
「いやあれは……」
瑞葉はその続きの言葉を言うべきか少し悩む。そもそもそれはあくまで自分の想像に過ぎないというのが一点、ロロに色恋の話を振って変な反応をされるのが嫌だというのがもう一点。
「……まあ、そうかもね」
故に彼女は口を噤むことに決めた。
平原に置いて獣と出くわさないように動くのは非常に難しいことだが、彼らは町へ辿り着くまで何事も無く進むことが出来た。ソラが作った地図の精度が高かったことや安川が音を使って獣を別の方向へ誘導し事なきを得たのだ。戦うだけが安全を確保する術ではないという事だろう。
さて彼らが辿り着いたその場所は。
「ここが翼獣の町。楼山の都から最も近くにある虎狼ホンソウの国の町です」
平原に唐突に現れた柵はそう呼んでいいのかもわからないほど造りが雑な物だ。適当な感覚で地面に突き刺した木の棒に鉄線を巻き付けて間を繋ぐ。高さも人の背ほどしかなくロロぐらいになればその気になれば跳んで超えることが出来るだろう。
「こんな柵で大丈夫なのか?」
ロロが思わずそう尋ねる。
「それは彼らに聞いた方が良いかもしれませんね」
柵の向こうでは町の外をぶらつく不審者を睨み付ける者が数人。彼らは翼獣の町を守る警備隊だ。何が現れようと彼らはこの町の安全を守る為に戦うだろう。無論、それは不審者相手でも変わらない。
警備隊の一人が柵の傍までやって来る
「君達、何者だね」
「冒険者です!」
ロロが胸を張って堂々と大きな声で答える。直後、瑞葉に頭をはたかれて後ろに引っ張られて行ったのを警備隊の彼は気まずそうに眺めていた。
「ご苦労様です。我々はショウリュウの都の冒険者です」
「ショウリュウ? 山河カンショウの国の?」
「ええ。後ろの彼らは観光です」
「ならば君は……、いや、その顔見覚えが……」
彼はじっとミザロの顔を見つめ、そして気が付く。
「『遊剣』のミザロ!」
彼の声を聞き後ろで様子を見守っていた警備隊が俄かにざわめき出す。
「ミザロってあの二等星の?」
「前に写真を見たことがあるが確かに似てる」
「でも今は拠点の職員やってるんじゃなかったっけ?」
彼女の名は山河カンショウの国だけでなく虎狼ホンソウの国にまで広まっているようだ。ロロや瑞葉にとっては姉貴分みたいなもので、安川達にとっても拠点でよく会って話をする相手であり忘れがちであるが、彼女はその名を国中どころか国を超えて轟かす凄腕の冒険者なのである。
「『遊剣』が訪問してくるとは聞いていないが……」
「個人的な知り合いを尋ねに来ただけです」
言いながらミザロは一枚の紙を彼に手渡す。彼はそこに書かれた内容を読み一瞬顔色を変えたが、すぐにそれを隠した。
「成程、そういう事ならば我々が関与すべきことでは無いらしい。ここには何日か滞在を?」
「そうですね。どうせなら観光とついでに彼らの経験の為に周辺の魔物や獣狩りでもしたいところです。少なくとも二、三日は滞在するでしょうね」
「そうか。狩りに行くなら拠点に話を通しておくことだ。手が空いている者がいれば案内を頼めるだろう」
「ありがとうございます」
ミザロは深々と礼をすると皆の元へ戻る。
「行きましょうか」
「ミザロさん、凄い有名人ですね……」
「有名人……、まあ、名が通るようになるとこういう時は話が早くなって便利よ。道を歩いていると知らない人に話しかけられるのは面倒だけどね」
瑞葉は感心するように息を吐く。ただ一方で便利などとまるで誰でもそうなれるかのように言われてもただ困惑するばかりで、彼女は自身にそんな未来が待っているとはどうしても思えないようだ。
翼獣の町という名はその名の通りこの周辺に翼を持つ獣、翼獣の縄張りがあることがその名の由来である。しかしそれらがこの町を襲うことは無い。その理由の一つは翼獣は翼があるもののそれは空を飛ぶことは出来ず滑空の為に用いているからである。町の付近に高台は無く、空より襲い掛かることは出来ず、わざわざこの町を襲う理由が無い。
もう一つの理由はここが虎狼ホンソウの国に存在する町であるからだ。
一行は町の中を歩きながら周囲の人や物を興味深げに観察している。ロロは特に人に興味を惹かれたようで擦れ違う人の一人一人を見ていたのだが。
「なんかみんなすごい鍛えてるって感じだな」
町の人々を見れば誰だって気が付くだろう、彼らの鍛え抜かれた肉体に。男女問わず惜しげも無く披露される肉体美は虎狼ホンソウの国における美徳の一つである。
「確か幼い頃から体づくりをするのが習慣と言うか、文化と言うか、当然のことみたいになってる、みたいなことが本に書いてあった気がする」
「瑞葉の言う通りよ」
虎狼ホンソウの国は平原にあり、常に獣の脅威に晒されていた。ここに集った人々は獣に対抗すべくより集まり、知恵を絞り、どうにか町を切り拓く中で一つの結論に達した。獣に打ち勝つには獣よりも強くあればいいのだ、と。
素早く走り強靭な牙で人を襲う獣に勝つには、より早く走りその牙を圧し折ってやればいい。巨大な体を持ちその足で踏み潰さんとする獣あれば、その獣を投げ飛ばせるだけの力を付ければいい。空から襲ってくる獣がいれば、雲の果てまで投石できるようになればいい。
実際にそれが可能かどうかはともかく、より強い肉体を持つことで彼らは実際に獣を退け、町を切り拓き、ついには巨大な国へと姿を変えて行った。そしてその精神は今の彼らにも受け継がれている。
そんなミザロの説明を聞いて皆それぞれに表情を変える。
「なるほどな、俺ももっと筋肉つけようかな」
ロロは素直に感心したようで自分の腕を触ってより強くなる為に何をすべきか考えているようだ。その後ろではハクハクハクも自分の腕を触っている。彼女の場合は自身の筋肉の無さに自信を無くしているように見えるが。
「……そんなもっとこう……、でもまあ、うん、そっかあ」
瑞葉はなんとなく納得いかないような、しかし実際にここに住む人たちの姿を見ると馬鹿にも出来ないような、何とも言い難い微妙な感覚に唸り声を上げる。
「ここの連中が筋トレ大好きってことだけは理解できた」
安川はここの人々の考えに理解は示しつつも彼自身とその考えは相容れないらしい。どこか別の生き物でも見るかのように鍛え抜かれた筋肉を見せる人々を見ている。
そして最も大きな反応を見せたのがソラだ。
「……肉体を鍛えれば獣に勝てるだなんて、馬鹿げてますよ」
彼女は吐き捨てるようにそう呟く。近くにいた安川はそれを聞いて周りに聞こえていないか心配し確認したほどだ。幸い翼獣の町の人々は彼らの横をただ通り過ぎるのみ、誰にも聞こえていなかったらしい。
虎狼ホンソウの国に日が沈んで行く。数多の獣たちは自らの棲み処へと踵を返しその身を休めるだろう。ロロ達も身体を休め明日への英気を養う時だ。
宿で眠る彼らは未だこの地の夜を知らない。




