54.更なる旅路へ
山河カンショウの国、楼山の都。色々とあったイワムシとトリデノオヤド討伐作戦から一夜が明けた。朝日が昇る頃、ロロは宿を出て山の端から姿を覗かせる太陽に目を細める。
「なんかいつもより眩しい……。岩山だからか?」
周囲はまだあまり人影が少なく、朝の穏やかな時間がゆったりと流れて行くのが感じられる。ロロは一人でこんな風に落ち着いた時間を過ごすのが――。
あまり好きでは無かった。
「やっぱり二人を起こしに行った方が良かったかな」
依頼で遠出をした時に朝の散歩をすることはよくあるのだが、普段ならば隣に瑞葉やハクハクハクがいて何事か話しながらふらふらと当ても無く歩いている。しかし今日は大勢で来たこともあり宿の部屋が別々で決められていた為に一人きりだ。どの部屋にいるのかは知っていたがちょっとした冒険心もあり敢えて一人で宿を飛び出し、そして少し後悔している。
「虎太郎さんか安川さんでも良かったかもなあ。でも二人共ぐっすり寝てたし悪いよなあ」
ロロの泊まる部屋は虎太郎と安川との相部屋である。昨日の夜は三人で依頼でどんなことがあったのか話し合ったものだが、二人共疲れていたようでロロよりも早く寝入ってしまい未だに起きていない。
結局、自分も戻ってもう一度寝ようかなどと考え始めた頃。
「あ」
「ん?」
後ろから聞き覚えのある声がした。そこにいたのは良く知る丙族の女の子。
「ハクハクハク。丁度良かった一緒に行こうぜ!」
彼女は頬を少し赤らめながらこくこくと何度も頷いた。
二人が歩く楼山の街並みは朝の早い者が活動し始める頃合いで、賑わいこそあまり無いが人の往来に邪魔されること無く彼らの暮らしを見つめられる良い時間だ。
「実はさっき宿に戻ろうかと思ってたところでさ、一人だとぶらついててもあんまり面白くないんだよな」
「そ、そうなんだ」
「誰かいるだけで楽しくなるんだぜ? うーん、不思議だ」
「不思議、だね」
楼山の街並みをこれほどゆっくり眺めながら歩くのは初めてで目に入る物全てが新鮮だ。ロロはあれこれと指差してはハクハクハクにあれは何だろうかと尋ね、それに対しハクハクハクはああかもしれないこうかもしれないと自信無さげに答える。
時折、ロロが楼山の人に話しかける時はハクハクハクはフードを深く被って後ろに隠れていた。幸いにも彼らは皆が親切でロロの疑問を解きほぐし、時には人見知りな観光客の少女にお菓子のお土産を渡してくれたものもいる。
しばらく歩き回った後、彼らは石材を組み合わせて造られた長椅子に座り貰ったお菓子を食べていた。
「このお菓子、ちょっと変わった味だな」
「そう……、かも?」
「なんか、こう、辛い? じゃないけど……。瑞葉ならこういう味も上手く伝えられるんだろうけどなあ」
彼らが食べているお菓子は生姜が使用されており、その風味がロロには変わった味として感じられたのだろう。実際、ショウリュウの都では菓子に生姜は使われていないのである。
「あ、そういや瑞葉は? まだ寝てるのか?」
「え、あ。なんか、寝違えたって、言ってたよ」
「あー、昨日色々あったからか? 後でこのお菓子も持ってってやらないとなあ。こういうの持ってかないと怒るんだよ」
「瑞葉ちゃん、お菓子、好きだもんね」
瑞葉が二人だけでお菓子を食べたと聞いて怒る姿は容易に想像がつき、ハクハクハクは思わず笑みを浮かべる。それから、少し間を置いて。彼女は横目でちらちらとロロを見ながら手に持ったお菓子の袋を握りしめる。
「えっと、ろ、ロロ、は、何か、す、好きなものあるの?」
「ん? 好きなもの? そうだなあ、お菓子だと……、あ。前に瑞葉が買ってきたお餅があったじゃん。あ、いや、大福な」
「牛鬼さんに聞いたって言ってたやつ?」
「そうそう。あれ旨かったな。今度場所聞いて買いに行こうかと思ってたんだよ」
「そ、そうなんだ」
ハクハクハクはロロの言葉を反芻するようにもごもごと口を動かしている。ロロはその姿をじっと見つめて、ちょっと面白いな、なんて思いながら。
「ハクハクハクはどうなんだ?」
と、尋ね返した。
「え、あ、うん、とね。わ、私は、あんまり、その、好き嫌い、ないかも」
「あー、確かに好き嫌いしてるの見たこと無いな。じゃあとりあえず今から色々食べに行くか」
「え? あ、え?」
「そしたら好きな物見つかるかもしれないしな。楼山料理はまだまだ食べれてないから行こうぜ。瑞葉もそろそろ動けるだろうし誘ってさ」
「……うん!」
その後二人が宿に戻ると寝違えていた瑞葉は首が痛くて不機嫌な様子であったが、お菓子を食べるとすぐに機嫌が治っていた。現金な物である。
楼山の冒険者の拠点、カナメイシ。今ここに集まっているのは昨日の討伐作戦に参加した皆だ。無論、木更津は警察に拘束されておりここにはいないが。
慈楼が前に立って皆の健闘を称える旨を述べる。
「昨日は少々想定外の事象も起こったが、我輩にかかれば何という事は無かったな。皆も聞いたであろう、我輩の雄姿を! 巨大な落石を受け止め皆の安全を守る我輩、いやぁ、皆に見せたかったものだ」
いや、健闘を称えるというよりは自身の武勇伝を語りたいだけかもしれない。その様子を多くの者は生暖かい視線を送って苦笑いを浮かべ、実際に何があったか知る一部の者はただ口を噤むのみだ。
「凄いな、慈楼さん。昨日はあんなに殊勝な感じだったのに」
ロロが思わずそんなことを小声で呟く。昨日、慈楼は自身がいながら皆を危険に遭わせすまなかったと深々と頭を下げて何度も謝っていたものだ。ロロの脳裏には未だその姿がはっきりと残っており、一晩経ってこんな風に彼がその時の事を声高々に語るのは違和感があるのだ。
瑞葉はそれに対し人差し指を口元で立てる。
「印象操作ってやつ。余計なこと言っちゃ駄目」
ロロたち三人と共に依頼へ行ったコイコイの四人は木更津絡みで何かがあった事は把握しているが、実際にどのような事情がありあんなことが起こったのかは理解していない。しかしこの件に関し固く口止めをされておりどうも事件に関して公表されない事ぐらいは理解している。
「私たちはトリデノオヤドが起こした岩山の崩落事故に巻き込まれた、ね?」
「わかってるって」
岩山の崩落に関してはトリデノオヤドの仕業という事で公表されている。他の個体よりもより強く成長した個体がしかし慈楼との戦いに敗北を喫しそうになり死なば諸共とばかりに巻き起こした、と。それを信じる者、裏に何かあるのだろうと察しつつも黙っている者と内情は様々だがこの件に関して積極的に深掘りする者は今の所いない。
現状では裏の事情は知るべき者だけが知っていればいい。それが立場ある者達の考えだ。
話は次々と移り変わりそのまま討伐依頼を終えた打ち上げへと流れて行く。そんな中で酒を飲んでほろ酔いになった慈楼がミザロの元へ。
「ところでミザロよ。ショウリュウの冒険者たちはこの後はどうするのだ? 可能ならば何人か残って我輩たちの手伝いをしていかんか?」
討伐依頼は終わった。しかしその後始末が彼らには残っている。イワムシ、トリデノオヤドは食料として重宝され、またその背に負っている甲殻は工芸品の原料としても使われている。彼らはこれから死骸を回収しに向かいそれを加工して行かねばならない。大掛かりな討伐作戦であった為、人手はいくらあっても足りないぐらいだった。
「その点でしたら我々はこの後は自由解散のつもりですから、希望者は自由に連れて行って頂ければと」
「よーし、ならば我輩と勝負だ! どちらが多く運べるかで決闘だ!」
一人盛り上がり出す慈楼。ちなみにこの勝負がもしも行われるのであれば能力的に有利な慈楼が勝っていた公算は高い。
そう、もしもの話。つまりこの勝負は行われない。
「いえ、私は用事がありますので」
ミザロはなんてことないようにそう言った。
「む? そうなのか?」
「虎狼ホンソウの国へ遣いで行かねばなりません。元々ここでの依頼を終えたらその足で向かう予定でしたから」
それが決まったのは昨日のことであるが、事を大っぴらに出来ない為に彼女は適当に言っている。慈楼の方もそれをわかった上でこんな話を振ったのである。
「虎狼ホンソウか、貴様冒険者を引退して志吹の宿の職員になるというのはまさか本当なのではあるまいな? 我輩の方が上だとまだ証明して無いのだから引退など許さんぞ!」
「……そんな話はしてませんが。それにあなたの方が上など誰が言ったので?」
「貴様ぁー! 我輩を愚弄するかぁー!」
故にこの結果も当然彼の想定の通り、の、はずだ。
人の喧嘩程面白いものは無い。ましてそれが二等星同士のものとなれば猶更だ。カナメイシの中を駆け回り逃げるミザロと追う慈楼、二人の争いに周囲は歓声を上げる。その動きに見入っている者もあればどちらが勝つか賭けを始める者もあり、打ち上げには相応しい空気感だ。
その中でロロは二人の目で追うのもやっとの動きを見ながら頭の中では別の事を考えていた。
「虎狼ホンソウの国かあ」
異国へと想いを馳せている。
三大国と称される巨大な国がある。
一つは多くの山岳を抱えその起伏に富んだ土地に幾つもの河川が流れている山河カンショウの国。
一つはあまりに広大な湖とあまりに厳しい寒さで知られる凍湖シンシンの国。
そしてもう一つが見渡す限りに広がる平原とそこに潜む多くの猛獣で知られる虎狼ホンソウの国だ。
世に三国以外の国は無し、そう言われるほどにこれらの国は強大で広大だ。交流も盛んで毎年の始めには三大国会議と呼ばれる世の情勢を大きく動かす会議も行っている。
誰もが知るこの三つの国を全て訪れてみたいと思う者は大勢いる。しかし広大な土地を渡り歩くというのは中々難しいものだ。
故に行く機会が目の前に現れたらそれを掴んでみたいと思うことはおそらく自然な事だろう。
「ミザロ姉!」
ロロの声に反応しミザロがぴたりとその場で静止する。それと同時に後ろから跳びかかった慈楼をまるでその動きを指一本、いや髪の毛一本に至るまでわかっていたかのように当然に受け流し投げ飛ばした。
「うおおおおぉ!」
「よっ、とぉ」
慈楼は壁にぶつかる寸前の位置でその身体を傍にいた冒険者に掴まれ止められる。
「……我輩が壁にぶつかるとでも?」
「大丈夫かもしれんがもし壁を壊されると困るだろ」
「屈辱だあっ!」
その場で慈楼が喚き地団太を踏み、余所では賭けの金が回収され、折角の喧嘩もこれで見納めと皆が食事へと戻って行く。その中でミザロとロロが向き合っている。
「ロロ、どうかしたの?」
「さっきの聞いてて思ったんだけど、虎狼ホンソウの国って俺も付いてったら駄目かな?」
「えっ?」
その言葉に目を丸くしたのは瑞葉だ。
「いや、ロロ……。ミザロさんの迷惑でしょ。それにナバスさんも心配するんじゃ」
「あー、まあ父さんは心配するかもだけど……。まあ自由にしろって言ってたし大丈夫だろ」
「ええ……」
瑞葉はナバスがそんなことを言うはずがない、と、言い切れなかった。寧ろ言いそうだなあの人、と一人納得してしまう。
故に彼女は援護射撃を求め視線を隣に向ける。
「ハク!」
「ぴっ」
「ハクも何か言って!」
「え、え?」
突然発言を求められたハクハクハクはロロと瑞葉を交互に見やって、やがて手を顔の前で組み少し恥ずかしそうにしながらか細い声で主張する。
「……私、も、ちょっと行ってみたい、かも」
その発言に瑞葉は思わず椅子からずり落ちそうになり、それでも何とか耐えて最後の力を振り絞る。そもそもこの話はまだロロが勝手に言っているだけ、虎狼ホンソウの国へ行きたいと希望を述べているに過ぎない。であれば、それが断られれば話は成立しないのだ。
彼女は縋るようにミザロへと視線を向けた。
ミザロはロロの希望を、ハクハクハクの期待を、瑞葉の懇願を、それぞれ自らの責務と天秤にかけて考える。傍から見ればその姿は何も考えることなくただぼーっとしているように見えるのだろうが、彼女の中ではきちんと何かが動いているのだ。
そして結論が出た。
「そうですね。希望者を募って見学ツアーと洒落込みましょうか」
その言葉にカナメイシの大部分が沸き立ち、極一部の人間が肩を落としそのまま机に突っ伏した。




