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志高く剣を取る ~ロロはかっこいい冒険者になると誓った~  作者: 藤乃病


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47.四等星になった君がやるべきこと

 ショウリュウの都、志吹の宿。そこで二人の冒険者が自らの胸に輝くバッジを皆に自慢していた。

「牛鬼さん、安川さん! これ見てくれ!」

 ロロ自身のバッジを指差しながら声高らかに自慢する。

「おー、お前らも四等星か……。早いな」

「まあ主等は中々に筋が良い。これからも精進すると良い」

 そんな風に知り合いを捕まえては自慢しに行くものだからその度に落ち着くよう促す瑞葉は少々疲れた様子を見せていた。

「大変そうだな」

 そんな様子を見かねてか、安川が瑞葉に座るよう促す。彼女がそれに従い席に着くと牛鬼がさりげなく茶菓子を一つ渡した。彼女はそれを小さく切って食べる。

「ロロは朝からずっとあんな調子で、まあ、ちょっと疲れましたね」

「いい事だろ。お前らの仕事ぶりが周りから認められたってことだしな。あいつぐらい素直に喜んでみたらどうだ?」

「私はまだまだ不安ですよ。いきなり四等星だなんて言われても」

 無論、彼女とていずれは一人で物事に立ち向かわねばならぬ日が来るとはわかっている。いつまでも高名な冒険者におんぶにだっことは行かない。しかしそれがこうも唐突に訪れるとは思っていなかったわけで。端的に言えば心の準備が出来ていないということだ。

「まあ安心しろよ。別に四等星になったからって他の誰かと一緒に依頼を受けられないわけじゃないだろ」

「安川の言う通りだ。助力が必要とあれば声をかけるがよい。無論、安川も手が空いていれば手伝うだろう」

「……手が空いてればな」

 ロロ、瑞葉、ハクハクハクの三人は実力自体も確かに四等星に相応しいと多くの者が認めている。しかし彼らが真に認められた理由はそこよりも、それまでに出会った人々と良好な関係を築けているという事実の方なのかもしれない。

「……ありがとうございます。何かあればお声掛けさせてもらいます」

「うむ。だが主等もひとまず一人前ということだ、人手が欲しい時はこちらからも声を掛けさせてもらうぞ」

「はい」

 牛鬼が拳を差し出すと瑞葉は少し照れながら自身の拳を合わせた。安川も少々嫌そうにしながらもそれに続く。

 さて、その頃のロロは宿の客を相手にクビナシトラを討伐した時の事を身振り手振りを交えながら語っていた。どうも擬音やら擬態語が多過ぎてあまり伝わっていないようだが、それはそれとしてどうにか伝えようと工夫する彼の頑張りの方に面白味を感じているらしい。

 もう一人は?

「ところでもう一人の、背の低いあの子はどうした?」

 その疑問を安川が尋ねる。瑞葉はどう答えたものかと少し悩んで。

「行くところがあるそうですよ」

 それだけを答えた。



 ハクハクハクは一人、都を歩く。彼女には行かねばならない場所があった。その足取りは重く、呼吸は乱れている。彼女にとってそこは目を背けて無かったことにしたい過去が詰まった場所、出来ることならば行きたくなどない場所だ。

 しかしそれでも彼女の背を押すものがある。自らの内より生まれる後悔と多くの人から受けた激励だ。

 彼女はたとえその場所を訪れることが誰をも不幸にするかもしれないとしても、決着を付けると、そう決めたのだ。

 そこは病院、それも重い怪我や病気で入院を余儀なくされている者達の為の、だ。ここには彼女の知り合いであり、彼女がここへ送った者がいる。

 ハクハクハクが病院に入った瞬間、受付の看護師は一瞬視線を逸らし、そして再び彼女の方を見た。

「……面会ですか?」

 そう尋ねた表情は露骨に嫌悪感を示していたように思う。その事実はハクハクハクを傷付けはしたが、決して立ち止まらせることは無い。

「クジキ……さん、に、会い、に、来ました」

 クジキ、彼はハクハクハクと同じ時期に冒険者となり、そして彼女の手によって冒険者生命を絶たれた者だ。未だその時の傷は癒え切っておらず病院に寝泊まりしているのである。

「……本気で言ってます?」

 受付の看護師は思わずそう聞き返した。ハクハクハクがクジキの面会に来たのは今日が二度目だ。そしてその一度目は一年以上も前。その時の惨状をこの看護師は覚えている。自らが殺しかけ今でも立ち上がることすら出来なくなった者を前にした彼女は言葉すら発せられず、ただ恐れ、怯え、逃げ、惑い、最後はこの看護師に連れられてトイレに胃の中身を全て吐き出した。

 ハクハクハクも無論、その時の事を覚えている。自らの弱さと脆さと情けなさをはっきりと自覚したことをよく覚えている。

「わ、私、今、その……。冒険者、を、……に? 復帰してて」

「はあ」

「……あの時より、少しだけ……、本当にその、少し、だけ、だけど」

 ハクハクハクは自らの手の中を見る。

「勇気を……、手に、入れたから」

 彼女はその手の内にある物を見つめ、握り締める。それには少しの痛みを伴ったが、それでも強く、強く、そうすることで内から湧き出るものがあるかのように、握り締めている。

 看護師はしばらくじっとハクハクハクを見つめていた。しばらく何か考える素振りを見せて、それから立ち上がる。

「少し待っていてください」

 そう言うと裏へ向かい、それから話し声がするのが聞こえた。ハクハクハクは不安なあまり逃げ出した気持ちもあったがどうにかその場で堪え続ける。

 やがて、看護師が戻って来る。

「少しだけ受付を変わってもらったので行きましょう。また駄目そうなら外に放り投げますからね」

「あ……、ありがとう、ございます」

 深々と頭を下げるハクハクハクを前に看護師は大きく溜息をつくのだった。


 看護師が先導し二人はクジキのいる病室へ向かう。消毒の匂いが立ち込める廊下はハクハクハクに否応なく以前ここへ来た時の記憶を思い返させる。

「あ、の、彼の、怪我は……」

「前に来た時よりはよくなってる。と言っても未だに歩けもしないけれど」

 クジキの負った怪我は相当に深刻な物だった。ハクハクハクは一応その説明を前に来た時に受けているのだが、その時の彼女はそれどころでは無かったのであまり覚えていないのが実情である。

「このまま入院を続けたとしても歩けるようになるかはわからない。そういう類の怪我なの」

 それを察したのか看護師は手短にそうとだけ述べた。その言葉はハクハクハクの罪悪感をより強く喚起する。以前ならば、間違いなくそれを聞いただけでその場に蹲り立ち上がることも出来なくなっていたはずだ。

「帰るなら、今の内だけど」

 鋭い視線を向ける看護師の問いにハクハクハクは。

「……大丈、夫」

 なんとかそう返した。無理をしている、それは誰にもはっきりと感じられるほどに表面に顕れていた。しかし今日、彼女は固く決心をしてこの場所まで来たのだ。その瞳に宿る意志は頑として固く、多少の事では折れはしない。

「なら精々頑張りなさい」

 看護師はそう言って彼女の背を叩いた。


 クジキのいる病室の前、ハクハクハクと看護師がそこに立ち扉を見上げる。看護師は本来ならば自身がこの扉を開き入院している病人の様子を見てから彼女を案内すべきである、そう考えていた。

 しかし。

「あなたが開けるのよ」

 この日ばかりは違う。実際の所彼女が共にここまで来たのはハクハクハクが病室に辿り着く前にこの病院から帰す為だった。彼女はハクハクハクの言動など信じておらず、すぐに前と同じようになるだろうと考えていたのだから。故に道中で敢えて彼女の罪悪感を煽るような言葉を投げかけた。そして、今も。決断を委ねるのはそれに耐えられぬならばこの先へ進む資格は無いとわからせる為だ。

 しかし彼女は看護師だ。叶うならば怪我や病に苦しむ者など居なければよいと思っている。過去の心的外傷に苦しむ者もその内だ。

 だからこそ彼女は期待している。もしも目の前の幼い冒険者がこの先へ進めるのならば……。


 ハクハクハクはゆっくりと扉に手をかけた。


 クジキはベッドの上で上体を起こし扉を開けた者の姿をじっと見つめていた。その表情からは訪問者に対しどのような感情を抱いているのか読み取れそうもない。

「……お、久し、ぶり、です」

「そうだな、久しぶりだ」

 淡々と対応するその声の内にあるのは怒りか憎しみか、或いは恐怖か。ハクハクハクには彼が今、何を考えているのか全く分からない。

「何しに来たんだ?」

 その言葉が拒絶から来るのか、それとも純粋な疑問なのか、彼女には何もわからない。おそらく以前の彼女であればその言葉を前に恐れ、怯え、ただ逃げ出していたはずだ。

 今は違う。

「……その、い、今、更、だけど……」

 彼女はゆっくりと、しかし確かに言葉を紡いでいく。

「わ、私、は、その……、私の、せいで、あなたが……」

 たとえそれが文章になっていなくとも。

「あなた、から……、逃げて、逃げ、た、私が……、その、言うべきじゃ、ない、の、かも、しれないけど」

 彼女は今の思いを伝える。

「決着、を、付けに……、来た、の」

 その全てをクジキは聞き届けた。彼はその表情を一切変えることなく彼女の言葉を聞き続け、そして大きく溜息をついた。

「お前って話が分かりづらいんだよな」

 それは、呆れたような声音。ハクハクハクは怒りでも憎しみでもない感情が帰って来たことに戸惑い、頭の中が真っ白になって何も言葉が出て来ない。

 クジキはそんな彼女の様子を気にすることなく更に続ける。

「前から思ってたんだよ。声小さいし、途切れ途切れで聞き取り辛いしさ。もうちょっとはっきり話せないのかって。動きもなんかとろいしさぁ」

「ぇ、えぇ?」

 ここぞとばかりに言いたい放題である。いくらハクハクハクが覚悟を決めてここに来たとはいえこういた形での罵倒は想定外だ。怒りに任せて思い付くことを口にしているだけならまだいいのだが、語気や表情からはそんな感情は読み取れず彼女としてはもうどうすればいいのかわからない。前へ進もうにも後ろに退こうにもそもそもどっちがどっちかわからない、そんな状態だ。

 クジキはそんな彼女を顎で促す。その先には面会者用の椅子があった。

「座れよ。そんでもっとはっきりしっかりちゃんと話してくれ」

 ハクハクハクは、最後にお前の言い分は聞いてやる、そんな意味の威圧かと一瞬考えていたがすぐに考えを改めた。クジキの表情は最初からずっと変わっていない。彼女はそれを自分に対して怒りを感じ続けているからだと思っていたのだが……。

 それは違う、そうはっきりわかったのだ。

「……うん、ちゃんと、話す、よ」

 だから彼女は椅子に座る。

 思えば一年以上もの長い間、彼女は一度もクジキと顔を突き合わせて話などしていない。それなのに彼が怒りを抱えているなどとどうして決め付けてしまったのだろうか、と彼女は後悔する。

 ちゃんと話してくれ。

 先ほどの会話に出たその言葉こそが全てだ。何を考えているのかお互いに話してもいないのにどんな感情をぶつけるのかを先に決めてどうするのだ。

 クジキの望みは一つだ、話をしよう。

「あ、の……。クジキ、さん、は……、怒ってる?」

「怒るも何も……。まあ流石に遅いだろとは思ってるな」

「あぅ……、ごめん、なさい」

「まあいいよ。ここに来辛いのはわかるし。……まあ一年以上も来ないとは思わなかったけど」

 遠慮のない言葉がハクハクハクの胸に刺さる。しかし決して感情的にはならず話し合うその姿勢に彼女はただただ感謝を覚えていた。

「あの、ね。私が、その、クジキ、さんを」

「前はクジキ君って呼んでたろ、わざわざ変えなくていいよ」

「……クジキ君、を……、殺しかけたから……。怒るのは、その、自然、だと、思う」

「確かに死にかけたけどな。でもあの時クビナシトラに襲われてたら多分死んでただろ。ならお前は命の恩人じゃないか」

「そ、れは……。暴論、だよ」

「そうかぁ?」

 彼は理解できないと言った風に肩を竦める。ハクハクハクもクジキの事が理解できなかった。彼女にとってクジキは恨みを抱くべき人であったから。

「……どう、して? あなたは、私に……、殺、され、かけた、のに」

 殺されかけて、今もなおまともに立ち上がることも出来ない、その元凶が目の前にいるのに。

 なぜあなたはそうも平然としていられるの?

「俺はそう思ったこと無いけどな」

「……嘘、だ」

「さっきも言っただろ。お前は命の恩人で、助けようとした結果たまたま俺が大怪我負っただけだろ。クビナシトラにやられるかお前にやられるかなんて大した差じゃない」

「……そんなこと、ない、よ」

「お前はそのことを重荷に感じてここでぶん殴られて終わりにしたいのかもしれないけど、そもそも俺にそんなつもりは無い」

「……そんな、こと」

 無い、とは言い切れなかった。ハクハクハクがここを訪れたのは前よりもほんの少し強くなった今ならばクジキと向き合えると考えたから。そしてそれは、クジキによる裁きを受け入れる勇気が持てたから、ただそれだけの事だった。

 罪を罪として受け入れ下される裁きをその身に待つ、それは確かに良いことのように思える。しかしそれが必ずしも正しいとは限らない。

 彼女にはまだ足りていないものが多々ある。

「ハクハクハク、お前は俺に殴られて楽になりたいだけなんじゃないか?」

 人と人との関わりはその相手が誰かに依存して正解が変わる。万人に共通する正解など無く、逐一相手の内心を推し量り行動せねばならない。それはひどく面倒で実に厄介なことだが、それこそが誰かと向き合うということなのだから。

 ハクハクハクは自身の考えを相手に押し付けようとしていただけだと、今、初めて気が付いた。

「……クジキ君、の、言う通り、かも」

 自身の身勝手さに気が付いた彼女はならばどうすればいいのか考え始めるのだが、一向に良い案は浮かばない。彼女は、最近はましになっているが、丙族として悪意や嫌悪を向けられることに慣れてしまったせいでそういう前提でしか対話が出来ないのだ。

「……どう、したら、いい? わ、私は、クジキ、君に、……何か、出来るかな?」

 これは彼女の精一杯だ。今の彼女の精一杯。今にも泣き出しそうになっている彼女に向けて、クジキは。

「無いよ。何も無い」

 優しい言葉などかけはしない。

「最初から言ってるだろ。俺とお前は元々貸しも借りも無いんだよ。同世代でちょっと一緒に冒険者として活動したことがあるだけだ。お前は勝手に気に病んで勝手に塞ぎ込んでたみたいだけど」

 ハクハクハクは口から何も発することもできずただ拳を握りその言葉に耐えている。

「決着を付けに来たとか言われても、そもそも俺達の間には何か始まってたのか? 俺はここから動けなかったから会いにも行けない、お前は来たと思ったら逃げ出すし、正直何言ってんだって感じだ」

 反論しようにも返す言葉の無い彼女には彼の言葉が胸に深く突き刺さる。

「だからお前が罪悪感から俺にすべきことなんて何も無い」

 扉の前で佇んでいた看護師はクジキの遠慮のない言葉の数々に、止めるべきか或いはハクハクハクを連れて出て行くべきかと悩んでいた。しかし彼女はふと気が付く。

 俯いたハクハクハクはその言葉を辛そうに耐えているが、その表情の中にはどこか嬉しそうな笑みが見えるのを。

 被虐性癖かしら、などと一瞬考えていたようだが顔を上げたハクハクハクを見て彼女はもう少しだけ様子を見ることに決めた。

「何か言いたいことでもあるか?」

「……うん」

 クジキは流石に言い過ぎただろうかと僅かに己の言動を省みていた。だからと言って撤回する気など無く、騒ぎになった時にどんな言い訳をするか考えていたぐらいだ。

 しかしハクハクハクの第一声は。

「……ありがとう」

 感謝の言葉だった。

 それを聞いたクジキと看護師の心情が重なる。

「……お前って、……あー。そういうやつだったのか」

「え?」

 ハクハクハクはそれがどういう意味かは分からなかったようだが、二人が見せる若干引いたような表情に何か誤解をされていることだけはひしひしと感じていた。

「え、あ、えっと。その……、せ、説明、してもいい?」

「え? あ……、まあ、いいよ」

「あ、あのね。わ、私、その、人から、ね、悪く言われるの、その、慣れて、て」

 そういう過去の背景がその性癖に繋がったんだな、と二人は解釈したがそういう話ではもちろんない。

「わ、私は、その、丙族、だから」

 彼女が前髪をかき上げると額に丙の字がくっきりと見える。かき上げた手の袖が捲れて手首の石が露出する。見えてはいないが彼女の胸元から肩回りにかけては墨で描いたような文様が浮かんでいる。いずれも彼女が丙族であることを示す証だ。

「丙族、な、ことを、ね。わ、悪く、言われるの、は、慣れてる、の」

 いつだって悪く言われたのは彼女が彼女だからでは無く、彼女が丙族だから、だ。

「だから、そういう、風に、私の、ね。悪い所、言って、くれて……。ちょっと、嬉しい」

 丙族と言う色眼鏡を通し見られ続けた彼女は本質的に人との交流の経験が乏しい。自分の気持ちを伝えようにも相手の気持ちを察しようにもその機会すらまともに与えられて来なかった。最近はロロや瑞葉をはじめ誰かと交流する機会も増えてきたが、彼らとクジキは本質的に違いがある。

 彼らはいつだって優しい、少々優しすぎるくらいに。

「……やっぱお前の言うことはよくわかんねえな」

「そう、かも」

 新たな人間関係を構築し、ハクハクハクは一歩前へ進む。

「ねえ」

「何だよ」

 彼女はその手にずっと握り締めていた物をクジキに見せる。

「……これ、四等星のバッジだよな?」

「うん。……私、ね。四等星、になる、の」

「お前がねえ」

「……なっ、ても、い、い、かな?」

 強張り上ずる声、僅かに震えている手、落ち着かない視線、それらは全てハクハクハクが緊張している証だ。それは誰の目から見ても明らかだ。

 クジキはそれを見た時に全てを察する。

「お前、それを聞くためにここに来たのか?」

 ハクハクハクは目を合わせることなく頷いた。

「あほらし、なればいいじゃん。勝手になれよ」

 もう少し言い方が無いのかと思う一方、彼の気持ちを考えれば仕方ないとも言える。

「お前が成果を出して認められたってことだろ? 俺関係ないじゃん」

「……いや、あの、ね。その、うん……」

 そしてハクハクハクの方もごもっともと思っているようで何も言い返せない。これまでの会話の流れからこんな返答が来る可能性はいくら彼女でも当然に思い付いていた。しかしその為にここまで来たのに聞かないで帰るのもなあ、と思った結果がこれである。

「……たく、しょうがねえか。貸せ」

「え、あ。うん」

 四等星のバッジがクジキに手渡される。彼はそれをじっと見つめると、少しだけ笑みを見せた。

「ほら、立てよ」

「は、はい」

 ハクハクハクが訳も分からず立ち上がる。

「背、低いな」

「の、伸びなく、て」

「じっとしてろよ」

 クジキは自身にかかっていた布団をどけるとベッドの端に移動する。そして、その足を床に付けた。

「すぅー、ふぅー」

 大きな、大きな深呼吸。これから起こることを察した看護師は止めるべきか少し悩んだが、無茶をするのは若者の特権だと口を挟むのを止めた。大人の仕事は彼らが怪我をせぬよう見守ることだ。

 クジキはまずベッドに付けた手に力を入れた。ゆっくりと腰が浮き、腕に体重がかかる。ハクハクハクはその動きで彼が何をしようとしているのかを察する。彼女は思わず声を上げそうになったが唇を噛んで堪える。

 ゆっくりとクジキの身体が持ち上がって行く。しかしベッドから手が離れない。彼はその先に進めばどうなるか経験から知っている。彼の足は未だまともに動かすこともできず、この一年以上の間、何度試したところで立ち上がることなど出来なかった。

 今、体重を支え続けている手がベッドから離れた瞬間、彼の身体はいともたやすく崩れ落ちるだろう。そんな中、二人の視線がぶつかる。

「……何か言いたいことでもあるのか?」

 クジキはそう問うた。

「……何も、無いよ。必要、ない、でしょ?」

 ハクハクハクはそう答えた。

「……ならいい」

 クジキの手が離れる。

 看護師はいつでも動ける準備をしていたが、結局その必要は無かった。

「……クジキ、君、背、高いよね」

「お前がちびなんだよ」

 そう言ってクジキは彼女の胸に付けられた五等星のバッジを取り、代わりに先ほど受け取った四等星のバッジを付ける。

「ふうん、まあまあ似合うな」

「そう、かな?」

「まあ今だけは俺より上に行けたことを喜んどけよ。そのうち追い抜かしてやるから」

 自然と発されたその言葉にハクハクハクは不思議と目尻が熱くなるのを感じていた。

「……うん、待ってる、ね」

 そして彼女はその場を去る。


 病室を出た直後、部屋の中からぼふん、と音が聞こえたがハクハクハクは何も聞こえなかったことにして歩き続ける。

「こんな展開になるとは思ってなかったわ」

 その隣を歩いていた看護師がそう呟く。

「わ、私、も……」

「あなたって、結構恵まれてると思うわ」

「……私も、そう、思う」

 ハクハクハクの幼少期は間違いなく酷いものだった。それは彼女自身も、周囲の者も認めるところだ。そんな日々があったが故に人を恐れ怯えていたはずが、今は偶にそのことを忘れている。

「最、近は……、運が、良い、のかも」

 或いは人生と言うのは幸不幸の帳尻を合わせるように出来ているのかもしれない。以前の不幸が現在の幸運となり返って来ているのだろうか。ハクハクハクはそんな風に考えていたが看護師の目は冷ややかだ。

「あなたはもう少し自分が出来ることを考えた方が良いと思う」

 その言葉の意味は幾ら考えたところで彼女には理解できなかった。しかし病院を離れ町中を歩いているとそんなことはすっかり忘れていた。

 彼女は自身の胸に光る四等星のバッジを見つめる。クジキが付けてくれたそのバッジを。

「……頑張ろう、頑張って、いつか、英雄に」

 彼女は遠い目標に向けて今一度拳を掲げる。



 時間は誰にも平等に過ぎて行く。しかしその中で起こる出来事は必ずしも平等な物ではない。

 四等星となった三人の新しい日々が始まって行く。

 






 

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