45.長い夜の終わり
ショウリュウの都、郊外の農場、そこにあるロロと瑞葉の家付近。二人の家はすぐ近くにあり、当然のようにロロと瑞葉の二人が並んで家へと向かっているところだ。
現在は一月一日早朝、新年を迎える前に帰って来るはずだったが様々な事があったせいでいつの間にやらこんな時間だ。
「ねえ、何て言って帰ったらいいと思う?」
瑞葉は胃が痛くなるのを感じていた。帰ったら母と義父に何を言われるか、考えるだけで鬱屈としてしまう程に。しかしそれは幸せな悩みと言えるだろう。
だからロロは笑って言った。
「まあ何とかなるだろ」
結局ロロは瑞葉が家に入るまで一緒に付いて行った。二人で何があったのかかいつまんで説明して、それから瑞葉が引っ張って連れて行かれるのを見送ったのだ。あの様子だと三日ぐらいは家から出してもらえないかも、そんなことを思いながらロロも自分の家へ向かう。
戸を叩く必要などない、勝手知ったる我が家だ。彼はゆっくりと戸を開き、まだ灯りが点いているのを見た。
「ただいま」
中には父、ナバスが蝋燭の灯りの前で本を読んでいた。彼はゆっくりと本を閉じるとロロの方を見る。
「遅かったな」
「色々あったんだよ。疲れたから明日でいい?」
「そうか。そうだな、ゆっくり寝ると良い」
それからロロが自分の部屋へ戻るのを見送りナバスは蝋燭の火を消した。
ハクハクハクとミザロ、そしてニドは連れ立って都の中心部へ向かう。道中に口を開いていたのはほとんどニドだ。彼は自身の計画の全容についてミザロを相手に語り続けていたのだ。
「三等星並の実力があるのは十人もいないよ。僕、銀斧、フィアに益荒男と大刀狩り、あとはハロハロぐらいか。他の連中は上澄みの部分でも並の自警団相手に一対一で勝てるかどうかってとこだね」
「益荒男と大刀狩りは聞いたことがありませんね」
「両方倒れてるのを見たから誰かが倒したんだと思うよ。大刀狩りなんてすごい邪悪な笑顔で倒れてたからやられたことにも気付いてなかったんだろうね」
「そうですか、なら心配無さそうですね」
そんな話が横で繰り広げられる中、ハクハクハクは本当に自分が聞いていい話なのだろうかとびくびくしている。そもそも彼女からすれば都でそのような騒動が起こっていたことすら初耳であり、それがいつの間にかほとんど終わっていて、更にはすぐ傍にいるのがその首謀者なのだ。
今更ながら、攫われていたという事実に恐怖を覚えている。
そしてハクハクハクの表情が青くなったのにニドが気付く。
「安心してよ。この辺り、というか郊外の農耕地は絶対に荒らさないように言ってあるから。そもそも僕らの計画じゃここは山河カンショウの国を支配する為の足掛かりだからね。兵糧攻めされる可能性を考えたら自給自足は必須だ。僕だけが言ってたならあんまり効き目無かっただろうけど銀斧もこれには賛成してたんだ。あの中に銀斧に逆らってまで事を起こそうってやつはいないよ」
そんな風に長々と喋ったのはハクハクハクを安心させる為だ。話は半分も入ってこないし内容をよくよく考えると若干的が外れているのだが、それでもハクハクハクは少し心が穏やかになるのを感じた。そしてそれと同時に、なぜこの人がこんな騒動を起こそうと考えたのか、晴れぬ疑問が彼女の脳内を覆っていたが。
話をしながら三人が歩いていると気が付けば都の中心部へと辿り着いていた。そしてそこはもう色々なことが終わった状態になっている。
周辺の警備をしている自警団の一人がミザロに気が付き近寄って来る。
「ミザロさん、お疲れ様です。そちらの二人は?」
「話せば長くなりますので。とりあえず彼女を家まで送り届けた後にこちらの彼と自警団本部へ向かいます」
「わかりました。行く前に副団長からの伝言です。こちらは既に人手が足りており哨戒を既に都全域へと広げている、とのことです」
「そうですか。ならば私がこれ以上動く必要はありませんね。ルーチェの所で今後の話でもしておきましょうか。では失礼します」
ミザロが歩き出すと自警団員は彼女を敬礼で見送る。その様子を見てハクハクハクは二等星の冒険者とは如何に特別な存在なのかを改めて知り、いずれは自分もそんな英雄になるのだと決意を新たにする。
しかし今日の所はここまでだ。
「確かあなたの家はそこの古物商でしたね」
いつの間にか彼女が居候をしている古物商の前に辿り着いていた。
「今日の所はしっかり休んでください。疲れを溜めてはいけませんよ」
当然だが、ミザロにとって彼女は保護対象でしかない。今はまだ共に歩めるような存在ではない。その距離を彼女は強く実感しながら頭を下げる。
「ありがとう、ございました」
「私は送っただけですから礼を言われるほどの事はありませんよ」
「僕は攫っただけだから罵倒されるいわれしかないかな」
「え、あぅ……」
「あ、ごめん。困らせるつもりじゃ……」
そんなどうにも締まらない別れだった。
ハクハクハクは一人、店の裏口へと向かう。時間は早朝、まだ日が昇る前の事だ。店主の岩次はまだ寝ている時間だろう、彼女はそう思って帰った時に鳴らすよう言われているベルを手に取らずさっさと部屋代わりの倉庫へ向かう。
「ぴっ!?」
だから突然曲がり角から影が現れた時に思わずそんな声を上げた。影はその場に留まり動こうとしない。ハクハクハクは段々と暗闇に目が慣れてその影の正体を掴む。
「……あ、岩次さん」
「ベルが鳴らなかったな」
「あ、え……、あの、眠ってるかと思って……」
岩次の睨むような目付きにハクハクハクは思わず身を竦める。或いは、怒っているのだろうかとどうにか感情の機微を読もうと表情を見るのだが。
「そうか」
彼は表情を変えることも無くそう言っただけだった。
しばらく二人は見つめ合って黙り込む。先に視線を逸らしたのはハクハクハクだ、この奇妙で気まずい空間には耐えられなかった。やがて岩次の方もこの時間を無為に感じたのだろう、踵を返し歩き出す。
「今日は休め。どうせ店は休みだ、倉庫の掃除も今日はしなくていい」
彼はそれだけ言って元来た道を戻る、自分の部屋の方へと歩いて行く。残されたハクハクハクはぽかん、として動けなかった。しばらく頭の中では幾つかの疑問が渦巻いていたが、ふと気付く。
「……今まで、起きて、待ってた?」
戸を開けた時の物音や足音を聞いてわざわざ様子を見に来たのかもしれない。それならば色々と説明がつく、そんな気がしたのだ。
だとすれば彼女のすべきことは。
「……眠たい、し、寝よう」
ゆっくりと身体を休めることに違いない。ハクハクハクは欠伸をしながら歩き出す。今日は良い夢が見られそうだ、そんなことを思いながら。
自警団本部。そこでは多くの者が忙しなく駆け回っている。ミザロはニドを連れてそんな彼らを尻目に階段を上へ上へ。
最上階のそのまた最奥に位置する開かずの部屋。扉には開けるなと書かれた張り紙が無数に張られ近付くのも憚れるのだが、そこには都の守り神と呼ばれる、或いは自警団の引き籠りと揶揄される、自警団副団長ルーチェが鎮座している。
そこの扉はいつも厳重に封鎖されており団長と副団長のみが持つ合鍵を使う他にまともに入る術はない。故にミザロは遠慮なく扉を壊して入るつもりだったのだが。
「よ、ようこそ、ミザロさん」
部屋の前にはルーチェが魔法で作った分身が立っていた。
「……魔法の分身? こんなことができるのか」
「え、あ、だ、誰?」
「こちらはニドさんです。中で説明しますから早く開けてください。そのつもりで分身を置いていたのでしょう?」
「あ、はい……」
その分身は持っていた合鍵を使い扉を開ける。
「厳重だね」
「中にいるのは都の最高戦力ですからね」
ニドは思わず口笛を吹いた。ミザロは率直に物事を述べる性格でありこの手のことでわざわざ嘘はつかない。その彼女が最高戦力とはっきり述べたということは、中にいる人物が掛け値なく強いと言うことだ。
不摂生そうに目の下に隈を作っている痩せた少女が部屋の中央で背を猫のように丸めている、扉が開いた先でニドの目に飛び込んできたのはそんな姿だった。
「ミザロさぁん、そのぉ、お一人で入って来ると言うのはどうでしょう……?」
顔をこちらに向けることも無くその口から発せられた言葉もおよそニドの想像とは異なっていた。
「あれが最高戦力?」
「病的なまでに人見知りですからね。しかしあの分身一人一人が三等星並の力を持っています」
「……あれが幾つも出せるの?」
ニドは己の計画が如何に無謀だったかを悟る。あの分身に対抗できるのが数人しかいないのだ、おそらく街並みの被害を一切考慮に入れないのであれば彼女一人で全て事足りたのだろう。
尤も、その本人がどう見たって強そうに見えないのは疑いようもない事だが。
「ルーチェ、先ほども言いましたがあなたは自警団副団長です。仕事は仕事と割り切ってください」
「そ、その人仕事に関係ありますぅ?」
「この騒動の首謀者です」
「えっ」
ルーチェは体を丸めたまま顔だけをニドの方へ向けた。それに応えるようにニドは笑顔で手を振る。
「首謀者? ですかぁ? え、そんな、ミザロさんそんな簡単に捕まえて……」
「偶然です。まあそんなことはどうでもいいでしょう。道中に色々と話を聞いておきましたのですぐに必要な情報について共有します。補足があればニドさんお願いしますね」
ひとまず必要な情報と言えばこの騒動に関わった者の名前や顔や所在地。彼らの拠点などがあればそれについても重要だろう。三人はそれらについて共有し、そしてそれがルーチェの分身を通じて他の自警団員や冒険者の元に共有される。
「銀斧、フィア、益荒男、大刀狩りの四名は既に拘束されているようです。それ以下の者もかなりの数が拘束されているのを確認が取れました。ただ一人……」
「ハロハロですか」
「ええ、彼女には逃げられたようです」
「所在が分からないでは無く逃げられた?」
「ええ、牛鬼さんが彼女と対峙していたようなのですが……」
時は少し遡る。
とある広場で牛鬼、カグリ、ハロハロの三人が対峙していた時だ。
カグリはハロハロの命を受けて牛鬼をここまで連れて来た。そして退路を断つように言われていたのだが、その場で裏切りハロハロに殴り掛かった。
しかし。
「同族のよしみで気に掛けてやってたが、もうお前はいらないな」
ハロハロはその一撃を上に跳んで回避し、怒りを顕わに制裁を加えるべく大気が震えるほどの魔力を一瞬で練り上げ。
「注意力散漫だな」
動きを読んで更に頭上を取っていた牛鬼の一撃を喰らった。
牛鬼の刀を受けたハロハロは地面に叩き付けられる。空中に立っている牛鬼は服がぼろぼろになり何か所かは血が滲んでいるのが見えた。
牛鬼の刀を受ける直前、ハロハロは服の下に付けていた手甲に己の魔力の七割ほどを注ぎ、残った三割ほどで周囲の風を操り反撃を試みた。その結果がこれだ。
「……成程、確かにあなた程度なら一人でどうにでも出来ると言ったのは訂正しましょうか」
ハロハロがそう呟きながら立ち上がる。刀を受けた腕は不自然に垂れ下がっておりおそらく骨が折れて動かすことも出来ないのだろう。しかし牛鬼は油断しない、寧ろ警戒をより強くする。
魔法を得意とする者にとって腕が動かないことは必ずしも不利とはならない。痛みで気が散れば少しはましと言ったところだろう。
「カグリ、主は人を呼んでくれ。可能なら三等星並の者を、だ。ここで足止めをしておく」
「わかった!」
カグリが走り去る。ハロハロはその背を見送るだけで何もしなかった。隙を見せれば再び先の一撃が飛んで来るのを知っていたからだ。
「慎重派なのね」
「長生きの秘訣だ」
ハロハロは今の状況を冷静に分析していた。三等星一人とおまけを相手にこれほどの痛手を受けた自分の姿。自身に比肩する実力の持ち主など味方には数人しかいないことを彼女は知っている。対して都に残っている冒険者にすら三等星以上が何人もおり、更には自警団もいるのだ。ほとんどの者はあっさりと蹴散らされるのだろう。最高戦力の銀斧でさえ以前にミザロを相手にあっさりと捕らえられている。彼の性格を考えればわざと捕まったとは考えられず、最悪なことにミザロは今も都に残っている。
この作戦は必ず失敗する。
彼女はその結論を出すや否や次の行動を決めていた。
「もしも私が何の準備もしていなければここで死んでいたのでしょうね」
「……逃げられる、或いは、勝てるとでも?」
「運が良ければその可能性もあるでしょうけど、私は運には頼らないわ」
その言葉と共にハロハロの魔力が急激な高まりを見せる。それを見た瞬間に牛鬼は空を蹴り地面に向けて跳躍する。彼が地面に着地したのはハロハロが強大な魔法を放つよりも早かった。
これはつまり、もしもハロハロが強大な魔法を放とうとしていたなら死んでいたということだ。
抜刀、その勢いのまま敵を切り裂く。牛鬼が何千、何万と繰り返して来たそれをしくじることなど無い。狙いは正確、ハロハロの首を切り裂く、はずだった。
「なっ!」
牛鬼の刀はハロハロに届かなかった。刀を振る直前に現れた転移ゲート、それにより牛鬼が切り裂いたのは遥か遠くの空間となる。そしてその先に何があるのかはわからない以上、牛鬼は思わず足を止めざるを得ない。
「残念でした」
その隙にハロハロが転移ゲートの向こうへ消える。牛鬼も追おうとしたのだが、それよりも早くゲートは消滅した。
「……逃がした」
広場に一人残された牛鬼は無念に打ち震えながら刀を握り締めていた。
時間は戻り自警団の奥地、副団長ルーチェの部屋。
「そのような事があったようです」
「転送ゲートですか。余程たくさん見つけていたので?」
「……いや。転送ゲートが親機と子機に別れてるのは知ってるでしょ?」
「ええ。親の方はどの子にも飛べるけど子の方からは親にしか飛べない、ですね」
「僕が知る限り親は一つしか見つけていない。そしてそれは自警団に回収されている。実際、僕はそれを利用して自警団内部に侵入したしね。……いや、話が逸れたか。ともかく自警団内部に飛んだとすれば逃げられるわけも無し。おそらく、ハロハロはどこかで見つけたそれを隠し持っていたってことだろうね」
ニドの言葉にミザロが幾つかの思案を巡らせる。しばらく黙り込んでいるのだろうと目したルーチェはもしかして自分が話題を振らないといけないのだろうかと緊張で身体が強張るのを感じていた。
「……ハロハロと会ったのは随分と前でね」
幸いにも、それを察したニドが自分から口を開いたのだが。
「実を言うとこの計画が始まったのは彼女と会ってからなんだ」
「それは、その、ハロハロが発案者と言うことですか?」
「……いや、彼女は純粋に丙族が迫害されていることに嫌気がさしている、そういうことを言っていたよ。ただまあ、都に、国に、この世界に、不満を持っていたという意味では僕らは共通していたんだろうね」
「な、成程」
ニドはハロハロと会った頃のことを思い返す。あれは、そう、彼が都にいることに耐えられず去ってから数年後の事だ。
「あの頃の僕は村や町を転々としていてね……。魔物を狩ったりして日銭を稼いでは顔を覚えられる前に去って行くって言うのを繰り返していたんだ。ハロハロと会ったのは、どこかの村で用心棒になってくれと頼まれたのを断った後だったかな」
その女は突然現れた。
「戦おう、ってわけじゃないよね?」
ニドがそう言ったのは彼女が武器を手にしていたからだろうか? いや、違う。彼女は山野を歩いていた時、道の中央に立っていただけだ。その手には何も持たずただニドの方を見ている、それだけだ。
しかしその瞳には隠そうともしない憎しみの炎が燃えている。その瞳を見るだけで周囲を威圧しかねないほどの。
「あなたと争うつもりは無いわ」
そう言われたところでニドの警戒は解けない。周囲に圧を放つ目の前の丙族に恐れを感じていたからなのだろうか?
それとも出会った瞬間から感じている胸のざわめきのせいだろうか?
「私は寧ろ、あなたのような人にこそ救いの手が差し伸べられるべきと思っているわ。私と同じように世界の不平等に苦しめられたあなたにこそ」
「何を言っているかわからないけど……、僕は一人の方が気楽なんだ。お気遣いどうも」
その場はただそれだけで終わった。ハロハロは去り行くニドを目で追いこそしていたがついぞ足を動かして追いかけることは無かった。
しかし数日後、ニドは自らハロハロへ会いに行くこととなる。
ニドは昔語りをそこで止めた。ルーチェが不審に思い顔を見ると、そこには表情を険しくし何か信じられないものでも見たかのように口元を抑える姿があった。
「ど、どうかしましたか?」
「……いや」
少し前に抱いた疑問を彼は思い起こしていた。
なぜ自分はこんなことを、都への復讐などと言う馬鹿げたことをしようと思ったのだろうか?
元々そんなことを望んでなどいなかったはずなのに、いつからそんな風に変わってしまったのだろうか。或いは時間の流れと共に自らが変わってしまっただけの話かと思っていたのだが……。
「こんなことを言うと、責任逃れに聞こえるかもしれないが」
「えっと、話の正否はこちらで考えますので好きなように話して頂ければ」
「……僕が、こんなことをしようと考え始めたのはハロハロと会ってからだった気がする」
「……つまり、やはりハロハロさんがこの計画の発案者だったと?」
「いや、そういう意味じゃない。……何と言えばいいのか。そうだな……、彼女と会ってからの僕はおかしくなっていた、ような気がする」
彼本人が言った通り、その言葉だけを聞けば誰もが単なる責任逃れと考えるだろう。精神的におかしくなっていたから仕方ないんだ、と。被害者からすればそれに納得するのは中々難しい。
しかしこれはそう言った話ではない。
「僕は元々、確かに仲間の一件で都に対して良い印象を持っていなかった。ただ一方でそれが彼らのせいではないことも理解していたつもりだ。都を出たのは距離を置きたかったからだ、頭で理解していても心は、感情は、そうもいかなかったから」
「……ハロハロさんに会って、その言葉を聞いて共感し復讐心が表に出た?」
「いや、違う、と、思う。彼女と会ってから、心がざわめいていた、仲間たちの無念の声が、僕らを見捨てた者の嘲笑が、耳元で鳴っているような気がして……」
ニドは思い出す、ハロハロと会ったその日から彼の頭の中に、何度も、何度も、何度も、何度も何度も何度も何度も何度も……。数え切れないほどに映し出された仲間の死体、魔王討伐の宴、自らの無力さが、人々の無関心さが、まるでそれを頭の中に強調し植え付けようとするかのように。
「……僕は何を言っているんだ? 僕がおかしいのか? 狂っているのか?」
「お、落ち着いてください」
それはふとした拍子に彼の精神を蝕む。頭を押さえて顔面蒼白になるニドを前にルーチェはどうすればいいのかわからずおろおろするばかりだ。彼女はその実力故に自警団副団長の地位についているが、実力以外の部分ではまだまだ未熟だ。
その点で言えばミザロの方が数段上だろう。
「ニドさん」
そのよく通る声にニドは思わず顔を上げた。その視線の先には僅かな揺らぎも無く力強い瞳がある。
「あなたは、間違いなく、多くの人が尊敬する善良な冒険者です。しかし今回の件ではやり過ぎです。相応の罰が与えられるでしょう」
ニドはその言葉を受けて大きく息を吐いた。
「そうだね。みんなに申し訳が立たないな」
「しかしその前に様々な検査を受ける必要がありそうですね」
「検査?」
「……他の方々にも話を聞いて見なければわかりませんが、一つ気になることがあります。カグリさんを知っていますね」
「ああ、前に牛鬼さんが捕まえた丙族の」
「彼女の話を聞いた時に少し気にはなっていたのです。説得の効果が高過ぎはしないか、と」
ルーチェもニドもその言葉に首を傾げる。
「説得で考えを改めたのであれば良いことでは?」
「牛鬼さんは冒険者としての歴も長いしそれだけの人生経験の為せる技ってことじゃない?」
「ええ、私もそう思って深くは考えませんでしたよ。カグリさん本人の性格の問題もありますし考えるだけ無駄と判断しました。しかし……」
彼女の視線はニドに向いている。
「僕?」
「ええ、ニドさんが現れたことで再びその疑問が鎌首をもたげるのです。あなたも、途中で計画を放棄するほどに考えを改めましたね」
「……まあ、そうだね」
ニドは思い起こす。その心境の変化はあまりに唐突で、尚且つ劇的ではなかったか、と。彼はまるで憑き物が落ちたような気分だと思いすらしたのだが。
「正に憑いていたのではありませんか? あなたたちの憎しみを活発化させる何かが」
その場に沈黙が訪れる。それはミザロの考えがあまりに馬鹿げているからと言うこともある。一方で、もしそうだったとするならば、そう考えてしまったのだ。
「牛鬼さんを責めることはあり得ませんが、今回ハロハロを逃がしたのは大きな失策だったかもしれませんね」
その言葉がこの場の会議の締めとなった。
山河カンショウの国、山林にある目立たない洞窟の中。そこには巨大な装置がある。ある者によって見つけられこの場所に安置されたものだ。
今、その装置の傍に一人の丙族が座り込んでいる。
「……無様に逃げ帰る羽目になるとは」
彼女の名はハロハロ。その右腕は力なく垂れ下がり、しばらくは動かすことも出来ないだろう。彼女は痛みに耐えながら立ち上がり休息の為に用意された部屋へ向かう。
この場所は秘密基地だ。二十年近く前にこの場所に作られ、拡張を続け今や人がここに籠って生活できるほどに快適な空間だ。しかしここがどれ程快適な空間であろうとも、この場所の主は笑顔など見せることは無い。
ここを作り上げた者は皆、その瞳に暗い情念を燃やし続ける。
「ニドは失敗したでしょうね。でも、良い経験にもなったわ。人を使うのは不確定要素が多過ぎる。カグリがそうだったけど奴ら程度の憎しみでは足りないみたいね。あの程度では国どころか都一つも落とせない」
だから彼女は次の計画を練り始めていた。
「人手は必要だけど、肝心な所を人に頼るのはやめましょうか。私たちの敵を、殺し尽くすまで止まらない、私が欲しいのはそういうものだ」
彼女の瞳は狂気に染まっている。そして彼女はそのことに気付いていないだろう。もはや自分がどうして狂気に染まったのかなど、その頭の中からは消えてしまった。
その心の内は憎しみに支配されるのみ、その暴走はこの程度の失敗で止まることは無い。
騒がしい一年の始まりは人々の心の内に不安の種を撒いただろう。しかしひとまずの苦難は去って行った。
今日の所は一時の休息を。