42.ショウリュウの都の年明け2
ショウリュウの都、そこは山河カンショウの国で特に栄える都市の一つ。訪れた者は中心部に立ち並ぶ多くの建物や行き交う大勢の人々に驚き、名前の由来となった昇竜の滝へ行けばその雄大さに心打たれ、冒険者発祥の地とも言われる志吹の宿で高名な冒険者に握手を求め、郊外で栽培される多くの野菜や果物に舌鼓を打つ。
人が集まる所では揉め事も多いものだがこの都に限ってはそのようなことも無い。何かあれば自警団や冒険者、丙自治会などがすぐに仲裁に現れるし、度が過ぎれば力によってすぐさま鎮圧される。大きな話題になるような重大な事件など何年も起こっていない。
ここは本当に良い所だ。年明けの鐘が鳴ったついさっきまでは。
鐘の音を聞き闇夜に潜んでいた影が動き出す。
「さあ、壊せ! 殺せ! ここを地獄に変えろ!」
まるで巨大な熊のような巨体を持つ男が声高に叫ぶ。そしてそれに呼応するように武器を掲げ叫ぶ者達。窮屈な路地に隠れ潜んでいた彼らは年明けの鐘を合図に手に持った武器を掲げ動き出した。
大男の持つ巨大なこん棒が住宅の壁に向けて振るわれると、煉瓦が接着面から砕けて大穴が空いた。粉塵が舞う中で大男は再びこん棒を振りかぶる。残りの壁も打ち壊し倒壊させるつもりだったが、ふと奥に人影が見えて手を止める。
「な、何の音だ……」
どうやら起きていた家主が様子を見に来たらしい。大男はその無防備な姿を見てにやりと笑みを浮かべ家の中に歩を進める。
「おいおいおい、知らねぇのかぁ? 暴漢が現れたら近付いちゃ」
そしてその手のこん棒を振り上げ。
「駄目だろぉ?」
事態に気付き呆然とする家主に向けて振り下ろす。
都のあちこちでそんな事態が起こっている。異変はすぐに多くの者の知る所となり、自警団はすぐさま事態の鎮圧にかかった。しかし暴徒は家屋に火もつけており単に鎮圧するだけでは無く消火にも人手が取られている。三大国会議の為に人員を削られている中では対処に限界があった。
「お前は暴徒を追え! 俺も火を消したらすぐ行く」
「数が多いぞ! 応援を呼べ!」
「気を付けろ、魔法を使うやつもいるぞ!」
暴徒たちと自警団の争いは激化していく。一人一人の質は自警団の方が文句なく高い。しかし暴徒たちは潜んでいる仲間がどこへいるのか知っている。未だ混乱が抜け切らない自警団の面々を彼らの元へ追い込み数の利を得て戦っている。戦況は膠着状態へと陥りつつあった。
その中で自警団本部から走りある場所へ向かう影が一つ。カクラギだ。
「まさかこんなことが起こるとはな、くそっ」
こんなことなら巡回の一つでもしておくべきだった、そう後悔しながら彼は目的地へ向けて走り続ける。年越しの鐘と同時に都の様々な場所で同時に暴徒が暴れ出したのは既に把握している。これは明らかに計画的なもので、だからこそ防げるよう最善を尽くせなかったことを後悔しているのだ。
そして今、彼は事態をこれ以上悪い方へ進ませない為に動いている。
「今の自警団相手で戦況が拮抗している。混乱が収まれば自警団だけでも十分に鎮圧できるし、時間が経てば有力な冒険者たちもやって来るだろう」
そう、現時点で暴徒鎮圧の為に動いているのはそのほとんどが自警団だ。冒険者で動いているのは偶然その場に居合わせた者ぐらいか。ミザロは今時分に瑞葉を農場の方へ送り届けたところだし、寝ていた者や騒ぎから少し離れた場所にいる者はまだ動いていない。
つまり、暴徒たちは勝算の無い行動を続けているのだ。このままだと被害は大きくとも暴徒たちは何も為すことが出来ずに鎮圧されました、それで終わる。
「そんな簡単に終わるはずがない!」
この件の首謀者は入念に計画してこの事件を起こしているはずだ。そうでなければこれだけの人数を集め、潜伏させ、同時に蜂起させるなど出来るはずがない。
ならばあるはずだ、この戦況を引っ繰り返すことが出来る可能性。
カクラギは目的地へと辿り着き、そこで、自分が一足遅かったことを知る。
「ん、お前は……。ああ、カクラギか。お前まだ冒険者やってるのか?」
そこに立っている男、自警団保有の拘置所の前で同僚たちを踏みつけにしているその男をカクラギは知っている。彼が自警団に入る前、冒険者だった頃にその強さで名を馳せていた。しかしその横暴さに加えとある山間の村で金品を強奪する行為に及び冒険者より除名された男。
「銀斧の、リュウキ……」
「ああ、幸いこいつが斧を持っててくれたんでな。その二つ名も健在ってわけだ」
銀斧は地面に踏みつけにしている自警団の男から奪った斧をカクラギに見せつける。その斧は彼の二つ名の通り銀色に輝いていた。それを見たカクラギの背筋を冷たいものが走る。
「どうやって外に出た」
「言うと思うか?」
カクラギは実の所言うのではないかと少しだけ期待していたのだが、残念ながらその期待は裏切られる。
「今すぐ牢に戻れば抜け出たことも何もかも不問に付すことが出来るが」
「馬鹿言えよ。お前が指図できるとでも?」
銀斧は強い。カクラギはその事実を知っている。ミザロは当然のように彼を捕らえて来たがそれが出来る人物が国中引っ繰り返して探しても何人いるか。
しかし構わず槍を構える。
「銀斧、お前を捕らえる」
「出来るなら好きにしろよ」
その言葉を合図にカクラギが地面を蹴る。
都の大通りを駆ける冒険者が一人。彼の名は牛鬼。
「全く、のんびりさせてもらえんな」
彼は滝の前で一人、と言っても周囲に同じような考えの者が何人もいたが、甘味を楽しみながら酒を嗜んでいた。年越しは風流な余韻を楽しむのが彼の流儀、だったのだが、騒ぎを見て市街地の方へ走り出していた。見る限りでも何か所も火の手が上がっており、まずはどこから行くべきかと考えながら走る。
そこへ不意に路地より武器を持った男たちが数人出て来た。
「お、獲物だ!」
牛鬼はその言葉から敵と判断し魔力を練る。男たちは走り来る獲物に向けて武器を振りかぶる。
タッ、タッ。
直後、空気を蹴る音が彼らには聞こえた。その目には牛鬼の姿が消えたように映っていただろう。しかし牛鬼からすればただ走っていただけだ、彼らの上を超えるように空気を蹴って。
あっという間に後ろへ回った牛鬼は自らの刀を抜こうともせず柄で男たちを殴り気絶させる。
「……この程度の連中が?」
その疑問はある意味では当然のものだ。牛鬼から見て素人同然の集団、そんな連中がこんな大掛かりな事を出来るはずがない。仮に計画したとしてもここに至るまでにどこかで破綻していたはずだ。
「組織的な行動だとすれば……、こ奴らは数合わせに過ぎぬ、のか?」
疑問を浮かべ思わず足を止めたその時、不意に覚えのある気配を感じて振り返る。
「久しぶりね」
そこに立っていたのは筋骨隆々の丙族の女。彼女はとある村を魔物を使って襲おうとして牛鬼に捕らえられ牢に入れられていたはずだ。
「カグリか、なぜここに居る」
「自分で考えてみたらどう?」
牛鬼は既に拘置所が破られていることを察する。彼女は既に刑罰が確定し数年は牢から出られない、はずだった。しかしそれがここに居ると言うことはこの騒ぎの首謀者はどうやってか拘置所に捕らえられていた人物を解放したのだ。
「……主は、これから何をするつもりだ」
「私を捕らえたのはあなただったわね」
そう言って彼女は拳を合わせる。その肉体は数か月牢に入れられていたとは思えないほど力強く隆起している。元々純粋な力を比べるならば彼女は牛鬼を超えていた逸材だ。牛鬼は思わず唾を飲む。
「復讐だとでも?」
「どっちみちあなたに選択肢は無いんじゃない? そこら辺の建物が私の拳に耐えられるか試してみましょうか?」
牛鬼が苦虫を噛み潰したような顔をするのを見てカグリはにやにやと笑う。そして路地の方へ歩き出した。ついて来いという意味と受け取り牛鬼は歩き出す。たとえその先に罠があるとわかっていても、だ。
バケツに汲まれた水を燃えている建物にかける。水は音を立ててすぐに蒸発してしまうがそれを延々と繰り返せばいずれは火が消えるだろう。火元が無ければ、の話だ。
「くそっ、こっちにも火がついたぞ!」
一際大きな火の手が上がっているのは都の中心部。数人の自警団員が火を消そうと努力をしているがどうやら焼け石に水だ。
何せその場にいるのは炎を操る元冒険者なのだから。
「はーっはっはっは! どうしたどうした? そんなんじゃ燃えカスも残らねえぞ!」
そう叫ぶのは別の町で三等星の冒険者として名を上げていた男、名をフィアと言う。彼は必要以上に派手な実績を残そうと魔物の巣を一人で殲滅に行き、結果として周囲の森ごと焼き払おうとした前科を持つ。幸い多くの者の協力により人的な被害も無く森も三割程度の延焼で済んだのだが、結果として彼は冒険者の資格を剥奪されている。
しかしその実力は今も変わらない。
「風をもっと強くしろ! 奴の炎を外へ出すな!」
「しかし奴が操る炎は火の粉ですら家屋に火を付けるぞ。何とか奴自身を叩かねば」
「だがあの炎の中には入れんぞ!」
彼は自身を囲うように派手に炎を焚いている。自警団の面々は彼の炎が建物に行かぬよう周囲の気流を操っているのだが、舞う火の粉すら一度燃える物に触れれば大きく燃え上がる。これを完全に防ぐのは何人いても至難の業だろう。接近戦を仕掛けて制圧したい所だがそれを試みた者は装備ごと燃やされ全身に火傷を負って今は後方で隠れている。
嫌な膠着状態が続いている。
「我に任せよ」
そんな状況の中、屋根の上に突然現れた影。
「何だお前」
言うが早いか炎がその影に向かって飛んで行く。炎の灯りが全身を黒い装束で覆う人影を映し出す。
「炎か」
素早い動きで炎を避ける、と、次の瞬間には炎が闇夜に溶けるように消えた。
「なっ!?」
「おおっ!」
驚愕と驚嘆の声が上がる。
「虎イガーの忍、呉忍にその程度の炎は通じぬ」
名乗りを上げた彼に対し周囲は微妙な反応を見せている。
「虎イガーって確か四等星の?」
「結構頑張ってる奴らだよ。この前も魔物の討伐をしてたはずだ」
彼らの知名度や実力は有名と言うにはまだまだ程遠いのだ。一瞬、弛緩した空気が流れたがそれを切り裂くように炎が燃え上がる。
「つーまーりぃ? 四等星如きが俺様を止められると思ってるってかぁ?」
彼の身体から吹き上がる魔力が炎となりその熱気が呉忍の肌を焼く。赤き火柱を屋根の上から見つめる様は平静を装っているものの、その光景から挑むのが無謀なほどには実力差を感じ取っていた。彼はもしも一人でいたならすぐさま逃げて応援を呼びに行っていただろうとぼんやり考える。
今回は、呼ぶ必要も無い。
「風よ、螺旋を描き貫け」
その声は誰もいないはずの場所から聞こえた。直後、炎に渦を描きながら風の槍がフィアに向かって飛んで行く。
「ちっ!?」
破裂音と共に風の槍が霧散する。それは魔力を込めたフィアの腕を貫くことは叶わず皮膚の表面に多少の傷を作り上げただけのようだ。
「誰かいるのか!」
炎が先ほど声が聞こえた辺りを渦巻く。しかしそこからは何の声も上がらない。
「いないのか……?」
行き場を失った炎が気流に飲まれて行く。その向こうから今度は先程とは別の者の声が響く。
「我が水流は大地を清めん」
声と共に現れた水が地面を縦横無尽に走り出す。膝の高さ程度の水がフィアを囲む火柱へと向かい、その勢いを削ぐ。が、次の瞬間には火柱がより激しく燃え盛り、じゅっ、と言う音と共に蒸発して消えた。
「はーっはっは! その程度の水が何の役に立つ!」
この炎はフィアの魔力を燃料にして燃えている、彼は魔力の続く限りいくらでも燃料を投下することが出来るのだ。彼は再び声のした方へ炎を飛ばそうと魔力を火柱の元へ込めて、そこで不意に気付く。
今、後ろから水の蒸発する音が。
「っ、ちぃっ!」
彼は反射的に横に跳んでいた。直後、まるで瞬間移動でもしたかのように一人の男が姿を現しその手に持つ剣で直前までフィアがいた空間を切り裂いた。
「な、んだ、てめえ!」
炎が渦巻く、しかし男は後ろに跳んでそれを躱した。
「どこから現れやがった!」
「避けられちゃったからなあ、教えねえよ」
「てめえ!」
炎が再び渦巻く。しかし男は巧みにそれらを避けて行く。一足飛びに攻撃を出来る距離を保ちながらだ。
「はっはっは、狙いが定まってないぞ。あ、元から下手糞なだけか?」
「ぶっ殺す!」
挑発に対し怒声と共に更なる巨大な火柱を上げたフィアは、しかし次の瞬間には冷静さを取り戻していた。彼は元三等星、腐ってもその実力に疑いの余地は無い。
落ち着きを取り戻した炎を前に男も一度立ち止まる。
そしてフィアを指差し名乗りを上げた。
「俺の名は虎太郎! 虎イガーを率いるリーダーだ! お前の相手は俺達がしてやるぜ」
それは単なる名乗りと共に自警団に対する宣言だ。こいつの相手は俺達がするから周囲の安全確保を頼む、と言う。その意図は確かに伝わったようで自警団の面々はそれまでと動きを変えていた。
「……成程な。お前ら、徒党を組めば俺に勝てるって思ってんのか」
炎が徐々に、徐々に弱まって行く。それは決して鎮火したという訳でも無いし魔力が切れたということも無い。嵐の前の静けさ、と言うやつだ。
小さくなった炎が、地面に溶け入るように今、消え、た。闇夜の静けさが辺りを包む。
次の瞬間、人々は見た。闇夜を貫く炎の柱を。
規模も温度もそれまでより危険な威力、虎イガーも自警団も思わず後ろへ引いてしまうその圧。
「余力は取っとけって言われてたがやめだ。全員燃やしてやるよ」
先ほどまでの比では無い炎を見て虎太郎は思う。
ちょっと早まったかもしれん、誰か早く助けに来て!
とある広場、そこでは大勢の自警団と暴徒が衝突している。形勢は暴徒側に傾いており、特に大刀を両手に持った女が猛威を奮っていた。
「あははははは! 何だい何だい、そんなもんかい!? 私の愛刀を受けられる奴はいないの!?」
大刀が一度振られると止まることなく嵐のような斬撃が彼女の周囲に渦巻いて行く。その一撃は平均的な実力を持つ自警団員では手に持った盾ごと吹き飛ばされるほどだ。
「さあ、次行こうかあ!」
「来るぞ、構えろ!」
彼女が形作る斬撃の嵐には精鋭揃いの自警団と言えど踏み入ることが出来ない。彼らは防戦一方を強いられながらもなんとか活路を見出そうと今から訪れるであろう衝撃に備える。
その両者の間に、不意に人影が現れた。そしてそれは当然のように斬撃の嵐の中へ踏み込む。本来なら一瞬で切り刻まれていてもおかしくなかったが、その影は何事も無いかのように斬撃を躱し大刀の女に距離を詰める。
「邪魔です」
そして拳が振るわれた。腹部を殴られた大刀の女は叫び声をあげることさえできず吹き飛び、地面を転がり、家の外壁にぶつかって止まる。おそらく攻撃されたことすら気付かぬ間に気絶したのだろう、邪悪な笑みを浮かべたまま泡を吹いている。
「な、え、は?」
暴徒たちは未だ状況が飲み込めていないようでただ茫然として口を開け放っている。まあ当然だろう、この一連の流れをここにいるほとんどの者が認識すらできなかったのだから。そして彼らには残念なことに驚いている隙が見逃されることは無い。
大刀の女を殴り飛ばした影はその場にいた暴徒たちをあっという間に制圧した。それは予定調和のように行われ見ている者には手を貸すどころか口を挟む暇さえ無い。まるで大風の前にゆっくりと倒れる木々を見つめるしか出来ないように、誰もがただ目の前で起こる出来事を見つめていた。
その場での出来事が終わりを迎え、中央にいた主役が空を仰ぎ見る。星の灯りに照らされた彼女を見てようやく誰ぞが正気に戻る。
「……はっ。ミザロ殿、お怪我はありませんか!?」
彼は思わずそんなことを尋ねていたのだがミザロは声のした方を向いて少し考え込む素振りを見せた。そしてそのまま動きもしない、喋りもしない。
「……なあ、もしや失礼をしたのか、俺は」
「どうだろな」
思わず質問をした彼が不安になる程の時間が過ぎてからようやくミザロは口を開く。
「私は問題ありません。あなたたちは早く他の場所の応援に。ここ以外にも多くの場所で同じような事が起こっています。私も有力な冒険者たちに声をかけながら事態の鎮静化の為に最善を尽くしますので」
「は、はい! わかりました」
自警団員はそのを言葉を聞くとそれぞれ複数の場所へ散らばって走る。対してミザロはその場に留まり少し考え事をしていた。敵の目的や自分が向かうべき場所、それにロロやハクハクハクの居場所など考えることは様々だ。
そんな彼女に向けて一人の自警団員が小走りで向かう。どこか自信無さげで頼りない弱弱しい雰囲気を纏ったその人は集中するミザロの隣まで行き。
「すみません」
と、とても小さく声をかけた。それは遠くから聞こえる破壊と喧騒の音の方がまだ騒がしいぐらいだ。ミザロは気付いていないのか無防備に考え事を続けている。
「す、すみませぇーん」
その人は再び声をかける。服を握り締めているところを見ると本人としてはさっきより声を張っているつもりなのかもしれないがその大きさはほとんど変わっていない。結局、全く反応を見せないミザロの前でいつまでもまごまごとしている。
そして声をかけるのを諦めて恥ずかしさから顔を赤くしながら踵を返す。
「どこ行くんですか?」
その背にミザロが声をかける。その自警団員は大袈裟に驚いた素振りを見せてゆっくりと振り返る。
「何か話があったのでは?」
「あ、え、えへへ」
「はっきりしてください。ルーチェ、あなた自警団の副団長でしょう? 今は団長の琳さんが不在なのですから、あなたがしっかりしないでどうするんですか」
呆れたように息を吐くミザロを前に自警団員、いや自警団の副団長であるルーチェは所在無さげに縮こまり手遊びをしている。そして目を合わせようともしないのを見てミザロは再び大きく息を吐いた。
「状況はどうなってますか?」
「あ、状況……」
「暇じゃないんですが」
若干の怒気を見せたミザロを前にルーチェは焦った様子で背筋を伸ばし居住まいを正す。
「状況はかなり深刻です。暴徒の数はかなり多く、場所も都中に散らばっています。それと三等星級の実力を持つ者が複数確認されています」
「現状、手が足りていない場所は?」
「……ありません」
ミザロはその言葉を意外とは思わなかった。寧ろ、当然そうであろうと。
「だったら私は適当に動きますよ」
「あ、できれば、その、ミザロさんは郊外の状況を確認していただきたく」
「郊外ですか? あちらに不穏な気配はありませんが」
今まで得られた情報の中で郊外に広がる農地で何か事が起こっている様子は無い。煙も上がっておらず、後回しにされていたのだが。
「念の為です、中央部はもう人手が足りていますので。ミザロさんの呼びかけで天柳騎の皆さんも動き始めましたし、私も既に本格的に動いています」
彼女の言葉が真実とすれば既に後回しにする理由が無くなっているらしい。そしてミザロは下手に周囲と連携させるよりは単騎で動くことの方が得意だ。
「そう、伝令以外に用が無いならそれは消してちょうだい。私は勝手に動くから」
「あ、えと、気を付けてくださいね」
その言葉を残しルーチェの姿が霧散していく。
「あの子元気にしてるのかしら。たまには本物を見に行ってみようかしら」
自警団の副団長ルーチェ、彼女は自警団本部の自身の部屋から一歩も出ることが無い引き籠りであるが、その魔力で都中に自身の分身を作ることが出来る。先ほどまでミザロと話していたのもその分身である。
しかしてその強さは。
「何だこいつ、いきなり現れたぞ!」
「はっ、その制服自警団か。俺の魔法でぶっ殺してやる! 地を裂き湧き出づぅぶ」
四等星程度の実力があっただろう暴徒の一人が拳を受けて吹き飛ばされる。
「え、速がぁ」
そしてその腰巾着の男が次の瞬間には顎に一撃を受けて気絶した。その後遅ればせながら到着した二人の自警団員が彼らを拘束する。
「ルーチェ副団長、お手を煩わせました」
「あ、いえ。もう行きますね」
「え、あ、了解です」
ルーチェは会話もそこそこにさっさと走り出していく。その姿に一人は感心したように息を吐いた。
「仕事熱心だな、副団長」
「んー? お前副団長と話すの初めてか?」
「まあ……。だって本部にも顔見せないじゃん。前に琳さんが壇上で話してた時に後ろに立ってたのを見たぐらいか?」
「あの人、単に人見知りなだけだぞ。いや、人見知りというか、それよりひどい何かと言うか」
「え?」
「まあいいか。副団長が動き出したんなら俺達も急ぐぞ。仕事が無くなる前に走れ」
彼の言った仕事が無くなる前に、とは比喩でも何でもない。ルーチェの魔法は自身の分身を作り出す魔法、その強みは。
「東門付近はもう大丈夫、宿の周りもいない、滝もいない、中央広場はこっちの戦力が薄い、五人ぐらい送ろうかな、あ、ディオンさんだ。じゃあ一人送れば十分かな」
複数体出すことのできる分身の視覚の共有、それにより情報を一早く集め必要な場所に必要なだけの戦力を集めることができる。情報伝達と戦力調整をたった一人で可能な恐るべき力だ。
彼女はそれを自警団本部にある自身の部屋の中で行っている。
「あ、こっちの方にも敵が。近くの人にも伝えないと……、はあ。話すのやだなあ。うぷっ」
人と話をするだけで緊張のあまりに吐きそうなる彼女は特別にこのような事態においても表に出る義務を課せられていない。そもそもその能力故に出る必要も無く、なんなら本体が狙われないよう秘匿されているあるべき姿でもあるのだが。
近くに置いてあった袋を手にした彼女はどうにか自身に課せられた義務を果たす。
「はあ、これでなんとかなるね。他の場所も見て回らないと」
手にした袋の中身からは視線を逸らしながら彼女の幾つもの分身が町の中を駆け回る。この騒動の間に何度目の前の袋に世話になるのだろうと彼女は憂鬱になっていた。
都の変わりゆく状況を誰にも気付かれること無く見つめている者が一人いる。彼は屋根の上に佇んでいるだけで本来ならば既に多くの者に気付かれていたことだろう。例えば周囲を警戒しながら走り抜ける自警団、屋根の上から周囲の状況を探ろうとした冒険者、反撃から逃れようとした暴徒、他にも大勢の者が彼を視界に入れていたはずだ。
しかし彼は誰からも気付かれない。何に介入することも無く、何からも介入されること無くただその場に立っている。
彼の名はニド、この騒動の首謀者その人だ。
「想像以上に都の守りは固いなあ」
彼は他人事のようにそう呟く。
勝てる、などとは思っていなかった。たとえ自警団の長が抜けようと、ザガや竜神などの有力な冒険者が複数人いなくともそれだけで都を制圧できるなどと甘い考えを彼は持っていない。
想定よりも戦力は集まっていた、質はともかく数は集まっていたし、その中には三等星級の力を持つ者も複数人いた。切り札に実力だけなら二等星に引けを取らないと言われた銀斧のリュウキもいる。町一つ落とすぐらいなら可能だったはずだ。
「奇襲の利が無くなったらこうもあっさりと押し込まれるとは」
自警団の警備体制や戦力の質は予想よりも上、冒険者も既に三等星以上の者が何人も動いている。既に数の上でも不利になっていることは容易に想像がついていた。しかし、彼にはこの状況を覆せる可能性が一つある。
自警団や冒険者が善人だとすればその行動を縛る術は多くあるのだ。
「そろそろ動くか」
彼が立ち上がったその瞬間、不意に下から跳び上がって来る影が見えた。想定外の事に思わず迎撃態勢を取る。
その影は長い髪をたなびかせ、まるで煌めく星の光を一身に受けているような輝きを放っていた。彼女の残光は粒となりその来た道を照らし、星々は彼女の為に行く先の道を照らすだろう。ニドは直感的に、勝てない、そう確信した。彼もかつては冒険者として活動し三等星にまでなった、腕は今でも衰えていない。しかし目の前に立つ彼女に勝てる未来は何一つ見えなかったのだ。
当然のようにニドの存在に気が付いた彼女は腰に差した剣を抜こうとする。ニドは覚悟を決めていた、まだ死ぬわけにはいかないのだ、如何な手段を用いてでも生き抜く覚悟。
しかし剣の柄にかけられた手が動くことは無かった。
そこにあったのは呼吸の音だけだ。恐怖と焦燥から荒くなったニドの呼吸音、それだけが二人の間にあった。
隙が出来るのを待っているのか? ニドはまずそう考えた。間合いに入って来た相手を切り裂く居合とか言う技だろうか? それとも向こうも緊張しているのか? 実力はともかく経験が浅いとか? 或いは――。そうやって様々な可能性を検討する中で、ふと、彼女と目が合う。ただ一心に決して逸らすことなくこちらを見つめ続けている姿を見て、一つの可能性に気付く。
「……ミザロちゃん?」
その問いに対して彼女はすぐには答えなかった。その無意味な間が彼には少し懐かしい。記憶の彼方にあった思い出がぼんやりと蘇ろうとした頃、彼女はようやく口を開く。
「ええ、ミザロです」
「久しぶりだね。覚えてるかな?」
「ニドさんですよね。随分と久しぶりなので確証が持てませんでしたが」
「そうそう。まさかこんなところで、こんな時に会うなんてね」
彼が現役の冒険者だった頃、志吹の宿によく遊びに来ていた子供がミザロだ。彼は宿での待ち時間などによく相手をしていたのである。それから随分と会ってはいなかったが、彼はそこに活路を見出した。
「二等星なんだってね。どこへ行っても噂を聞ける有名人だ」
「ニドさんは噂も聞けませんでした。急にいなくなってしまって……。その、やはりお仲間のことで」
「ああ、うん。そうだね……。まあその話は止めよう。ほら、今はそういう時じゃないしね」
そう言って彼は煙がたなびく都を見つめる。
ニドのやったことはちょっとした誘導だ。まるで当時と変わらず冒険者としての義務を果たそうとしているように、まるで今も都を守ろうとしているかのように、今も自身の心に善性があるかのように、ほんの少しそう見せかけた。
ミザロは小さな頃、憧れを持って見ていた彼の言葉にすっかり騙されていた。
「それもそうですね。ニドさんも腕は落ちていないようですし、暴徒の鎮圧を手伝っていただけると助かります」
「努力するよ」
生き残った。ニドは確信する。おそらく今、この都において最も危険な冒険者を相手に生き延びたのだ。銀斧ですら歯が立たなかった相手に敵であるとすら疑われずに済んだのだ。ミザロはそんな彼の横を通り過ぎてどこかへと消えて行く。
後々ミザロと敵対すると彼は分かっていた。故にその時までには十全な準備をしておかねばならない。その内容を一つ一つ吟味していると。
「あ」
後ろから何か思い出したかのような声が響く。まさか敵と気付かれたのだろうか、ニドに緊張が走る、が。
「全部終わったら宿の方へ来てくださいね。ニドさんが来たと知ったら多くの人が喜びますよ」
何のことは無い、つまらない話だった。
「ははは、もう誰も覚えてないでしょ」
だから彼はそう答えた。それにその言葉は本心だ。誰も覚えてなんかいないのだ。
覚えていたというならどうして自分たちは見捨てられた?
「そんなことありませんよ。ニドさんは多くの村を助けて来たでしょう? お礼をしたいと言う方は大勢います。私も、そういう姿に憧れていました」
ミザロは表情一つ変えずにそう言った。
「では、また後で会いましょう」
そしてその言葉を最後に本当に去って行った。その速さは凄まじくニドはもはや追い付くことは出来そうにない、そう感じた。いや、それは嘘だ。事実としては後でふと思い返しあの速さには追い付けないだろうなと思った、というのが正しい。ミザロが去って行った時にニドが考えていたのはそんなことじゃない。
「……冒険者になって、腹芸が上手く、なったなあ」
その呟きはニド自身にしか聞こえなかった。しかしそれで良い、彼は自分自身にそうであると言い聞かせたかった。あのミザロが、大人になって腹芸が出来るようになった、当然のように嘘をつけるようになったのだ。それを子供らしさが無くなったと捉えるか、それとも大人らしい進歩だと捉えるかは悩みどころだが……。
彼はそう思いたかった。
もしも。……もしも彼女の言葉が真実だとすれば。
「……ミザロちゃんは、全然変わらないなあ」
ニドは変わってしまった自らの掌を見つめる。今日はどれだけの人が傷つけられたのだろうか。心の準備をする間もなく殺された者もいるかもしれない。炎に焼かれ苦しんだ者もきっといるだろう。誰かに襲われるかもしれないという恐怖の中走り回った者もきっといる。その原因を作り出した自らの掌を彼は見つめ続ける。
「誰も覚えてないだろ? なあ……」
彼の名はニド。かつては冒険者であったが、魔王大戦が終結した折、仲間と共に魔物退治の依頼に出ていた。そしてそこで壮絶な戦いの末に危うく命を落としかけるも一命を取り留める。
しかし彼の仲間は救護が間に合わなかった。魔王を倒しお祭り騒ぎとなっていた都では誰も彼らの詳しい居場所を知らなかったのだ。
だから彼は恨む、自分たちを忘れた人々を。そして復讐を決めたのだ。
でも、今でも彼らが自分たちを覚えていたら?
ニドは強い立ち眩みがするのを感じていた。立っているのも耐えられず膝をつき両手を屋根の上につく。何かを堪えるようにしばらくそうしていたのだが不意に込み上げて来るものがあり、思わず手を口に添えたが堪え切れず胃液を吐き出した。
「げほっ、げほっ!」
手がべとべとの胃液に塗れてもそれは止まらない。誰かに気付かれるかもしれないほど盛大に吐いて、えずいて、また吐いた。頭痛が始まり全身の血液が逆流でもしているのかと錯覚するほどに気持ち悪い。冷や汗が伝うのをまるで氷が皮膚の上を滑っているのかと錯覚するほど冷たく感じ、かと思えば頭の中で火でも焚いているのかと思う程に熱が籠る。もしも彼がもう少し理性を失っていたならば川へと飛び込んでいただろう。或いは、そんな余裕すらなかっただけなのかもしれないが。
ようやく落ち着いた時、彼は目に涙を浮かべていた。胃液塗れなのを気にする様子も無く涙を拭うとゆっくりと立ち上がる。
彼はこれから一部の強大な力を持っている仲間と合流しミザロをはじめとする圧倒的な強さを持つ者を倒す算段を付けねばならなかった。しかし今、彼はそんな予定を放り捨て歩き出す。
「……今更過ぎるよ」
その呟きが誰に向けられたものなのかはわからない。




