41.ショウリュウの都の年明け
ショウリュウの都、その町外れ。そこには物好きな小金持ちが建てた別荘がある。とある農場の近くに建てられたのだが、その農場の者がその建物に気付いた頃にはその小金持ちは都を離れてしまったようだが。それで廃墟然となっているその建物、その中の一室でロロは目を覚ました。
「んー……、え?」
目を覚まし見覚えの無いその景色に首を一度傾げ、続いて手足を縛られていることに気付きもう一度傾げる。
「何だこれ?」
「あ、のね」
ロロが発した声に答えるように後ろから声が聞こえた。その聞き馴染みのある声に後ろを向けばそこにはハクハクハクが同じように手足を縛られた状態で座っている。
「大丈夫か? 何があったんだこれ」
改めて周囲を確認すると埃の被った床板が傷んでいるのがまず目に映る。部屋全体は広いのだがその割に物らしい物は置かれていない。そんな部屋の中央に二人は背中合わせに座らされている。
「えっと、ね。私も、わからない、の」
「そっか、それもそうだよな」
ハクハクハクが目覚めたのはロロが目覚めるほんの少し前、彼女にできたのは状況を把握しようと周囲を観察するぐらいだ。それを抜きにしてもわざわざ自身を含めて誰かの手足を縛ってやるなど重いはずがない。
二人は異様な状況に置かれながらもよく知る友人と一緒であるということで少しずつ落ち着き、現状について色々と話し始める。
「思い出したんだけど、俺達宿に向かってたんだよ」
「うん」
「それでさ、何か変な、こう……、何て言うのかな」
「ん?」
「手握ってたじゃん」
「え、あぅ、……ん」
「そしたら急に握る力が弱くなって」
「誰の?」
「ハクハクハクの。それで振り返ったらこう、手がさ、俺の顔に向かって来てたんだよ」
いまいち要領を得ないロロの説明、しかも手足が動かせないので身振り手振りも無く口だけの説明だ。少々ハクハクハクは理解するのに時間がかかってしまったが何とか状況を把握する。
「つまり、その、誰かが私たちを、襲った、ってことだよね」
「じゃないかな」
「だ、誰が?」
ロロは自分を襲った誰かの顔を思い出そうとするが彼の記憶にあるのは自身目掛けて広げられた掌だけだ。その形や大きさから子供やとても大柄でもない事は流石にわかるが情報としてはあまりに少ない。
「わからん」
誰かが二人を襲い監禁している、これは状況から見て間違いないだろう。しかし一方でそんなことをされる心当たりが二人には無い。そもそも二人はこれといった有名人でもないし、人から特別に恨まれるようなことをした覚えも無かった。
或いは人が人を恨むのに特別な理由など必要なくほんの少し肩がぶつかった程度の事まで考えれば話は別なのだろうが、この件に関しては違うと断言しておこう。幸いにも彼らがそんなことについて考えるまでも無く二人を攫った犯人がそのことを説明してくれる。
ギィィ。
扉が開く音。二人は当然そこに誰か人が現れたのだと、自分たちを攫った犯人が姿を現すのだと考えた。しかし目を向けたそこに人影を見つけることは出来なかった。
「……風で開いたとか?」
ロロがそう呟くがこの部屋に風が吹き込む様子は無い。窓はしっかりと閉まっており、その他には隙間風一つ入ってこないような設計になっている。
では何が扉を開けたのか?
「若いねえ、もしかして冒険者なりたてかな?」
扉を見つめていた二人の後方から声が聞こえた。思わず振り返った先には少しくたびれやつれた様子の男が立っている。二人は思わず戦慄していた。
「いつの間に……」
ハクハクハクがそう零すのも無理は無い。扉が開く以前に男の影はこの部屋には無かった。物らしい物がないこの部屋では隠れることも不可能だろう。そして扉が開いた時には二人の視線は扉を捉えており、そしてそこには誰もいなかった。
ならばいつ彼が二人の背後を取ることが出来たというのだ。
「あんたが俺たちを攫ったのか?」
ロロはじっと彼を見つめ尋ねる。男はにこやかな笑みを浮かべてその問いに答える。
「誰でも良かったんだけどね。一応冒険者を攫った方が宿に情報が伝わりやすいかなとは思ってたけど」
「だ、誰でも、良かった、の?」
「そうだね。君たちである必要は無かったかな。攫いやすい場所をたまたま歩いていたのが君達だったってだけ」
二人が思い返せば確かにあの時あの場所にいたのは彼らのみ。人の気配はまるで無く多少の騒ぎが起こったとしても誰も気付かなかっただろう。
「……俺達を攫った理由は分かったけど、それをする目的は何だ?」
「目的かあ」
彼は視線を上げてどこか遠くを見つめる。あまりに無防備なその姿にハクハクハクはどうにか逃げられないかと魔力を練り始めたが思うように魔力を練ることが出来ない。
彼女は気付いていないが彼らを縛る縄には特殊な鉱物が混ぜられておりそれは人の魔力を吸収する性質がある。魔法によって逃げ出すのは難しいだろう。
そして逃げようとする試みが失敗に終わったのをハクハクハクが悟った頃、男は視線を二人の方に戻しその目的を告げる。
「短く言うなら、復讐、という言葉が正しいかな」
復讐、その怨恨の連鎖は時に人を殺すほどに恐ろしいものだ。赤倉の町の一件で二人はそれを身に染みて理解している。
「復讐って、誰に対してなんだ?」
「誰、か」
男はしばらく黙り込んだ。それは何も問いに対して答えあぐねているわけでは無い。ただ目の前の冒険者の青さ、若さ、そして純真さに過去の自分を重ねていたのだろう。
「……僕の名前はニド、知ってるかな?」
「え? ……いや」
唐突な名乗りにロロは驚きつつもその名が自らの記憶の中に無いか考えたが心当たりは無い。
「まあ、だろうね。僕が冒険者をやってたのはもしかしたら君が生まれる前かもしれないし知らないのも当然だ」
「はあ」
一体何の話をしているのかわからずロロは困惑の表情を見せる。後ろにいるハクハクハクも同じように目の前の男の意図が読めず警戒心を強めている。
そんな二人に対し男は、ニドは、小声で呟く。
「知らないさ、あの時の皆のように」
怒りと悲しみが入り混じった声。その声を前に二人はただ言葉を失う。
ニドは踵を返すとそのまま扉の外へ向かった。
「どこ行くんだ?」
「君たちは、そこを動かないように。まあ動けないだろうけど」
その言葉の通り、今のロロ達に自らを縛る縄を解く術はない。
「僕はやるべきことがあるんだ。君たちはその為の人質ってやつだよ」
「待てよ!」
「敵にお願いしても聞いてくれるわけが無いだろう?」
その言葉を最後にニドは扉を閉じて外へと消えて行く。再び部屋の中にはロロとハクハクハクだけが取り残された。
「ハクハクハク、この縄切れないか!?」
その問いには彼女は首を横に振った。ロロはどうにか縄を千切ろうと力を入れるが手を縛る縄も足を縛る縄も多少の力を込めたところでびくともしない。
「た、たぶん、その、魔力は、効かない? んだと思う」
「魔法は?」
「だからその、魔法が出せない、の」
「じゃあ身体強化だ」
「だ、だから……」
その後も二人は色々と試すが縄は解けない。どうにか虫のようにうねうねと這いまわって移動しても扉には固く鍵が掛けられ、窓は高くとても届かない。
「食らえ!」
更にはロロが壁に頭突きをかますが振動すら感じられず破壊するのも不可能なようだ。むしろ彼は頭から出血せずに済んだ幸運に感謝すべきだろう。
ともかく、二人は廃墟に拉致監禁されている、それだけは疑いようのない事実だ。
所変わって志吹の宿、そこでは瑞葉とミザロが互いに困惑を浮かべている。
「本当に来てないんですか?」
「私に嘘をつく理由は無いわ」
「まあそうですよね……」
ただ寄り道をしているだけ、瑞葉はそう思いどうにか自分を安心させようとするのだがそれは上手く行かない。宿への依頼完了の報告をゴウゴウに任されている状態で先に寄り道をするような二人ではない。どちらかと言えばやるべきことを終えてから色々と楽しもうとする性格だろう。
では無意味にゆっくりと歩いている可能性は無いだろうか? 例えば休んでいた瑞葉が追い付くかもしれないとゆっくりゆっくりと歩いている可能性。しかしこれも論外だ、なぜならその瑞葉が既に宿に着いている。当然彼女は普段から使っている通い慣れた道で宿へ向かったし、道中はひと気も無く見逃すようなこともあり得ないだろう。
ではなぜ二人は宿へ来ていないのか?
「……ちょっと外を見て来ます」
「…………ええ」
今の二人にはその理由は分からない。
そもそも想定していないのだ、誰かが二人を攫うなど。あの二人が恨みを買うような人間ではないことを彼女らは知っている。
まさかショウリュウの都全体を相手取って蜂起する者がいるなど想像もしないだろうし。
最初の異変は本当に小さなものだ。街灯の一つが壊された。ただそれだけの事がもはや誰も外に出ていない大晦日の夜に起こったとて誰が気付くと言うのだろう。しかしそれによって作られた夜の闇の中を進む影が確かにある。
先導しているのは丙族の女。彼女はこれまでにも幾つかの事件で裏から糸を引き、とある組織の中枢に関わっており、今宵これから起こることの首謀者の一人だ。
「所定の位置に着いたら時を待て、幸いわかりやすい合図がある」
彼女は他の者にそう伝えるとまた別の者たちの元へと向かう。
ところで、なぜ瑞葉を迎えたのがミザロだったのかを知っているだろうか? 年明けに三大国会議が山河カンショウの国で行われる。そしてその警備の為に国中から人が招集され、その中には志吹の宿の支配人たる崎藤も含まれている。
ショウリュウの都からは実に多くの者が三大国会議の為に召集された。冒険者たちを取りまとめる崎藤、実力名声共に申し分ないザガ十一次元鳳凰、考古学の権威であり冒険者としての実力も高いイザクラ考古学団の面々、自警団からは団長の琳に加え人員の全体の約四割がそちらへ出向している。
こんなことは少し調べればすぐにわかることだ。これほどの人材によって警備が行われるなら三大国会議の警備は万全の態勢で行われることだろう。逆に言えばショウリュウの都を襲うなら今が好機と言うことでは無いだろうか?
実力ある冒険者が大勢いない、自警団の団長やその人員の多くがいない、本来ショウリュウの都が持っている戦力が大きく減っているのは誰でもわかる。
「ザガや竜神、家老さんや琳さんもいないんだ。今やらないでいつやるんだろうね?」
彼は、ニドは、自警団保有する拘置所の屋根の上に一人座り込んでいる。肌を刺す冷たい空気もこれから起こることへの緊張と高揚で気にもならない。
「さて、予定時刻までもう少しだ」
瑞葉は外を探したがどこにもロロとハクハクハクが見つからず仕方なく志吹の宿へと戻った。
「どうしていないんだろう……」
ミザロは心配そうに呟く彼女を見て、見て、見続ける。瑞葉が様々な悪い想像を浮かべては打消しを繰り返し始めた頃、ようやくミザロは口を開いた。
「私の方で探しておくからあなたは家に帰った方が良いわ」
既に夜も更けてもうすぐ年が明けようとしている。無論、彼女とて家に帰って家族と過ごしたい気持ちはあった。あったが、友人や幼馴染を放ってまでそうすべきとは思わない。
「もう一度探しに行きます」
「一度落ち着きましょう。お茶を入れるわ」
「……わかりました」
熱いお茶が机に置かれる。ミザロは宿の看板娘を名乗るだけあってお茶を淹れる程度は朝飯前、いつの間にかお茶菓子まで用意されているほどだ。
「こんなことをしている内に年が明けるわね」
「そうですね」
ショウリュウの都では鐘の音と共に年が明ける。都の至る所に設置されたそれは人の手を借りない機械の力で完全に同時に音が鳴るのだ。
「だからそれを合図にすれば都のどこに居ても同時に事を起こせるだろう?」
ゴウゥゥゥウン。
その鐘の音は都の人々に過ぎゆく年の終わりと新たな年の始まりを告げる。
「合図だ」
そして都の至る所に潜伏する者にその時が来たと伝える。
ショウリュウの都東門付近。ここは広場になっており酒を片手に星を見ながら年を明かす者も毎年必ずいるものだ。門の警備を行う自警団員は本来ならばこんな夜中に外で飲むんじゃないと一言注意すべきなのだが、こんな日ぐらいは大目に見て黙認しているのだ。
「今年の鐘の音も良いですなあ」
「ええ。星も綺麗で酒が旨い」
はっはっは、とここに集った者達が笑う。しかしその笑みは次の瞬間には消え去った。
「ん、何だあれ」
門から少し離れた位置、そこは幾つかの建物が集まっているのだがそこから煙が立ち上っているのだ。
「おいおい火事か?」
「かもなあ。ちょっと自警団の人に知らせて来るわ」
一人が門の方へ向かうとほどなく一人の自警団員を連れて戻って来る。
「皆さんは少し離れたところに居てください」
そして飲んでいた皆を置いて自警団員が煙の元へ向かう。
しかし彼が煙の大元へと辿り着くことは無かった。建物の裏手、細い路地の奥から煙が上がっているのはすぐに分かったのだが、彼がその路地へ入ろうとした時。
「行け!」
ザッ。ダッ。ダッ。
「なっ!」
彼は目の前から迫り来る三人の男女を見た。その手には細い角材や農具などそれぞれ武器が握られており一直線に彼に向けて振り下ろされようとしていた。
バキィ!
木々が割れるような音が大きく響き飲んでいた男たちは心配そうに自警団員が向かった方を見つめる。
「何かあったのか?」
皆が黙り込む。今の音は何事も無かったのに鳴るような音ではない。想定外の事態、そういうものが起こったのだろうと容易に想像がつく。皆が黙り込み顔を見合わせる。煙は相変わらず空へ向かいたなびいていた。
「俺が見て来る」
彼らの中で特に勇敢な一人が立ち上がる。彼はこれと言って荒事が得意なわけでもなかったが、何事か起こった時に黙って見ていられるような性格でも無かったらしい。緊張からか足は震えていたが一歩一歩確実に煙の上がっている方へ歩き出す。
「皆さん!」
その時、自警団員の声が響いた。
「全員門の方へ! 暴徒が暴れているので避難を!」
彼の額からは血が流れている。
不意を打った三人の攻撃、これは実の所自警団員の彼にとって何ら問題の無い攻撃だった。大した魔力が込められていることも無くその一撃が全身を覆う魔力の鎧を突破することは無い。あっさりと制圧して終わり、のはずだった。
「油断かあ?」
問題だったのは三人を囮にして上へと回り込んでいた男。彼はその言葉と共にこん棒による一撃を喰らわせた。彼はある程度戦い慣れしているようでその一撃は先の三人よりも遥かに重く、手傷を負う羽目となったのだ。
最も。
「まっ、たく」
「あ?」
その程度で自警団員を倒せるとは思わない方が良い。攻撃を喰らった彼は即座にこん棒を持った手を抑え、軽くひねったかと思うと男の身体が宙を浮いた。
「あ、あああ!?」
そしてそのまま、硬い地面へと叩き付けられる。
「年末年始ぐらいはゆっくりさせてくれ」
そうぼやいて男の身元を探ろうとして、ふと気付く。
「あーあ、やられてやんの」
「だから油断すんなって言ったのに」
「じゃあ囲んで叩くか」
まだ奥に大勢残っていると。彼はそれに気が付くと即座に身を翻して逃げ出す。
「逃がすな! ぶっ殺せ!」
振り返る暇も無く自警団の彼は走る、走る。額から血が伝ってくるのを感じながら。
広場で飲みをしていた男たちは急ぎ都の東門へと走る。頑として門を守っている自警団員は訝しげに彼らを見ていたが、その焦った様子に何かあったことは察したようだ。
「どうした? さっきの煙の方で何かあったのか?」
「さっきこっち来たあんたらの仲間が額から血を流して、暴徒が暴れてるって言ってたぞ!」
「何ぃ?」
自警団の彼はすぐさま後ろに控えていたもう一人の団員に応援を要請するよう指示を出す。そして走って来た男たちを都を覆う壁の内部へと誘導した。
ショウリュウの都を覆う壁は巨大であり門の傍から内部へ入ることが出来るようになっている。そこは自警団員が休息を取る場所であり、また壁の上部へと登り都の周辺に危険が無いかを監視できるようにもなっているのだ。
またそこには自警団本部などへ応援要請を行える装置も設置されている。それを作動させると対になっている装置の音が鳴る仕組みとなっており、そこから音の長短によって簡単な会話を行うことが出来るのだ。このショウリュウの都においてそれを使用するような切羽詰まった事態はあまり無く、主に動作点検を兼ねた定時連絡に使用される程度だ。
しかし今日は違う。
自警団本部、通信室と銘打たれたその部屋では都の様々な場所に置かれた通信装置の対となるものが一挙に置かれている。常に誰かがここに居り、彼らは都中から場所によって異なる時間の定時に行われる異常無しの連絡を聞くのが主な仕事だ。
しかしこの日は。
ビービービー、ビビビ、ビービービー ビービービー、ビビビ、ビービービー
ビービービー、ビビビ、ビービービー
ビービービー、ビビビ、ビービービー
ビービービー、ビビビ、ビービービー
ビビ、ビービービー
ビー ビービービー、ビビビ、ビービービー
ビービービー、ビビビ、ビービービー
ビービービー、ビビビ、ビービービー
「何が起こってるんだ!?」
そこに置かれているほぼ全ての装置がほぼ同時刻に鳴り始める。同時に鳴り始めるだけでも既に異常事態なのに送られてきている通信が示すのは。
「……全部応援要請じゃないか!」
彼は即座に緊急事態と判断し、全ての場所への返信と本部にいる者にその旨の伝令を行うのだった。
志吹の宿では相変わらず瑞葉とミザロが話をしている。鳴り響く鐘の音は年が明けたことを伝えており、瑞葉はぐっと奥歯を噛んでいる。
「……そう力んでもロロ達が見つかるわけじゃないでしょう?」
「……そんな、いえ、確かにそうです」
「そう言えばゴウゴウとエゴエゴは? 彼らと一緒に依頼に行ったでしょう?」
「あ! ……そうですね。とりあえずそちらの話をしておきます」
瑞葉は赤倉の町で起こった一件について要点をかいつまんで話す。この件に関してはゴウゴウの口から詳細な説明をしてもらった方が良いと考えての事だ。
「……そう、そんなことが」
ミザロはそう呟くと黙り込んで何か考え始める。瑞葉はいつものが始まったなと思って残りのお茶菓子を摘み自分の事を考え出した。
ロロとハクハクハクがいないのは変だが、探そうにも当てが無いのは事実だ。とりあえずは何らかの理由でここに来たがミザロに会えず家に帰ったという可能性、まあ二人の性格上まずあり得ないだろうが、その可能性を考えて農場の方へ戻って見るべきかもしれない。
そんなことを考えていたのだが。
ビビビビビビビビビビビビーーーーーーー。
急にやかましい音が宿の受付辺りから響き渡る。瑞葉は驚き固まってそちらを見ていた。
「な、んの、音ですか?」
そしてそう言いながらミザロの方を見たのだが。
「……ミザロさん?」
ミザロの雰囲気がいつもと違うことに気が付く。彼女が何事か考え込んで止まったまま動かなくなるのはいつもの事だが、その表情が普段と違い張り詰めどこかぞっ、とするような怜悧さを含んでいる。
「……瑞葉、少し、そうね」
そして考えがまとまらない内に話し出す。普段なら絶対にありえないことだ。瑞葉は何か恐ろしい事態が起きているのを察し、緊張と共に襟元を摘んでいる。
「その、一体何が」
「農場付近まで送るわ。その後は真っ直ぐ家に帰りなさい」
「えっ」
「さっきの音は都で緊急事態が発生したという報せね。私はその鎮圧に向けて動かないといけないわ」
「緊急事態……」
「ロロとハクハクハクも探しておくから、あなたは家を守っておきなさい」
要するにそれは戦力外の通告だ。最後の言葉が方便に過ぎないことを瑞葉は当然に理解している。ロロだったなら幾らか食い下がるのだろうが彼女は。
「……わかりました。二人の事よろしくお願いします」
「……いい子ね」
こうして二人は宿を出る。
外へ出るとミザロはすぐさま瑞葉を抱きかかえる。
「え?」
「急ぐから少し跳」
言葉の途中で瑞葉は急速に地面が離れて行くのを見た。風を切る轟音で声は聞こえず身動きも出来ない。何が起こったのかを理解したのはミザロが屋根を蹴る瞬間を目にした時だ。
ミザロさんは家の上に跳び上がってそのまま屋根の上を走ってるんだ。
それに気付いたところで声を出すこともできず彼女は過ぎ去る景色を見つめることしかできない。今は深夜、碌な明かりも無くあまり確かには見えないが、それでも様々な場所から煙が数本上がっているのは確認できた。
「忙しくなりそうね」
ミザロは憂鬱さの中に少しの怒りを滲ませながらそう呟いた。
「それじゃ私は行くわ。くれぐれも気を付けて」
瑞葉を家の近くまで送り届けるとミザロはそれだけを言って返事も聞かず駆け出した。それはさっきまで瑞葉を抱えていた時よりも速い。
「あれでも気を遣ってくれてたんだ」
そんな速さでも実の所途中から酔いそうだった瑞葉は驚きと共にその後ろ姿を見送る。そしてその背が見えなくなると回れ右をしてとぼとぼと俯きながら家へと向かうのだ。
「都の緊急事態かあ。あの煙、火事だったのかな? でも火事でミザロさんにまで連絡しないよね」
考えるのは今起こっている事態、自身には想像が及ばず、そしてその内容を教えても貰えなかった何かだ。
「ミザロさんは二等星だもんね、私なんかと違ってそれに対処できるからああやって知らせてもらえるんだろうな」
実際にはあの警報は志吹の宿への応援要請であり、冒険者を取りまとめて事態の収束を図ってくれと言う意味なのだが、彼女がそんなことを知る由もない。それにミザロの力を大いに当てにしているのも事実だ。
「私、まだまだだな」
瑞葉は一人で勝手に落ち込んでいる。俯いて家へととぼとぼと歩いている。
だから気付くことが出来た。
「ん?」
彼女が見つけたのは折り畳まれた一枚の紙。それは道端に落ちているごみだ。
「もー、誰が捨てたの」
彼女は道端に捨てられたごみを普通に拾って然るべき場所に捨てる程度には善良だ。それも幸いした。そして彼女は何気なく拾った紙を広げる。捨てるつもりではあるがその前に何が書かれているのかを確認したくなるのは至って自然な事だろう。
「え、これ……」
そして彼女は思わず周囲を見渡した。何かを探すように何度も、入念に。
「ハクハクハク、俺は大事なことに気付いたんだが」
その直後、外から風が吹き付ける音がした。
「え、な、何?」
監禁され体の自由を奪われる絶体絶命の状況下で発されたロロの言葉。或いは脱出の手段でも思い付いたのかと淡い期待を寄せて彼女は聞き返す。
言うまでも無くその期待は裏切られるのだが。
「無いんだ、紙が」
「か、髪?」
思わずハクハクハクはロロの頭頂部を見たが、意識して見ていなかっただけで当然髪はある。視線から勘違いを察したロロはもぞもぞと動いて何かを見せようとしたらしいが手足が縛られた状態ではどうにもならず諦めて口を開く。
「ほら、ゴウゴウさんに貰ったじゃん。あの、あれ、紙だよ紙」
「……あ、依頼の、赤倉の町、で、あったことが書いてある」
「そうそう。あの紙どっかに落としたみたいなんだ」
ハクハクハクは思わず今それどころじゃ、とぽかんとしてしまう。ロロは縛られ横たわった状態で申し訳なさそうに額を地面に擦り付けた。
「うわー、俺届けるって約束したのに、ゴウゴウさんに顔向けできねえよ」
「……こんな状態だし、その、ゴウゴウさん、も、わかってくれると思う」
目の前であーうー呻きながら転がる姿を見ているとハクハクハクはなんだか落ち着く、と言うよりは自分の状態を一瞬だが忘れられた。
だからふと思い出す。
「瑞葉ちゃん、心配かけちゃうな」
一人置いて来た友達の事を。
周囲を見渡す瑞葉の手の中にはゴウゴウの筆跡で書かれた一枚の紙。そこには赤倉の町であったことが詳細に書かれており、かつ誰かの魔力が籠っているのが瑞葉の目でも確認できた。
「ゴウゴウさんがロロに渡した紙がここにある……」
それはつまりロロはこの付近を間違いなく通ったということだ。ここは二人の家へと続く道、ではあるが瑞葉はどうしたってこれを宿に届ける前に彼が家へと帰るとは思えない。
しかし万が一を考えて彼女は先に家へと向かう。瑞葉は自身の考えをいつだって完全には信用していない、裏付けを取る必要があると考えた。だから走る、一刻も早く、走る。その頭の中では行うべき会話について考え続け。
農場の土地に立つ二つの家、彼女はそこにある自分の家を無視してロロの家の戸を叩いた。もし、これにロロが出てくれば全ては杞憂で終わるのだが。
「……ん、瑞葉ちゃんか。何かあったのか?」
出て来たのはロロの父親であるナバスだった。瑞葉は肩を落としつつそれを表情に出さないよう気を付け、ここに来るまでに考えておいた会話を始める。
「あれ、ロロはまだ帰ってないんですか?」
「ああ、まだだな」
「あー、じゃあまだ宿の方か。実はその、今日、というか昨日? ですけど、馬車でやっと都に戻ってこれたんですよ。ただ私はちょっと酔っちゃって、先に帰っててって言ったんですけど。多分宿の方で待ってるんですね」
「そうか」
「私は宿の方に行ってきます。ロロも連れ帰ってきますよ」
「わかった」
そんな短い会話を終えると瑞葉は踵を返して走り出す。ナバスはしばらくそれを見つめていたがやがてそれを止めて戸を閉めた。その行動まで含めて概ね瑞葉の想定通りの会話だ。
「ナバスさん結構放任主義だからなあ。……さて」
手の中にある紙を見つめて瑞葉は立ち止まる。当然、彼女は宿に戻るつもりは無い。彼女は今頭の中に地図を思い浮かべている。
「この紙があった場所をロロが通っていると仮定して、二人が宿へ向かう道と結ぶと……」
瑞葉の浮かべる地図上に大まかに線が引かれる。宿へ向かう道の始点と終点から紙が落ちていた場所を通る直線、その交点の向こうが二人のいる場所。
「広すぎるな、もっと絞らないと」
闇雲に探すにはあまりに広大な土地だ。しかし大部分は彼女らの父母が働く農場の土地でもある。
「……ジムニーさんが何かするとは思えないし農場の土地は探さなくてもいいか」
農場の土地の境界には簡易的な柵が設置されている。それはかの農場が丙族の立ち入りを基本的に禁じている為であり、互いに余計な悶着を起こさない為の区分けだ。その外に何か無かったか彼女は記憶を探る。
「……そう言えば昔に誰かが変な所に家があるって言ってたっけ」
それはぼんやりとした記憶、誰も寄り付かない変な家。それなりに大きいのに蔦が這っていてどうやら誰も住んでないみたいだ、と。農場の土地から少し離れたところにあってもはや誰も気にしない。
それはそれは後ろ暗いことをするのに非常に都合が良い。
「……行こう」
彼女は薄れた記憶を掘り起こす。確証も、確信も無い、それでも彼女は走り出した。




